02 // A far-off promise
※女王騎士長ED後。
カイルはほとんど出てきません;
長く続いた戦乱はようやく幕を閉じた。
太陽の紋章はあるべき場所に戻り、ファレナ内乱の切欠ともなった元老も解散した。
とはいうものの、当初は争いの爪痕は国内各所に色濃く残っていた。
新女王として正式に即位したリムスレーアを中心にして、まずは国内の建て直しが図られた。
そのまだ幼い女王の傍らで、それを支えたのが女王騎士長代理となったリムスレーアの兄、エルフィードだった。
エルフィードの元に集ったセイリュウ軍の多くの者も、その助けとなった。
それらの甲斐あってか、復興は目まぐるしい勢いで進んだのだった―――。
公務を終えたリムスレーアは騎士長室に向かった。
扉を叩くが、中から返事はない。
―――兄上は居らんのだろうか?
この時間にはいつもここにいる筈なのだがと、不審に思いながらリムスレーアは扉を開けた。
求めるべき人物は確かにそこにいた。
けれどリムスレーアのノックの音に気付いた様子はなく、エルフィードは窓辺に立ち、外を眺めていた。
その眼差しは酷く寂しげだった。
心此処にあらずといった様子で、何処か遠くを見つめている。
リムスレーアはその兄の姿に、近付くことが憚られ、足を止めた。
すぐ近くに大好きな兄はいるのに、その存在が何故か遠く感じられたのだ。
「あ……兄上……」
躊躇いがちに声を掛ければ、はっとしたようにエルフィードが振り返った。
「リム……」
「なんじゃ、そのようにぼぉーっとしおって!
女王騎士長ともあろう者がそのような様では困ったものじゃ!」
心に感じた戸惑いを知られたくなくて、リムスレーアは声を荒げた。
叱責されたエルフィードは苦笑を浮かべる。
「ごめんね、リム。
こんなんじゃ、騎士長失格だね」
「本当じゃ!」
リムスレーアは眦を吊り上げて、怒りを露にする。
けれど、内心は違った。
エルフィードの様子が最近おかしいことにリムスレーアは気付いていた。
寂しげな顔で物思いに耽っていることが多くなったことに。
何かを求めるように遠くに想いを馳せていることに。
その正体をリムスレーアは知っている気がした。
だが気付かぬ振りを続けていた。
いつまでも自分が兄の一番でありたかった―――ずっと傍に居てほしかったから。
「どうしたの?リム。
何か僕に用かい?」
リムスレーアの怒りがようやく落ち着いてきたのを見計らって、エルフィードが尋ねる。
「今日は公務が早く片付いた故、偶には兄上を息抜きに誘ってやろうと参ったのじゃ。
散歩にでもと思ってな」
それに対し、リムスレーアはまだ不機嫌そうなまま答える。
エルフィードは妹の居高な態度に怒るでもなく、にこやかに頷いた。
「ありがとう、リムは優しいね。
じゃぁ行こうか」
ぱっと笑顔が弾けそうになるのを、リムスレーアは堪えた。
女王たる威厳をいつも備えていなければならないと。
騎士長室を出ると続きとなっている騎士詰め所には、ミアキスがいた。
リムスレーアの護衛たる彼女がそこにいることは当然だ。
出てきた二人を見て、駆け寄ってくる。
「あらあら、またもや姫様の我儘に付き合わされちゃったんですねぇ、王子」
からかうように笑うミアキスに、またもやリムスレーアの怒りが爆発する。
「もうわらわは姫ではないわ!
陛下と呼ばぬか、ミアキス!
それに我儘とはなんじゃ!?
