ご存知『名探偵コナン』のパロディでございます。 |
ほんの一時間だけの |
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辻 桐葉 |
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平次の手が、そっと新一の額にふれた。 「大丈夫か、工藤?」 関西弁のいつもの明るいのりは影をひそめ、心配そうな声で彼が尋ねる。新一は小さくうなづいた。 「ああ、だいぶ落ちついたよ」 「まだ熱、けっこう高いで。おかんに言って、水枕でも用意させたろか?」 「いいよ。じきに治まる。それに……変に騒ぎになったらまずいし」 「そやな。医者呼ぶわけにいかへんもんな」 平次はふっとため息をつき、うなだれた。 事は、新一が平次の熱烈なラブコールで大阪に遊びにきた事から始まった。 昼間は蘭たちと一緒にあちこち観光に引き回されたが、夜皆が寝ついてから、隠れて酒でも飲もうと誘われ、平次の部屋で酒盛りを始めたまでは良かった。 問題は、その時勧められて口にした酒で、またもや子供だったコナンの体が、新一に戻ってしまったことだった。 それは前回平次に飲まされた酒で一時的に変化した時と全く同じ症状であり、だから今回も変化は恒久的なものではなく、ほんのひとときだけにすぎないのだろう。お互いそれがわかっていたから、元に戻れたと喜び合えるような気持ちには全然なれなかった。 新一は平次のベッドに横たわって荒い息をつきながら、怒ったように文句を呟いた。 「……まったく、おまえが変な酒勧めるから悪いんだぞ。よりにもよって、ハブ酒なんてよ」 平次はちょっと口をとがらせ、応戦した。 「飲む方も飲む方やろが。それにおまえ、あれから酒飲んでもいっこうに変わらへんて言うてたやないか」 「ああ、あれ一度きりだったよ。何飲んでも。おまえの勧める酒を除いてはな。まったく、おまえ、変な薬でも混ぜてるんじゃないだろうな」 「アホぬかせ。なんでそないなことせなならんのや。俺は別におまえに恨みなんかあらへんで」 平次は憤然と言い返して、キッと新一をにらんだ。しばしの間不穏な沈黙が漂ったが、すぐに平次が折れ、申し訳なさそうに頭を垂れた。 「……すまん」 その情けない顔に、新一は苦笑した。 「いいよ。俺も八つ当たりだ。おまえのせいじゃないよ」 平次はベッドに横たわる新一にぴったりと身を寄せて、心配そうに見つめた。 「まだ苦しいんか?」 「そうでもないよ。でも、あとでもう一回くるんだよな、波がさ」 「どのくらいもつんや?」 「一時間……ってとこかな。前はそうだったから、今回もそんなもんだろ」 新一がクールな口調で答えると、平次はしばらく口をつぐんでいたが、やがて小さく笑った。 「まさか、新一のおまえに会えるとは思ってもおらんかったわ」 新一は閉じていた瞳をあけ、ちらりと平次を見、皮肉っぽく笑って返した。 「俺だって思ってなかったよ」 「ほんの一時間の逢瀬やで。七夕はんより寂しいやないか。かなわんなぁ、ほんま」 「服部……」 新一が目を向けると、彼はじっと熱い眼差しで見つめていた。 やがて、そっとのしかかってくると、横たわる新一の肩を優しく抱きしめ、耳もとにささやいた。 「あかんな。コナンの時には辛抱できても、おまえ相手だとたまらんわ。どうしょうもない」 「服部」 「キスぐらいさせや。頼むから」 答える代わりに新一は片腕をあげ、平次の首に絡ませた。唇に微かに笑みを浮かべ、彼の訪れを迎え入れる。 平次の唇がそっと触れてきた。 最初は、羽が触れるような柔らかなキスだった。そして一旦引いてもう一度重ねてきたそれは、一度目とは違って熱く情熱的な口づけだった。 舌が唇を割って入り込んでくる。すべてを奪い尽くそうとするように、激しく口の中をうごめく。新一は彼の熱い舌に己の舌を絡ませて受け入れた。 ごつごつとした男っぽい手が、新一の髪に潜り込んで荒々しく愛撫した。新一もまた、たまらず両腕を平次の背にまわし、力の入らぬ手で精一杯抱きしめた。 「ん……」 甘いうめきが鼻からもれた。体が熱く火照ってくるのは、酒のせいだけじゃない。変化のせいじゃない。それは……平次のせいだ。彼の熱い、口づけのせいだ。 互いにむさぼるように相手の唇を求めあい、長い口づけが終わった後も、二人の間に燃えた炎は少しも弱まることはなかった。 平次が少しせつなそうに眉をしかめ、新一の肩に顔を埋めた。それっきり何も言わない。ただ黙って強く新一を抱きしめていた。 触れ合った頬の冷たさが、新一には心地良かった。熱を含んだ体を優しく冷ましてくれる。新一はそっとささやいた。 「服部……、おまえの頬、冷たくて気持ちいい」 聞いているのに返事一つしない彼に、少し苦笑して言葉を続けた。 「体全部で冷やしてくれたら、もっといい気持ちだろうな、きっと」 しばしの間をおき、平次は顔をあげると、真剣な眼差しで問いつめるように新一を見た。 「……ええんか?」 新一は目を細め、そっと微笑んだ。 「忘れてやるよ。この一時間のことは。