YEW冒険譚
第六章 黒幕
幸運なのか、それともラッコがあえてそう受けたのか。
矢はかろうじて急所を逸れていた。
といっても、矢が突き刺さっているのは右胸の僅か上。
後数センチずれていたらどうなったことか。
その事に気づいて、ココナは小さく息をついた。
もっとも、安心できるというわけではない。
急所を逸れていたとしても、そのまま放って置ける怪我ではなかった。
今までの出血もある。
出来ることなら今すぐ治療に入りたいところだ。
だが、オーク達の方が片付くまで矢を抜くことも出来ない。
矢が血管を圧迫しているおかげで今のところ、傷口からの
出血が少なくてすんでいるのだ。
引き抜けば組織が破壊されて、激しい出血を起こすだろう。
医学の心得のあったココナにはそれがよくわかる。
少なくとも治療できる環境になるまでは、ラッコには悪いが
このままでいてもらうしかない。
その時、ふと気付いた。
ラッコは出血の為か意識がなかった。
だが…いくらなんでも呼吸が浅すぎやしないか?
(…? まさか!!)
ココナは矢の根元に流れる血を僅かに指につけると
その匂いを嗅ぎ、口元に運ぶ。
「……!?」
ココナはラッコの体を抑えるとそのまま矢へと手をかけ…
「ごめん、ラッコ姉!!」
そして一息に引き抜いた。
ラッコの口に僅かにうめきが漏れるが意識を取り戻した様子はない。
矢じりと共に紅い血が辺りに飛び散る。
ココナはそれを体に浴びながらも気にした風もなく、傷口に口をつけた。
血を吸出し、吐き出す。
その繰り返し。
「……毒とはやってくれるわね」
そんな呟きを漏らしながらも、ココナの作業は続いた。
そんな時、僅かに気配を感じた。
どうやらオーク達がこちらに気付いたらしい。
ココナは口元をゆがめると、ラッコの傷口に布を当て
固く縛った。
ほんとならもっとちゃんとした手当てが必要だ。
毒だってどこまで吸い出せたか……
何より口に含んだことで自分にもその毒が回る可能性だってある。
ラッコの隣の少年は意識が混濁しているのか中立ちのまま動く気配はない。
その上、魔力はもう尽きかけていた。
「まったく、嫌になるわね」
それだけ呟くとココナはラッコと少年をかばうように立ち上がった。
その手に漆黒の槍を構えて。
疲労はピークに達していた。
最後のオークを切り伏せた時、その勢いで倒れるかと思ったほどに。
だが、少なくとも視界内にもうオークの姿は見えなかった。
無論村中にはまだ無数のオークが存在しているだろうが
少なくともラッコと少年を安全なところに運ぶ位は出来るだろう。
そんな考えが頭を横切った瞬間、脇腹に激痛が走った。
視線を向けるとそこには一振りのダガーが刺さっていた。
そのダガーを持つのは……少年。
「な!?」
「だめだよ、お姉ちゃん。
冒険者たるもの後ろにも注意を払わなきゃ」
「あ、あんたは…」
驚愕と怒りの目を少年へと向けるが少年は臆した風もなくうっすらと笑った。
その笑みに危険なものを感じてココナが僅かに距離を取る。
視線を少年に向けたまま、そっと脇腹の傷へと手を当てる。
鎧のおかげか、それとも少年が非力だったのか…それほど深い傷じゃない。
無論出血がある以上、放っておいていい怪我ではないが
それ以上の怪我が既に体中にある以上、慌ててどうこうする気もなかった。
「あれ?
僕の事、探してたんじゃないの?
その為に村中走り回っていたんでしょ?」
「!! まさか、あんたが!?」
「そ、この騒動の仕掛け人。
思ったより若くてびっくりした?」
少年はさも可笑しそうに笑っている。
そんな少年を見ながら、ココナは悔しげにうめいた。
「…なるほどね、オーク達が倒れた村人を攻撃しないわけだわ」
術者は初めから村人にまぎれて倒れていたのだ。
オーク達が倒れた村人を攻撃しなかったのは術者が
まきぞいを受けるのを避けるためだろう。
そう考えれば、すべて納得がいく。
自分やラッコはこの少年にいいようにやられていたのだ。
ましてや、ラッコなどこの少年を庇う為にオークスカウトの
矢まで受けたのだ。
(……ゆるせない!!)
