YEW冒険譚

繰り返される悪夢

第弐夜 闇夜の幻


7.調理場(リカード)


 和やかな雰囲気のまま、夕食が終わった。
 だが、他のみんなはまだ席は立たずに話を続けていた。
 自室に戻って一人になりたくないのかもしれない。

 リカードはそんな中こっそりと席を立ち、調理場へと向かった。


(とりあえず、ラスの実をなんとかしなきゃな)


 このまま、あの実を放っておいては明日の朝飯にまで登場しかねない。
 それだけは避けなくてはいけない。
 それを避ける為にも今晩のうちにあの実を全て捨て去らねばならない。

 リカード、15歳。
 けっこう我が侭だった。


 調理場にはコックがいた。
 まあ、先ほど夕食があったばかりなのだから当然といえば当然だろう。

 長い黒髪の女性だ。
 女性はリカードに気付いて振り返った。
 美人といって問題はない外見。
 20代後半といったところか。
 黒髪がコックの白い服によく映えている。


「あれ? なんか用かい?」


 どこか大人しげな雰囲気とは異なり、その口から出た言葉はなかなかに
男っぽいものだった。
 雰囲気とのギャップに一瞬面食らったリカードの様子にコックの女性の
顔に不安がよぎる。


「まさか…夕食になんか問題あった、とか?」


 恐る恐るといった感じで聞くコックにリカードは首をぶんぶんと振って
否定した。


「え?
 ううん、ご飯はおいしかったよ!!」
「そ、そうだよな!!
 あたいが作ったんだ。
 そんなはずねーよな!!」


 うんうんと、頷くコック。
 ふっと我に返ったようにリカードに目を向ける。


「じゃ、あんたはこんなとこに何しに来たんだよ」
「え、えーと…」


 まさか、嫌いな食べ物をこっそり捨ててやりに来たとはいえない。


「夕食が美味しかったんで作った人に会ってみたくなったんだよ」


 口から出任せだ。
 だが、効果はあった。
 コックの口元がだらしなく緩んでいる。
 見た目がいいだけになかなかに間抜けに見える。


「そ、そう?
 照れるな〜。
 あ、あたいはエルミーってんだ。
 よろしくな」
「おいらはリカードだよ」
「リカードね。
 ま、なんか食いたくなったらいつでもいいな。
 この黄金の右腕で何でも作ってやるぜ!!」


 そういって笑いながら自分の右腕を叩いてみせるエルミー。
 なかなか堂のいったものだ。
 よっぽど自分の腕に自信があるのだろう。
 事実、先ほどの夕食は絶品だった。


「うん、その時はよろしくね。
 じゃ、おいらはもう行くから」
「ああ、そんじゃな」


 リカードは調理場を去る前に視線を巡らせた。
 左右に扉が見える。
 恐らくあれのどちらかが貯蔵庫だろう。
 だが、さすがにエルミーがいる以上、入ることは出来ない。
 リカードにエルミーに見つからずにこっそり忍び込むなんて
器用な芸当は出来ない。


(ビネガにでも頼むしかないかな。
 どうせ暇してるだろうし…)


 そんな失礼なことを考えながら調理場を後にした。




8.食堂(ビネガ)


 ビネガは食堂の椅子に座りながらミチコたちの話を聞くとはなしに
聞いていた。
 どうせ、雨がやんだら去るつもりでいたし、多少納得いかないところはあっても
それだけで調べまわすにはリスクが大きすぎる。
 期待していたフェイの様子も特におかしな所はない。
 少なくとも嘘をついているようには見えなかった。
 気になる所は幾つかあったが、別に突っ込んで調べる必要性は感じない。


(ま、しゃーないな。
 大人しくしてるのが一番か)


窓の外は未だに雨が降り続く。


「でも、びっくりだよねー。
 ここがシグニール家の屋敷なんてー」


 メイの声が聞こえてきた。
 ビネガの視線が部屋の中に戻る。
 見ればミチコとメイが話を続けていた。


「知ってるの、メイ?」
「あれ、というかミチコさんは知らないの?
 YEWの郊外に住んでる貴族だよ。
 私はここ来るの初めてだけど、使いの人がたまにうちの酒場に
お酒とか買いに来るもん」
「へー、知らなかったわ」


