森の

   On Trails An Exploration by Robert Moor

トレイルズ  「道」と歩くことの哲学』 岩崎晋也訳


  アパラチアン・トレイルは、アメリカ東部、北はメイン洲カターディン山から、南はジョージヤ州スプリンが—山にまでで3千5百キロの長距離自然歩道である。その長さは、下関から青森を往復したくらいある。(訳者の後書きから)右下図赤線

  私はこのトレイルを踏破した人の旅行記を読むつもりで、原書と訳書(図書館から)を用意した。ところが、この手の本に必須な地図が付いていない。加えて、学術書でないためか、参考文献も索引も付いていない。

  訳書のタイトルにあるように、本書は、「道」と歩くこと哲学のようで、私がイメージしていたのとは、遥かに広範囲なテーマを扱っているようである。

  行きがかり上、メモを取りながら読んでいくことにする。
  2024・5

 著者の強靭なフットワークで、トレイルそのものへの探求に向かい、化石レベル、昆虫、動物、アメリカの先住民など、それぞれの分野の実地に赴き、要人に会い、文献も調べる。その豊堯な内容に圧倒される。読者は一体どこに連れていかれるのか不安を覚える程である。
第4章まで読んで・・・・
   2024・7・6

この本を読んだ総括は、最終欄にあります。

   2024・7・14
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   プロローグ

  2008年、著者は5か月かけて、アパラチアン・トレイルを五か月かけて踏破した。泥ばかりを見て過ごした。
  この種の歩行を、Jack Kerouscは歩行の瞑想、the meditaitin of the traill と言い、Gary Synderも
同様の禅的解釈をしている。著者は道について、深く考えるようになる。
 誰が、何のために作ったのか?

  自伝的記述:姉とは10歳違う、読書好きな少年、ハイキングの体験など。

 大学の夏休み。子供たちをアパラチア山脈へのハイキングに連れて行くというアルバイトをする。
 全行程を歩くthru-hikerにも沢山出会う。彼らは不思議なトライル・ネイムを持っていた。

 Many Sleepsと名乗る老人に遭う。彼は通過するスルーハイカーを記録していた。
(アパレル・トレイル踏破の志願者は年2000人ぐらいいるが、完走するのは10%以下)

 On a trail, to walk is to follow.  徒弟が親方に従順なように、ある程度の謙虚が要求されるしまた身に付いて行く。

  ロングハイクをする明確な動機もきっかけもなかった。

山行の装備。

道を歩くことは世界を理解することだ。

道 ー 釈迦の八正道、中道、 老子のタオ。ムハマッド、聖書でも道。
歩くことによって精神も変化する。

 歩くスピード:一日に16キロ-24キロー32キロになった。最高48キロ

 人々に伝えられて形成するのは、トレイルだけではない。民間説話、労働歌、ジョーク、インターネット上のさまざまな事象。

 道は人間だけが作っているわけではない。象の道など獣道、アリの道。 いづれも、使われているうちに改善されて行く。

  スプリンガー山を出発して、丁度5か月目、8月15日、メイン洲のカターディン山の山頂付いた。

 完走の瞬間の感想。

  その後、スルーハイカーの眼で世界を見るようになっていた。

  トレイルは文学や歴史、環境学、生物学、心理学、そして哲学まで貫いていることに気づき、トレイルを歩く人、作る人、狩猟家、羊飼い、昆虫学者、古生物学者、歴史家、システム理論の研究者から共通の真理が導かれるのではないか、と考えた。

 以下の章がその探索の成果である。

 このプローグだけで1冊の本が出来る程、多彩なテーマを含んでいる。黒い装丁で、地図も、写真も、挿絵もない、活字ばかりの本であることが、分る。

 2024・5・24
 アパラチアン・トレイル - Wikipedia


私は72歳の時、アイルランドを南北500キロを一人徒歩で歩いた経験 があるので、彼の、装備や歩く速さなど具体的な事柄に興味があった。


  
   第1章  世界最古のトレイルの化石の観察・動物はなぜ動き始めたか?

