このページは、私の思いつき・好きなことを書く
1ページにしたいと思います。 
今月も私の呟きを聞いてください

【3月です】 

私の誕生日の月
暖かくなるこの時期が好き。桜が咲くかなー



《3月1日》

弥生3月

今日から3月。暦の上では春ですが、今日は寒い日になりました
もう少し、春まで時間がかかりそうです

先日の新聞に、内舘牧子さんがさんのエッセー「途方もない言葉

テレビでインタビューされた30代の人の話で
「行けられる」「出れれる」
これは明らかに”ら”抜きの弊害である

確かに最近のテレビでの話を聞いてると、”ら”抜きが気になるのです
ちなみに上記の言葉は漢字変換しませんでした
(”ら”抜きですと出ます)

なんか・・変。そう思うのは間違いじゃないのよね〜

《3月2日》

孫の・・・・ナイショ

「Sが立っておシッコができるようになったよ」そう言ってた

Sがおシッコへいって少し後、Yタンが「ママ、Sのおシッコが流れえるよ〜」って
みごとにトイレ中におシッコが流れてた
ママ「S、おち○○○を持ちなさいっていったのに・・」と叱られた
台に上がらず、そのままだったので便器に乗らなかったんだ」と一人笑いの私
そう言えば、わが家へ来たとき「ばーば おと○○○を上に置いて」って言ってたなー(笑)
いいじゃんいいじゃん、おシッコが独りでできるのなったんだから(^_-)ネッ

ママ「Yは女の子が好きなフリフリのものより、着心地がいい洋服を選ぶよ」と
そう言ってたのに、Yタンが後でそばに来て
「ばーば ほんとはあの絵のようなスカートが好きなんだ」と、いうYタンが描いた絵には
しっかりとフリフリのスカートが描かれてました(笑)
「今度ばーばと二人でお洋服買いに行こうか」 そう言うと嬉しそうなYタンでした

《3月5日》

先日、入試をネット上に公表して逮捕された学生。なんと卑怯な・・・と思いました

しかし、新聞を読んで複雑な気持ちになりました
学生は高校の時に父親が亡くなり、一浪もしてるし母親には迷惑かけられないと
国立にどうして受かりたかった・・・・と

しかし、同じような状況の学生も沢山居るはず
そんな中で、この学生だけを思うのは理にかなうことではないけれど
なぜかいたたまれない。母親の立場として辛いだろうなーって

もちろん罪は罪。やってはいけないことです

《3月6日》

最近、母から「迎えに来て」と電話が頻繁にかかります

私が遠くにいるという感覚も少し薄れてるようで気になります
急に思い立つのは「暇だからしょうがないよ」そう叔母達に言われてきましたが
やはり、最近の母の様子は少し??があるような気がします

家にいて、自分のことは自分でやらなくてはいけないときと違い
今は何も心配しなくてもいい三食付き
でも、この安易なところがかえって良くないようで、施設に入ればこの傾向はあるらしい

母に限ってそんなことはないと信じていたいのですが、94才という年齢を思えば
やはり心身共に健康・・・は無理なのかも

母が「帰りたい」という気持。少しでも外出させてあげたらいいな
それの実現を少しでもと、帰省の予定です
でも、私もなかなか予定通りにいかない辛さ・・・。孫・ひ孫と対面できるかなー

母には当日まで言えないのでその辛さはあります
今は「母のところへ帰省できますように!」と願う毎日です

《3月8日》

今朝、ある通帳を見たら「新規 1000円」とだけ

何で何で・・・・と主人に言うと「俺知らないよ」と。「私も知らないよ」
でも、何で1000円なの?・・・・

確かにあったはずの金額が無い。ということは私の夢だったのか
これはちょっと予算狂い。/(-_-)\ こまった〜

夢か幻かと、とにかく記帳に行くことにした
良かった!ばんざ〜い \(^o^)/。ちゃんと記帳されました
4年前に振り込んだままでほったらかしの通帳だったのでした。やれやれ
いかに夫婦でいい加減なのか。改めて実感

お金で思い出した
最近、ガソリンの値上がりは激しいな〜
先週はリットルあたり9円値上がりが、今日はまたさらに5円の値上げ
まだまだ上がるかな。あまりに値上がりの凄さに\(◎o◎)/!