 ビネガも知らなかった。
 自分の情報網も完全ではないということか。
 まあ、世の中に完全なんて物は存在しないのだし
知らなかったのなら今から覚えればいいだけの話だ。
 だが、少なくとも得体の知れない屋敷というのではないらしい。


「へへー、じゃあこれも知らないでしょ」
「な、なに?」


 そういってミチコを覗き込むように、にへへと笑うメイ。
 その顔にちょっとのけぞりながらミチコは引きつった笑みを浮かべた。


「あのね、この屋敷にはすっごい宝石があるんだって」


ぴく


 ビネガの肩が僅かに揺れた。
 視線はさりげなく外に向けられているが全神経が聴覚へと集中されている。
 

「えーとね、なんて言ったかな?
 エンジェル……あれ、なんだったけなー?」


 その言葉にビネガが詰め寄る。


「まさか、エンジェル・ティアとちゃうやろな!!」
「え?
 ああ、そんな名前だったわ」
「知ってるの、ビネガ?」
「ああ、ちょっとな〜」


 ビネガの様子に気圧されながらも頷くメイ。
 不思議そうに聞いてくるミチコに曖昧に頷きを返す。


 
エンジェル・ティア

 親指の先くらいの大きさのルビーをあしらった一組の涙的型のイヤリングだ。
 その価値は数十万とも数百万とも言われている。
 だが、それだけではない。
 このイヤリングはもう一つの顔がある。

 
呪われた品。

 今から80年程前、一人の貴族がこのイヤリングを所持していた。
 だが、しばらくして貴族に不吉な事件が起こる。
 次々消えていく使用人。そして、家族。
 最後には館の主の発狂による自殺によって幕が下りた。
 その後、エンジェル・ティアは行方知れずとなったと聞いていたのだが…


(まさか、こんなとこにあるとはな)


 まさか、この雨までその呪いの所為だとは思えないが。
 無理をしようとは思わないが一応調べるだけは調べてみるのもいいかもしれない。


(呪われた宝石ってのも一度、見てみたいしな)


 そんなことを考えていると、調理場からリカードが戻ってきた。
 リカードはビネガの姿を見つけると手招きした。


「なんや?」


 ビネガがリカードの所に行くと彼は小さな声で話し出した。
 どうやら、回りには聞かれたくないらしい。


「ちっと、お願いがあるんだ」
「お願い?」
「実は…」


 その願いというのは馬鹿らしいものだった。
 貯蔵庫にあるラルの実を全部捨てて欲しい、そんな我が侭な願い。
 貯蔵庫の前の調理場にコックのエルミーってのがいてリカードじゃあ
忍び込めなかったらしい。
 あまりの馬鹿らしさに怒鳴りつけようとした時、ビネガはラルの実の
意味に思い至った。

 冬の果物が食事に出ていた?
 あれだけ注意していたのに…

 まるで気付かなかった。
 疲れから注意力が散漫になっているのかもしれない。


(…嫌な兆候やな)


 少なくとも毒は入っていなかったはずだ。
 そちらに意識をとられすぎたのかもしれない。
 どちらにせよ、先ほどのこともある。
 一応、調べるにこしたことはないだろう。

 だが、リカードの言葉をそのまま聞くのも癪だった。
 だから、交換条件を出した。


「わかった。 そいつはうちがなんとかしたるわ。
 ただし、一つ条件があるねん。」
「条件?」
「この屋敷にエンジェル・ティアっていうイヤリングがあるねん。
 それがどこにあるのか、誰でもええから聞き出して。」
「どこにあるかって…まさか」