カナダ最東部ニュウファンドランド島へ行く。
3日間道のない所を歩き(藪漕ぎして)トレイルの有難さを嫌という程味わった。

捜索の為の発信機をもっているが、死の恐怖をこえて、いちいち決断を迫られるは辛かった。
3日間のトレイルのない場所でのハイキングの辛さを表現している。

ここへ来たのは、世界最古のトレイルの化石を発見したAlex Riuに会い、化石を見ることだった。
その化石は5億6千5百年前、1センチ幅程のもので、動物が発生し始めた頃のもので、2008年オックスフォード大の研究者リュウによって発見した。
彼らと一緒に化石群の有る所に行く。

 2024・05・20
ニューファウンドランドの島
   第2章  昆虫のコロニーが集合的知性を最大化するためにいかにトレイルのネットワーク築いたか

トレイルそのものへの興味が深まり、やがて、昆虫の世界に入る。

移動の経路を表す英語;trail,trace,track,way, road,path

1876年、Plains of the Great Westの中で、Richard Irving Dodge はtrails are a string of "sign"that can be reliably followed.

サインには、物理的、化学的、電気的、または、throretical

粘液のトレイル  カタツムリ、ナメクジ

アリの研究

内在的知性と外在する知性
 
著者が昆虫に目を向けたきっかけはケムシ。
1738、シャルル・ボネ
1793、ピエイル・アンドレ・ラトレイユ アリの触覚切断
1950 E.O.ウイルソン  アリのフェロモン分泌線発見
1960 ピエール・ポール・グラッセ stigmergy
   環境に蓄積されて信号を使って行われる間接的なコミュニケーションの一種。

基本的メカニズムは、フィードバック・ループ
周回するアリやケムシ

マーク・トウェインの『西部放浪記』 人間も円を描いて歩く傾向がある、1928年、エイサ・スカエファー
1896年、O・グレベリ。2009年。ヤン・ソーマ

アリは知覚を持ち、学習できるか?本能によるき機械か?コンピューターによる研究。ロボット化による研究。

ジャン・ルイ・ドノブールDeneubourg 1970年代、
アリのコロニーを単純なルールに従う個体で項される知的システムと見なす。

オドレイ・ドユストウールーアリの交通渋滞

ガルニエ ー ジェームス・スロウイツキー 『「みんなの意見」は案外正しい」 
 章の横の朱記の文句は、著者の表現を借りたもの
   第3章  象。羊、鹿、ガゼルについて

にでぃー・ダーリスリーサン  大型動物の群れの研究者
観察ー牧畜―狩猟 

ゾウのトライル エレファント・サンクチュアリ

シュティーブン・ブレーク

『野生の契約 なぜ動物たちは家畜化を選んだか』1992,スティーブン・ブディアンスキー  「幼形成熟」

羊のトレイル 羊飼いの経験83週間)

狩猟 追跡技術- ピントウピ族、クン族、
リーベンバーク『追跡の技術 科学の起源』1990

 
   第4章  古代の人類社会にネットワークを張り巡らせたのか

歴史家ラマー・マーシャルとアメリカ先住民チェロキー族の古いトレイを調査する話。

道のシステムは世界最大の文化遺産。

マーシャルの生き様に触れる。

チェロキー族の言語学者トム・ベルト 

強制移住ー土地に対する感覚の西洋人との差異、言語にも表れている。

アパッチ族 出来事が起きた時より、場所が重要 (キース・バッソ)

