ケンブリッジの午後 |
――ケイン、ケイン! 降りておいで! 落ちたら死んじまうよ。ケイン! ――マム! なあに、聞こえないよ! ――早くお降りったら! ケイン! ケイーン! |
1 午後の隣人 |
その夏はひどく暑かった。 午後の日差しが豊かにふりそそいでいた。 カーテンひとつない窓は、部屋いっぱいに白い光を解放する。 きしんだスチール製のベッドの上で、俺はすっぱだかの体にシーツ一枚かけず、ただぼんやりと天井をながめていた。 すすけて汚れた部屋にはベッドと小さなタンスがひとつだけ。他にはなにもない。狭いその場所がやけに広く見える。 おんぼろ下宿には当然クーラーなんかついてないから、部屋は気が狂いそうなくらいに暑かった。 外から、通りを走る車の吐き出す排気ガス混じりの熱風が吹き込んで、その暑さにわをかけていた。 ケンブリッジですごす二度目の夏。 十七歳のーー俺の夏。 この時期、ケンブリッジの街は避暑と新学期までの長い休みに、学生たち皆どこかに消えて、いなくなる。 通りにはアラブ人やらアジア人やら、得体の知れない外国人ばかりが目について、いつもは平和すぎるこの街が、なんとなく物騒に感じられた。 俺はもう、まる二年ここにいた。 夏も冬も新年もクリスマスも、ずっとひとりでこの街ですごした。 汽車でたったの三十分の所に母親の住む町がありながら、ただの一度も帰ったことはない。当り前なのだ。そこがたまらなくて、とびだしてきたのだから。 となりでシャルロッテが、けだるそうに寝返りをうった。 寝たふりをしている。 昨日バイトの帰りに道でひっかけた、高校のクラスメート。 光の下で見るシャルロッテの顔はそばかすだらけで、まるで子供のようだった。さらけだされたでかい胸だけが、汚れた女の顔をしていた。 それにしても、なんという暑さだろう。 時刻はとうに昼を回っている。 なんにもしてないのに汗がふきだしてくる。息が苦しい。 瞳にまで汗がにじみ、目の前がぼうっとかすむ。 寝転がっているのももう限界かな、などと俺が思い始めた頃、突然カチャリと音がし、ドアが開いた。 そしてーーそいつは現れた。 そいつは、元気よく開けたドアの入口で、目んたまをまん丸く見開いて、ぽかんとして立ち止まっていた。 俺と同じくらいの歳の男だ。 しばらく呆然とした顔つきでつったっていたが、そのうち耳たぶまで真っ赤になって、あわててうつむいた。 無理もない。目の前にはすっぱだかの男の女。それもあきらかに、やったあとの、だ。 そいつはひどく動揺した様子で、どもりながら謝罪した。 「し、失礼。ここは空き部屋だと聞いていたもので。すみません、間違えました」 それだけ言うと、そいつは礼儀ただしく一礼して、そそくさと出ていってしまった。 俺のしゃべる暇を少しも与えない。あいつの言うとおり、ここは三ヶ月も前から空き部屋で、誰も住人はいないってことを教えてやりたかったのに。 呆れ顔で見ていたシャルロッテがおもしろそうに笑った。 「なあに、いまの? のぞいた奴がてれて帰っちゃった」 「多分新しい入居者だろう。ーーおまえ、早く帰ったほうがいいぜ。あいつ、いまに怒って戻ってくるぞ。大家のばばあに、勝手に空き部屋使ってることがばれたら大騒動だ」 「そうね。寝てるのも暑いしね」 彼女はそう言うと、素直に起きて身支度を始めた。 素肌につけた薄いTシャツは乳首がすっかり透けて見えた。 まだ寝ぼけたような声でシャルロッテがつぶやいた。 「ねえ、さっきの奴さ、ヒステリー・エレインのクラスの、アルバートじゃない?」 「誰……だって?」 「アルバート・ストーク。ほら、テストでいっつも壁に名前がはりだされる子よ。結構いい男、ふふん」 俺はジーンズを履きながら考えた。 だがどうもぴんとこない。もっとも、まともに通ってもいない学校の、ましてや別の組の野郎のことなんて、覚えてなくても当り前だ。 「でもーーやっぱ、違うかな。