 
 険しい表情を見せるリカードにビネガは苦笑を浮かべて手を振った。


「ちゃうって、いくらなんでも助けてもろた家のもんとったりせーへんて。
 ちっと、気になっただけやって」
「…それならいいけど」


 まだ、どこか納得していないようだがリカードはしぶしぶ頷いた。
 そんなリカードの元に駆け寄る人影があった。


「あ、お兄ちゃん!!
 やっと帰ってきたぁ」


 ティスだ。
 ティスはリカードの前まで来ると引っ張るようにその腕を取った。


「ねぇねぇ、さっきのお話の続き聞かせて!!」


 目を輝かせてせがむティスにリカードとビネガは苦笑を浮かべた。


「ほれ、行ったり。
 さっきの話、忘れんといてや」


 ビネガはリカードの肩を叩くとそのまま調理場へと向かった。




9.食堂(ミチコ)


「ねぇねぇ、さっきのお話の続き聞かせて!!」


 食堂にティスの無邪気な声が響く。
 ミチコは席を立つと声の方へと向かった。


「それでしたら、私もご一緒していいかしら」
「ミチコ?」


 リカードが驚いたようにこちらに振り返る。
 このまま部屋に帰ってもよかったのだが、せっかく来たのだから
こういう出会いを大切にしたい。
 それに、この雨音を聞きながら一人部屋にいると何かさびしい気持ちに
囚われそうだった。
 それならば、この少女と話して夜を過ごすのもいいだろう。
 そんなことを考えていた。


「あ、私もー!!」


 後ろからメイも声を上げた。
 リカードはしばらく驚いたように体を硬くしていたがやがて諦めたように
息をついた。


「ふう、わかったよ。
 でも、ここで話す?
 どうせなら、部屋に楽器を取りに行きたいんだけど」
「うーん、そうですね。
 じゃ、みんなでリカードの部屋に行きましょうか?」
「「さんせーい」」


 ミチコの提案にメイとティスが手を上げて賛同する。
 リカードはもう諦めたように何も言わずに苦笑するだけだった。


「どうせなら、ビネガとフロットも呼びましょうか?」


 ミチコの言葉にリカードは僅かに身を硬くした。


「ビ、ビネガは用事があるっていってたから無理じゃないかな?
 フロットは知らんけど…」
「そう?」


 ビネガは先ほど席を立ってしまった。
 フロットはもっと早い段階からいなかったような気もする。
 疲れていたのか口数もいつもより少なかった気もするし
今ごろ疲れて眠っているのかもしれない。
 そうだとすれば、無理して起こすこともないだろう。

 ミチコ達は連れ立ってリカードの部屋に向かった。
 



10.調理場(ビネガ)


 調理場には確かに人の気配があった。
 どうやら、明日の朝食の下準備をしているようだ。

 エルミーの注意は料理の下ごしらえに向いていたので調理場に
忍び込むのは簡単だった。
 エルミーに気づいた様子はない。
 ビネガは物陰に隠れながら部屋を見回した。
 調理場には入ってきたものを別にすれば扉が左右に二つ。
 配置的に考えて右の扉は外へ続いているはず。
 それならば、貯蔵庫は左の扉となるだろう。

 それを確認しようと動こうとした時、エルミーが何か思い出したように
振り返った。
 ビネガは先ほどの物陰にまた身を隠す。
 エルミーはそのまま左の扉に近づいていく。
 どうやら、こちらに気付いたのではないらしい。
 そのまま、貯蔵庫へと入っていくエルミー。

 ビネガは小さく舌打ちをした。
 部屋の位置関係を考えれば貯蔵庫はそれ程大きくもないし
扉も一つしかない。
 そんな所に今、入ったらエルミーに気付かれかねない。
 少なくとも彼女が出てくるのを待つ必要があるだろう。


(さっさと済ませて、他の場所を見に行きたかったんやけどな〜)


 思った以上に時間がかかりそうだ。

 結局、エルミーが貯蔵庫から出てきたのはそれから20分ほどしてから
のことだった。
 両手にいっぱいの食材を持っていた。
 恐らく、明日の朝食に使うものだろう。
 いきなり、5人も客が来たのだからいい迷惑だろうにその顔に不満はなく
ほんとに楽しそうだ。
 料理自体が好きなのだろう。

 ビネガはエルミーが料理に向かった隙に貯蔵庫に向かった。
 音もなく部屋に入り込み、しっかりと扉を閉める。
 先ほど部屋からの光が外に漏れないことは確認している。

 懐から小型の油紐と取り出してその先に火を灯す。
 部屋の明かりを使ってもいいが、それだとエルミーが
部屋に入ってきた時に隠すことが出来ない。
 明かりとしては小さいが何とかなるだろう。

 貯蔵庫の中は食糧が整然と並べられていた。

 そこに特におかしな所は……


(…なんや、これ?)


