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花咲くふたり

 

  本作品は「春祭り」参加作品です

花咲くふたり


 リュータとみさきは、同じ専門学校に通う二十歳だ。
 彼らは親に内緒で旅行にやってきた。嬉し恥ずかし初めての二人きりお泊りだ。
 目的地は札幌から百キロほどの町にある温泉宿だった。JRで近くまで行き、あとはバスで移動とガイドブックにある。
 学校の友人や知り合いに出くわすことは、まずありえないだろう小さな宿を狙ってみた。
 目当てはもう一つ。その街にある樹齢百年とも言われるエゾヤマザクラの巨木。通称「逢瀬桜」を見ることだった。
 伝説では、冤罪を着せられた菅原道真が蝦夷に落ち延び、アイヌの娘と恋に落ちたことに由来すると言う。
 時代も土地もめちゃくちゃな物語だが、まあ、北海道にはよくある伝説の類だ。気にするだけ野暮というもの。ありがたがって桜の下でジンギスカンを喰うのが粋ってものだ。
 JRの中では、二人はわざと離れて座った。
 誰かに見られたら大変という用心だ。しかし五分置きに席を立ち、お互いの横を通り過ぎては、チラッと視線を投げあった。よほど怪しい挙動だが、顔を見たい衝動に抗えない。
 途中三度ほどトイレ前で落ち合ってキスをした。もどかしい時間がまたたまらない。
 やがて列車は駅に着いた。小さな無人駅は見事に人影がない。
 二人はまたキスをした。
 そこから逢瀬桜までバスで十分だ。しかし彼らは歩くことにした。
 水色の空。黄緑色の白樺の新芽。風のない気持ちの良い天気だ。歩かない手はない。
 駅を少し離れると、すぐに家が途切れた。
「みさき」
「リュータ」
 二人は道の真ん中で抱き合ってキスをした。
 お互いの笑顔がうれしくて愛しくてたまらない。手をつなぎぴったりくっついて歩いた。そして三分ごとにキスをした。
 倍ほどの時間をかけて、二人は逢瀬桜に辿りついた。
「わあ。すごい」
 みさきが思わず声を上げた。それはそれはみごとな桜だった。
 山あいの畑も作れない細い道。その脇に逢瀬桜はあった。
 大人が数人がかりで腕を回さねば届かないような太い幹。段違いに三叉に分かれた根元から、赤黒い桜皮で覆われた幹が力強く伸びていた。
 その先はいくつに枝分かれしてるのかとても数え切れない。
 頂上の枝ぶりは見事な扇形。枝という枝すべてが花に覆われていた。
 まさに咲き乱れと呼ぶにふさわしい。
 道の両側から迫る低いが急な山肌はいまだ緑が萌えていないため、得もいえない圧迫感をかもし出していた。
 その中で逢瀬桜は凛として立ち、一人春の訪れを宣言していた。
 リュータは逢瀬桜の堅い幹に触れた。
 さわさわと花が風を受ける音がした
「来てよかったわ」
「僕もさ。愛してるよ」
 今日何十回目かのキス。
「見て。猫が桜の枝で昼寝してる」と、みさき。
「えっ。どこ?」
 にゃーー、と小さな泣き声がした。リュータが見上げた先に三毛猫がいた。
「あそこにも」
 みさきが指差した先には黒猫が枝にうずくまっていた。
 二人に見つかったことに気づいた黒猫は、ゆっくりと歩き出し三毛猫の元に行った。
 二匹は頭をこすり合わせて、ごろごろと喉を鳴らした。
「うふふ。キスしてるみたい」
「僕たちみたいにラブラブなのさ」
 今度はみさきからリュータにキスをした。
 長いキスのあと、唇を離して逢瀬桜を見上げると、二匹の猫はぴったりと寄り添ったまま目をつぶってまん丸になっていた。
 満開の桜の中で仲良くまどろむ猫たち。なんとも言えず優雅で平和な風景だった。
「僕たちお邪魔みたいだね」
 二人はぴったりと寄り添って宿にむかった。


 夜。温泉に入った二人は浴衣に着替えてくつろいでいた。
 テレビは四つのチャンネルしか映らない。携帯も繋がらない。他に泊まっている客もいないようすだった。
 宿はおばあさんが一人で切り盛りしていた。
 夕食は、まあ、なんとなく温泉宿っぽいメニューを取り揃えていたが、山菜以外新鮮なものもなく、もう一つだった。その山菜もまだ時期が微妙に早いらしく数はない。
 そんな中で、アイヌねぎの卵とじはすばらしかった。
「おいしいね」と、みさきがにこにこ顔で言った。
「おいしいけどすごい匂いだ。舌がピリピリする」
「きっと今夜の私たち、めちゃくちゃ臭いわね」
「でも元気ついちゃって大変かも」
 くすくすと笑いながらリュータが言った。
「いやん。もっと食べて」
 みさきは頬を染めながらリュータを見つめた。
 正直言って料理の味なんてどうでもよかった。二人っきりで秘密の旅行をしている興奮に舞い上がっていたから。
「缶チューハイ飲む?」
「うん。ちょっとだけね」
 リュータは持ち込みのオレンジチューハイの缶を開けてグラスに注いだ。
「乾杯。みさき」
「リュータ。大好き」
 二人はテーブル越しにキスをした。
 どうにもキスが止まらない。