土地の名前を列挙するー トポジェニーtopogeny
ーは、アラスカ、パプアニューギニヤなど多くの土地で見られる。

先住民のガイドによるヨーロッパ人の探検 
1660年台 ジョン・レーデラーの例

先住民の文化の保存: 言語、文字

トレイル・ウォ―キング文化が発達すると、世界はトレイルと関連づけられる。

バッソが「精神の滑らかさ」「精神の回復力」「精神の安定性」と訳した「智慧の道」 西アパッチ族はこれを歩くことが人生の目的だ信じる。

 2024・7・7
 
   第5章  アパラチアン・トレイルの歴史

現代のハイキング・トレールは、自然に餓えた都会人によって、
この300年ほどの間にできたもの。

チェロキー族の下で過ごした数週間のあいだ、チェロキー族のハイカー唯一人、名はギリアム・ジャクソン。

ジャクソンとの交流 
共にトレイルを歩く
ワシントン山のトレイルの話。

先住民と植民者
自然の破壊、新しい、資本主義世界へ

すぐに経済的価値の見つからない場所のひとつ ー 山脈

登山の歴史。

ワシントン山と対象的なカターディン山。「永遠に野生のまま」
原野wildness の価値の変化

アパラチアン・トレイルのアイディアーーベントン・マッケイ 1900年21歳

その頃、そのような機運が起きていた。
1921年「アパラチア・トレイル:地域計画プロジェク」ト

1937年完成 

1971年、91歳のマッケイへのインタヴュー
「アパラチアン・トレイルの究極の目的」は?
  1,歩くこと
  2,見ること、そして
  3,自分が何を見ているかを見ること

実際のトレイルを歩く状況の描写もあって、この章ではじめて、ロング・トレイルの実体が掴め、得心できた。

 2024・7・9
 アパラチアン・トレイルの全行程踏破者「スルーハイカー」
  14000人、 内,�アメリカインディアンは13人
   第6章 長距離トレイルが人をつなぐ姿を描く。

1993年 アパラチアン・トレイル(AT)延長のアイディアが浮かぶ、  ー デリック・アンダーソン

「長大なトレイルを作る仕事は、基本的にトレイルの建設ではなくトレイルどうしの接続である」

1994年インターナショナル・アパラチアン・トレイル(IAT)構想
2004年 IAT、ニューファンンドランド島への延伸に同意
2011年 合計9600キロ

テクノロジーと原生自然

ニューファンンドランド島での体験

ハイウエイ  秦、ローマ、インカ

フロリダノン南端から、ニューファンンドランド島まで8000キロ歩いた二人の感想。

2012年、アイスランドでIATの総会に、デリック・アンダーソンと共に招かれる。
 
   エピローグ

人が辿るべき道は色々ある。「精神的な道」「キャリアの道」「道徳的な道」「芸術的jな道」「健康への道」「美徳への道」
人生にはあまりに道が多岐にわたる。

結局、私たちは道を求める者(pathfinder)

2009年、5か月かけて、アパラチアン・トレイルを踏破したのは、一体なんだろうか?

寒山の隠遁の詩を引用。スルーハイクはこのようなものであった。

ひたすら歩き続けることは可能だろうか?
ニンブルウイル・ノマド(本名:M・J・エバーハート)はその人。15年以上の間に、54000キロ歩いてをり、今も歩きる。
著者は彼エバーハートに数日間一緒に歩かせてほしい申し出、実現し、その様子も記述されている。彼の人生についても。

なぜハイキングをするのか?わたしはこの質問を数多くのハイカーにしたが、一度も納得できる答えが返って来たことはなかった。

なににもまして、ハイカーが探し求めているのは単純さ、道がいくつにも枝分かれした文明からの逃避だと思う。

エバーハートとの旅の終わり、
彼はサングラスを外し、わたしの目を真剣に見つめた。「きみから見て、わたしはほんとうに幸せに見えるかい」との質問を受けた。・・・、彼は自分の書いた祈りの言葉を暗唱した。(右欄)

原生自然wilderess

エバーハートは自由えお選んだ。自由には犠牲を伴う。
私たちに何が一番大切なのか?

寒山の詩の一節の引用;
為に後来の子に報ず なんぞ古言を読まざるや。
(後世の人々に伝えておく 昔の人の言葉をよむべきだと) 
here's message for those to come
why not read old lines

古言をold linesと訳している。

何を選ぶかは「知恵wisdom」の問題。

トレイルの知恵 いくつもの道がある世界を正しく進んでいくためには、トレイルの知恵を利用すればよい。
ある程度の迷いも必要だが・・・

この本を書き始めときに知りたかったのは、アパラチアン・トレイルわたしはどんな手で導かれていたのかということだった。その答えは、トレイルそのもののように、地球規模に広がり、太古まで遡るkとになった。

  読者もそれに付き合って、いささか草臥れた。

 2024・7・14
 主よ、わたしに道路の脇の道をお与えください。
どうかこれがあなたの計画の一部でありますように。
Lord,set me a path by side of the road,
Pray this be a part of your plan.