 あまりに当然と並べられている為に見逃すところだったが
貯蔵庫に並べられている食材は季節がめちゃくちゃだった。

 夏の食材の横には冬や秋の食材が平然と並べられている。
 別に、他の季節の食材を手に入れることが不可能とはいえないが
これだけの食材を手に入れるのにはどれだけの金がかかっているのか?


(よっぽどの金持ちなのか……あるいは)


 何か秘密があるのか。


(とりあえず、調べてみるしかないか)


 それから、しばらく貯蔵庫を探索していたが特におかしな所は
見当たらない。


(貯蔵庫に変な仕掛けはなさそうやな)


 怪しげなところはおろか、食材を長持ちさせるような仕掛けさえも
見当たらない。
 それは、この季節の異なる食材が定期的に持ち込まれていることを
表していた。


(…変やな〜)


 これほどの食材なのだ。
 金額的にかなりの物となるだろう。
 だが、それにしては管理が杜撰過ぎる。
 扉には鍵さえもついていなかった。


(…食材の流れを調べといた方がええんやろか?)


 だが、それを調べた所でどうするという気も特にない。
 既にかなりの時間を探索に費やしている。

 そろそろ引き上げ時だろう。




11.リカードの部屋(ミチコ)


 リカードの弾き語りの演奏が最高潮のまま終わった。
 ティスが満面の笑顔で拍手を送っている。
 ミチコとメイもそれに習う。
 実際たいした腕前だと思う。
 サーガの主役にさりげなくリカード自身を使っている時もあったが
まあ、それくらいは愛嬌だろう。

 ティスもずいぶんとリカードに懐いている。
 ミチコやメイにもずいぶんと打ち解けてくれた。

 話をしているうちに幾つかわかったこともある。

 ティスの話ではここはYEWの北東辺りらしい。
 そう考えると、薬草を取っていた所からそう離れてはいないようだ。
 もっとも、そう言われてもミチコにはこの館を知らなかったので
正確な位置まではわからなかったが。

 それと、ティスの母親の名がレフィアということ。


「そういえば、こんな話知ってる?」
「何?」
「雨の日に現れるっていう、斧を持った殺人鬼の話」
 雨に紛れて家にやってきて、家の人間を一人ずつ殺していくんだって。
 被害者は手足を斧で切り飛ばされて、ばらばらにされちゃうって話よ」
「…ほんとにいるの?」
「そういう話よ」


 メイの話にミチコが眉をひそめた。
 ミチコも聞いたことのある話だ。
 もっとも、被害者が誰なのかとか、衛兵の調査があったとか言う話は
聞いていないので実際は、ただの都市伝説の一つだろうとミチコは考えていた。

 だが、さすがにこんな状況で聞かされれば、あまりいい気分はしない。
 外の雨は降り続き、まさに今の話とぴったりの状況だ。
 まあ、だからこそメイもこの話をしたんだろうが…

 大体、そんな話をしたらティスが怖がるに決まっている。
 そんなことを考えて、視線をティスに移すと意外なことに怖がってはいないようだ。
 それどころか、笑みさえも浮かんでいる。


「大丈夫だよ。
 お兄ちゃんがいるもん。
 どんな奴が来たってお兄ちゃんがやっつけてくれるよ。
 ね、おにいちゃん?」
「は…はっはっは、当然さ。
 おいらが本気になればどんな奴だって…」


