04 // secret love

サイアリーズの裏切り。
それを誰が予測していただろうか。
あれ程国の未来を憂い、残された姉の子供達を案じていたというのに。
加えてリオンの負傷と、ガレオンから齎された謀反の夜の真実。

それでも軍主である王子エルフィードは取り乱したりはしなかった。
傷付いていない筈はないのに、それを億尾にも出さない。
リオンを救う為に奔走し、再び反撃の狼煙を上げる為の準備を整える。

それらがひと段落した時、カイルはエルフィードから自室に来るように命じられた。
ここ最近、ずっとエルフィードから観察するような眼差しを向けられていることにカイルは気付いていた。
その心当たりがない訳ではなかったが、エルフィードがそれに勘付いているとは思えない。
とするならば、エルフィードの視線の意味は何であるのか。
カイルには分からなかった。
しかし呼び出されたということは、恐らくそれに関することなのだろう。

本拠地の二階にあるエルフィードの自室の前に立つと、カイルは扉を叩いた。
「王子、カイルです」
告げると、「どうぞ、入って」と中からエルフィードの声が届く。
カイルがそれに従い部屋の中へと入る。
夕日が射し込む窓際のベッドに腰掛けていたエルフィードが立ち上がり、カイルの方へと歩み寄る。
その表情からは何も読み取れない―――。

「どうかされましたかー?王子」
いつもの口調で尋ねるカイルに、エルフィードは微かに笑みを浮かべた。
その笑みが寂しさを湛えていると感じたのは、カイルの気のせいだろうか。
「用があるのは、カイルの方じゃないのかい?」
「えっ?」
カイルには意味が分からなかった。
自分を呼び出しのは、確かにエルフィードの方であるのにと。
「僕に言いたいことがあるんじゃない?
そう思ったから、カイルを此処へ呼んだんだ」
カイルの心の内を読み取ったかのように、エルフィードが口を開く。

「仰ってる意味が良く分かりませんが……。
俺は別に王子に言いたいことなんて……」
「叔母上のことだよ」
エルフィードはそうカイルの言葉を遮る。
静かだが、強い確信を秘めたかのような声。
澄んだ蒼い瞳は、じっとカイルの目を真正面から見つめている。

思わずどきりとカイルの鼓動が強く打った。
「な……んのことですかー?」
失敗したとカイルは内心臍を噛む。
平静を装うつもりが、僅かに声が掠れてしまった。
「隠さなくても構わない。
カイルが叔母上のことを特別に想っていることくらい気付いていたよ」
エルフィードは感情の動きは見せず、ただ淡々と語る。

対するカイルは表には出さないものの、驚いていた。
まさか勘付かれるようなことはないと高を括っていたのだ。
色恋とは無縁であろうこの若い王子にそれを知られていたとは……。

「仮に俺が王子の仰る通りサイアリーズ様に特別な好意を持っていたからといって……一体何を王子に告げることが?」
カイルは惚けつつも、未だにエルフィードの真意を計れずにいた。
本気で彼が何を言いたいのか分からなかったのだ。

「行っても構わないよ」
エルフィードの言葉に、とうとうカイルは目を見開き、驚きを露にした。
ようやく彼の言わんとしていることが、理解できた気がしたから。
それを裏付けるようにエルフィードは続けた。
「カイルは伯母上の傍に行きたいのだろう?
叔母上がここに居たから、君は僕の力となってくれた―――違う?」
エルフィードの問い掛けに、カイルは答えるどころか微動だにしない。
見つめるエルフィードの目を、凝視しているだけだ。

「叔母上がいなくなって以来、カイルのことを見ていたけど、ずっと物思いに沈んでいる風だった。
叔母上のことを考えていたんだろう?
カイルには僕が小さな頃からずっと助けて貰った。
もう充分だよ―――これ以上無理して僕の傍に居る必要はないから……」
「―――貴方は何も分かっちゃいない」
ようくやく発せられた声は、カイル自身も驚く程冷たく低いものだった。