《3月11日》

埴 沙萠(Hany Ciabou)先生のこと

現在80才。元気でジープを乗り回しています。そのジープはなんと53万キロ走破
先日の先生からのメールです

走っていて、すれ違う若者たちから、お〜い、格好いい〜よ・・・なんて声を
かけらたり、
田舎道で、学校帰りの小学校の女の子から、カッコイイ〜なんて言われると、
ほんわかした気分になって・・・楽しくなります。

埴先生は植物写真家
毎日書かれてる植物の絵日記がとてもわかりやすくすばらしいです

2年くらい前に東京での写真展と講演で、初めてお目にかかりましたが
、写真では厳しい方ですが、とってもシャイな先生です
同じ故郷出身で、絵日記の中では懐かしい故郷のことも沢山発見です

今は群馬の自然の中で、植物と楽しい日々を過ごされています

埴沙萠の植物記 http://ciabou.com/ciabou

《3月13日》

11日に地震発生から2日過ぎました

連日テレビで見る無惨な町の様子
悲しい出来事に墓前とっちつくすお年寄りの方。母と重ね合わせて悲しい
独り住まいの母がこのような場面にあったら・・と人ごとではない

日ごと増える死亡者の数。悲しい・・・
お年寄りの方、妊婦さん、子供達の様子を見るにつけこれからの厳しさを感じます
家が流れ、壊れ、跡形もなくなって、あまりにむごすぎます

地震のこわさ。そして津波の怖さも想像以上です
すごい早さでおそってくる津波。まるで夢を見てるようでした
家族の再会が待たれます

夢ではない現実に目を向け、果たして何が自分にできるのかと思う
立ち上がって欲しい・・・・そう祈るだけ

関東も震度5以上あり、余震もまだまだあります。怖いです

《3月15日》

相変わらず被害者の様子が悲しく映し出されます
なんでこんなに・・・と思うのは被害者の方はもちろん私も人ごとではありません
こうなったらきっとパニックになって大変だと思う

食生活推進委員の定例会がありましたが、この話で大半が過ぎました
誰も思うことは同じで「なにかしてあげたいけれど・・・」と
食事のことが特に気になると会の皆さん。水・食べ物・暖房と気になります

地震、そして津波、そしてまた原発のことで振り回されています
政府,そして東電の方からも思うような回答は得られず、少々いらいらします
一般市民は人体に影響ないかが心配なのに、なんだか要領を得ない

今夜もまた余震がありました。震度4
夜もズボンをはいたままの就寝です。どうか治まって欲しいです

《3月16日》

難しい人

「自家製よ」とあるものを先日友人の家に持って行った
ところが今日、彼女より現金が入った封筒をいただいたのです
なんで???。気持ちよくもらってくれたらいいんじゃない?って、腑に落ちなかった私は
その封筒を返しに行きましたがどうしても受け取らないのです

私は友人達とこのようなお付き合いをしたことがないので、戸惑いで慌ててしまった
しかし、このような人にはあまり差し上げられないなーと反省
こちらが気にしないでと言っても、やっぱり気にする人は気にするんだなーと

私は気持ちよく「ありがとう」を言ってくれれば嬉しい・・・だけ

お付き合いも難しいと感じた今日でした

さて、今まで花粉症とは縁がない。そう思っていましたが
今日は強風のせいか目は痛い、鼻はでる。もしかしてやっぱり花粉症かも??
苦手なマスクをしての外出です。あぁ・・・

《3月20〜28日》

ふるさと 大分 への帰省

娘と孫、そして私の4人での帰省です
昨年もこの時期に帰省しましたが、3才の孫はきっと何も覚えてないかもしれない

飛行機の中ではS君はぐっすり眠ってしまいおとなしい機内でした
大分へ着くと小雨が降り、少し肌寒い
レンタカーを借りて、まずは母のところへと向かいました。沿道の菜の花がきれいです

母には前もって言うと、実現できないときにパニックになるので
当日まで言わないのが鉄則なのです

まだ来ることを知らない母、いったいどんな顔をするか・・・と気にしながら着くと
なんと偶然にも従姉妹も一緒になって大にぎわいの対面になりました
写真を送ってたひ孫はすぐにわかりとっても嬉しそうでした。元気そうで一安心