 ティスの言葉にリカードが乾いた笑いで答える。
 どうやら、先ほどのサーガでいい格好をしすぎたらしい。
 ティスの中では無敵のヒーローにでもなっているのだろう。
 もちろん、リカードがそんなんじゃないことはミチコも承知だし
何よりもリカードの額に浮かぶ汗が雄弁に答えている。

 まあ、あえてティスに話して夢を壊すつもりもないが…



 …そんなこんなで話は続く。



「それじゃあ、ティスちゃんのお母さんってもうずっと寝たきりなんだ」
「うん」


 メイの言葉にティスが悲しげに頷く。
 少し無遠慮なメイの言葉に僅かに眉をしかめたミチコが肘で
メイをつついたが気がついていないようだ。


「病気か何かなの?」
「お父さんはそういってた。
 うつるといけないからって、もうずっとお母さんに合わせてくれないの」


 リカードの言葉に答えるティスの目に涙が浮かぶ。
 ミチコがリカードを睨む。

 リカードは慌てて会話の路線変更を試みた。
 

「そ、そういえば、ティスの家ってすっごく綺麗なイヤリングが
あるんだよね。
 すごい綺麗なんだろーねー」
「…うん、お母さんが持ってる」


 ……路線変更失敗

 捨てられた子犬のような目でリカードに見つめられて、ミチコは
溜息をついてティスに近づいた。
 そして、そっと抱きしめる。
 驚いたようにティスの目が見開かれる。
 そんなティスの耳に優しいミチコの声が響く。


「大丈夫。
 お母さんはきっとよくなりますよ」
「…ほんと?」


 恐る恐るといった感じでミチコを見上げるティスににっこりと
微笑んであげる。


「ええ、神様はティスちゃんみたいないい子に優しいんだから。
 きっと、大丈夫よ」
「じゃ、私今日から神様にお祈りする!!
 そうすれば、お母さん直るよね!!」


 ミチコは頷きながら、自分の首にかかっていたロザリオをはずした。
 そして、それをティスの手に握らせる。


「それじゃ、ティスちゃんにこれをあげる。
 お祈りする時に使って」
「いいの?」
「もちろんよ。
 私がいつも使ってる奴なんだから、効果は保証つきよ」
「ありがとう!!」


 ティスはそれを受け取るとにっこりと笑った。
 そして、懐から何か取り出すとそれをミチコへと差し出した。


「じゃ、代わりにお姉ちゃんにこれあげる」
「これは?」


 差し出されたのは金属製のペンダント。
 花をかたどったもののようだ。
 新品のようだがデザインは古い感じがする。


「ありがとう、ティスちゃん」


 ミチコは笑って受け取った。
 それ程高いものではなさそうだし、断っては逆にティスが気を
悪くするだろう。

 リカード達も微笑ましそうにその様子を見つめていた。




12・リカードの部屋(リカード)


 その後は、特にトラブルもなく話が続いた。
 フェイが医師の資格を持っていることなど、結構意外な事実がわかったりと
有意義な時間が過ぎていく。

 そんな時、一瞬部屋の明かりが消えた。

 時間にしてほんの1秒ほど。

 その一瞬、たまたまミチコへと視線を向けたリカードの目におかしなものが映った。


 ミチコが黒っぽい何かを持っている。


 リカードにはそんな風に見えた。
 だが、次の瞬間明かりが付いた時にはミチコの手には先ほどのペンダントが
握られているだけだった。


(…気の…せいか?)


 実際、薄暗かったし、はっきりと見てはいなかった。

 ミチコには何が起きたかよくわからなかったようだ。
 少なくともペンダントを気にしているふうはない。

 そんな自分を見つめる視線に気付いたのかミチコはリカードに
声をかけた。


「どうしたの、リカード?」
「…いや、その手に持ってる…」
「ペンダントがどうかしたの?」


 そういってペンダントを見ようとしたミチコの眉がゆがむ。


「どうしたの?」
「え、ううん。
 いつの間にか手が汚れちゃってて…」


 そういって手を見せる。
 その手には茶色い汚れが見えた。
 そして僅かに感じる鉄の匂い。

 確信はないが錆びによく似ている。


「どこで付けちゃったのかしら?」


 そんなことを言ってハンカチで拭うミチコ。


(今のは…見間違いなのか?)