だってアルバートって、確かいいとこのおぼっちゃんのはずだもんね。こんな汚いアパートになんか、くるわけないわ」 「ああ、汚くて悪かったな。どうせ俺は貧乏人だよ。年中バイトで駆けまわっているような、な」 俺はシャルロッテのけつを思いきりぶったたいた。 シャルロッテは甲高い声で文句をまき散らしながら、ようやく部屋を出ていった。 まったく、女って奴はけつが重い。俺と寝てることを知られて困るのはあいつのほうなのに。 「さて、俺も戻るとするか……と」 俺はぶつぶつと独り言をいいながら、本来の俺の部屋である隣室へむかって、シャツを肩にひっかけてドアを開けた。 と、部屋の前の廊下にさっきの奴がちょこんと座りこんでいた。 小さなトランクを胸にかかえ、所在なげである。捨てられた子猫みたいだ。俺に気づいて顔をあげ、ひとなつっこそうににっこりと微笑んでみせた。 「さきほどはどうも失礼を。最初にノックすべきでした。でも、やっぱりここは僕が入るはずの部屋でしたよ」 「誰も違うとは言ってない。俺がちょっと借りてただけだ。ーーところで、こんな所に座って、なにやってるんだ?」 「君たちが出てくるのを待ってたんです。また無粋な真似をしたくはなかったので」 今度は俺がぽかんと口をあける番だった。 二の句が告げなかった。 なんてお上品な奴なんだ。自分が住むはずの部屋をセックスに無断借用されて怒りもせず、それどころか、じっとことがすむのを待ってるだなんて。 そんな細やかな、というよりは間の抜けた心づかいは、俺は生まれてこの方あったことはない。呆れるのを通り越して、ちょっとした感動ものだ。 まじまじそいつを見てしまう。そのうち、なんとなくどこかで見かけた顔であることを思いだした。 そう、これだけの美形なら人混みの中でだって目をひく。そして一目見れば忘れはしない。そのくらい綺麗な顔だちをしていた。俺とは違って、品のある貴公子といった感じである。 「おまえーーエマニュエル・ハイの奴だろ? ええと、アルバート、だったっけ?」 そいつは俺が知っていたことがさも嬉しかったかのように、いっそうにこやかに笑った。 屈託がないというか、けれんみがないというか、思わずこちらもつられてしまうような無邪気な笑顔だ。 「はい、覚えていてくれて光栄です。ケイン・オルコット」 「俺を知ってるのか?」 「エマニュエルであなたを知らない者はいませんよ。男にも女にも有名人ですから」 「は、どうせろくでもないことさ。開校始まって以来の素行不良の問題児。貧乏人の女ったらし、バイ、エスケープ常習犯。ま、全部当たってるけどな。それより、そんなとこ座ってないで入ったらどうだ。今日からおまえの部屋なんだろ、ここ」 「はい、どうぞよろしく。あの……あなたの部屋は?」 俺はとなりを顎で指した。 「こっち。コーヒーでも飲むか?」 アルバートはちょっとはにかんでためらった。 「ありがとう。でも、初対面でお邪魔するのは失礼ですし」 「よせよ、俺はそんなお上品な人種じゃないぜ。それに初対面じゃないだろ、俺たち。さっき会ったから二度目だ。な?」 彼はくすくすと笑った。 「そうですね。では遠慮なくご招待を受けようかな。本当はとてもうれしいんです、僕」 輝くような笑みを見せる。 俺はそれを見ながら気がついた。 こいつは心底いいとこのぼうやだ。きっちりしつけられた血統書付きのセッター。礼儀ただしいプリンス。 フルコースの夕食を、タキシードを着て食べるような連中の仲間なのだ。 俺のようなはすっぱな人間にすらその価値がうかがいしれる、本物のブリティッシュ・ジェントルマンの卵。 さぞや大切に慈しまれて育てられてきたのだろう。 俺たちは部屋に入った。 俺の部屋はお世辞にもきれいとはいいがたい。それでなくとも狭い中の、半分以上が古本で埋まっている。 あとはぼろぼろの机と、隣にあったのと同じ備えつけのベッドとタンス、それだけだ。 俺は足で本を押しのけ隙間をつくると、そこにたったひとつの椅子を据えて、あいつに勧めた。 