俺たちの初舞台

    −後編−  

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 企画倒れて波乱万丈……!


「おい、ライトもう少し右照らせ。ばーか、それじゃ行き過ぎだよ。左、左」
 山澄がえらそーに指図している。でもさすがに舞台慣れしていて、悔しいがてきぱきと小気味いい。昔からリーダーシップを取るのが上手だったし、結構信頼がある奴なんで、みんなも素直に従っている。
ショーは、やってみると案外おもしろかった。
 真剣な祐貴と山澄に触発されてか、信じられないほど全員が真面目だった。
 最初は気どって歩くのを照れくさがっていたモデル役の連中も、練習を重ねるにしたがって、段々その気になってきてるのがまたおかしい。
 BGMは、クラスの誰だかがミキサーやってる従兄弟に頼んだとかいう、音質も選曲もバッチリの本格的なテープが用意してある。
 美術部の連中に半強制的に作らせたバックのセットが、またいい出来なんだ。本業のキャンバスよりもよく描けた、なんてあいつらひーひー泣いてたもんな。
 衣装や小物も集まったし、かつらもなんとか都合がついた。化粧品もしっかりそろって、慣れない手つきで、みんなで大笑いしながらメイキャップの練習もした。
 万事準備万端。
 そんなこんなで驚くほどすべてが順調にしあがって、いよいよ明日が本番、学祭前夜となっていた。
「うーん、なにか足りない気がするんだよなぁ」
 山澄が腕組みしてぼやいた。
 舞台上では、俺と祐貴が顔を見合わせて立っていた。最後のリハーサルの、最後の出番の俺たちに、演出家の奴はなかなかオーケーを出さなかった。
「なんというか、盛り上がりに欠けるんだよな。せっかくのラストなんだから、ばっちり決めたいってのに」 
 祐貴が遠慮がちに助け船を出した。
「本番でちゃんとドレスアップしたら、もっとそれらしくなると思うよ。いいと思うけどな」
「うーん……」
 山澄はいまだ納得しない様子で、口をへの字に曲げておし黙った。
 こいつも結構完璧主義の、こだわり人間なんだよな。まあ、物事に真面目な奴ってのは俺は好きだし、最近には珍しくこいつも真剣みたいだから、気のすむまで悩んでくれ。長年の友人だ。いいだけつきあってやろうじゃないか。
「しっかし、哲也の花嫁姿なんて、考えただけで笑えるよな。俺、見たくねー」
 緊張をときほぐすかのように、舞台の袖にいた司会役の後藤が笑って言った。俺は横目でにらんで怒鳴った。
「うるせー! 俺だって好きで着るんじゃない!」
「だってなー、祐貴が花嫁ってならまだしもさー、おまえじゃねえ。だいたい新婦が新郎よりごっついなんて話、聞いたこともないぜ」
 なにをいまさら。それがおもしろいって決めたのはてめえらじゃないか。まったく自分が舞台に出ないと思って、好きなこといいやがって。
「そうだ! 新郎新婦。そうなんだよな! 忘れてたぜ」
 突然山澄がひとり叫んだ。
「そう、結婚式にはこれがなくちゃ。おい、哲也、祐貴。おまえら中央に出てターンが終わったら、祐貴が哲也を抱きあげて、最後にキスだ。これしかない」
 ………………。
 ……ちょっと待て。
 いまこいつ、……なんて言った?
 抱きあげて……××?
 俺と?
 祐貴が?
 ……キス?
 ……う、……う、嘘だろーっ!
 どひゃーっ! なにを言いだすんだ、この馬鹿野郎はーっ!
 お、お、俺がキスだあ? こいつと? 祐貴と? なんでええぇ? ひえええぇっ!
