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   英米では有名な作品であるが、日本ではあまり知られていなかった。美智子皇后(当時)が退位の際のインタヴューで触れられて、有名になり、私もミーハー的に覗いてみた。  

  
   

The Inimitable Jeeves by Pelham Grenville Wodehouse
(比類なきジーヴス)

 先ごろ、美智子皇后が誕生日の談話?の中で、退位を控えて「これまで出来るだけ遠ざけていた探偵小説も、もう安心して手許に置けます。ジーヴスも2、3冊待機しています。」ということが報道され、私もミーハー的に、どれどれと手を出した。100年ほど前に出版された、ユーモア小説である。

 のんびり者の主人公とその従者ジーブスを軸に、親友の、惚れぽいビンゴや、叔母のアンナ・クリスティなどが珍事を巻き起こす。使用人を抱えるような上流社会が舞台。話題が明るいので、ゴースト・ストーリーを読み続けた後には良い解毒剤となっている。
 問題は、俗語が多く、辞書を引くことを強いられることと、慣用句を用いたユーモア的表現がわからないことだった。やがて慣れるのかもしれない。不明な所を飛ばしても楽しめるのでそのまま読み進めている。
 翻訳も参照したいと思い、図書館に予約を入れたら、品川区、目黒区とも、予約待ちが61名であった。
 辞書引く煩雑さを軽減するために、結局kindle版(500円)も入手した。
(kindleは馬鹿馬鹿しほど易しい単語に注がついていて、難しい単語には注が付いていない不思議な本だが、単語をタッチすると辞書に飛んでくれるので、辞書を引くより楽なのでる。)
 美智子皇后はどんな読み方をされるのだろうか?

 

  
   

The Inimitable Jeeves by Pelham Grenville Wodehouse
(「比類なきジーヴス」)          (ジーブス・シリーズその2)

皇后が退位の後で読む本とされたのは分かる。読みだすと面白過ぎて、公務に支障が出る。
確かに面白いのだが、私には普通のミステリーを読むより遥かに難しく、何とか読み通したという感じである。難しい理由は、私に馴染みのない俗語、慣用句が多く使われており、英国流ユーモアを十分に汲み取れないこと。階級社会の習俗、何でも賭けの対象とする風習(例えば牧師の説教の長さも賭けの対象)など、そこで使われる言葉がよくわからないことである。それにも関わらず面白かった。
内容は https://ja.wikipedia.org/wiki/比類なきジーヴス に詳しいので略。

翻訳を見たい誘惑にかられる本である。
例えば、相手を呼ぶのに、親しい間柄では、ファーストネームは当然として、bean,champ,chappie, egg,bird,thing,fish,zib,・・・の前に、old.good.poorをつけて呼ぶのである。一体翻訳ではどうなっているのだろうか?目黒区の図書館での予約順番は現在71人中60番、1番前に進んだ。

7割しか理解できなくても、英国流のとぼけたユーモアの味は楽しめる。それに、お節介焼のアガサ叔母さん、惚れっぽい親友ビンゴなど好人物たちに会いたくて、私は、2冊目Carry on. Jeeves (「それゆけジーヴス」に手を伸ばす。
のっけから、面白い。

 

  
   

Carry on. Jeeves  by P.G.Wodehouse (1925)
「それゆけジーヴス」           (ジーブス・シリーズその3)

  灯台もと暗し。毎週2回も会っている英人Pさんが、ウッドハウスのファンで、初版本も沢山持っているという。英国のある時代の文化を、こんな形で残した功績は大きい。また、スティーブン・フライ(ジーヴス役)やフ―・ローリー(ウースター役)が演じているテレビ映画も素晴らしく、彼らの言葉遣いを聞くことによって、文章もよくわかるようになると彼は言う。
私は活字派なので本から先に読む。

  P.G.ウッドハウス(1881-1975)には95冊の著作があり、今読んでいるジーブス・シリーズだけでも14冊あって、私はやっと2冊読み終えたばかり。ファンは英王室をはじめ、全世界に広がっており、多くの国にファンクラブがあって、ブレア英元首相、『利己的な遺伝子』のリチャード・ドーキングも愛読者とのこと。
主人公(バーティー・ウースター)は生活に困らず、友達というのも、ほどんどが、貴族、または金持ちの叔父さんや叔母さんがいて、その支援で生きている、いわば、上流社会の人間で、万事,鷹揚というか、下々の人種のようにこせこせしたところがない。そんな人たちが引き起こす悶着を有能な従僕(ジーブス)が見事に捌いて、ハッピーエンドに終わる。
  主人公バーティーは自他とも認める能天気な男(chump)なのだが、友達から頼られ、いつも一肌脱ぐ友情厚き人物で、その意図を汲み取りジーブスが惜しみなく支援するところに、さわやかさがあり、ほのぼのとした読後感がある。10篇の短編はいずれも奇想天外の筋の運びで飽きさせない。
登場人物たち口癖にも少し馴染んで来た。3冊目に移る。

