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  横山紘一『唯識とは何か  「法相二巻抄」を読む
  春秋社 初版昭和61年、 第8刷 平成6年

  長年、積読状態であったが、世親の原典の一部を読み終えてみて、やはり読んでみようという気になった。
  著者が、唯識に触れた体験をもとになされており、なによりも「法相二巻抄」を読む」というのは、この作品が、良遍が実母のために、仮名交じりで説いたものであるから、老婆ならぬ老爺である私にも分かり易いと思ったからである。
  内容は、東京大学仏教青年会主催での、昭和57年6月から2年間の講義を元にしたとある。
  著者、昭和61年5月46才の作
 (以上、同書 唯識学の魅力ー 序にかえて  より)


細やかに出典も掲げ、索引もある立派な学術書。

メモを取りながら読み進めます。

   2024・2・22


  
 

  
   第一章 唯識    セピア色は本文引用

第一節 一切不離識
   先一切ノ諸法ハ、皆我心ニ離レズ
   法の定義に詳しい。①存在するもの ②教説 ③真理
  dharumaは維持する、守るの動詞√dhRから来ている
   一切諸法の意味、

 唯識の最初の難関ー 木があるとして、自分だけでなく他人にもそう見えるのは何故か?  増上縁という概念で説明する。これがちょっと理解しにくい。

  一切の中には浄土も含まれる。
  菩薩も真如も同様。

第二節 迷乱
     心外ニ有リト思ハ迷乱也
     此迷乱ニ依ル故ニ、無始ヨリ、生死ニ輪廻スル身トナレリ

   これが輪廻の理由である。注1
   
  二つの障害
   煩悩障  ー 涅槃を得ることなく生死を繰り返す
   所知障  ー 菩提を獲得できない。

  「すべては心を離れてないと知れ」 その知り方が問題。
   聞くー思う—脩する(ヨーガによる止観)

  「唯識」とはあくまでも唯識観という止観を通じてさとられる真理である。

  2024・2・24

    
 注1.白隠禅師坐禅和讃のなかに
「六趣輪廻の因縁は、己が愚痴の闇地なり、
闇路に闇路を踏み添えていつか生死をはなるべき」が思い出される。

六趣(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)の間を、輪廻するという考えは、インド、仏教以外にも広く生き渡った考えである。生死とはこの輪廻の輪の中にあることで、そこからは解脱知る以外には抜け出せない。

  
   第二章 三性
第一節  五重唯識観
第二節  三性
 この章以降、「識」の縦横無尽の解説であって、個々の解説を紹介するのは、止めた。

「唯識3年」といわれるように、それぐらい掛けて、体得すべき領域である。老母に対する説明としては余りにも詳しい。

相と理の世界の説明がある

三性とは、 言うまでもなく遍計所執性、依他起性、円成実性

これをさらに、100の構成要素に分けるのが、百法である。

五位百法 ー 左表参照

「心」が唯識の8識である。
「心所」は心の働きである。

『唯識三十頌』で多少はなじみがあるが、百頁に及ぶ。

   第三章 百法

2024・3・15
   第四章 四分  
   第五章 種子  
   第六章 修行の階位