 ……あ、今ほんとに目眩がしたぞ。もうだめ。俺、気絶する。
「ちょっと待てよ。それってちょっとあんまりじゃないか?」
 と、思わぬところで祐貴が反論した。
 俺は思わずいろめきたった。いいぞ、祐貴。もっと反対してくれ。おまえだって俺とキスするなんていやだろう? そんなの冗談じゃないだろうが。
「俺が哲也を抱きあげるって、それ無理だと思うけどなあ。立ってキスだけじゃだめなのか?」
 おいおい。待てって。そーゆー問題じゃないだろ? 大事なのはキスのほうだろーが。
「無理かなあ。哲也、おまえ体重なんキロ?」
 山澄みがむずかしい顔をして聞いてくる。
「は? ああ、え……と、七十四くらいかな」
 い、いかん。あまりの展開に呆然として、つい山澄の質問に素直に答えてしまった。
「七十四かあ。結構あるなぁ。ちょっとごめん、哲也」
 そう言うと、祐貴はよっこらせとばかりに、俺の体を抱きあげた。
「うわっ! や、やめろ、落ちる!」
「お、いけるんじゃないか。そのまま歩けるか、祐貴?」
 山澄の馬鹿が嬉しそうに目を輝かす。
「う、重てぇ。よっ」
 祐貴は俺を抱きあげたまま、おぼつかない足取りでよたよたと歩き出した。
「わわわ、落ちる。おろせ、こら」
「騒ぐな、哲也。重いんだから。ううう」
 祐貴がよろよろしながら二・三歩進んだ。が、その時、思いもかけない事態がおこった。
「うわっ!」
「つうっ!」
 あいつの体ががくっと崩れ、俺は床に放り出された。てっころびそうになるのを辛うじてこらえて、なんとか立ちあがった。
 ふりかえると、祐貴が足を押さえてうずくまっていた。
「いてててて……」
「祐貴!」
「だいじょうぶか!」
 その場にいたみんなが、あわてふためいて駆け寄った。祐貴は痛そうにしかめっつらをして、力なく答えた。
「だいじょうぶ……と言いたいけど、やばいみたい。捻挫したかも。いたたた……」
 全員蒼白になって顔を見合わせた。
 どうしたらいいんだ。ショーは明日だっていうのに。
 みんなひとことの言葉もなかった。体育館の広い舞台の上で、俺たちはすっかり顔色失った頭をつきあわせて途方に暮れていた。
 まん中で座り込んでる祐貴だけが、意気盛んに騒いでいた。
「やるよ。やれるってば。このくらい平気だよ」
 祐貴は気丈にそう言った。だが足の無惨な腫れぐあいは、とてもそうは語っていなかった。 
 山澄がこれ以上はないっていうくらい落ち込んでつぶやいた。
「すまん。俺があんな馬鹿なこと言いださなきゃ、こんなことにはならなかったのに」
「別におまえのせいじゃないってば。俺がドジっただけ。そんな顔すんなよな。おまえらしくないぜ、もう」
 だが祐貴がどんなに明るくなだめても、奴はどっぷり地の底に沈んだままだった。無理もない。それは紛れもなくあいつの提案、あいつの言葉が発端だったんだから。
 余程こたえてるんだろう。いつもの軽薄さはどこへやらだ。呆れるほど後悔の海に浸ってるこいつを見てると、さすがの俺も、あの企画がおじゃんになってよかった、とは手放しで喜べなかった。
「ほんとにほんと、平気だよ。俺、誰がなんと言おうと、明日のショーには出るからね。だからみんなも頑張ろうぜ。ほら、気合いいれて、ぱーっと明るく。おー!」
 俺たちだけの人けのない体育館に、祐貴の声だけが空しく響きわたった。でも誰も一緒に叫べる奴はいなかった。
 いったいどうしたらいいんだろう。どうすれば、突然降ってわいた、このとんでもない問題が解決できるのか。
 その答なんかどこにもない。
 俺たちの初舞台は、始まる前からすでに波乱万丈の幕開けとなってしまったのだった。


6   どんでん返しで大団円……!


