ドナルド・キーン(1)      (2)へ Topへ 
   私たちは自分たちの文化をよく知らずに過ごしていると思う。その良さの多くは外国の方に気付かせてもらう。キーンさんもその一人。キーンさんの日本人への願いは日本語を大切にして欲しい、ということだった。  

  
     ドナルド・キーンさんと何度か同じお風呂に入ったことがある、というのが私の誇りの一つであった。大学の近くに下宿していて、その近くの銭湯へ行っていたのであるが、学生のことでさして用もないので4時ごろ銭湯に行くと、よく西洋人が一人来ていた。私は、あの人がキーンさんだったのだと長年思っていた。

  それから何十年も経って、それを確かめる機会が訪れた。今は無いが、恵比寿のGOOD DAY BOOKSという洋古書の本屋で、時々、著者のスピーチの会があって、キーンさんも本を出された時、ここでスピーチをされた。その本屋から、新著を買った客2、30人の前で英語で話され、そのあとサイン会となった。私は、その列の最後に並んで、キーンさんが京大留学時代に、私は銭湯でご一緒したことを話すと、意外に、「私の下宿にはお風呂があったので、銭湯へは行きませんでした。それはきっとワトソンさんですよ。」とおっしゃった。同じころ京大におられたバートン・ワトソンさんに間違えられたことがあったという風な口ぶりであった。
  ワトソンさんといえば語学の天才、中国古典の泰斗、筑摩書房の『司馬遷』も読んでいたので、私はそれなり満足した。(ワトソンさんは2017年に亡くなられており、今や確かめる機会はない。)

キーンさんと口を利く2度目の機会は、それからしばらくしてやって来た。やはり、GOOD DAY BOOKSでキーンさんの新著のスピーチがあった時のことである。その新著が自伝だったか渡辺崋山の評伝かはっきりしないが、今回は、義父を連れて行った。義父は東日本大震災の後、帰化を表明されたキーンさんに痛く感服しており、陸軍士官学校の同窓会の会報にも、キーンさん礼賛の文を寄せていた。店主の小林妙子さんには90歳を越す義父同伴で参加する旨伝えておいた。当日は聴衆で店一杯になった。スピーチの後、サイン会となったが、小林さんが気を利かせて、義父と私を列の先頭に並ばせてくださった。義父は陸士会報の一文のコピーをキーンさんに渡し、尊敬の念を伝えることができ、サインをもらい、記念撮影もさせていただいた。義父はとても喜び、私も親孝行ができて、共に満足して帰路に就いた。

  義父はその後、2016年、95歳で亡くなった。仏壇の前にはしばらくキーンさんサインをもらった『日本語の美』も飾られていた。 1歳年下のキーンさんも3年後、97歳の生涯を閉じられた。   
   2020・4・29

このページを読んでくださった、アメリカ在住の小林妙子からのお便りで、私とキーンさんの銭湯の話は覚えているとのことでした。(追記:2020・5・1)


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松村恒:稀代の日本学者キーンとの関わりをいくつも文章になさっていて、日本を愛する外国人へのまなざしもうかがえて、すばらしい文章です。 
  私には著作の膨大なキーン教授に全貌を捉えるなど、遠く及ばないことですが、思い出があります。梵文学を少し読み始めたころ、アショーカ王関連で、息子のクナーラ王子の物語を知りました。継母との確執から、盲目の芸人となって各地をさまようのですが、『ローマ七賢人』の枠物語にもあるなあと思いました。継母との対立の物語は他にもあるだろうと探してみました。「愛護の若」というのがあるらしい、しかし説経節というものは何も知らないので、初歩的な知識を習得しなければ、ということでアメリカのアジア學雑誌にあった論文に出会いました。ドナルド・キーンという著者で、大変な博学な様子に瞠目しました。日本の古文化のことを外国人から学んだわけです。著者の若い頃の個別研究の専門論文で話題にされることはなかったと思いますが、私にとってはクナーラ伝説と共に心に残っている論文でした。

宮垣 :コメントありがとうございました。面白い巡りあわせですね。アーサーウェイリーもキーンさんも最初から、日本では芸能扱いされる、謡曲、浄瑠璃、俗謡を文芸(文学)として扱っていますね。ラフカディオ・ハーンもそうかも。演技を見るチャンスがないのでそうなるのかもしれません。
 