 北海道の桜の季節。夜はまだ寒い。日によっては暖房をいれなければならないほどだ。
 温泉でたっぷり温まったリュータは、二階にしつらえられた彼らの部屋から逢瀬桜のあるあたりを見ていた。
 街路灯などない田舎の道だ。そこには黒々とした闇が続いているだけだった。
「うーーん」
 いくら目を凝らしても見えない。リュータは部屋の照明を消してみた。
 しばらくすると目が慣れてきた。満天の星空が広がっていたことに気がついた。
 腰をかがめて身を乗り出した。
 なにかの輪郭が見えた気がした。
 後ろで、スッと引き戸が開けられた音がした。
「きゃ……びっくりした。どうして明かり消してるの?」
 みさきが風呂から帰ってきたのだ。廊下の光りが部屋に射し込んだ。
「早く閉めて」
「なにか見えるの?」
 みさきは中腰のリュータの背中に抱きついた。
 女の子の良い香りが、ふわっとリュータを包んだ。
「お、逢瀬桜が見えないかと思ってさ」
「やだ。なに恥ずかしがってるのよ」
「いや、だから桜さ」
 みさきも彼の肩越しに、じっと闇を見つめた。
「あっ。見えた」
「ほんとうに? どこさ」
「あそこよ。ほら。すぐそこの木の枝」
 みさきはずいぶん近いところを指差した。
「昼間の猫じゃない? また二匹で枝にいるわ」
「猫じゃなくてさ……」
 そのとき二人は不思議な光景を見た。
 なにか小さなかけらが無数に舞っていた。それは花びらのように二匹の猫の周りに広がっていた。
「さくら……桜の花よね」
 みさきがつぶやいた。そこは宿の正面。彼らが昼間通った場所だ。
「桜なんてあったっけ?」と、リュータ。
 みさきは首を降った。気づかなかった。

 にゃーー

 と、泣き声がかすかに届いた。
 まるで黒猫が三毛猫のために、魔法で桜の花を咲かせたかのようだ。
 リュータが言った。
「きっと猫のまん丸な目にはきれいな桜が見えてるんだろうね」
「あっ。ずるいな。いいな。人間には見えない」
 みさきは後ろから抱きついたまま、リュータの頬にキスをした。
「リュータは私にどんな花を見せてくれるの?」
「気分は薔薇の花束さ」
「お姫様みたいにかわいがってね」


 翌日、宿を出た二人は、猫たちがいたあたりの樹を見た。
 それはさくらんぼの樹のようだった。
 まだ蕾すら膨らんでいない。
「……不思議ね」
「そうだね」
 二人は軽くキスをした。そして手をつなぎ、駅に向かって歩き始めた。
 昨日よりもまた一日。確実に春が近づいていた。
 来るときにはなかったフキノトウが道端に顔を出した。カタクリの群生があちこちで花を開き始めていた。
 逢瀬桜の巨木が見えてきた。
 花はたしかに咲いていた。しかし満開には程遠い五分咲きだ。
 二人は立ち止まり逢瀬桜を見上げた。
「すごいな。あの黒猫。彼女のために、こんな大きな桜の樹を満開にして見せたんだ」
「三毛猫は黒猫のこと大好きでしょうね」
「黒猫が彼女のことを大好きでたまらないのさ」
 リュータはみさきの顎に手を当てて横を向かせた。そして頬にキスをした。
「みさきの香り。いい香り」
「うん……」
 山の香り。花の香り。新緑の香り。
 でもリュータはみさきの香りに夢中だった。
「部屋から猫の桜を見てたとき、黒猫たちもこっち見てたの知ってた?」
「えーー。そうだったの。知らなかった」
「目が四つ、こっちを見てキラキラしてた」
「やだ。ずっと見られていた?」
「興味津々って感じだったよ」
「もう。言ってよ。リュータったら」
「みさきは可愛いから見せびらかしたいのさ」
 二人はまたキスをした。
「猫たちは花が見えてたかしら」
「僕たちの花?」
「そう。薔薇のつもりの花」
 リュータは荷物を放り出すと、みさきを羽交い絞めにしてキスをした。
 お互いの息が鼻から唇にかかってくすぐったい。
 まだときどき歯がぶつかったりもするけれど、二人のキスはいい感じに息が合ってきた。
「僕たちはだれかに桜のまぼろしを見せられるかな」
「見せてあげたいね」
 いちゃつくのに忙しくてゆっくりゆっくり進む二人。
 やがてその姿も見えなくなったころ、黒猫と三毛猫が現れた。
 二匹は彼らの足跡を不思議そうに嗅いだ。
 三毛猫が黒猫に頭をすりつけて甘えた。
 リュータたちのキスしていたあたりに立ち止まった二匹は、黄色い花が咲いているのを不思議そうに見つめた。
「にゃーーーっ」
 そして首をめぐらすと、二匹の周りは一面のたんぽぽ畑になっていた。





使用お題:桜 新芽 咲き乱れる


 

 

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