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   怪異な小説がなぜ面白いのか?
色々なジャンヌの一つなのだがその特性とは?
私が好きなのは、口承的奇譚であって、創作のゴーストストーリはその次。
 

  
   東 雅夫 『遠野物語と怪談の時代』角川選書2010

  自分はなぜ怪異小説を読むのか?そんな疑問からこの手の本を読んでいる。
  この人のアンソロディ『三島由紀夫怪奇文学入門』は、私の期待に添わなかったが、本書は私の求めるものが一つあった。怪奇譚が、実話なのか、創作なのかという視点である。

1章に柳田国男の怪談の二分法が出ている。「話す人自身がこれは真個(ほんとう)の話だと思って話すのと、初めから嘘と知りつつ話すとの此の二通りある。」(同書22頁)
話に形容詞が多くつくと創作ぽくなる。 

柳田国男が『遠野物語』〔1910年〕を書いた前後、空前の怪談ブームであった。何度も百物語、怪談会が行われ、泉鏡花、岡本綺堂、田中貢太郎など作家たち出現などをマニアックに追及している。『遠野物語』の誕生に大きく力のあった、佐々木喜善や水野葉舟との交流も詳しい。柳田国男が「怪談」とか「お化話」という語を回避したのは、このころの怪談ブームとは一線を画したいためである。

終章は「遠野物語にはじまる怪談史」は三島由紀夫で終わっている。

出典、事実の調査が豊富で資料性があり、お化けの話も適当に引用しているので読んでいて楽しかった。なかなかの労作で日本推理作家協会賞を受賞したのも頷けた。

     2020・12・25

 

  
   『幻想小説とは何か
  三島由紀夫怪異小品集
』 三島由紀夫
                       東雅夫編 平凡社

   本の帯の「文豪ミシマによる幻想文学入門」という言葉に惹かれて読んだが、何ら明確なイメージを得ることが出来なかった。私の読み方が悪いのかもしれないが・・・
   前半Ⅰ、Ⅱは三島の小品集で、彼の様々な表現力を見ることができる。十代の終わりの作品「檜扇」は典雅な文体を用いた力作。後半Ⅲは澁澤龍彦との対話や書評、書簡。Ⅳは、怪奇幻想文学に関する三島の雑文で、中でも「小説とは何か」は、読者とは?作家とは?といったテーマから入り、その才気煥発の議論が聞けるのであるが、やがて、竜頭蛇尾に終わる。三島の犯罪や狂気についての考えを述べているので、三島ファンには面白いかもしれない。
   取り上げられている作家では、上田秋成、泉鏡花、稲垣足穂、国枝史郎、バタイユ、ジュリアン・グラック、内田百閒。小説でないが、柳田国男の『遠野物語』にも触れており、別項で「柳田国男「遠野物語」-名著再発見」という新聞記事も収録している。これは私の関心と接点があった。
  編者東雅夫は、怪談専門誌『幽』編集長で、奇談怪談の分野の専門家とのことであるが、その解説も釈然としなかった。
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  私は、ここしばらく清朝の怪異小説集ともいえる『聊斎志異を読んでいるのだが、その魅力の源泉は何だろうと考えるようになった。
  この本を手にした動機は、何か怪奇小説についての、ビジョンを得たいと思ったのである。
せめて、何か穿った解説でも聞けるかと思ったのだが・・・
私は三島由紀夫は食わず嫌いで、何も読んでいないが、この本で、彼の文章力、文士としての才能を感じた。『遠野物語』に言及があったのは嬉しかったが、もっぱら表現上の観点からであった。
  三島は「小説は、外部のファクトに依存しない、言語表現による最終完結性を持つもの。」(373頁の要約)としており、創作世界に関心あるようである。文士として当然かもしれないが、私が愛する『聊斎志異』は、『遠野物語』と同様、外部のファクトとして、口承で文章世界に持ち込まれたもので、作者の、発想、妄想、創作を基盤としたものではない。個人の創作でない、神話、伝説、昔話など口承文学に属するもの、蒲松齢や柳田国男の手で、潤色しているかも知れないが、彼らの創作によるものでない所が面白いのである。
この点、この本と私の関心とはがずれていた。

  私は、創作としての怪奇小説を嫌うものではない。イーディス・ウォートン著薗田美和子・山田晴子訳『幽霊The Woman in Black by Susan Hillなど楽しんだし、未読のゴースト・ストーリーも何冊も積読している。
  私の一つの関心は、色んなジャンヌのある中で、何故「怪異」小説が面白いのか?ということなのである。

  2020・9・22