兄上の息抜きに付き合ってやろうというわらわの心遣いが分からんのか!」
どれだけ怒鳴られようとも、ミアキスもエルフィード同様に慣れたものだ。
はいはい、申し訳ありませんと謝りながらも、表情は笑顔のままだ。
リムスレーアの扱いにかけては、エルフィードよりもミアキスの方が上かもしれない。
何を言われようとも、彼女がへこたれている様子は見たことがない。
そうして三人は連れ立って、城の外へ出た―――。
前庭を歩きながら、三人は城下に目を向ける。
夕暮れが迫り、人々が通りを忙しなく行き来している。
戦乱の間は俯いて暗澹たる面持ちだった民達の表情も、明るく輝いている。
「もうすっかり元通りですねぇ」
目を細めながら、ミアキスが感慨深げに呟く。
そうじゃなと頷きかけて、リムスレーアは寸ででその言葉を飲み込んだ。
隣にちらりと視線を向ければ、静かに街を見渡す兄がいる。
やはりその瞳は寂しそうで、物憂げだ。
リムスレーアは無意識のうちにぎゅっとエルフィードの衣を掴む。
「何を言うか、ミアキス。
まだまだ元通りとはいかんわ。
皆にはこれからも力を合わせて貰わねば……のう兄上?」
「そうだね」
エルフィードはリムスレーアの言葉を否定することはなく、彼女に優しい笑みを見せる。
この兄の笑顔がリムスレーアは大好きだった。
暖かく自分を包み込んでくれるような。
ずっとずっと傍にいて欲しい。
けれど―――もう……。
浮かんできたその想いを、リムスレーアはとうとう振り払えなくなっていた。
それから数ヵ月が過ぎた頃、エルフィードはリムスレーアに呼ばれた。
謁見の間の先にある女王の部屋に。
エルフィードを迎えたリムスレーアは酷く真剣な面持ちであった。
唇を噛み締めて、まるで何かに耐えるかのように。
そんな妹の表情をエルフィードはあまり見たことがなかった。
「どうかしたの?リム。
何か大変なことでも起こった?」
心配そうに問うエルフィードに、リムスレーアは首を左右に振る。
黙り込んだまま、彼女は何も話そうとはしない。
リムスレーアが迷っている様子を感じ取ったエルフィードは、ただ静かに彼女が口を開くのを待った。
決心してエルフィードを呼んだのに、リムスレーアはなかなか話し出せずにいた。
目の前に立つ、エルフィードをじっと見つめながら、懸命に言うか言わざるかその葛藤と戦っていた。
長き逡巡の果てに、とうとうリムスレーアは口を開いた。
痛みに耐えるように両手の拳をぎゅっと握り締めた。
「兄上の騎士長代理の任を今日をもって解く」
その言葉に、エルフィードの瞳が驚きに見開かれる。
「もう兄上の手助けは必要ない。
正直いっていつまでも傍に居られるのは、鬱陶しいのじゃ。
わらわは一人でも充分にやっていける。
だから兄上にはここを出てもらいたい―――」
畳み掛けるようにリムスレーアは言う。
エルフィードの表情から徐々に驚愕が消え去っていく。
そうしていつものように穏やかな笑みを見せる。
けれどそこには寂しさが滲んでいた。
「そう……分かった。
ごめんね、リム―――あまり僕は役に立たなかったけど、リムならきっと立派な女王として皆を導いていけるよ。
リムには迷惑かもしれないけれど、リムは僕にとっていつまでも自慢の妹だよ」
リムスレーアはそんな兄の顔を直視できずに、俯いた。
耐え切れずに、涙が溢れて零れ落ちる。
「どうして……どうしていつも兄上はそうなのじゃ!
散々兄上に頼って、挙句に出て行けというような酷い妹のことなど、怒れば良いのじゃ!
そんな風に兄上が優しいから……わらわは……」
「リム……」
エルフィードは膝を付き屈み込み、宥めるようにリムスレーアの頭を撫でる。
その仕草にリムスレーアはとうとうエルフィードに抱きついた。
「本当はずっと傍にいて欲しい。
けれど、兄上がずっと物思いに耽っていることに気付いていた。
兄上が遠くにいる誰かを想い続けていることに……。
兄上にそんな悲しい顔をさせたくはないのじゃ!
今までずっと兄上は充分にわらわの力になってくれた―――これから先は兄上の思うがままの人生を生きて欲しいのじゃ」
わーんととうとう声を上げて、リムスレーアは泣き出した。
ぎゅっとエルフィードにしがみ付いたままで。
本当は毅然として、兄を送り出す心積もりでいたのに、それは叶わなかった。
エルフィードもまたそんな妹を強く抱き締める。
「リム、本当にありがとう……そして、ごめん。
遠く離れていても、僕はリムのことをずっと見守っているよ」
それは別れの言葉。
慣れ親しんだ人達と離れてしまうのは辛い。
何よりもこの愛しい妹との別離は……。
けれど、どうしても彼の人に会いたい気持ちは抑えられないところまで膨らんでいた。
―――俺はいつまでも待ってますから。
貴方がすべきと思うことを為し終えるその時まで……。
女王騎士長代理となることを決断した時、彼が向けてくれた約束の言葉がエルフィードの耳に鮮明に甦った。
大きな大樹の下。
抜けるような蒼い空を眺めていた長身の男は、ふいに視線を正面へと向ける。
こちらにゆっくりと向かってくる人物に、男はにっこりと微笑みかけた。
すると相手の歩調が早まり、次第にそれは駆け足になる。
男が広げた腕の中に、飛び込む。
「おかえりなさい、王子」
「ただいま、カイル」
約束は今、果たされた―――。
太陽の紋章はあるべき場所に戻り、ファレナ内乱の切欠ともなった元老も解散した。
とはいうものの、当初は争いの爪痕は国内各所に色濃く残っていた。
新女王として正式に即位したリムスレーアを中心にして、まずは国内の建て直しが図られた。
そのまだ幼い女王の傍らで、それを支えたのが女王騎士長代理となったリムスレーアの兄、エルフィードだった。
エルフィードの元に集ったセイリュウ軍の多くの者も、その助けとなった。
それらの甲斐あってか、復興は目まぐるしい勢いで進んだのだった―――。
公務を終えたリムスレーアは騎士長室に向かった。
扉を叩くが、中から返事はない。
―――兄上は居らんのだろうか?