義父がもらったキーンさんのサイン
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島崎陽子:『三島由紀夫を巡る旅』徳岡孝夫、ドナルド・キーン著を読んだばかりなので、興味深く拝読しました。内容の一部を抜粋してまとめてみました。

自決のあと三島の書斎の机上に残されていた二通の手紙のうち一通はキーンさんあてでした。『豊饒の海』の翻訳をぜひぜひよろしくお願いします、と書かれていたそうです。文学的な後事をNYに住むキーンさんに託していました。
「何とかこの四巻全巻を出してくれるよう御査察いただきたく存じます。そうすれば世界のどこかから、きっと小生というものをわかってくれる読者が現れると信じます。」
三島は日本の批評家たちの鈍感さ、文学的センスのなさについてよく話していて日本の批評家に絶望していました。
『近代能楽集』が文庫本になったとき解説を書いたのはキーンさん。三島は「キーンさんのほかに書けるひとは一人もいない」と言ったそうです。

『暁の寺』、自決の2ヶ月前「書評は一つもでていない」と寂しそうだったそうです。
日本ほど文芸雑誌の多い国はない。週刊誌や新聞にも書評はあふれている。なぜ日本で最も高名な作家の最新作の書評が書かれてないのか。2、3流の作家の作品ならけなしてもほめても時とともに忘れられる。しかし一流の作品についてとんでもないことを書けばのちのちまで記憶される。三島の書評を書けるほど三島以上の知識を持っていた評論家はいなかったのではないかと思われます。
三島は日本の批評家たちの鈍感さ、文学的センスのなさについてよく話していて日本の批評家に絶望していました。
このようなことをキーンさんに語っていたそうです。

 宮垣:『三島由紀夫を巡る旅』のご紹介有難うございました。三島とキーンさんとは仲が良いですね。HPで紹介したLandscapes and Portraits(1971)でも、20頁にわたって三島由紀夫を論じています。私自身は食わず嫌いで、三島由紀夫は読んでいません。いずれ、読んでみようと思います。
 

  
     シェイクスピアを読む会でご一緒の角田さんは、角田柳作の姪に当たる方で、私はその方からキーンさんの右の本Landscapes and Portraits Appreciations of Japnese Cultureを頂いた。柳作はもとは竜作だったのを改名したお話など伺ったが、詳しくお聞きする前に、角田さんは亡くなられた。
  キーンさんは、角田柳作について述べた後、 「学者として私を育成した先生は三人であったと思うが、今それぞれに恩を感じている。最後に「わが師」として一人だけにしぼれば、それは私を日本文学者として育ててくれた角田先生である。」と言っておられる。
  「米国で私を育ててくれた「日本思想史」の角田先生」 ドナルド・キーン『日本語の美』中央公論社1993   
  
    2020・4・29

この本には、キーンさんのアーサー・ウェイリーの思い出が収められている。
現代日本作家では、谷崎潤一郎、太宰治、三島由紀夫も論じられている。
 

  
   2014年10月5日

   日本の文芸の素晴らしさを世界に知らしめ、日本人にも誇りを持たせてくれた人といえば、ドナルド・キーンさんが筆頭だろう。
  そのキーンさんがどのように日本語を習得したか?これまでの自伝的書物に随所に見られるのだが、『わたしの日本語修行』では、米海 軍日本語学校(11か月)のことを、その時の教科書を軸に、明らかにされる。インタービュアーの河路由佳さんが、長年日本語教育に携 わってこられた方でツボを押さえた質問が繰り出され、キーンさんも丁寧に答えられている。キーンさんの教え子へのインタービューな どもあり、ドナルド・キーンさんを理解するのに大切な書物となっている。飛び級で16歳で大学に入学すほどの頭脳、異文化への深い感 性、高潔なお人柄、三拍子揃った方が、日本の文芸に出会ったことは、日本人にとっても幸運な出来事だと思う。
 

  
  2015年3月29日

ドナルド・キーン  世界に誇る日本文学者の軌跡』河出書房新社は、ちょっと変わった本で、高峰秀子や大橋巨泉との古い対談を収録したり、陶芸作家など珍しい方が思い出の文が寄せられています。何よりも、半分ぐらいは音楽談義で、フルトベングラーやトスカニニーを生で聞いたとか驚くべき内容がて書かれています。「マリア・カラスを偲ぶ」というエッセイは絶品で、クラシック音楽好きには面白い。「飛び級」で16歳でコロンビア大学入学した抜群の頭脳だけだはなく、その優れた感性も伺える、楽しい本でした。