槍を持つ手に力が込められる。
だが、その少年の姿がココナの決意を鈍らせる。
それに、少年が操られている可能性もあった。
おいそれと、手出しは出来ない。
そんなココナの様子に気付いているのか、少年は笑顔で周りを
見渡した。
すると、建物の影から数匹のオーク達が姿を表した。
だが、オーク達はそれ以上近づくこともなく虚ろな瞳で
こちらを眺めている。
「なかなかうまく出来てるでしょ」
「子供の遊びにしては少々度が過ぎてるわよ」
「そう言わないでよ。
これでも結構苦労してるんだから。
薬品や呪術の研究の末、漸くオーククラスの
洗脳に成功させた苦労ってのは人にはわからないよ」
そういって息をついた少年は一瞬老人の雰囲気をかもし出した。
その瞬間、ココナはこの少年が今回の黒幕であることを
確証もなく確信した。
それでも、少年を斬るには若干のためらいがある。
だからだろうか、口に出た言葉は荒いものだった。
「わかりたくもないわ!!」
ココナの心情がわかっているのか?
吐き捨てるようにいうココナに少年は苦笑を浮かべた。
「まあまあ、それとね。
なんか勘違いしてるみたいだから一応訂正ね。
別にオークメイジやオークロードとかが操れないわけじゃないんだよ。
オークスカウトを見たでしょ?
それどころか人間だって操ることが出来るんだよ。
ただ…ね。
それにはある程度の手順と道具が必要だから
そんなに数がいないだけなんだよ」
「!?」
…それが事実だとすれば、状況はさらに悪くなる。
この状況でオークロード達が加わればどうなるかなんて
考えるまでもない。
…だが、よくよく考えれば少年の言うことはおかしい。
もしオークロード達がいるのなら、自分達が目にしているはずだ。
既にこの村に来てからかなりの時間がたっている。
それなのにたまたま会わなかったなんてありえるのか?
だが、目の前の少年が今更嘘を言う意味があるのだろうか?
(まさか?)
ココナは無意識に村人を逃がした森へと視線を向けた。
(村ではなくて、森のほうに…)
そんなココナの視線に我が意を得たりと少年はうれしそうに頷いた。
「うん。
オークロードは、逃げた女の子を追っかけさせた。
僕の予定ではあの娘くらいだったからね。
助けが間に合いそうなのは。
でも、現実として君達が来ちゃった訳だし。
世の中うまくいかないよねー」
その言葉の意味するところをココナは悟った。
少なくとも自分たちが少女と遭遇した時、オークロードの
姿はなかった。
とすれば…
「フロット…」
実際、考えてみればもうYEWの町から増援が来てもおかしくない時間だ。
それが未だこないということは、フロット達の身に何かが起きたと考えるべきか。
ココナは軽く頭を振ると嫌な考えを振り払った。
フロットも冒険者だ。
そうおいそれと不覚は取らないだろう。
……今は信じるしかない。
それに少年の言葉を信じるならオークロードは少女を追っていった。
それなら、その後自分たちが逃がした村人の安全はある程度保障される。
そんなココナの考えを他所に少年の言葉は続く。
「でも、これでも結構あせってたんだよ。
思った以上にキミ達ががんばっているからね。
予定ではこんな村くらいもう片がついてるはずだったんだから。
ほんと、大したもんだよ。
実際、僕の出番があるなんて思わなかったしね」
「あんたに誉められてもうれしくも何ともないわね」
「まあ、そう言わないでよ。
僕は君たちを高く評価してるんだよ。
その身体能力と戦士としての技量は間違いなく一流だからね。
欠点といえば、甘さかな?
まあ、こいつは僕がキミ達を操ることで万事解決だしね」
「そんな事させると思ってるの?」
少年に槍を突きつけたままココナが睨みつける。
少年は目の前の槍など存在しないかのように笑っていた。
その口調に僅かに大人びたものが混ざる。
「できるさ。
言ったでしょ?
君達の一番の欠点は甘さだって」
「なんですって?」
「僕のこの外見の所為でそこの女性は倒れた。
それを知っても君は僕を攻撃することに躊躇いを持っている」
「…言ってくれるじゃない」
「事実ですよ。
そうでなくては、私の話を聞くこともなかった」
「え?」
一瞬、少年の言っていることが理解できなかった。
少年は楽しげに先ほどのダガーを振ってみせる。
「実はこのダガー、毒付きなんですよ。
即効性でないのがいまいち欠点ではありますけどね。
もうそろそろ毒も回ったころかな。
体、そろそろ動かないんじゃないですか?」
「くっ!?」
慌てて体を動かそうとするが首から下が痺れて動かない。
そんな様子にうっすらとした笑みを浮かべながら少年がナイフを
振り上げた。
「じゃ、お休み。
おねーちゃん。
自分の意志で起きる事は、もうないと思うけどね」
「…くっ!」
ココナは憎しみの目で少年を睨み付けた。
無論、それで少年の動きが止まるはずもない。
少年は笑みを深くし……
そして……