 当日がやってきた。
 ショーは午前と午後に一回ずつ。時間はだいたい一度につき三十分くらいである。
 俺たちはわいわい言いながら、舞台下の用具置き場を控え室にして、化粧をし、かつらをかぶり、慣れないドレスを身につけて、明るいスポットライトに輝く体育館の舞台に立った。
 できはまあまあ。評判は上々だった。
 いったい高校生野郎どもが演じるファッションショーの、どこがそんなにおもしろいんだかしらないが、午前中にやった舞台が人気をよんで、午後の部では体育館に溢れるほどの客が集まってきた。
 なんと校長までがやってきて、一番前の席をぶんどっている始末。呆れるなあ。いったいみんななにを考えているんだか。
 問題の祐貴はといえば、痛々しいほど紫色に腫れあがった足を引きずって、休まずにやってきた。
 そしてちゃんと舞台に上がった。奴は全然怪我なんかしてないって顔で、にっこりと極上の笑みを浮かべて、舞台の端から端までをきっちりと歩き通した。
 あいつは当然のことながら他の奴らよりも出番が多くて、それがまた事態を一層悪くしてしまうのだ。
 でもあいつは、ひとっことの愚痴も泣き言も言わなかった。ただ黙ってやり通した。舞台を下りてからすらも、涙ひとつ見せない。さすがの俺もこれには感服した。
 すごい根性だ。正直言ってこいつがこれほどの奴とは思ってもみなかった。見直したぜ、祐貴。おまえは偉い。りっぱだ。 ホモだろうがなんだろうが、おまえはきっちり男だ。それも誰よりも男らしい男だぜ。俺が言うんだから間違いない。
 それだけやりゃあ充分だ。もう誰も文句を言わないし、文句なんか言わせない。
 だからもう、よせ。
「祐貴。もういいよ。俺ひとりで出る」
 午後のショーの最後の出番を待ちながら、俺はウェディングを着た奇妙な姿であいつに言った。
 祐貴はびっくりしたように目をまんまるくして俺を見た。
「なに言ってんだよ、哲也。あと、おまえと出れば、今日はこれで終わりなんだぜ。最後までやるよ」
「もう無理だ。そんなに腫らしやがって。だまって、そうしているだけでも痛いんだろうが?」
「痛くない」
「ばーか、目がうるんでるぞ」
 祐貴はあわてて目をこすった。
「これだけうけてるんだから、俺一人でも充分だよ。いいからおまえ休んでろ」
 俺は言い聞かすようにそう言った。それは本当に、俺が心からあいつを心配して言った言葉だった。
 だが、うつむいてじっとおとなしく聞いていた祐貴は、きっと顔をあげると、びっくりするくらいに厳しい口調で言った。
「おい、哲也。おまえ、誰にもの言ってるんだよ」
 俺は驚いて一瞬返す言葉がでなかった。
「休んでろだ? もう充分だ? 冗談じゃないぜ。俺はな、これでもプロなんだぜ。まだまだ三流のかけだしだけど、ちゃんと金もらってるプロなんだ。プロのモデルなんだよ。それも、俺にとってこのショーは最初のショーだ。初舞台だ。デビューなんだ。それをこんな足の怪我ぐらいで休めるか。俺は絶対最後までやる。死んだってやりとげてみせるからな!」
 立て板に水の勢いでそれだけ喋ると、奴はぷいと顔を背けた。
 俺は唖然として立ち尽くした。二の句が告げなかった。
 凄い。本当に。俺が中途半端に口を出せるほど、こいつにとって舞台は軽いもんじゃないんだ。こいつ、真剣なんだ。
 こんなただの学祭のアトラクションなのに、遊びじゃない。こいつの中では、ちゃんとしたひとつの仕事。俺をにらみつけたあいつの瞳が、なにもかも語ってる。プロの仕事に口をだすな、と。
 俺は驚き、愕然とし、そしてーー感動した。心の中にむくむくと熱いものがわきあがってくるのを感じた。
 よーし、わかった。決心したぞ。
 おまえがその気なら、俺もがんばる。がんばって、絶対このショーを成功させてやる。
 見てろ。舞台の下の、無責任な観客たちめ。ぐうの音もでないほど色っぽい花嫁を、俺はこいつときっちり演じてみせようじゃないか。俺たちの初舞台を、最高のエンディングを、みんなの前でしあげてみせようじゃないかってんだ! 待ってろよ、観客ども!
 そしていよいよ俺たちの出番がやってきた。
『それでは最後に、純白の衣装に身をつつんだ美しい花嫁と、トップモデルの演じる花婿のおふたりに、華麗なるラストを飾っていただきましょう!』
 軽薄なナレーションにうながされて、俺たちは舞台に進み出た。
 それまでの軽いポップな音楽ががらりと変わって、荘厳なウェディングマーチがながれ、ライトが赤から青にかわる。祐貴は俺の手をとって、厳かに歩き出した。
 俺たちが登場しただけで、観衆はどっとわき、喜んだ。みんななにも知らず、げらげらと大口あけて笑ってる。
 俺は横目でちらりと奴を見た。視界にちょっとだけはいったあいつの横顔が、ほんの少し歪んでいた。
 痛いんだろうな。きっともう限界なのに違いない。こうしてただ歩いてるのすら、ほとんど奇跡に近いんじゃないんだろうか。
 それでも俺たちはゆっくりと舞台中央に向かって歩いた。途中、一瞬ぐらりと祐貴の体が傾いた。が、すぐにまた立ち直った。
 俺は秘かに息をついた。ふう、ひやひやさせるぜ。
 そうしてなんとかポーカーフェイスを保ちつつ、俺たちはやっと舞台のまん中にたどり着いた。
 気がつくと、組んだ祐貴の腕がかすかに震えていた。顔色は蒼いのに、額には汗がいっぱい浮き出ている。ライトの暑さのせいじゃない。本当にもう限界なんだってことが俺にはよくわかった。
 がんばれ。もう少しだ。ふんばってくれ、祐貴。ターンなんてしなくていい。そのまま立ってろ。それでいい。
 ああ、くそ、幕係め、さっさと幕おろしてやれよ。そんなにもったいぶらなくっていい。奴の苦痛を察して、早く終わらせてやってくれってば! 頼むから!