やはりエルフィードは気付いていない。
サイアリーズに好意を持っていたことは事実だ。
けれどそれより深い、隠され秘された本当の気持ちには―――。

カイルは目の前のエルフィードの腕を乱暴に掴むと、己の方へぐっと彼の身体を引き寄せた。
「……っ」
ぎりりと締め付けられる腕の痛みにエルフィードが、苦悶の表情を浮かべる。
だが、それを気に留める様子もなく、カイルは間近に迫ったエルフィードの唇に突如己のそれを重ね合わせた。
エルフィードの瞳が驚きに大きく開かれる。

一瞬だったのか。
それとも長かったのか。

カイルは自身でそれが理解できないままに、エルフィードを解放する。
キスなんて、今まで幾度もしてきた……カイルにとっては挨拶と同等のようなものだ。
なのに、エルフィードの唇に触れた瞬間、頭の中が真っ白になった。
鼓動も強く打っている。

「カ……イル…」
羞恥の為か、それとも怒りのせいか―――頬を上気させたエルフィードがカイルを睨みつけた。
だがその瞳に浮かんでいたのは困惑だ。
「王子、これが俺の本当の気持ちですよ」
そんなエルフィードを前に、カイルは静かに呟く。

本心など決して言うつもりなどなかったのに。
エルフィードに対してそれは抱いてはならない感情だったから。
ずっと隠し続けるつもりだった。

けれどサイアリーズの元に行っても構わないとエルフィードに告げられた時、カイルの中で何かかが事切れた。
カイルにとってエルフィードの言葉は、例え自分を思い遣ってくれた結果だとしても、自分が必要ないと言われているに等しかった。
それが悲しくて、悔しくて……感情が制御出来ず、カイルは思わずあのような暴挙に出てしまったのだ。

「サイアリーズ様が裏切ったと聞いとき、俺が彼女に対して一番最初に感じたのは怒りです。
何故王子を傷付けるような真似をしたのかと。
赦せないと……そう思いました」
まずサイアリーズではなく、エルフィードの顔が胸に浮かんだ。
一刻も早く、心に深く傷を負ったであろう彼の元に駆けつけて抱き締めてやりたいと思った。
思えばそれが、本当の気持ちにカイルが気付いた切欠だった。
カイル自身もまだそれを知ったばかりだったのだ。

エルフィードはただただ戸惑いに揺れているようだった。
無理もない。
突然、同性であり女王騎士であるカイルからそんな告白をされて、困惑しない訳がない。

「王子に口付けたこと、俺は謝りません。
不敬罪で処罰して頂いても、一向に構いはしません。
もし……死罪以外の刑を賜るならば、俺はここを出て行こうと思います。
この気持ちを知られた以上、王子の傍に居てはご迷惑になるでしょうから」
カイルはしばらくそのままエルフィードの言葉を待った。
しかし時が止まってしまったかのように、彼は動かない。

カイルは小さく溜息を吐くと、身を翻した。
「俺の処遇……決まったら教えて下さい」
そう言い残して、カイルは部屋を出ようと扉に手を掛けた。

「!?」
しかしそれは遮られることとなった。
背中に感じた温もりと、腰に回されたエルフィードの腕によって。
彼が後ろからカイルに抱き付いてきたのだ。

「カイルは……ずるいね。
自分の言いたいことだけさっさと言って、勝手に納得するだなんて。
カイルだって、僕の気持ちなんて何にも分かっていないよ。
叔母上の元へ行っても良いのだと―――僕がそれを口にするまでにどれだけ悩んだかカイルは知らない。
本当はずっとずっと傍にいて欲しいのに、それを無理矢理押し殺した。
僕が冷静でいるようにカイルは見えたかもしれないけど、そうやって仮面でも被らないととても言えそうになかったから」
カイルは信じられない思いで、エルフィードの言葉を聞いていた。

ぎゅっと力を込めて、エルフィードはそんなカイルに抱きついている。
決してカイルを逃がすまいというかのように。
「カイルが僕に寄せてくれている気持ちと、僕の気持ちが同じものかどうかは正直まだ……分からない。
でもカイルの言葉はとても嬉しかった。
それでもいいのなら、傍にいて欲しいんだ、カイル」

カイルの顔にようやくいつもの笑みが戻る。
回されたエルフィードの腕に己の手を置き、宥めるように優しく撫でる。

「俺の剣は―――ただ貴方にだけに捧げることを誓います」



2006.06.16 up