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粋洗(すいせん)の城

トイレなファンタジー

 

 ャミオスは、パ・ルテティア国の王宮舞踏会に招待された
 招待客だけで300人は下らない大きな会だった。付き従う者たちや主催する側の者たちも入れると、数千人の人間が集まっていたことだろう。
 日の高い時間に始まった舞踏会は、深夜を回るまで盛大に催された。
「おおいに飲み。おおいに食べ。大いに踊ろうではありませんか!」
 パ・ルテティア国王ジェッツ4世は、灰色の長い髭を真紅のリボンで三段締めにするという、冗談のようないでたちで笑顔を振りまいた。
 若いのである。公称30歳となっているが、実年齢は25歳ほどとのことである。
 若くして王位を継いだジェッツ4世だが、底抜けに陽気な風貌に似合わず、いろいろと苦労はあるらしい。
 もっとも一番の問題は、すでに10人を越える子供たちの認知の件らしい。
 総じてパ・ルテティア国は、平和で豊かな国だった。
 人々は大いに遊び飲み食いをし、パ・ルテティア国王を讃えた。


  翌朝、キャミオスは早起きして、白く薄いモーニング用のドレスを着た。その上に黄色いガウンを羽織って、昨夜舞踏会が開かれたホールに繋がる大きな回廊を歩いていた。
 途中に見晴らしの良いベランダを見つけて外に進み出た。
 良く手入れされた庭では、数十人の使用人が、籠を下げて火バサミのようなものでなにかを拾っていた。
「ゴミ拾いかしら。精の出ること」
 キャミオスはすがすがしい気持ちになって、大きく深呼吸した。
「…………」
 そして不思議な芳香に形の良い眉をひそめた。
「なんの香りかしら……?」
 うららかな春の日差しは、早朝を過ぎると気温をじわじわと押し上げて行った。
 さわやかな朝の霧が空に消えて行ったあと、宮殿の庭はえも言えぬ香りに包まれて行った。
 とてもなじみのある。でもこの美しい庭にはおよそ不釣り合いな香りだった。
「キャミオス様」
 後ろで礼儀正しく踵を鳴らす音がした。
「昨夜の舞踏会では、キャミオス様が一番素敵でした」
 振り向いたそこには、ロスグラードから招待された天才博士アリウスがいた。
「アリウス様。ご機嫌うるわしゅう」
 ドレスのすそを持ち上げて、礼儀正しく挨拶する彼女は、とても可憐だった。
 アリウスは供の者も連れずに一人でいた。キャミオスの付き人二人は遠慮して少し下がった。しかしアリウスの言動に聞き耳を立てているぞ、という牽制のポーズを示した。
 アリウスは、苦笑しつつ箱入りお嬢さまなキャミオスをエスコートした。
「さあ、朝食に行きましょう。まだいささかも空腹ではありませんが」
「はい。昨日は楽しまれましたか?」
「目も舌もおおいに楽しませていただきました」
 二人は朝食会場である、城のメインポールに向かった。そこは舞踏会場から見ると、庭の反対側にあった。
「せっかくの見事なバラ庭です。愛でながら行きましょう」
「はい」
 キャミオスは嬉しそうに微笑んだ。アリウスが聞いた。
「ああ、キャミオス様。ハイヒールは履かれていますか?」
「えっ? いいえ」
 なぜ彼はそのようなことを聞くのだろう、と不思議に思いながら彼女は答えた。
「わかりました。どうぞ私の後ろからおいでください」
 アリウスは、にっこりと微笑むと、法呪文を唱えだした。


「前払い寄せて払い蒼き清浄の傘に触れし石よりも柔らかき命なきものは疾く我を避けよ」


 彼の正面に、うっすらとした圧迫障壁が展開した。
 キャミオスは驚いて聞いた。
「庭を渡るのに、そのようなものがなぜに必要なのでございますか?」
 アリウスは行儀悪く、肩をすくめて言った。
「足元を気にせずに庭を楽しむためです。この香りだけはどうにもなりませんが」
 一行は庭に降り立った。
「美しい。なんとみごとなバラでしょう」
 アリウスが言った。
 しかしキャミオスは、彼の足元が気になってしかたなかった。
 青白い輝きを放つ圧迫障壁がじわじわとなにかを左右によけている。
 どう見ても清潔には見えない濡れたペースト状の代物は、バラの香りと混ざってくらくらするような臭気を放っていた。
 黄色っぽい塊が茂みの中にも転がっている。
 ベランダから見た使用人達は、それを拾って回っているらしい。
 キャミオスのお付きの二人は、世間知らずなお姫様が、足場の悪い庭で尻餅をつかないか、冷やひやしていた。
 彼らは見えない傘を足元に押しつけて、路上の様々なモノを押し退けながら歩いているようなものだ。
 キャミオスは、はっと気がついた。
「アリウス様。これは……」
 押し退けているモノとは……糞尿にゴミと昨夜の食べ物や飲み物が入り交じったペースト状の代物だった。
「お気づきになられましたか? どうかドレスの裾にお気をつけください」
 キャミオスは、ゾッとして棒立ちになった。
「ど、どうしてこのようなマナーにもとることが? 下々も者達でも来ていたのでしょうか?」
 アリウスは微笑みながら言った。
「この国には、トイレがないんです」
「えっ?」
「朝からこのような話しは恐縮ですが。この国では、用を足すのは家の外か壺なのです」
「壺は……」
 自分もそうしていると言いそうになって、キャミオスは口ごもった。
「壺の中身の処理の仕方が問題です。キャミオスのお国ではどうされていますか?」
「それは…」
 キャミオスは本当に知らなかった。いつもお付きの者が片づけてくれていたからだ。
「私の記憶が正しければ、キャミオス様のお国では、農家の者が回収して肥料にしているはずです。ロスグラードも同様です」
 彼女は素直に感心した。知らなかった。
 付き人に視線を向けると、その通りだとうなずいた。
「しかしこの国では、そのような習慣がありません。窓から投げちゃうんです」
「窓……まさか……でもそんなことをしたら」
「まあ。そう。こういうことになります」
 アリウスは困ったように周りを指さした。