この時間にはいつもここにいる筈なのだがと、不審に思いながらリムスレーアは扉を開けた。
求めるべき人物は確かにそこにいた。
けれどリムスレーアのノックの音に気付いた様子はなく、エルフィードは窓辺に立ち、外を眺めていた。
その眼差しは酷く寂しげだった。
心此処にあらずといった様子で、何処か遠くを見つめている。
リムスレーアはその兄の姿に、近付くことが憚られ、足を止めた。
すぐ近くに大好きな兄はいるのに、その存在が何故か遠く感じられたのだ。
「あ……兄上……」
躊躇いがちに声を掛ければ、はっとしたようにエルフィードが振り返った。
「リム……」
「なんじゃ、そのようにぼぉーっとしおって!
女王騎士長ともあろう者がそのような様では困ったものじゃ!」
心に感じた戸惑いを知られたくなくて、リムスレーアは声を荒げた。
叱責されたエルフィードは苦笑を浮かべる。
「ごめんね、リム。
こんなんじゃ、騎士長失格だね」
「本当じゃ!」
リムスレーアは眦を吊り上げて、怒りを露にする。
けれど、内心は違った。
エルフィードの様子が最近おかしいことにリムスレーアは気付いていた。
寂しげな顔で物思いに耽っていることが多くなったことに。
何かを求めるように遠くに想いを馳せていることに。
その正体をリムスレーアは知っている気がした。
だが気付かぬ振りを続けていた。
いつまでも自分が兄の一番でありたかった―――ずっと傍に居てほしかったから。
「どうしたの?リム。
何か僕に用かい?」
リムスレーアの怒りがようやく落ち着いてきたのを見計らって、エルフィードが尋ねる。
「今日は公務が早く片付いた故、偶には兄上を息抜きに誘ってやろうと参ったのじゃ。
散歩にでもと思ってな」
それに対し、リムスレーアはまだ不機嫌そうなまま答える。
エルフィードは妹の居高な態度に怒るでもなく、にこやかに頷いた。
「ありがとう、リムは優しいね。
じゃぁ行こうか」
ぱっと笑顔が弾けそうになるのを、リムスレーアは堪えた。
女王たる威厳をいつも備えていなければならないと。
騎士長室を出ると続きとなっている騎士詰め所には、ミアキスがいた。
リムスレーアの護衛たる彼女がそこにいることは当然だ。
出てきた二人を見て、駆け寄ってくる。
「あらあら、またもや姫様の我儘に付き合わされちゃったんですねぇ、王子」
からかうように笑うミアキスに、またもやリムスレーアの怒りが爆発する。
「もうわらわは姫ではないわ!
陛下と呼ばぬか、ミアキス!
それに我儘とはなんじゃ!?