 ちらっと横目で舞台の袖を見ると、山澄が心配そうに見つめていた。その顔は舞台の上の祐貴よりも苦しそうに歪んでいた。
 祐貴が俺の腕を離し、一歩前に出た。俺は心の中で叫んだ。
(よせ! やめろ、祐貴! 無理だ!)
 だが奴は俺の思いにも気づかず、片手を腰にあて、小首をかしげてくるりと回った。痛む足を軸にして。素晴らしくとっておきの笑顔を浮かべながら。
 白いタキシードの裾がひらりとなびく。そして前に向きなおり、ぴたっとポーズをとって決まりだ。
 決まりのはずだった。だがそうはならなかった。
 やっぱり無理だったのだ。
 祐貴の体がぐらりと搖れた。顔からすうっと血の気が失せる。ろう人形みたいに白くなる。
 祐貴、倒れるな! せっかくここまでやってきたんだ。こんなところでくじけるな。がんばれ!
 俺はとっさに手を差し出した。祐貴はその手にすがりついて、なんとか転ぶのだけは免れた。でもそれ以上身動きひとつできなかった。腕にすがりついたまま、呆然と前を見つめるだけだった。
 もうひとりで立つことすら無理なのだ。
 俺はあいつを後ろから支えるような形になったまま、途方に暮れた。
 さっきまで笑ったり感心したりしてながめていた観客も、さすがに俺たちの様子に異常ななにかを察したのか、急にしんと静かになった。静寂の中、じっと俺たちの動向を見守っている。
 まずい。すごくまずい。
 なんとかして何事もなかったように幕を閉めなきゃ、ここまで祐貴ががんばってきた意味がない。全部台無しになっちまう。
 だけど……、くそぉ、どうすりゃいいんだ? この緊張した雰囲気を、どうかえればいいってんだ。俺にいったい、なにができる?
 その時、俺の頭ん中にぽんとひとつの考えが浮かんだ。
 はっきり言って、なんでそんなこと思いついたんだか、俺自身にもわからない。それっくらいとんでもねーことだ。まるっきりめちゃくちゃなことだ。
 だが、悩んでる暇はないんだよな。
 なんとかしなきゃならないんだ。どうにかしなきゃならないんだ。そしてそれができるのは、今は俺しかいないんだ!
(えーい、迷うな、哲也! 覚悟を決めろ!おまえも男だ、やれ!)
 俺は祐貴の体をぐいと引き寄せた。そしてもう一方の手で足をすくい上げ、えいっとばかりに抱きあげた。
 祐貴は思ったよりも軽くて、それはなんの造作もないことだった。
 祐貴が俺の腕の中からびっくりして見あげている。俺はその視線を無視してすたすたと前進すると、あっ気にとられてる観客の目の前で、俺は、俺はーーキスをした。祐貴に。
 そうだ……。したんだよ。
 ファーストキスだぜ、くそぉっ!
 文句あるかってんだ! 俺はこのショーを成功させるってきめたんだ。だからそのためなら、なんだってやるんだ! キスくらい、なんだってんだよ、馬鹿野郎ーっ!
