03 // A true smile

ゴドウィン一派による謀反が発生した夜。
カイルは混乱の中、王子エルフィードの部屋へと向かっていた。
行く手を阻む、ゴドウィンの兵士達を斬り倒しながら、懸命に進む。

ゴドウィン卿の造反は、来たるべくして起こったものだ。
女王アルシュタートや騎士長フェリドも予測していたのだが、想像以上の敵の強さだった。
このままではもう太陽宮が落ちるのは時間の問題だろう。

一般の兵相手ならば、女王騎士であるカイルが倒すのに造作ない。
だが、それ以外にも明らかに違う手のものが混ざっていた。
傷を負わせても、苦悶の声一つ上げずに、立ち上がり攻撃を仕掛けてくる。
その正体が幽世の門と呼ばれる暗殺集団の者だということを、この時のカイルはまだ知る由もない。

気配もさせず突如現れた幽世の門の暗殺者と、カイルは対峙する。
刃を交えながらも、焦りは募るばかりだった。
恐らく、エルフィードの元にも同じような相手が現れているに違いない。

ガレオンやミアキスと共に王女リムスレーアの所へ参じれば、彼女をを守り、何とか隙を見つけて逃がすことも出来たかもしれない。
だが、カイルは迷うことなくエルフィードの元へと走った。
リムスレーアが傷付けられる心配はまずないと踏んだのだ。
ゴドウィン側にしてみれば、傀儡となるリムスレーアは何としても必要な人物だ。
しかし王子であるエルフィードは無用の長物。
命を奪われることは確実だろう。
それだけは断じて許すことは出来ない。

いつも屈託なく、明るい笑顔を見せるエルフィードの顔が胸に浮かんだ。
まるで太陽のように、周囲を暖かく照らす光のように。
そのエルフィードの笑顔がカイルはとても好きだった。

そんなエルフィードをこんなことで死なす訳にはいかない。
自分が命に代えてでも、ここから逃がしてみせる、絶対に。

―――王子、待っていて下さい!

心の中で呟きながら、カイルは目の前の敵を鋭い視線で睨みつける。
「悪いけど、あんまり相手をしてあげる時間はないんだよねー。
そこどいてもらうよ?」
軽い言葉とは裏腹に、繰り出された一閃は鋭かった。
とうとう暗殺者はその場に倒れ、もう動くことはなかった。

息つく間もなく、カイルは再び駆け出したのだった―――。





「王子!」
途中で出くわしたゼガイと共に、ようやく求める人物の姿をカイルが認めた時、エルフィード達は敵によって追い詰められているところだった。
急いでカイルはその間に立ち塞がる。
対峙したただけで感じる―――その目の前の二人の敵の計り知れぬ強さ。
ゼガイの手を借りても、エルフィード達を守りながらこの二人と戦うのは困難だろう。
咄嗟にそう判断したカイルは、魔法を発動せる。
それを目くらましにし、その隙にエルフィード達を一度別室へと逃す。

「王子、お怪我はありませんか?」
見た感じでは、目立った外傷はなさそうだ。
エルフィードも弱々しく首を振るのを見て、カイルはほっと胸を撫で下ろす。
しかし安心している場合ではない。
一刻も早く逃がさねばならない。

エルフィードの顔は白く、色を失っていた。
そうして綺麗な蒼い瞳は不安げに揺れている。
無理もないことだろう。
「お辛いでしょうけど、王子……今は逃げて下さい」
カイルの言葉に、リオンも同調した。
それでも力なく、エルフィードは頭を振る。
彼が何をもってそれを拒絶しているか、カイルには分かった。
家族のことが心配なのだろう。

だが酷なようだが、今の時点でエルフィードが出来ることは何もないのだ。
自らの命を永らえさせること―――それしか為すべきことはい。
「王子、お願いですから逃げて下さい」
カイルはエルフィードの肩に手を置く。
そのカイルの眼差しの中に、何を見て取ったのか、エルフィードはようやく頷いた。
「カイルは……?」
エルフィードに尋ねられたカイルは、いつもの余裕たっぷりの笑みを見せる。
「俺は敵を食い止めます。
何が何でも逃がすのが、俺達女王騎士の役目ですからー」

そこで一端言葉を切り、再度じっとエルフィードの瞳を見つめる。
「だから、絶対に生き延びて下さい。
約束ですよー」
今度こそエルフィードは力強く頷いた。
「カイルも絶対に死なないって約束してくれ」
「もちろんですよー」
カイルもまたそれを誓う。
エルフィードに会う前は、彼を逃がすことが出来れば、命は惜しくないと思っていた。
けれど、今の彼の姿を目の当たりにして、別の感情が頭を擡げてきた。
エルフィードの笑顔を再び見るまでは、絶対に死ねないと―――。





その後再び、カイルがエルフィードと再会したのは、レインウォールのバロウズ卿の邸であった。
あの反乱の後、しばらくカイルはソルファレナに隠密裏に留まった。
リムスレーアや太陽の紋章を何とか奪還できないものかと試みたのだ。
しかし当然ながらその警備は厚く、カイルは断念せざるを得なかった。

そのことをエルフィードに詫びると、彼は首を左右に振った。
「無事で良かった。
来てくれてありがとう―――カイル」
言って、笑顔を見せる。
それはとても柔らかな笑みだった。