アルバートは乱雑に散らかった床の上を跳ねるように歩いてきて、素直に座った。 さすがにいいお住まいですね、とは言わなかった。だがじろじろ眺めまわすような無作法な真似もしなかった。 「ちょっと待ってろ。いま下いってばあさんにお湯もらってくるから」 俺は窓際にあったほこりだらけのやかんをつかむと、彼を残して大家のばあさんの住む下の階へと降りた。 ばあさんはいなかった。俺はこれ幸いとばかりに、台所の棚から一番上等な紅茶の缶を拝借し、ミルクを沸かしてハイティーとしゃれこんだ。 なんとなく、あいつと初めてすごすティータイムに、安物のインスタントコーヒーは似あわない気がして。 うすっぺらな見栄だったのかもしれない。 カップを持って部屋に戻ると、アルバートは床にじかに腰を下ろし、本を見ていた。 「なんだ、そんなとこ座ってると服が汚れるぜ」 「そんなことありませんよ。ちゃんと掃除がしてある」 それは本当だった。俺は掃除だけは毎日するんだ。特にきれい好きなわけでもないのに、そんな神経質さが自分では嫌だった。 もっとも、本の隙間にのぞいた床を雑に拭く程度のものだったが。 アルバートは本に視線をむけたまま、感心したように言った。 「すごい量の本ですね。なるほど、あなたのレポートが興味深いわけだ。これだけいろいろのものを勉強していれば当然だ」 「冗談だろ。勉強なんてごりっぱなもんじゃないぜ。読書は俺の趣味さ。まあ、あんまりがらじゃあないけどな。だいたい俺のレポートなんていっつもDだぜ。優等生のおまえとは違うよ」 「それは、教師の趣味に添わないだけです。僕は何度かあなたのレポートを読んだけど、どれもとても面白かった。独創的で活力に溢れてて。僕なら絶対Aをつけます」 そいつはあんまり熱心な顔で言うので、とてもお世辞には聞こえず、俺はひどくてれくさかった。 俺はカップをさしだしながら、無愛想につぶやいた。 「どうでもいいけど……その、あなたってのはやめてくれよ。ケインでいい」 アルバートはにっこり笑ってうなづいた。 「はい、ケイン」 その時、さぁっと冷たい風が開け放した窓から吹きこんできた。 ミントのように鼻をくすぐる。こいつが連れてきた風かもしれないと俺は思った。 その晩、大家のばあさんはめずらしく上機嫌で俺たちを夕食に呼んでくれた。 なんの下心か少々真意を疑いつつも、一食浮くのは助かるので招待を受けることにする。 夏期休暇中の今、こんなしけた下宿なんかにいるのは俺とアルバートだけである。俺たちは半円形のテーブルについて、ばあさん自慢の田舎料理とやらをごちそうになった。 最後のやたら甘いレモンクリームのデザートを持て余しているとき、ばあさんは案の定食事の見返りをきりだしてきた。 「ケイン、おまえ、明日は土曜だから仕事は夕方からなんだろ? じゃあ午前中は暇なわけだね」 「なんだよ。面倒はごめんだぜ」 「なに、簡単なことさ。玄関においてある箱を、角の教会まで届けて欲しいのさ。バザーに使う古着なんだ」 「冗談じゃないぜ。自分で持ってけよ、それっぐらい」 「馬鹿言うんじゃないよ。せっかく良くなった神経痛がまた悪くなっちまう。契約外の休暇中にいさせてやってんだから、そのぐらいの頼みはきいてくれたっていいだろ。それに死にかけてる年寄りはいたわるもんだ」 「はっ、くそばばあが。俺より長生きしそうな顔してやがるくせに」 「いいね、頼んだよ。あ、朝一番で持っていっておくれよ。シスターが待ってるからさ」 結局俺は言いきられてしまった。 こんな時は歳くった女にはかなわない。どんな正当な反論をしたところで、絶対に通じはしないのだから。 こいつらの住むのは別世界、自分を中心に回る楽園だ。さぞかしいい世界だろう。少しだけうらやましい。 翌朝玄関に出ると、ばばあはいい気になって三つも荷物をだしていた。 俺はげっそりして悪態をついた。それでもしかたなく、両方の肩にひとつづつ箱をかついで歩きだした。 