 一瞬館内が静寂につつまれ、全員が呆然とした。そしてその直後に、どうっと笑いの渦が巻き起こった。
 一同やんややんやの大喝采。
 そりゃ当然だろうな。なんたって、でっかくてごっつい顔した花嫁が、スレンダーで女の子みたいな花婿を軽がると抱きあげて、おまけに奪うようなキスまでしたんだ。うけなくてどうする。俺が観客だって、腹抱えて笑うだろうさ。
 ああ、笑え、笑え。でなきゃ、俺が意を決してやったことが無駄になる。好きなだけ笑えってんだよ、馬鹿野郎。
 その騒ぎの中、やっと我に帰った司会の後藤が、なんとかアドリブでその場をつないで、あわててショーの終わりを告げた。
 幕が閉まっても、そのむこうでしばらくの間みんなは盛大に笑いころげていた。
 山澄が、幕の閉まりきるのもまどろっこしそうに走りよってきた。
「祐貴、だいじょうぶか?」
「うん……」
 祐貴は俺の腕の中で力なくうなづいた。俺はちょっと怒った口調で、代わりに答えた。
「全然だいじょうぶじゃないよ。俺、こいつ保健室に連れてくから、後かたづけ、おまえ頼むな、山澄」
「ああ、わかった」
 俺はあいつを抱いたまま歩きだした。が、危うく二人して転ぶところであった。ドレスの長い裾を踏んづけたのだ。
 俺は仕方なくいったん祐貴をおろすと、その場で動きにくいウェディングドレスを脱ぎすて、もう一度あいつを抱きあげた。そしてそのまま祐貴をかかえて、来客の溢れる廊下を歩いて保健室へと向かった。
 俺の姿はすさまじいものだった。化粧はまだしっかりつけたままで、上半身は裸、そして下は……ブリーフに白いストッキングだけ。(仕方がないんだ。ジャージとか履いたら色が透けて見えちまうんだから。ウェディングドレスの下ってそういうものなんだ!)
 まるでショータイムのおかまみたいな格好をした俺が、真っ白なタキシード姿の可愛い花婿を抱いて、ずかずか人混みの中を歩いてる。さすがにすれちがう者が全員、目を丸くしてふりかえっていた。
 だがもう人目も気にならなかった。まあな、あそこまでやったんだ。いまさらこのぐらい、どうってことはないよな。
 途中、祐貴が蚊の泣くような情けない声でつぶやいた。
「哲也……」
「ん?」
「あの……ありがとう。それから、ごめん」「なんだよ、急に」
「だって……」
 あいつは申し訳なさそうに顔を伏せた。俺も素直に謝罪した。
「俺のほうこそ悪かったよ。勝手にあんなことしてさ。びっくりしたろ」
「ううん、助かったよ。哲也の機転のおかげで、ショーぶち壊さなくてすんだもんな。感謝してる。あんな……人前で、嫌な思いさせちまって」
 祐貴はいまにも泣きそうな顔してそう言った。
 ばか。よせよ。謝るな。いまさらながらに意識しちまうだろうが。
 それにーー、ほんというと、幸いあのキスは見事に的をはずれて、唇の横のほっぺたにしただけだったんだよな。だからどうってこともないぜ。そりゃまあ……、ちょっとはショックだったけどさ。
「別にいやじゃなかったぜ。なかなか柔らかくて、いい口ざわりだったしさ、おまえのほっぺた」
 俺はそんな強がりをいって笑った。祐貴もくすりと笑った。
 そうだ。笑ってごまかして、忘れようぜ。どうせ見てたみんなだって、すぐに忘れるんだ。ちょっとしたパフォーマンスさ。ばっちりきまってよかったじゃん。それだけのことにしとこうぜ。
 なあ、祐貴。
 保健室に着くと、誰もいなかった。養護の先生まで学祭見物にいってんだろうか。
「しゃーねーなあ、まったく」
 俺はぶつぶつ言いながら勝手に棚から湿布薬をとり出した。湿布の置き場所はよく知ったもんだ。剣道部でしょっちゅうお世話になってるからな。
 俺は祐貴の足を見て、思わず驚嘆の声をあげた。
「うひゃあ、おまえ、よくこれで歩いてたな。感心しちまうぜ」
「わあ、ほんとだ。どうりで靴がきついと思った。こんだけ腫れてりゃなあ」
 祐貴は他人ごとのようにそんなことを言った。呆れた奴だ。もう舞台も終わったんだから、痛がったっていいのに。
 俺が慣れた手つきでサロンシップをあて包帯をまいていると、山澄がやってきて、やけに元気なく言った。
「祐貴。おまえに面会」
 面会? 学校に?