ようやくエルフィードの笑顔を見れたというのに、カイルはどこか釈然としない。
微かな違和感を覚える。
しかしそれが何であるのか、カイルには分からなかった。

久々に会ったエルフィードは一回り大きくなった気がした。
リムスレーアを救い出すため、仲間を募り、軍を形成しているらしい。
バロウズ卿の思惑に乗せられている節があるが、それは現時点では致し方ないことだろう。
ゴドウィンに対抗する為には、バロウズを頼るしかないのだ。

バロウズ卿がエルフィードをお飾りだと考えていても、彼自身は自らの力で仲間を集めているようだ。
一軍を率いるようになったエルフィードは、ほんの少しの間に心身ともに成長したのだろう。
周囲からの羨望を集めるエルフィードの姿が、カイルには眩しく映った。
本当に良く頑張っていると思う。
きっと彼の亡き両親も喜んでいることだろう。

にも関わらず―――カイルは胸に巣食う違和感を消せずにいた。

だが時を重ね、エルフィードが黎明の紋章を宿し、本拠地を得た時、カイルはようやくその正体に気付いた。
どんな辛い時も、厳しい戦いの後も、エルフィードは周囲への笑顔を絶やさなかった。
自分が取り乱したり、動揺すれば、それが味方の士気の低下に繋がると知っているのだろう。
正にエルフィードは立派なリーダーとして成長している。
カイルが感じた違和感―――それはエルフィードのそんな笑顔だった。





夜更けに本拠地内を見回っていたカイルは、桟橋付近で夜空を見上げるエルフィードの姿を見つけた。
「王子、まだ起きておられたんですか?
ようやくこうして本拠地も手に入ったんだし、早く休んで下さいねー。
色々動き回られてお疲れでしょう?」
リオンの姿はそこにはなかった。
おそらく一度自室に戻った後、こっそりと抜け出して来たのだろう。

カイルに声を掛けられたエルフィードは、空に向けていた視線をカイルへと移す。
そうしていつものように静かに微笑んだ。
「ありがとう、カイル。
カイルの方こそ疲れているだろう?
僕のことは気にしなくても大丈夫だから、休んでくれて良いよ」

しかしカイルはそれに従うことはなかった。
いつもと異なり真剣味を帯びた表情で、エルフィードの傍に寄る。
「王子は……笑わなくなりましたね」
唐突に切り出された言葉の意味が分からず、エルフィードは首を傾げる。
今だって自分は確かに笑った筈なのにと。

それを読み取ったかのように、カイルは続ける。
「昔、太陽宮で見せてくれた弾けるような、明るい笑顔を決して見せてはくれなくなりましたよね。
今の王子の笑顔は、作り物のようです。
悲しみや苦しみを押し殺した上に、無理矢理付けた仮面みたいで……とても痛々しい」
エルフィードは思わず瞠目した。
自分では上手く笑えているつもりだったから。

だがすぐにエルフィードは再度笑顔を見せる。
「そんなことはないよ……カイルの考えすぎたと思う。
僕は別に―――」
「いいえ、違います」
遮るカイルの口調は、静かだが鋭かった。
「俺はね、王子、貴方のあの笑顔が大好きだった。
そう―――まるで太陽のような。
今の王子の笑顔は穏やかで、優しいけれど―――俺にはとても寂しく感じるんです」

エルフィードは最早返すべき言葉を持たず、ただカイルを見つめることしか出来なかった。
カイルには全てを見通されている。
彼の瞳がそれを物語っている。
けれど今はそれが自分の精一杯なのだ。

「誤解しないで下さいねー。
例え無理して作った笑顔だったとしても、確かにリーダーとしてそれは必要だと思います。
そのことを責めるつもりなんて、全然ないですから。
王子は立派に上としての責任を果たしていらっしゃいますよ。
今の状況ではとても昔のように笑えるような気持ちじゃないことも分かってます。
ただ……」
そこでカイルは険しかった表情をふと和らげる。

「俺の前でまで無理しないで欲しいなーって。
俺はどんな王子だって受け止めます。
本心を偽られる方が辛いんですよー」
「カイル……」
カイルはニコリと微笑んで、ふいに周囲を見渡す。
幸いにも誰もいない。
皆、ここに移って来たばかりで疲れているのだろう。

カイルはエルフィードに向けて、大きく腕を広げる。
エルフィードはカイルの意図が分からず、怪訝そうな表情だ。
「今までよく頑張りましたね、王子。
ご両親のこと……残してきた姫様のこと……お辛かったでしょう。
辛いときや悲しいときは、思いっきり泣くのが良いんです」

怒涛のように流れる日々の中、悲しんでいる暇などなかった。
自分のことを省みることも出来なかった。
ただ集まってくれた仲間に失望されぬようにと、必死だったのだ。

けれどカイルの言葉に、エルフィードの中の張り詰めていた糸がぷつんと切れてしまう。
自然と涙が溢れてきて、零れ落ちる。
そうして、カイルが広げてくれた彼の腕の中へ駆け込むと、彼の胸に顔を埋め、エルフィードはただ泣いた。
そんなエルフィードをしっかりと抱き締めて、カイルは優しく包み込むのだ。

「王子が本当の笑顔を取り戻せるように、俺も頑張っちゃいますよー。
早く姫様を助けてあげましょうね。
そして太陽宮に帰りましょう」

きっと明日からはまた過酷な戦いがまっているだろうから―――今だけはそんなことは忘れて欲しい……そう願って。



2006.06.08 up