 少なくともミチコの持っているペンダントには錆なんてついていなかった。
 漠然とした不安にリカードは包まれていた。




13.貯蔵庫(ビネガ)


 棚に並んでいたラルの実を残らず袋に入れる。
 そして、物陰に隠しておく。
 捨てなくても隠してしまえばいい。
 部屋の外に人がいる以上、無駄なリスクは負いたくなかった。

 そろそろ、貯蔵庫を後にしようと扉に手をかけた時、一瞬手に持った明かりが消えた。

 時間にして1秒。

 その瞬間、ビネガは視線の端に違和感を感じた。

 そこの棚には食材が並んでなかったか?

 先ほどまで整然と並べられていたはず食材が見えない。


「きゃっ」


 確認する為に振り返ろうとした時、調理場のほうから小さな悲鳴が聞こえた。
 ビネガは舌打ちすると、扉に手をかけた。

 状況的にこっちのほうが先だろう。

 そこで明かりが灯る。
 ビネガは光が外に漏れないよう注意しながら調理場を窺った。

 そこには、誰もいなかった。
 調理途中の食材をそのままに、人だけが姿を消していた。


「…嘘、やろ?」


 悲鳴を聞いてから扉を開けるまでに時間にして数秒。
 そんな短時間でどうやって人が消えるというのか?
 辺りを窺うが人の気配はない。


「なんやの、一体?」


 貯蔵庫を出て調理場に入る。
 出るときに先ほどの棚を確認したが、そこには入った時のように
整然と食材が並べられていた。

 その後、勝手口も見てみたが特に出入りした形跡はなかった。


(たぶん、たまたま出て行っただけやろ)


 釈然としないものを感じながらもそう自分を納得させて調理場を後にした。
 食堂を出た所で話し声が聞こえてきた。

 フロットとクリスだ。


「そんじゃ、外の建物ってワイン倉と倉庫なんだ」
「はい。 倉庫の方は無理ですがワイン倉にはこちらの扉から
 通路が伸びていますので雨に濡れずに行くことも出来ます。
 といっても、鍵が掛かっていますので入ることは出来ませんが…」


 そこでビネガに気付いたのかクリスは言葉を切ってビネガに会釈を
返した。
 ビネガは手を上げて答えるとフロットに近づいた。


「フロット、ここに私の他に誰かきた〜?」
「え? ううん、気付かなかったけど…」
「そか、ならええわ」


 それだけ聞くとビネガはリカードの部屋へと向かった。


(なんか、気にいらんな〜)


 そんな思いを胸にして…




14.リカードの部屋(ビネガ)


 ビネガはリカードの部屋に向かう途中でティスとすれ違った。
 どうやら、もう話は終わったらしい。
 ティスがミチコのロザリオを首にさげていたのは気付いたが
 特に聞こうとは思わなかった。

 ティオは「おやすみなさい」と叫びながら階段を駆け下りていった。
 元気のいい子だ。
 ビネガは苦笑しながらその姿を見送った。


 リカードの部屋にはミチコとリカードの姿があった。
 といっても、ミチコはもう帰るところだったようだが。
 メイは先に部屋に帰ったらしい。

 ビネガは先ほどあった事を全て二人に話した。
 二人ともまだ半信半疑といった所か。
 自分だってこんなことを他人に言われれば信じはしない。

 実際、リカードから聞いたペンダントの話もミチコの
錆びに汚れたハンカチを見るまでは信じていなかった。

 結局、エルミーの件は明日まで見送りとなった。
 悲鳴はごく小さいものだったし、エルミーが自分で部屋を出て行った
可能性がある以上、変に騒ぎ立てるわけには行かない。


 3人はもやもやとしたものを抱えながら、その晩は眠りに着いた。
 考えることが多すぎて眠れないかと思ったが、疲れが不安を凌駕した。

 夢は……見なかった。



 翌日、エルミーの姿が館から消えたことを聞いた。






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