 誰だろうと俺も祐貴と一緒になって顔をあげると、山澄のうしろから見覚えのある人が現れた。
 背の高い、超ハンサム。
「秋生さん……」
 祐貴がぽつりとつぶやく。
 それは祐貴の恋人のあの人だった。
 彼は優しい笑みを浮かべながら入ってくると、祐貴の座ってるベッドの縁に腰掛けた。そしてじっと祐貴の顔を見つめた。
「今日、仕事だったんじゃ……」
 祐貴が力なく訊ねる。彼は穏やかに微笑んで答えた。
「ちょっと心配になったもんで、抜けて見に来てみたんだ。ごくろうさま。無事すんで良かったね」 
「秋生さん。俺……」
 祐貴は情けない顔をむけた。
 秋生さんは大きな手をあいつの頭に乗せると、子供を誉めるみたいに、くしゃくしゃと撫でた。
「とてもいいショーだった。祐貴ももう立派なモデルだね。最高のウォークだったよ。初舞台おめでとう」
 それを聞いた途端、いまのいままで一滴の涙も見せなかったあいつの目に、大粒の滴が溢れた。
 そして彼の胸にすがりついて、祐貴はガキみたいに泣き出した。
「痛いよー。痛かったよー、秋生さぁん」
 恥も外聞もなく、わんわん泣く。こらえていた涙をいっぺんに吐き出すように。秋生さんは黙ってあいつの髪を撫で続けていた。
 俺はと言えば、しっかりおじゃま虫なことも忘れて、息を飲むほど感動的なその光景にすっかり見とれていた。
 と、山澄がそっと俺の服をひっぱった。俺もようやくその場にいることの罪を感じて、ふたりで足を忍ばせて退室した。
 俺と山澄は、交わす言葉もなく、無言のまま体育館へと戻った。
 だが俺の頭からは、いま見てきた光景が離れなかった。
 歩きながら、俺は考えた。
 あいつは、祐貴は、本当にあの人が好きなんだろう。男であろうと女であろうと、そんなこと関係ないくらいに、愛しているんだろう。きっと世界中の誰よりも彼が大切で、必要で、大事なんだ。
 俺がどうけなそうと、まわりの人間がなにを言おうと、そんなこと全然気にならないくらいに心底愛してる。そしてそれは、あの人もまた同じ気持ちなんだろうな、きっと。
 それってもう、変だとかおかしいとかいうレベルを越えてるよな。誰かがなにかを言える世界じゃないよな。
 なんたって、ホモの嫌いなこの俺が、素敵だなって感じるくらいなんだから……。
 男同士の恋愛か。俺にはそんな趣味はないし、男に惚れる気持ちはわからない。やっぱりどうしても理解できない。
 けど、あいつを見てると、まあ、いいやって気持ちになっちまった。本気で愛し合ってるなら、しかたがないじゃないかって、思えるようになっちまった。
 あーあ、ついにこの俺も、感化されちまったのかなあ。正常な感覚には自信があったんだけどな。
 でも、俺の負けだ。認めるよ、祐貴。おまえの愛情。(もっとも、俺が認めようが否定しようが、あいつには全然関係ないんだろうけどさ)
 しかしまあ、少なくとも俺は、今後あいつの前でホモを馬鹿にするような言葉は口にしないし、あいつのことも毛嫌いしたりはしないと思う。学祭が終わった後も、隣同士仲良くやれるかも知れない。
 もっともキスだけはもうこりごりだけどさ。
 ふと山澄をみたら、あいつはずっと下を見ながら、真面目な顔で歩いていた。その横顔が、なぜかとても印象的だった。


 ショーは翌日もあったけど、さすがに祐貴にはドクターストップがかかって、それになにより、もう独りでは一歩も歩けないような状態だったので、やむなくあいつも出演をあきらめた。
 代わりに、自分が責任をとるんだと、山澄が代役をかってでた。
 あいつもほとんどぶっつけ本番でがんばった。当然のことながら、いかに山澄といえども祐貴のようにきれいに歩けるわけもなく、おまけに服のサイズも違うんで、かなり見劣りはしたけれど、その分たっぷりの芝居っけでカバーして、舞台はなんとか満足いくものにしあがった。
 前日おおうけした例のキスシーンは、そのまま実行されることになった。むろん俺は山澄の野郎となんか、たとえほっぺたにだってキスなんぞしたくなかったから、そーゆー格好だけ演じてごまかした。(ほんとは格好だけでも嫌なんだけど)
 だが観客には相変わらず拍手喝采をもらってしまい、最後なんてアンコールまでかかって、俺はちょっとしたスターだった。
 とはいっても、いい気分になんかなれるはずもない。どうせこれが終わったあとは、しばらく、ホモだのおかまだの、俺が一番聞きたくはなかった言葉をみんなに言われるんだろうな。
 よりにもよって、なんで俺が。
 まあ、いいけどさ。
 祐貴は、休んでもいいのに、痛い足をひきずって律儀にやってきては、椅子に腰掛け舞台の袖で、最後まで俺たちのショーのできを見守っていた。
 ときおり、とても残念そうな顔をしていた。ほんとに、あきらめが悪いっていうか、負けん気が強いっていうか……。
 それでも俺がウェディング姿で舞台の上からVサインをしてやったら、あいつは大笑いして喜んでた。
 そうしてーーたった二日間の俺たちの初舞台は、幕をおろしたのだった。


7   祭の後の舞台の下で……!


