ロバート ムーアと寒山 On Trailsに触発されて 寒山詩 長距離歩行 |
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寒山の詩を読みたいと思って、書架を探したが、見当たらず、ネットで古書を探して注文したら、なんとヒヨッコリ書架の片隅から岩波の中国詩人選集第5巻 入矢義高著『寒山』初版が出てきた。 この本の最後の頁には、1979年2月(私43歳)に読了、2003年(私66歳)に再読したとある。もうすっかり忘れていた。 寒山は唐の時代の、風狂の僧、寒山という深山に住んで、その自然を愉しみ、世俗の世界から遠ざかった。300篇ほどの詩を残している。その人物も寒山と呼ばれる。 私は、若い頃から、名利を求める気持ちが少なく、芭蕉や山頭火などに惹かれ、漢詩なら陶淵明が好きであったことを思い出した。 寒山の詩を読みたいと思ったのは、ロバート・ムーアのOn Trailsのエピローグに寒山の詩が引用されているからである。そのことについてこれから少し述べようと思う。 (なお、注文の古書はやがて到着し、40年前のものにしては、綺麗な本であった。折を見て誰かにあげるつもり。) ******** |
1958年第1刷 180円(左) 1983年第23刷 980円(右) 入矢佳高によると、寒山という人物は、はっきりした資料がなく不明とあり、その詩も多様であるが、「即心即仏」の禅宗的な色彩お帯びているものが多い。上掲書の解説はとても詳しい。 |
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ロバート・ムーアが引用したした寒山の詩は次のようなものである。 The Coid Mountain trail goes on and on: The long gorge choked with and boulders, The wide creek, the mist blurred grass. The moss is slippery,though there's been no rain The pine sings, but there's no wind. Who can leap the the world's ties And sit with me among the white clouds? (この英訳は、Gary Snyderによる。他に、Red Pineの翻訳もあると原著の注にある) 、原詩は右欄。和訳本が手元にないので、拙訳を付けておきます 寒山の小道は延々と続く 長い谷は石がゴロゴロ 小川は広いが草ボウボウ 苔がツルツルしているのは雨のためではなく 松の音がするが風のせいでもない 誰か世間の絆を断ち切って 私と一緒に白雲を楽しんでくれる者はいないか? これは、ロバート・ムーアが5か月のアパラチアン・トレイルの旅から帰ってからの思いを書いたエピローグに現れる。 確かに、この長距離ハイキング(The thru-hiking)は心身とも変身(metamorphosis)させたが、ニーヨークに帰って、髭を剃ったり、散発したりしている内に、元の木阿弥なりかかった時に思い出すのである。 寒山詩の最初の部分は、長いトレイルの記憶を呼び覚ますものであろうが、最後の世間の絆を切るという表現に、想いが行くのである。 この長距離山旅は、自然に帰るという意味合いと、世間からの逃避という意味もある。 彼自身の言葉で次のように言っている; 「長距離ハイクの後の年月で、アパラチアン・トレイルは私の寒山であったのだと気づきはじめた。そこは、単純で自由な原初の空間であり、暴力や強欲とも比較的無縁で、明確な目標があって、殆ど気を散らすものがない。 しかし、詩人寒山と異なり、私は都会へ舞い戻った。別の人生が訪れるようになった、」p301 |
元の詩と入矢義高の読み下し。上掲書p41 |
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そこで、「長距離歩行」とは、一体何なのか?」という思いがに向かった。 私は一か月ほどのアイルランド徒歩旅行しか経験がないのだが、巡礼の道、四国お遍路(1400キロ)、スペインのサンヘイアゴ・デ・コンポステーラ(800キロ)のことやら、旅を愛した西行、芭蕉、山頭火などが次々と思い浮かんだ。 宗教的には、天台宗の千日回峰、修験道の大峰奥駆けなど。 エピローグには、M・J・エバーハートという超長距離歩行者が出てきて、この人は15年間5400キロ歩き、今も歩き続けており、著者はその人と数日間一緒に過ごす経験を書いています。 何のために歩くのか分からないのです。 エピローグには再び寒山の詩が引用されています。 here's a message for those to come why not read come old lines (後世の人々に伝えておく 昔の人の言葉をよむべきだと) 寒山が最晩年、故郷を訪れ、知人は皆亡くなっていることを知った時の詩の一部らしいのですが、入矢義高本では原詩は見つかりませんでした。 linesにトレイルの意味を含めて、著者は読んでいて、我々はあらゆる可能性のある世界chaos fieldに住んでいるが、失望することはない。先人の残したトレイルがあるから、我々はその追従者とも開拓者ともなれると。 私は長距離歩行も自己の霊性(仏性)に目覚める行為の一つと見るのだが、寒山のように深山に籠ろうが、長距離歩こうが、変わりないことを、著者は悟ったであろうか? 2024・7・28 |
スペインの有名な巡礼路、サンヘイアゴ・デ・コンポステーラに関しては、シャーリー・マックレインが実際に歩いた記録、Caminoがあります。 一度読んで、本は処分してしまっているので、再読したくて、再度手配中です。 |
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