般若心経  2    1へ
 Topへ
   言葉にとらわれた追及はあまり意味がないのだが、やはり、言葉が面白いのである。
インド思想史、仏教史・・・と追い出すと切りがない。
多くの人が、悟ったと思い、この般若心経について書いて行く。
また、読み続ける。
文字・言葉を追うとかって悟りとは遠ざかると思うのだが・・・

下記に挙げた本の著者の話はYouTubeでも沢山聞くことが出来る。
 

  
   立川武蔵『般若心経の新しい読み方』春秋社

  「本書は、宗教一般という枠組みの中で、空思想を代表する『般若心経』が異なった文化伝統の中でどのように解釈されたか、そして現在の日本においてどのように受容されいるかを考察したものである。」(同書:はじめに)

  著者は「空」を「真如」として話を進めるとしておられ、私の考えと同じなので、入り易かった。大学での講義を基にしているので、話言葉で文章も平易であるが、一筋縄にはいかない。

  前半は、『般若心経』の位置づけるため、マックス・ウエーバーやM・エレアーデの理論も援用しながら、「否定の手」がどこまで伸びているかの観点から、宗教行為を見ていきます。世俗の生活か、ものの存在そのものか、言葉か、自己か・・・色々な様相を簡単に描いて見せてそれだけでも面白い。インド仏教史、写本、翻訳書、注釈書の基本的な情報が分かり易くまとめれれている。

  経の本文に入るのは5章からで、問題は「色即是空、空即是色」の解釈だあるが、これについての、インド、チベット、中国のこれまで諸説が紹介される。その該博な知識は驚くばかりで、頭がくらくらする。
  思想史にある程度馴染んだ人が、頭の整理するに役立つかも知れないが、私には無理だった。

  更に驚いたのは、これらの諸説を、9章「宗教行為のパターン ー 空性と時間」で「聖なるもの」と「俗なるもの」という視点に、時間の要素を入れ、右記のような図で説明する。これは著者独自の理解の仕方だと思う。
  Aの所に「色」 Bの所に「空」をおいて読むのである。そうすると、悟った後のC「色」はA「色」と同じなのか異なるのか?

  日本的な「諸法実相」の考えは、この図式には嵌らない。
 
 何れにしろ、詮索好きの読者は本文をお読みください。

 終わりに、現代日本人の説として、宇井伯寿と鈴木大拙の考えが紹介されている。

 沢山の説を読むことが出来るのだが、著者の悟りの内容は聞けなかった。

前頁で示した私の読み方は、日本的な読み方だと分った。諸法空相を諸法実相と読み替えていて、言葉の上では、『般若心経』の逆説的表現の最極端の解釈かも知れない。


付記:般若心経ではシャーリプトラに呼びかける個所は3回あって、その内の2つには「この世では、シャーリプトラよ!iha Śāriputra ・・・」と「この世では iha  」という言葉がついていますが、玄奨三蔵訳には無視されていて、私の知る限り、ihaという語に註を付けた人はいません。あの世ではなく、この世と強調している思うのですが・・・・どなたかご意見をお聞かせください。

  2022・3・28
                                           
 


  
   岩根和郎『暗号は解読された般若心経』献文舎

  色即是空の「空」について、私は、空は、空っぽ、実体のないものとは考えないで、根源的存在(神とか仏とか名称しがたいもの)であると考えているのであるが、同じような考えの人も、あちこちで見かける。

  岩根和郎という人もそのような方で、YouTubeで、色々話しておられるのを聞いて、その本も手に入れた。

  この人によると、空は≪宇宙の理念≫であり、《超実体》だとされるのが、さらに、空相、空性と3段階に分けて、精緻に、諭を進められている。
  その他≪求める究極の実在≫≪宇宙の根源≫≪宇宙の創造活動≫≪宇宙の秩序≫≪唯一絶対の存在≫と言った言葉も出てくる。

  存在のモデルを構築されているのであるが、これは、悟りによって得られたもので、逆に、悟らないと分からない。
物理学の研究者で、その方面の考えとも矛盾しないとする。

  独創的なコンセプトも色々あって刺激的であった。
 「学問の仏教」演繹的、 「修行の仏教」帰納的
 「色」と「受想行識」と対比は人間臭く、般若波羅蜜多を「フラクタル共鳴」と表現されるのも新鮮。
  後半部分で初期仏教を否定しているいう説は同感であった。

  しかし、私には、この方の空の3分法には付いていけなかった。
悟りの内容はこんなに複雑な構造を持つものだろうか?

  2022・3・28