枕草子  Topへ
   千年前の30代の日本女性が、こんなに深い人間理解、鋭い観察力、細やかな表現力を持っているのは、驚くばかりです。それを可能にしている日本語も素晴らしい。  

  
   2019年5月17日

枕草子(1)

 Pさんと読み始めた『源氏物語』は半年で中断することになった。彼曰く、「私のレベルでは、難しく、楽しめない」と。センテンスが長く、主語が不明、それも途中で変わったりするので、うまく味わえないようであった。私は紫式部の文章にほれ込み始めたところで、ちょっと残念だったが、あっさりと、テキストを『枕草子』に切り替えることにした。
  彼とは、文語文法、『竹取物語』『徒然草』『百人一首』を読んだ程度なので、『枕草子』が穏当なところかもしれない。(他に漢文と現代文『怪人二十面相』読んでいる。)
 こちらは、源氏より、センテンスが少し短かく、10段ばかり進んだ。何よりも、彼が清少納言のhumourを嗅ぎつけたので、続く可能性が大きくなった。
 主語が無い文章など考えれれないイギリス人に、主語を省略し、述語中心の日本文を、敬語法から、逆算して、主語を措定していくのも、慣れてくると面白いものである。
  この歳になると日本の古典が面白くて仕方がない。言葉を少し味わえるようになって来たからかも知れない。そして紫式部や清少納言の表現力は、世界文学史の中でも、群を抜いて、高度で豊かなものではないかと思う。ウイリアム征服王がイギリスを統治する時代より前に、日本にはこんな素晴らしい作品があることを、誇らしく思いながら、英国人と『枕草子』を楽しんでいる。

 

  
   

2019年5月

25日

枕草子(2)

  多くの日本人は(私もそうなのだが)、古文といえば、高校の国語の時間で読んでい以来、ご無沙汰という人が多いと思う。それなら、高校生用の参考書から再出発してはどうだろうか。歳をとって読む日本の古典は面白い。

  増渕恒吉『枕草子評釈』清水書院 2016(初版1966)は、注釈は、簡潔で、文法事項も適当に解説してあって、文法を忘れた人にも読み易い。Pさんは、岩波文庫版によって読み始めたのだが、、同書に切り替えてもらって、進み易くなった。古典叢書などにある日本の古典は、高校の古文レベルの事はマスターしてある前提で、注釈は異本や付帯事項の説明が多く、初心者には注釈自身が、読みにくく、煩わしいのである。(だからといって、古典を現代語訳で読むのは反対である。)
本書は抄録であるが、清少納言に慣れるにはちょうど良い。

  山本淳子『枕草子のたくらみ』朝日新聞出版 2017
これは、清少納言がなぜこのような作品を書いたのかを探る本であるが、『枕草子』が表舞台だとすれば、その裏舞台を、当時の資料から、見事に描き出していて、
『枕草子』の面白さを倍加させる好著であった。中宮定子と清少納言を見る目が、温かく心地よい。
  山本淳子『源氏物語の時代』朝日新聞出版 2007
同じ著者の本を読みたくてひもどいた。本書は、個人の空想力による創作物、歴史小説ではない、史料や作品自体から書かれたものであると冒頭に断っているが、叙述の仕方が巧みなので歴史小説並みの面白さがある。一条天皇、2人の中宮(定子、彰子)それに仕える清少納言、紫式部を中心に、それを取り巻く貴族たちの人間模様を巧みに描き出している。
『枕草子』や『源氏物語』を読むのにふさわしい歴史的事実を提供してくれる。引用の『大鏡』『小右記』『栄花物語』など、歴史ものへの読書意欲もそそられる。(サントリー学芸書受賞作品)



 

  
  2020年3月29日 

枕草子(3)
Pさんとの『枕草子』の学習は、飛び飛びであるが、第64段まで進んでいる。ゆっくりと英国人と読む『枕草子』は滋味に富み、学ぶことが多い。この本の特徴の一つ、ものずくしは、列挙の文学と言えるものだが、植物や鳥好きのPさんは面白いらしい。私は図録として、第一学習社の『新訂総合国語便覧』を利用しているが、スマートホーンでインターネットにアクセスして、見せることも多くなった。例えば、ホトトギスであれば、その姿だけでなく、鳴き声まで聴くことができる。
清少納言の列挙の仕方が素晴らしく、例えば、「鳥は」(第39段)では、鸚鵡、山鳥、鶴、鴬、ほととぎすを取り上げた後、「夜なくもの、何も何もめでたし。ちごどものみぞさしもなき。」つまり、夜なく鳥はみな素晴らしいが、赤ん坊の夜泣きだけはそうでない、と結ばれている。こんな個所にPさんはhumourを感じて喜ぶ。
私は、別の個所を注目する。それは鴬について、春に限って啼くのなら素晴らしいのだが、夏も秋になっても、老いた声で鳴くのは残念だと言っている。晩節にかんして、「草の花は」(第64段)では薄(すすき)の素晴らしさを述べたあと、「色々にみだれ咲きたりし花の、形もなく散りたるに、冬の末まで頭のいと白くおほどれたる(乱れひろがる)も知らず、昔思い出顔に風になびきてかいろぎ(よろよろ)立てる、人にこそいみじう似たり。よそふる心ありて、それをしもこそあはれと思うべけれ。」


列挙の面白さについてはUmberto Eco(2)参照
 
2020年2月17日自然教育園にて