兄上の息抜きに付き合ってやろうというわらわの心遣いが分からんのか!」
どれだけ怒鳴られようとも、ミアキスもエルフィード同様に慣れたものだ。
はいはい、申し訳ありませんと謝りながらも、表情は笑顔のままだ。
リムスレーアの扱いにかけては、エルフィードよりもミアキスの方が上かもしれない。
何を言われようとも、彼女がへこたれている様子は見たことがない。
そうして三人は連れ立って、城の外へ出た―――。
前庭を歩きながら、三人は城下に目を向ける。
夕暮れが迫り、人々が通りを忙しなく行き来している。
戦乱の間は俯いて暗澹たる面持ちだった民達の表情も、明るく輝いている。
「もうすっかり元通りですねぇ」
目を細めながら、ミアキスが感慨深げに呟く。
そうじゃなと頷きかけて、リムスレーアは寸ででその言葉を飲み込んだ。
隣にちらりと視線を向ければ、静かに街を見渡す兄がいる。
やはりその瞳は寂しそうで、物憂げだ。
リムスレーアは無意識のうちにぎゅっとエルフィードの衣を掴む。
「何を言うか、ミアキス。
まだまだ元通りとはいかんわ。
皆にはこれからも力を合わせて貰わねば……のう兄上?」
「そうだね」
エルフィードはリムスレーアの言葉を否定することはなく、彼女に優しい笑みを見せる。
この兄の笑顔がリムスレーアは大好きだった。
暖かく自分を包み込んでくれるような。
ずっとずっと傍にいて欲しい。
けれど―――もう……。
浮かんできたその想いを、リムスレーアはとうとう振り払えなくなっていた。
それから数ヵ月が過ぎた頃、エルフィードはリムスレーアに呼ばれた。
謁見の間の先にある女王の部屋に。
エルフィードを迎えたリムスレーアは酷く真剣な面持ちであった。
唇を噛み締めて、まるで何かに耐えるかのように。
そんな妹の表情をエルフィードはあまり見たことがなかった。
「どうかしたの?リム。
何か大変なことでも起こった?」
心配そうに問うエルフィードに、リムスレーアは首を左右に振る。
黙り込んだまま、彼女は何も話そうとはしない。
リムスレーアが迷っている様子を感じ取ったエルフィードは、ただ静かに彼女が口を開くのを待った。
決心してエルフィードを呼んだのに、リムスレーアはなかなか話し出せずにいた。
目の前に立つ、エルフィードをじっと見つめながら、懸命に言うか言わざるかその葛藤と戦っていた。
長き逡巡の果てに、とうとうリムスレーアは口を開いた。
痛みに耐えるように両手の拳をぎゅっと握り締めた。
「兄上の騎士長代理の任を今日をもって解く」
その言葉に、エルフィードの瞳が驚きに見開かれる。
「もう兄上の手助けは必要ない。
正直いっていつまでも傍に居られるのは、鬱陶しいのじゃ。
わらわは一人でも充分にやっていける。
だから兄上にはここを出てもらいたい―――」
畳み掛けるようにリムスレーアは言う。
エルフィードの表情から徐々に驚愕が消え去っていく。
そうしていつものように穏やかな笑みを見せる。
けれどそこには寂しさが滲んでいた。
「そう……分かった。
ごめんね、リム―――あまり僕は役に立たなかったけど、リムならきっと立派な女王として皆を導いていけるよ。
リムには迷惑かもしれないけれど、リムは僕にとっていつまでも自慢の妹だよ」
リムスレーアはそんな兄の顔を直視できずに、俯いた。
耐え切れずに、涙が溢れて零れ落ちる。
「どうして……どうしていつも兄上はそうなのじゃ!
散々兄上に頼って、挙句に出て行けというような酷い妹のことなど、怒れば良いのじゃ!
そんな風に兄上が優しいから……わらわは……」
「リム……」
エルフィードは膝を付き屈み込み、宥めるようにリムスレーアの頭を撫でる。
その仕草にリムスレーアはとうとうエルフィードに抱きついた。
「本当はずっと傍にいて欲しい。
けれど、兄上がずっと物思いに耽っていることに気付いていた。
兄上が遠くにいる誰かを想い続けていることに……。
兄上にそんな悲しい顔をさせたくはないのじゃ!
今までずっと兄上は充分にわらわの力になってくれた―――これから先は兄上の思うがままの人生を生きて欲しいのじゃ」
わーんととうとう声を上げて、リムスレーアは泣き出した。
ぎゅっとエルフィードにしがみ付いたままで。
本当は毅然として、兄を送り出す心積もりでいたのに、それは叶わなかった。
エルフィードもまたそんな妹を強く抱き締める。
「リム、本当にありがとう……そして、ごめん。
遠く離れていても、僕はリムのことをずっと見守っているよ」
それは別れの言葉。
慣れ親しんだ人達と離れてしまうのは辛い。
何よりもこの愛しい妹との別離は……。
けれど、どうしても彼の人に会いたい気持ちは抑えられないところまで膨らんでいた。
―――俺はいつまでも待ってますから。
貴方がすべきと思うことを為し終えるその時まで……。
女王騎士長代理となることを決断した時、彼が向けてくれた約束の言葉がエルフィードの耳に鮮明に甦った。
大きな大樹の下。
抜けるような蒼い空を眺めていた長身の男は、ふいに視線を正面へと向ける。
こちらにゆっくりと向かってくる人物に、男はにっこりと微笑みかけた。
すると相手の歩調が早まり、次第にそれは駆け足になる。
男が広げた腕の中に、飛び込む。
「おかえりなさい、王子」
「ただいま、カイル」
約束は今、果たされた―――。
2006.06.04 up