今日は私達だけ自宅へ戻り、家の中を片づけて田舎の寒さをなんとか解消しなければ・・
着くと広い部屋の中を、孫達は走りまわってました


《3月21日》

母とのホテル宿泊日

母を迎えに行くと、なんと母は荷造り???
「何それ?・・・・」って聞く私に「家に帰るんじゃろう」って。見ると大きな荷物があります
職員の方が笑いながら「荷物を作ってたよ」って

わが家へもう戻る気になってる母。タンスの中もきれいに片づけてました
荷物をそのままにして、車で従姉妹の家へ行きバラ寿司をごちそうになりました
いつもこうして従姉妹にはお世話になっています

3時になって別府のホテルへ向かいました
広い18畳の部屋で、子供達は嬉しそうに遊んでます
まずは温泉でゆっくりしようと皆で出かけましたが、5人の入浴は忙しい
後でゆっくり入ることでとりあえず母と孫をゆっくり入れました
母は、「気持ちいい」とゆっくり入ってたようでよかった!

ホテルの食事は豪華!
食べきれないほどのものが並びましたが、母はなんとほとんど食べて、私よりも食欲あり
少々食べ過ぎた私。でもたまにだからいいかと勝手に思いながら・・

今夜はゆっくり眠れそうです


《3月22日》

朝はまた孫とゆっくりと温泉につかりました。気持ちいい〜

少し曇っていましたが、朝食後母を車椅子で近くの公園へ行きましたが
なんと桜の花が少し咲いてました。ラッキー
母に少しでも桜を見せられたことが何より嬉しい。今日の別府はひんやりです

母には久しぶりに会う、私の友人との再会
彼女は、母のところへ何度か来てくれる優しい友人。母にあってとっても喜んでくれました
久しぶりにあう母と私は、昔話に花が咲きました。高台で別府の街が一望です

少し疲れた様子なので、そのまま母を施設へ送りました
昨日の荷造りはそのまま。諸君の方だ「一緒に片づけるからいいですよ」って

むすめと私は夕食の調達で、スーパー行きましたが
新鮮で安い魚に大喜びの娘
いつも母には刺身を食べさせてあげてたことが思い出されました

すきま風が寒い実家の家。でもこの時期は何とか我慢できます


《3月23日》

今日は孫のお楽しみ「ハーモニーランド」へ行きます

都内ではなかなかすぐに乗れない乗り物も、ここでは人が少なく乗り放題
ただ、風が冷たくちょっと寒い
子供達は沢山のキャラクターに大喜びです

ショーを見たり、沢山の乗り物に乗った後は外でのパレードが始まります
それはそれは楽しそうでした
それぞれおみやげを買って、寒いこの場所を早めに切り上げました

それにしても故郷は少し寒いです

帰りには幼なじみと会い少しの時間立ち話
皆と同じように野菜などを頂いて、今夜はカレーを作ることにしました
久しぶりのカレーをよく食べました


《3月24日》

母を外出に連れ出す、外出日

いつものように母を迎えに行くと、予定も言わないので、「今日はどこ?」って

今日は、まず母の妹の叔母に会いにまず出かけます
叔母はおにぎりを作って待っててくれました
叔母も用事があるとのことで、そのまま桜の様子を見よと車を走らせましたが
その途中に菜の花のきれいなこと。もう感激でした!

母と一緒に上の方車で上がり、飛行場が一望できる場所へ行ったものの
桜はつぼみが少しふくらんで後1週間先くらいかな〜

母と一緒に食事をしましたが、母の食欲は旺盛
いつもん元気な母でした。「ばーばーばーちゃんはSの唐揚げ食べた」とSくん

母を施設へ送っていくと、「お帰り」と迎えてくれて嬉しそうな母
このところ出入りが多かったせいか、少し疲れたかな

帰りに、道の駅で朝採れの野菜や大好きな”お芋”のおもちを買いました
あまりに安くて新鮮なので、娘もビックリです


《3月24日》

念願の「アフリカンサファリ」へ出かけます

初めての場所だけに遠く感じました
走って走って山の上の方へかなり上りました。うー!寒い
「今朝は小雪がぱらついたよ」そう言われて、まさに強風と寒さに震えました

まずは動物バスで動物への餌やり
要所要所に立ち止まって餌やりですが、窓から大きなはさみで上げるのですが
ライオンはさすがに怖い
鹿、クマ、そしてキリン、像にシマウマ・・・・
孫達は餌をあげられたことが嬉しかったらしく興奮してました