まだ朝も早いというのにめちゃくちゃに暑い。おまけに箱は重い。 安物のTシャツがべったりと汗で背中にはりつき、俺のけんこう骨を下手なプリント絵の上に浮かびあがらせた。 不快だ。 腹がたってくる。こんなもの投げ出して、どこかへとんずらしたくなる。 だがそれでも俺は歩き続けるのだ。 それは、遠くへ行きたいと願いながら、どうしてもこの街より遠く離れることのできない、情けない自分の姿だ。 いらつき、胸がむかついた。 暑さでくらくらしている頭に、突然うしろから涼しげな声が飛び込んできた。 「ケイン! ちょっと待って!」 ふりむくと、アルバートが俺の残してきたもうひとつの箱をかかえて、必死の形相で走ってくるところだった。 ゼブラ(横断歩道の通称)の前で車の波が切れるのをもどかしそうに待っている。 土曜日とはいえ、通勤時間だから車はひっきりなしに通る。それをいちいち目で追い、口の中でぶつぶつ文句を言ってるその姿は、なんだか餓鬼みたいで可愛かった。 彼はやっと追いついてくると、息を切らしながら並んで歩き始めた。 「ふう、苦しかった。早起きしたのに、もうきみ、いないんだもの。あせってしまった」 「なんでおまえがあせるんだ。そいつは俺が運ぶ荷物だぜ」 アルバートはにこにこ笑ってウィンクした。 「いいんです、手伝います」 「下心がありそうだ」 「ええ、しっかり」 俺はふんと鼻を鳴らし、かすかに笑った。 「なんだ? 金ならないぜ」 いつもの調子で答えてから、内心失敗したと俺は思った。こいつが金のことなど言うわけはないのだ。金持ちの息子なんだから。 だが奴は意外な答を返してきた。 「貸してくれとは言いません。でもすぐに困窮しそうなんでバイトをしたいんですが、どこか当てはないかと思って。君は顔が広いから」 「バイト? おまえがか?」 「はい。授業のあとに。毎日でもかまいません」 「そりゃ、さがせばあるだろうが……、しかしどういう風のふきまわしだ?」 「理由はシンプルですよ。生活費を稼ぐため。家を出るとき持ってきたお金は、下宿代の前払いでほとんど消えてしまった。一週間もすれば僕はまるっきり文無しですよ」 彼は笑ってそう言った。 「なんで? おまえの家、金持ちなんだろう」 「家は金持ちでも僕は違います。いくら父だって、家出した息子に金はだしませんよ」 「家出? 嘘だろ?」 「本当です。居所もまだ知らせてません」 俺は呆れた。 なんてあっけらかんとした奴だ。 なに不自由ない世界を飛びだしてくるにはそれなりの理由があっただろうに、悩みなんかこれっぱかしもないって顔をしている。というより、幸せ一杯に近い。 無理にわけを聞くのもお節介な気がして、俺は黙って聞いていた。 教会に着いた時にはふたりとも汗だくで、顔中に汗が浮かんでいた。アルバートが笑って大きく息をついた。 そのあと、俺はアルバートの部屋ですごした。 奴は本当に家出してきたらしく、荷物はほとんどなかった。小さなトランクにつめるだけつめこんだ服と、タオルやら歯ブラシやらの、ほんの少しの日常品だけ。筆記用具すらない。 「おまえ、本やノートも置いてきたのか? 授業はどうすんだ?」 「必要なものは全部学校のロッカーにつっこんであります。当座は大丈夫ですよ。それより、服を高く買ってくれる古着屋を知りませんか?」 「服まで売るのかよ」 「売って、買うんです。ほら、なるべく金になりそうな物を選んで持ってきた」 彼は得意そうに俺の目の前に並べ立てた。 どれもしっかりとしたてられた高級そうなスーツやジャケットばかりだ。こいつが着ると、さぞかし似合うのだろう。 「……ふうん、本格的なんだな」 感心したように俺がつぶやくと、あいつは服をたたむ手を止め、じっと俺を見かえして言った。 アルバートは緑の目をしている。 森の色だ。 「遊びだと思ってました?」 「ああ、思ってた。どうせすぐに帰るんだろうってな」 「帰りませんよ、もう二度と。