漢文訓読法1                  漢文力  Topへ
   中国の古典の豊かな世界へ入るの最上の方法。翻訳では味わうことができない。  

  
  2018年5月27日
漢文訓読法(1) 
中国語(文語)に、少し符号と仮名を加えることによって、日本語(文語)に変換してしまう漢文訓読法は、世界で類例もない言語上の手法である。同じ漢字文化圏に属する韓国でもヴェトナムでもこのような方法は余り発達しなかったという。日本はこの訓読法で、千数百年にわたり、中国の文化をうまく吸収してきたし、日本語自身を豊かにした。今の日本語の語彙の半分は漢語起源だと言われている。
しかし、この100年、特に敗戦後、日本人は、西洋の言語、文化吸収に忙しく、漢文訓読は急速に衰えてしまった。
外国語を、媒体語を排して、直読直解的に習得するという外国語学習法からすれば、漢文訓読法は、どこか邪道のように見え、また、中国古典、文化への尊敬や嗜好が衰えたせいなのかもしれない。
漢文訓読法は、漢字、漢語を巧みに取り入れ、和漢混合の言語生活をしている日本人だからできるユニークな方法で、ある時見返される時が来ると思うが、それまで、文化遺産的にも温存させたいものだと思う。
そんな思いから、漢字、文語を少し学んだ英人Pさん(中国語も少し勉強している)にも、その方法を伝え始めている。
漢文訓読については、昔から、反論、廃止論もあるが、ここでは議論しない。
写真右:Pさん用テキスト。左:基本が明確に記述されており、訓読法を振り返るに有用。読み下し文から白文に復元する(復文)の練習もある。


2019年12月
松村 恒 宮垣様

大分と前のご投稿の再掲のようですが、いろいろと示唆に富む文章です。
聊斎志異の講読をずっと続けていらして、その実績が背後の裏打ちをしているのではと想像しました。
私は中国語を学び、漢詩が音読されているのを知って、普通話音での音読を始めました。(しかしこの考えは間違いではないにせよ、万能ではないことにのちに気付きました)
台湾では、幼年青少年向けの本には、注音字母がついていて、ピンインとはちょっと違いますが、自分で発音調べをしなくてすむので、安価なこともあってしこたま買い込んで、練習しました。
しかし訓読法は国語学の重要な一部であることを知り、あだやおろそかにできないとも思い始めました。

しかし自分で、中古時代の漢文受容のさまを探るにあたり、音読一辺倒を、今度は逆に捨て去りました。『金言類聚抄』の解読を通じて、たとえば今昔物語集などの和漢混淆文があらわれてくることを思い、先人が編み出した訓読法に深い敬意を持つようになりました。
なお訓読みたいな漢文読解法はウィグルにもあります。
また明治時代のある時期には、英文が訓読されていました。

こうした諸事情を考え合わせると、倉石武四郎博士のように、訓読を玄界灘に投げ捨てた、とばっかりいってもすませられないような気がします。

宮垣様の御文章は (1) とありますので、是非続きも再掲してくださるよう、お願い申し上げます。
  • 宮垣弘 松村 恒 さま、Facebookの古い記事を呼び出す方法を知りません。投稿前のデータがpcに残っていると思いますので。探して、メールでお送りします。
  • (その後、Facebookを検索する方法を覚えて、このページもそれを利用している。)
 

  
    2018年6月7日

漢文訓読法(2)

中国語は一言も話せないのに、中国の知識人並みに中国古典を読んでいる人間がいたら不思議でしょう。多くの日本人はそれが出来たのある。もちろん先人によって、原文に小さく付けられた訓点(返り点、送り仮名)のある本で読むのですが。
この漢文訓読法によって、長年にわたり、中国文化から養分を吸収し、政治組織、道徳、歴史の見方、詩など物の感じ方まで学んだのである。明治維新、西欧文明を受け入れるに当たっても、漢字、漢語の造語力を利用して、西洋語を漢字に置き換え、その後の翻訳文化とも言える時代を作るのである。
和製漢語として、Wikipediaでは次のようなものを挙げているが、これは一例に過ぎない。
文化、文明、民族、思想、法律、経済、資本、階級、警察、分配、宗教、哲学、理性、感性、意識、主観、客観、科学、物理、化学、分子、原子、質量、固体、時間、空間、理論、文学、電話、美術、喜劇、悲劇、社会主義、共産主義

漢文訓読にはもちろんマイナス面もあるのでそのことは別に述べます。

漢文訓読法についての次の本は、その学識の深さ、視点の広さに、衝撃を受けました。
  金文京『漢文と東アジア - 訓読の文化圏』岩波文庫
第1章:漢文訓読法の淵源を、中国における、サンスクリットの仏典の摂取の過程に求め、そして日本の訓読法の発展の跡を詳しくたどる。伊藤東涯、荻生徂徠などの訓読廃止論(直読論)や梁啓超による『和文漢読法』など、豊富な話題を提供する。第2章:漢字文化圏である、朝鮮半島の事情を中心に、契丹、ウイグル、ベトナムの訓読状況を伝える。視野がアジアの歴史に及び面白い。第3章:まず、朝鮮・李舜臣、白楽天、漱石さらにホーチミンや契丹語の漢詩が取り上げられる。共通言語としての漢詩、漢文に触れ、異種の言語の干渉の姿が点描され、「おわりに」に発音問題、漢文の多様なあり方を述べ、漢字文化圏ではなく「漢文文化圏」というとらえ方が相応しいとする。
豊かな内容の本を雑駁な紹介で申し訳ない気がするが、ご興味のある方はどうぞ!