 すっかり客が帰ったあとの校庭は、なんだか妙に寂しさで溢れていた。
 本格的なあとかたづけは明日だから、出店や看板はそのままになっている。だがもう命は宿ってない。それがやけに悲しげなのだ。祭の後の寂しさってやつなんだろう。
 結局最後までつきあって残っていた祐貴を、俺はチャリンコの後ろに乗せて、家まで送っていってやることにした。
 さあ帰るぞという間際になって、あいつは突然俺の背中で言い出した。
「あ、いけね。体育館の控え室にブレザー忘れてきた。俺、とってくる」
「ブレザー? ったく、しゃーねーなあ。いいよ、俺が行くから、おまえここで待ってろ」
 俺はあいつをひとり残して、体育館へと戻った。
 がらーんとした廊下に足音が響く。あんまり気持ちのいいもんじゃない。俺は急ぎ足で歩いた。
 照明の消された体育館は、窓に暗幕が張られていて外の明かりも入ってこないので真っ暗だった。
 だがみんな帰ってしまって誰もいないはずの、控え室替わりの用具置き場は、なぜか明りがついていて、闇の中にぽうっと白く光っていた。
(う、な、なんだ……?)
 俺は不審に思って、少々びびりつつも、そっと中をのぞきこんだ。そこには山澄がひとり、背中を向けて立っていた。
(なんだ、山澄か。なにやってるんだ、あいつ?)
 見ると、手に紺のブレザーを持っている。祐貴のに違いない。俺は声をかけようとした。
 だが慌てて、でかかった言葉を喉の奥で飲み込んだ。
 あいつは、両手に握った祐貴のブレザーをじっと見つめていたが、おもむろにそいつに顔をうずめ、抱きしめた。
 そして、長い間、身動きひとつしなかった。
 泣いているわけじゃなかった。肩も背中も震えてはいなかったから。だが、その姿は泣いている以上に、悲しみに満ちていた。せつなげだった。
あいつはじっと耐えていた。なにかを……。
 俺は言葉もなくその場に立ち尽くした。そして、ほんの少しだけタイミングの悪かった運命って奴を恨んだ。
 あいつのこんな姿は、見るべきではなかったのだ。誰も知らない、そして誰にも知らせはしないだろうあいつの想いを、冗談や笑顔で包み隠していたあいつの心の奥底を、知るべきではなかったのだ。永遠に。
 だが罰の悪いことに、山澄は敏感に人の気配を感じ取ってふりむき、そしてそこに俺の姿を見つけた。
 俺はといえば、なんか演技をするなりごまかすなりしてその場を取り繕えばいいのに、なんたって根が正直な人間なもんだから、何も言えず、結局ばればれの状態で馬鹿みたいにつっ立ってるだけだった。
 奴は何も言わず、黙って俺を見つめた。やがて、かすかに笑った。
「なんだ、哲也か。どうしたんだ?」
 俺は一歩だけ中に入った。
「うん、祐貴がブレザー忘れたって言うからさ。とりにきたんだ」
「ああ、これだろ? いま持っていこうと思ってた」
 奴は俺が見ていたことを知っているのだろうに、なにもなかったような顔をしてブレザーを差し出した。  
 俺も何も言わずに受け取った。
 それから奴は用具室の明りを消して、俺と並んで歩き出した。
 すっかり日暮れて暗くなった長い廊下を、俺たちはひとことも喋らずに、ただ黙々と歩いた。別段気まずさがあったわけじゃない。黙っていることが、その時の俺たちには一番心地よい気分だったからだ。
 俺は、その沈黙を破ってひとことだけつぶやいた。
「なあ、山澄」
「ん?」
「あのさ……、いい舞台だったよな。なかなか」
 奴は顔をあげ、俺を見た。そしてにっこりと笑って答えた。
「ああ、いい舞台だった。最高だったぜ」
 俺たちは顔を見合わせ、もう一度笑った。なんだか極上の気分だった。
「あーあ、ほんとに終わっちまったんだよなあ、学祭も、俺たちの初舞台も。なんだかあっという間だったな」
 大きく伸びをしてうめいたあいつは、もういつもの山澄だった。