自然の中でのんびりねてる動物を再度見ようと、自家用車で一回り
間近に見る動物たちに「かわいいな。家で飼いたいよ」って。どこに置く???と大笑い
確かに子供の鹿などはかわいらしかった

その後はカンガルーとのふれあい広場
ぴょんぴょん跳ぶカンガルーに歓声を上げたり、カンガルーと一緒に寝そべったり
それはそれは大喜びでした。連れてきて良かった

孫とのお遊びは今日で終わりです
帰宅後、庭の花を摘んで父のお墓参りをしてきました


《3月26日》

母の外泊日

朝、母を連れに行き、今日は大好きな「唐揚げ」を買って、母の妹の家で食をしました
この叔母はいつも私の相談相手になってもらう叔母です
食事の後はゆったり横になって、久しぶりに叔母と話をしてもらいました

今朝、布団を干しての外出でしたが、そこへと隣の家から電話
「雨が降ってるよ」って。大あわてで戻りましたら、布団がびしょぬれ。でも入れてくれてました
しばらくしたら晴れたので、再度布団干しで何とか眠れるようになり(^。^;)ホッ!!

母を連れての自宅ですが、母は以前のようではなくかなりおぼつかない足取りです
やはり母の独りの生活が無理なこと実感できました
今回はひたすら眠るだけ。母の年を考えると仕方ないものの、やっぱり寂しい

母も「もうなんにもいらない」と弱気になってます


《3月27日》

母を桜見に連れて行きたいけれど、少し危ない山道なのでYタンと行ってみることに
一輪咲いた花を持ち帰り母へ県ら喜んでくれた
母が昨年まで独りで見に行った場所だから、なおさらでしょう

母も食欲があまりなくちょっと心配
夕方母を施設へ送っていくと。少し疲れてるけれど大丈夫よっていわれた
皆さんが見まもってくださるからその点は安心です

帰宅後、Yたんともう一度あの菜の花の群生を見たくて出かけると、軽トラが止まり
そのうえでカメラを構えたおじ様に遭遇
お願いしてトラックに乗せて頂き、上からの写真を楽しみました
その中の話で、以前(3/11)に書いた埴先生とご一緒の会の方だと知り、w(゚_゚)w オオー!奇遇です
しばし埴先生の話で盛り上がりました。嬉しい出会いでした

今夜は大分最後の夕食
安くて美味しい刺身や故郷のものを並べて「いただきます」


《3月28日》

戻る日です

長かったようで短かった故郷
母とのお別れの日です。誰もいなくなるこの家の後始末をちゃんとしなくちゃと
Yたんが個条書きに書いてくれたことを一つ一つ消していきます

掃除が終わったら、まず母のところでお別れに行きます
母は名残惜しそうに何度もひ孫を抱きしめてた。なんだか胸が熱くなった
職員の方3人に抱き抱えられるように見送ってくれた母。今日も涙目だったなー
でも、この施設の中にいる限り、母も安心して生活できます

大好きなばーばーばーちゃんとお別れして、次は飛行場です
Yタンは覚えてると思うけれど、S君はどうかなー

幼なじみより、朝採れ野菜を箱にいっぱいもらってサー帰宅です

少々ハードな日々でしたが、何とか無事に戻れました
お疲れ様〜!

故郷での画像

《3月31日》

家に戻り数日過ぎたのに、なかなか元気が出ない
疲れは後になってくる年齢になったようで、この数日胃痛と腰痛に悩まされてます
悩み多き年頃・・・・は、まだまだ続きそうです

今日で今年度は修了です
4月から孫達は新1年生と幼稚園生。早いなー。ばーばは年取るわけだよね(笑)

母のことは、考えるとこれでいいのかなーと悩みます
自宅へ戻りたいという母をどうにもできない。心の中で「ごめんね」と謝る私です
母が元気でいてもらうには、やはり今のままが一番なのです

職員の方との面談で、母が皆と仲良く過ごしてることを聞きホッとできました
母がいて故郷・・・・だから

きっと故郷も桜が咲き始めるでしょう
故郷ってやっぱりいい。故郷があって幸せ!。そう思えるようになりました