 

  
   2018年6月19日
漢文訓読法(3)日本語の素晴らしさ

漢文訓読法には、大きな問題点があるのだが、そのことは後回しにして、このようなことが可能である日本語の素晴らしさに触れてみたい。
日本語の文法がしっかりしていて、おそらく文化的には2千年近く先行していた中国に、言語的に吸収されなかったことである。勿論、島国で中国の属国にならなかったこともあるが、日本語が優れていたためでもある。中国語に比べても、正確、細やかに表現する力を持っていることは送り仮名を見ればわかる。あらゆることが、助詞、助動詞、動詞などの活用語尾を付ければ表現できる。AはBにCなるDをEする。ABCDEは何語でも成立する。外からの語彙を容易に国語化する力を持っていて、今ではそこに英語語彙をカタカナで当てはめている。ABCDはどの順番でもよいし、既知の事柄であれば省略できる。外国の言語や文化に触れている方々に、もっと日本語の素晴らしさを顕彰して欲しい。 これは一例だが、
鈴木孝夫『日本語教のすすめ』(新潮新書):第一章でラジオ型言語とテレビ型言語という面白い観点で日本語の素晴らしさを教える。第二章~第四章は、文化と言語の関係の関係で、特に人称問題は労作。第五章はなぜ日本語を広めたいかを述べている。

 

  
  2018年9月7日 
漢文訓読法(4) 長恨歌
Pさんの漢文学習がかなり進んだので、白楽天の『長恨歌』を読むことにした。並行して読んでいる『源氏物語』桐壺で玄宗皇帝と楊貴妃の古事が引かれているので、丁度良いと思ったからである。白文と読み下し文から、逆に訓点を付ける復文の宿題を出したら、全部やってきたので、逐語的に勉強していった。
「桐壺の巻」が「長恨歌」の影響があることは明らかで、本文にもそのことが書いてある。
「もろこしにも、斯かる事の起りにこそ世も亂れあしかりけれと、やうやう天の下にもあぢきなう人のもてなやみぐさになりて、楊貴妃の例(ためし)も引き出でつべうなりゆくに、いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへの類なきをたのみにて交らひ給ふ。」他にも楊貴妃が登場する。
驚くべきことは、平安時代の上流社会では、多くの人が白楽天など漢籍に通じていたことで、これは訓読法が普及していたためである。訓読法は、文学だけでなく、政治、経済、社会制度の輸入を容易にして、建築、服装など広範囲に、中国(仏教を含め)の文化の影響下で、日本文化を育て行った。それが、19世紀まで続き、もし訓読法がなければ、明治維新もなく、漱石も鴎外も生まれなかった。

写真:『長恨歌絵巻』(編集・解説 川口久雄)大修館: ダブリンのチェスタ・ビーティ・ライブラリー所蔵の狩野山雪(1590-1651)の筆になる絵巻。

 

  
   2018年10月9日
漢文訓読法(5) 問題点
Pさんと「長恨歌」120行を読み終えた。玄宗皇帝と楊貴妃が誓い合った言葉 「在天願作比翼鳥、在地願爲連理枝 」ー天にあっては願わくは比翼の鳥となり、地にあっては願わくは連理の枝とならん-の所で、白井権八と小紫の「比翼塚」が目黒不動の寺門の手前にあることを話し合った。この詩は源氏物語に影響を与えているだけでなく、庶民のレベルにも根を下ろしている。何しろ、千数百年の間、日本人の教養の基礎は漢籍訓読(中国古典)にあったのだから、そのことを忘れてはならない。

この辺りで漢文訓読法の問題点をまとめて置きます。
1.漢文訓読の最大の問題点は中国語の韻律が失われることである。特に詩では、その美しさの半分も伝わらない。
 これは漢文訓読だけのせいでない。長年、漢字を自国語の一部として使っている頭には声調のある中国語の音が頭に入らないことである。月をユエとその発音することがなかなかできない。一度日本語忘れ、一から始めないといけない。
2.訓読法で意味がとれるので、正面から中国語を学ぼうとしない。
漢文訓読の対象は、文語なので、それが読めたからと言って、口語文が読めるわけではない。
3.返り点で読む癖がつくと、直読直解といった語学の本道ともいうべきことが出来ない。日本語の語順に直さないと理解できない。この癖が英語など外国語を読むときにも作用する。日本語に翻訳さないと分かった気にならないことである。

言語学的に言えば、まず、中国語の口語に通じ、中国音、文法を習得し、さらに文語(古典)の文法を習い、(古代発音に及び)古典を読むというプロセスを経るのが理想的なのであろうが、こんな形で中国古典を読むことができる日本人が何人生まれるだろうか?
だから、私は、中国古典への裏口入門であり、日本語の骨格を作るに大きな働きをもった漢文訓読を支持したい。

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