「学祭は来年もう一年あるけど、三年は受験も控えてるし、おもいっきり馬鹿できるのはいまだけだもんなあ」
 あいつは残念そうにそう言った。
 俺はちょっと横目で見て、皮肉いっぱいにたずねた。
「じゃあおまえ、来年は馬鹿やらないのか?」
 山澄は一瞬まん丸く目を見開き、それからにんまりと笑って答えた。
「やるよ。もちろん」
「当然だよな。なんたって、常識やぶりの男子校だもんな」
「そうそう。だいたい、馬鹿でもやらなきゃ、こんな野郎の園にいられるかってんだよ」
「まったくだぜ」
 俺たちは二人して大笑いした。
 玄関に着くと、祐貴が口をとがらせてぶうぶうと文句を言った。
「遅いぜ、哲也。なにやってたんだよ、もう」「お、忘れ物人にとりにいかせて、それはないじゃんよ。いい態度じゃねーか。え?」
「だってさー」
 祐貴の顔が泣きだしそうになる。
「独りで待ってたら、寂しいじゃないかよ。もう暗いのにー……」
 あいつの情けない顔を見、俺と山澄は同時にぷっと吹き出した。
 夕暮れの風の中、はがれたポスターがひらひらと校庭を舞い飛んでいった。俺と山澄の笑い声、そして祐貴の怒る声がいつまでも響いていた。


8   そして日常は続くのさ……!


 またいつもの日々が始まった。
 毎日の学校、見慣れた男どもばっかりのクラスメート。眠たい授業に、早弁。テスト前の隠れ内職。なにひとつ以前とかわらない風景。
 いや、ひとつ変わった。席替えがあって、俺と祐貴は隣同士ではなくなった。
 いま横にいるのは、野球部の硬派だ。だからもう尻がもぞもぞすることもないし、胸のドキドキもない。ごく普通の、ノーマルな学生生活である。
 祐貴の席は、俺と遠く離れた廊下側の一番前の席だった。
 だがそこにあいつの姿はなかった。奴はあの学祭の日から、ずっと欠席しているからだ。
 なんと、祐貴の足はただの捻挫やひねっただけではなく、ひびが入っていたんだそうだ。それであそこまで歩きまわったってんだから、まったく、つくづくたいしたものである。
 もっとも無理がたたって、入院こそ免れたものの絶対安静状態なんだそうで(でも試験前に堂々と休めるなんて超ラッキーだよな)、ずーっと家にこもっているわけだ。
 昼休みに山澄が寄ってきて、俺に言った。
「なあ、今日の帰り、祐貴のうちに見舞いに行かないか? デートの予定ないだろ?」
 わざわざデートとつけるところが嫌みったらしい奴だ。
「デートはないけど、部活がある。いくから終わるまで待ってろよ」
「オーケー、マクドにいるよ」
 山澄はそう言っていったん立ち去りかけたが、また戻ってくると、にんまり笑って俺にべったりとくっついた。俺はうっとうしそうに眉をしかめた。
「なんだよ、気色わりぃな」
 奴はにやにやしながら言った。
「なあ、俺さ、おまえと親友やってて、よかったなあと思うぜ。ほんと」
 誰が親友だ、誰が。おまえみたいのは普通悪友っていうんじゃないのか。
「俺たち三人って、なかなかバランスのとれた、いいメンツだと思わない?」 
「三人って、誰と誰の話だよ?」
「俺とおまえと祐貴さ」
「なんで祐貴が出てくんだよ」
「あ、だめか? なら、あいつははずすとしてー」
 奴は探るように横目使いに俺を見た。俺はもごもごと口ごもりながら答えた。
「まあ……いいけどよ。別に」
「そうかあ。へへへへへ」
 またにやーっと嫌な笑いを浮かべる。まったく。ほんっとーに、やな奴だ、こいつは。人をおちょくることに心底喜びを感じていやがる。いっぺん殺したろーか。
 山澄は俺ににらまれて、へらへらしながら教室から出ていった。
 窓の外では、澄んだ青空のまん中で、お日さまがキラキラと輝いてた。細いいわし雲が、すっかり秋の訪れを告げていた。


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