だって……、やっと僕は見つけて、そして近づくことを始めたのだから」 なにを? 俺はそう問いたくて、だが聞けなかった。 こいつの見つけたものがなんなのか、知るのがとてもこわかった。 それはきっと、俺がこんなにあえいで、もがいて、それでもまだ得られないなにかなのだ。 とても大切なーーなにかなのだ。 午後は奴につきあって古着屋へいった。 持っていった服はどれもいい値で売れた。かわりに普段着を何着か買い込む。アルバートは俺の勧めるまま、色あせたジーンズやけばけばしく彩色されたシャツを選んだ。 俺はなけなしの金で、細い金メッキのチェーンを家出の祝いに買ってやった。 奴はうれしそうにそれを受け取ると、買ったばかりの服をかかえてフィッティング・ルームに飛び込んだ。なんせ、着ていた物まで売っちぱらっちまったのだから。 出てきた時にはいっぱしのストリーカーの顔をしていた。ちょいとお上品すぎるのは仕方がないだろう。胸には誇らしげに安物の金鎖が搖れている。 俺は手を伸ばして、アルバートのきれいに撫でつけられた金髪をくしゃくしゃに乱した。 奴はくすりと笑い、その手をとって掌にキスした。 胸がぎゅっとしめつけられる。あいつから目が離せなくなる。俺は魅いられたように彼を見つめた。 予感ーー。 甘美で、しかも震えるほどに恐ろしい感情のおとずれ。 吸いこまれそうな奴の目がこわかった。 翌日の日曜日、俺は久々に一日バイトもなく、部屋の中でごろごろしていた。 寝返りをうつたびに悲鳴をあげるベッドに寝そべり本を呼んでいると、ノックの音がしてアルバートが顔をだした。 「はい、ケイン。昼食を食べに行きませんか? 昨日のお礼におごります」 もちろん俺は断わったが、あいつがぜひにと言うので、一度だけご馳走になることにした。 あいつが俺をひっぱっていったのは、汽車で一時間も揺られたロンドンだった。 日曜のロンドンなんてなんにもない。開いてるのはバーバリーショップと日本人のスーパーだけ。 ゴミだらけの人けのないリージェント通りは、荒れ果てた無人の街のようだった。軒並シャッターをおろしたデパートは、マネキンみたいにすましかえっている。 金のない俺たちは、ただずっと歩き回った。 ライオンのにらむ広場で、地面に腰をおろして、ひとつのビールをわけあって飲んだ。 鳩が群れて餌を捜している。どこかの子供が、パンのかけらを振りまいている。 俺たちはなんにも喋らない。ぼんやりと目の前を眺めてるだけ。時間がゆっくりと、そして足早にすぎてゆく。 俺たちは真っ白な頭で、ときどき、暑いなあ、なんてつぶやきながら、ずっとそこに座っていた。 夕暮れも近づいてくると、どうにも腹が減ってたまらなくなり、昼と夜を一緒にした食事をとることにした。 裏通りの小さなカレー屋に入った。 そこは狭くて汚くて、得たいの知れないインド人がひとり調理場に座っていた。客は他には誰もいなかった。 カウンターのはしに座って、俺は外を見、アルバートは肘をついて、熱心にインド人がカレーをつくるのを見つめていた。 結構待たされた。 出てきた料理はひどく辛く、口が曲がりそうだった。俺たちは涙を流し、鼻水をすすりながら食った。 「おい、あんまり水飲むな。腹こわすぞ」 「でも死ぬほど辛い。舌がしびれて使いものにならない、これじゃ」 アルバートははあはあと息を吐きながら、悩ましく舌をうごめかす。俺はついいたずらっ気を起こして、意地悪くたずねた。 「そんなによく動く舌、いったいなんに使う気なんだよ」 アルバートは意味ありげに微笑んだ。 「もちろん、からめあうために」 呆れた奴。俺を誘ってる。だから俺も答えてやる。 「どんなふうに?」 「……こんなふうに」 俺たちはキスした。 スパイスの効いた不思議な味。 こんなのは初めてだ。舌も頭もしびれるのは、カレーが辛いせいなのかな。 奥でインド人がうさんくさそうにこっちを見ていた。だがなにも言わなかった。 ≪続く≫ |