なにがあっても」 「工藤……」 「だから、おまえも忘れさせろよ。もう一度くる苦痛を消しちまうぐらい、おまえの体でメチャクチャにしろ。俺を……」 服部はじっと見つめていたが、やがて静かに笑って言った。 「アホ。俺は優しいんや。おまえを苦しめるようなこと、する訳あらへんやろが。……優しゅうしてやる。苦痛なんて入り込む隙間がないくらい、感じさせたるわ、メチャメチャ」 そう言って、再び唇が触れてきた。それは先ほどのような荒々しい激しさはなかったが、十分すぎるほど熱っぽく、十分すぎるほど優しかった。 唇はやがて頬をつたい、首筋に移っていく。耳の下を優しく愛撫されると、新一はたまらず声を漏らした。 「……ん、く……」 平次は唇を離し、ちょっと意地悪っぽく笑った。 「なんや、こんなんで悶えてるんか? おまえ、ひょっとして童貞か?」 新一は耳たぶまで真っ赤に染めて、憤然と言い返した。 「バカ! 何言ってんだ、てめえ!」 「ハハ、怒んなや。俺だって男相手は初めてやで。お互い初めて同士や。そう緊張しいな。ーーもっとも、女はぎょうさん抱いてきたから、俺の方がちっとは先輩みたいやけどな」 「……服部ぃ」 新一が赤い顔で恨めしそうににらみつけると、平次は楽しそうに笑った。 その明るい笑顔はいつもの彼で、でもやはりそれまで知っていた彼ではなくて、新一は少しだけ胸が苦しかった。 彼にいだく感情を、改めて自分自身に思い知らされる。まさかこんな形で現実になるとは思いもしなかったけれど……。 ふと真面目な表情に戻って平次を見つめる新一に、平次が気づいて不思議そうにつぶやいた。 「……なんや、どうしたんや、工藤?」 新一はぽつんと呟いた。 「新一……って呼べよ、今は」 驚いたように目を丸くする彼に、新一は腕を伸ばしてその体を引き寄せた。 「一時間だよ。一時間だけだ。たったそれだけ……。でもおまえにやるから、全部おまえにやるから……。服部、俺はおまえのものだ」 平次は耳元で優しく笑った。 「おまえ……それ、ごっつきつい殺し文句やで。そんなこと言われたら、俺なにするか自分でもわからんぞ」 「……ああ、いいよ。なにしても……いい」 新一はそっと目を閉じた。それに応えるように、平次の手が優しくむき出しの肩を撫で、そして下へと移っていった。 やがて彼の体がそっとのしかかってきた。それは胸が締め付けられるような、甘くせつない重みだった。 気がつくと、隣に平次が眠っていた。新一は彼の寝顔を見確かめるように二・三度瞬きした。 窓の外はうっすらと明るくなっていて、静けさの中に小さく鳥のさえずりが聞こえている。 どうやら、あのまま二人で朝まで眠ってしまったらしい。 新一は平次の顔に手を触れようと腕をさしだした途端、己の手に驚いて目を止めた。それは、細く小さな子供の手だった。 かけられていた毛布をはいで体を見ると、そこにあったのはもう十七歳の新一ではなく、幼いコナンの肉体だった。 変化がいつ訪れたのか、新一にはわからなかった。平次の言葉通り、苦痛を感じることなくそれを迎えていたのだ。いったいいつ変わったのだろう。眠っている最中か、それとも……彼の腕の中で至福の快楽を味わっていた時なのだろうか。新一は全然覚えてなかった。 眠る平次の顔を見つめながら、小さく笑った。 (満足そうな顔してやがるから、一応は事を成せたのかな……) 昨晩の事が頭に甦る。それは、たった一夜の夢だった。眠って目が覚めたらなくなっていた大人の体と同じように、ほんの一晩、いやほんの一時間だけの、はかない夢だった。 新一はしばらく無言で平次を見つめていた。日に焼けた顔。勝ち気で陽気で、そしてすぐに熱くなる熱血漢。そのくせ、推理の時だけは冷静で、憎らしいほど頭がきれる。もっとも、似たような思いを彼は新一に対して感じているのだろうけれど。 (こういうのをライバルっていうのかな) だとしたら、それでもいい。恋人同士ではなくそんな関係も、それはまたスリリングでドキドキして面白いだろう。いつまでも最も近い部分でお互いを認識できるのだから。 新一は手を伸ばし、乱れて額にかかった平次の髪をそっと撫でつけた。と、突然その手をつかみとられた。 びっくりして目をむくと、平次が目を開け、おかしそうに笑って言った。 「なんや、ガキがなに見つめてんのや。俺に手ぇ出すなんざ十年早いで」 新一はしばし唖然とし、だがすぐに冷ややかに応えた。 「何言ってんだよ。ボクに手ぇ出したら犯罪者だからね、服部ニーチャン」 「かー、生意気なガキやなぁ。こうしたる」 平次は満面に笑みをたたえ、楽しそうに新一の上にのしかかってその小さな体を胸に包み込んだ。ぎゅっと力強く抱きしめる。新一は思わず悲鳴をあげた。 「わぁ、バカ、よせ。く、苦しいよ、服部! 離せ!」 だが彼はいっそう強く抱きしめ、離そうとはしなかった。抵抗する新一を面白がるように明るい笑い声をあげる。だがそんなふざけあいの中で、彼の甘いささやきが耳元に聞こえた。 「おまえはいつだって、俺のもんや。新一……。永遠にや」 窓の向こうには、明るい朝の日差しが美しく輝き始めていた。 |