・・・・・・・
すべてあなたへの賛美であるこの旅に恵みあれ。
この道路の脇の道を行く旅に。
And blessed be this journey, all praises to you,
Q'er this pathby the side of the road.


道路の脇という表現は、私の一か月のアイルランド徒歩旅行の体験に相応しい表現である。
   【総括】

  アパラチアン・トレイルは、アメリカ東部、南北を走る山脈を結ぶ3千5百キロの長距離自然歩道である。その長さは、下関から青森を往復したくらいあり、それを踏破したした人は、スルーハイカーとよばれ、著者はその一人である。
  翻訳本の表紙が示すように、私は、スケールの大きいいハイキングの、さまざまな体験を味わえと思って、本書の原書を買い、訳書は図書館から借りた。

  ところが、本はいずれも、地図も写真もない活字ばかり本であった。

 著者は5か月に渡るハイキングの末、トレイルそのものに関心が向き、トレイルの本質を探ろうとするのである。
  古代の化石時代の跡がある云えばそこへ行き、昆虫のトレイル、ゾウ達たちのトレイル、家畜のトレイル、原住民のトレイルと、現地に赴き、体験すると共に、文献も探索する。
 読者は一体どこへ連れていかれるか不安になる所、5章になって、アパラチアン・トレイルの歴史及んだと思うと、話はそのトレイルを延長し、果てはヨーロッパモロッコにまで及ぶという話となる。
  エピローグになって、トレイルとはいったい何なのか、生きるために、どんなトレイルを選ぶべきかということに話が及ぶ。

 実体験のエピソードも文献によるものもそれなりも面白く、考えさせられるのだが、この健脚の著者についていくにはいささか草臥れた。

山旅の体験の有る方には、興味深い事実が散在している。

    2024・7・14

【感想追補】
〇地図、写真、参考文献、索引がぜひ欲しい所。
〇余りにも多くのテーマを抱え込んでいる。それずれが、最後までにつめていない。
 各章が1冊の本となりうる。
〇話題、テーマ
  トレイルとは?なぜそこをハイキングするのか?
  長距離トレイルはなぜできるのか?
  原生自然対文明
〇著者自身が実際に歩いた実録、エピソードが至る所に挟まれており、精彩を放っている。
〇生きるとは何か?目的は?そんな大問題の中を著者は徘徊している。
〇トレイル 先人の知恵、拡大解釈すれば、あらゆる文化は先人のトレイル。

  2024・7・15
 


Trail トレイル雑感

Trailトレイルという言葉を最初に意識したのは、20年ほど前、10人ばかりの団体旅行でアメリカを回った時、ダラスで、Trail Dustという、ステーキハウスへ連れていかれた。有名な店で、ネクタイ着用禁止、付けているとハサミで切られてしまい。それが壁に所狭しと飾られていた。
牛の丸焼きはまさに牛そのものを串にさし、薪で焼いていた。私はそこで、600グラムを越えるステーキを食べた。トレイル・ダストはアメリカ開拓時代、幌馬車なのが土煙をあげて通った時代を髣髴する言葉であった。
trailは何か引きずる感じのことばで、動物や人が通った後にできる小道を指す。「道」と訳すとイメージか違う。足跡のような者である。獣道はトレイル。

話は飛ぶが、藤村の詩「初恋」の一節
  林檎畑の樹の下に
  おのずからなる細道は
  誰が踏みそめしかたみぞと
  問ひたもふこそこひしけれ

逢引のためにできた小道を懐かしんでいる。

舗装されず、馬や車を使わずに通るみち、登山道、ハイキングコースがその名に相応しい。

アパラチアン・トレイルは3500キロとスケールは大きいが、トレイルは至る所にある。

抽象化して、広い意味で考えると、文化全体がトレイルなのである。先人の残した足跡なのである。

ロバート・ムーアさんは、そんな大問題に首を突っ込んでしまって、徘徊を続けておられる。

彼は、再び、身の程にあったトレイルで旅を楽しむことになるのだろうか?

2024・7・16