 

  
   

Very Good, Jeeves by P.G.Wodehouse (1930)
「でかした ジーヴス」   (ジーブス・シリーズその4)

格差が問題にされるようになってから久しい。「自由と平等」が民主主義の理念であるから、格差を問題にするのは当然であるが、文芸の舞台に目を移すと、格差がある方が面白い。
  王様や殿様がいて、貴族、大地主、富豪、・・・・下は、小作人、使用人、職人、乞食と身分的にも金銭的にも格差が大き方が楽しい。文芸は、それが、悲劇であれ、喜劇であれ、ミステリー、怪奇小説であれ、ユーモア小説であれ、その中に流れている人情の機微を映し出し、それを味わうものなのである。
  Jeeves & Woosterの舞台は、上流社会で、例えば、叔父がバーのメイドと結婚しようとすると、大騒ぎとなる。彼らはthe peopleを平民、下層階級という意味で使う。上流社会には個性的な人物が多く、奇想天外な筋の運び、馬鹿馬鹿しい事柄も自由に描き出せるのである。
  たわいもなく、ノンセンスを含む軽やかさが、イギリス的ユーモアの本質だと思う。落語にも通ずることなのだが、これを、まじめに深読みしようとするとかえって頓珍漢となる。結末がどうであれ、ほのぼのした味わいを残すのがユーモア小説というもの。

  これまで読んできた本は、短編読み切り集であるが、登場人物、エピソードなど、緩やかであるが、前作を踏まえているので、同じ読むのなら、作品の発表順に読む方が楽しい。アガサ伯母、ダリア伯母、友人ビンゴ、ターピィー・・・・登場する若い女性もみな強烈な個性である。
 文章、プロット、登場人物、3拍子揃って面白いので、4冊目に手を出してしまう。
 
  4冊目「Thank you, Jeeves」は、本屋の手違いで、同じものが、2度送られてきた。!

 

  
   

Thank you, Jeeves by P.G.Wodehouse (1934)
「サンキュー、ジーヴス」

  ジーヴス・シリーズの第1作目の邦訳を図書館に予約して、現在20人待ちとなったが、もう翻訳を読む気が失せてしまった。失望、反感を感じるだけの気がするので。
ウッドハウスの作品が英米では、知識人を含め広い層のファンを持っているのに、日本では、コナン・ドイルやルイス・キャロルほど知られていなのは、その文章を翻訳するのが難しいからである。原作から、7,80年経っても、翻訳が殆ど出なかったことからも分かる。その翻訳では面白さは伝わらないと思う。

  例えば、江戸時代の階級、身分、職業、性別などによって、言葉遣いが異なるが(落語はその様子を伝える)それを英語にせよと言われると難しいように、同様の困難さが、ウッドハウスの作品に言えるのである。また、対応する日本語表現が見つからないものが多い。早い話がジーブスのことを執事ジーブスと訳すものがあるが、ジーヴスはvalet(従者)であって執事butlerではない。英米では、会話の中に絶えず、相手の名前や愛称、尊称を入れて話すのが、その翻訳も難しい。ウッドハウスの作品では特にその種類が多く面白い。対応する文化がないため、無理に日本語に翻訳すると3割がた面白さが消えてしまう。
(翻訳できないからこそ、より英国的なものがあると言ってよいかも・・・)

「Thank you, Jeeves」はNovel、長編書下ろし作品。
バーティーはバンジョーという楽器に熱中し、騒音でロンドンに住めなくなり、ジーヴスとも別れ、友人チャフィの領地の田舎に住むことになる。そこへ、かっての婚約者のストーカー一家とバーティーの仇敵ともいえる神経科医グロソップなどがやってくる。恋と財産問題が絡み、ふんだんにドタバタ劇があり、絶えず予期せぬ展開で、ハラハラさせられる。プロットの面白さは比類がない。しかし、語り口、会話の妙は翻訳では伝わらない。