遍歴放浪の世界 紀野一義 著 1967年初版 1997年30刷 『名僧列伝』へ |
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ある時、ネットの読書クラブで、山頭火のことが話題になっていて、自分は、いつ、どこで山頭火に出会ったろうかと考えた。 出会ったのは、紀野一義『遍歴放浪の世界』で、その書影(右上)も思い出したが、今からもう、40年も前のことである。勿論手元にもうその本はない。 懐かしくなって、今回、ネットで入手したのは、30刷のもの。(右下) 初版は1967年、著者44歳の作であるが、こちらは著者が70歳となっていた頃の出版である。 第六章が種田山頭火に当てられていて、読み返してみると、その生い立ちから、遍歴の日々、終焉の様子まで、実に見事に描かれていて、当時の感動が蘇ってきた。 文中には、山頭火の顕彰者の一人、大山澄太が、山頭火の庵に泊まった時の珍しいエピソードもある。 当時、といっても40年前のことであるが、大山澄太によって、潮文社から山頭火の日記なども出されていて、読んだことを思い出した。 この旅果てない旅のつくつくぼうし 行きゆきて倒れるまでの草の道 馴染の有る沢山の句を思い出す。 この本の第五章は尾崎放哉を取り上げている。これも簡潔な評伝であるが、山頭火に較べ見方がやや冷たく感じた。 著者は「世捨て人のようなこの二人をどうしていつも思い出すのか、実は私にはよく分からぬ。」と書いている。 私が出会った山頭火、放哉もこのようなものであったのだが、今読み返してみる、さらに寂しい、虚空遍歴の状況が、伝わってきた。 *** 日本人の精神構造の中に「遍歴放浪性」があるとして、本書が編まれているのだが、最初から再読することになった。 |
1967年初版 1997年30刷 |
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第一章 漂泊のおもいやむなし 最初に取り上げているのが、高村光太郎であるのには、驚いた。 これは、光太郎が智恵子を失ってからの生活が、いわば、虚空遍歴の様相をしているためであるが、本の表題とはそぐわないという印象を受けた 第二章 放浪の念仏僧たち 空也ー 平安時代、庶民の間にも念仏を唱えることを広めた。6つの仏を吐き出している木彫の空也上人像が有名。出家前から、諸方を廻り、道路改修、井戸掘りなど社会福祉に尽力した。地位も名誉にも無関心。「捨て果てた人」であった。 西行ー武家としての出自が詳しく述べられている。23歳、出家の動機はあいまい。真実の自己の追求、歌人として生きる覚悟。友人西住法師について触れる。 (著者は何度も西行論を書いている。『名僧列伝(三)』の「西行」参照。) 一遍 ー『名僧列伝(四)』の「一遍」で再論。 第三章 生けるものと死せる者との対話 能「隅田川」、宮澤賢治、自分の例 第四章 放浪の芸術家たち 芭蕉、円空、木食 円空、木食は私にとり初めての出会いであった。 第五章 風の中の念仏 尾崎放哉 第六章 わが心 水の如くあれ 種田山頭火 第7章 遍路・巡礼のうたえる歌 お遍路、巡礼の話。山本玄峰の壮絶な生き方。吉井勇、 2924・4・18 |
私の総括: 日本人の精神構造を禅的性格、密教的性格、遍歴放浪性を挙げ 遍歴放浪性には3つの型があると; 山河慟哭、山河微笑、虚空遍歴の型がある。 、「遍歴放浪の世界」として、光太郎、空也、西行、一遍、木喰、円空、放哉、山頭火・・・をひと括りにするには、余りにも無理があると思ったが、精神の彷徨の姿のさまざまな様相と見ると、それも納得できた。 民族(人間)の放浪への強い動機(業)について触れるなら、もっと掘り下げるべきだと思う。 著者44歳の著作。渾身の力が込められている。その経歴(学徒動員、不発弾処理、原爆での家族財産の喪失、)と仏教への深い探求によって、十分論じる力量を持っておられる。 遍歴の様々の姿の中から、山河微笑へ世界への積極的な道を目指している。 新装復刻版のあとがき(著者70歳) 「この本を読んでくれる諸士は、いかなる実践によって、この諸行無常の人生を、常楽我浄の悠々たる宇宙的人生に変えて行かれるのであろうか、いつの日か、親しく承りたいものである。」 2024・4・18 上の引用文の中に「常楽我浄」とありますが、これは、「延命十句観音経」にある言葉で、観音様の持つ徳相を4つに集約して表したもの。(原田祖岳著『延命十句観音経講話』より) 常、楽、我、浄は、一見、仏教の根本的見方、即ち、無常、苦、無我、不浄とは、相反するように見えるので、要注意。 2024・4・20 |
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