 朝食会場の入り口には人工の浅い川が流れていた。
 橋はない。しかし川の幅は5メンツルもある。飛び越えられる距離ではなかった。
 次々と集まる客たちは、朝の挨拶を交わしながらにこやかに川に入っていった。
 深さは3シーメンツル程度だ。ハイヒールの底が浸るに良い深さである。
「アリウス様。これは……」
「靴を洗え、と言っているようですね」
「…………」
 編み上げサンダルのキャミオスは、仕方なくそのまま足を踏み入れた。
 渡り切ると付き人がささくそとキャミオスのつま先を布で拭いた。
 アリウスは、彼女の前に横に立つと肘を曲げた。
 キャミオスは、ほっと安堵の表情を浮かべて、すがりつくように両腕を巻きつけた。
「皆様。どうぞこちらへ。朝食会場は5階でございます」
 係の者達が、客達を立ち止まらせることなく、赤いカーペットが敷きつめられた大きな階段に誘導した。
「……五階……」
 やっと階段を登り切ったキャミオスは、ぐったりした表情で、アリウスの顔を見上げた。
 彼は学者らしからぬ体力で、息一つ切らしていなかった。
「キャミオス様。ご覧なさい。すばらしい眺めです」
 アリウスにうながされるまま、彼女は視線を窓に向けた。
 朝食会場は、巨大なサンルームだった。壁一面がすべてガラス張りだ。
 城の庭が一望できた。
 大きな建物に思えた昨夜の舞踏会場も眼下におさまっていた。
 庭の緑と、建物の赤い屋根の連なりは、それは美しかった。
 ガラスの中に窓を作るという、高い技術で作られたたくさんの窓が開け放たれて、すがすがしい空気と鳥たちの声が会場に広がった。
「なんてきれい」
 キャミオスは、テーブルにつくことも忘れて窓に歩みよった。
「おはようございます。皆様」
 ジェッツ4世が、軽快なジャケットを羽織り現れた。
 今朝の髭は、赤青黄色のトリコロールカラーに染められていた。
「ただいまより朝の粋洗(すいせん)をご覧いただけます」
 キャミオスはアリウスに聞いた。
「すいせんとはなんでしょう?」
「初めて聞きました。私も知りません」
 と、言いつつも。なんとなく想像がつくだけに、いやあな響きだった。
「まあ。アリウス様もご存知ないことがあるのですね」
「たのしみです」
 アリウスは唇の端だけで笑顔を作った。
「皆様。外をご覧ください」
 ジェッツ4世は、舞踏会場の屋上に据えつけられた、アンバランスなまでに大きな貯水タンクを指さした。
「どなたかのお手伝いをいただけますかな? そう……そちらの白いドレスの美しいお嬢さま」
 王の指先はキャミオスを指していた。
「わたくし、ですか?」
 驚くキャミオスの元にジェッツ4世は歩み来た。王は従者が黄金のトレイで差し出した短デュウを取り、キャミオスに差し出した。
「どうぞお嬢さま。あーー」
「キャミオスと申します」
「キャミオス姫。このデュウでタンクをお撃ちくださいませ」
 彼女はうながされるままに短デュウを手に取ると、窓ごしに銃口で狙いを定めた。
「こ、これでよろしいのですか?」
 王はにっこりと笑い、大声を上げた。
「わっ!!」
「きゃあ!」
 王に驚かされて、キャミオスは引き金を引いた。
 パンと空砲が鳴り響いた。
 ポッ、と貯水タンクから白い煙が立ちのぼった。
 バルブがはじけ飛ぶのが見えた。


 ざああーーーっ


 タンクから大量の水が流れだして、舞踏会場の屋上はたちまち水に満たされた。
 水は階段室に流れ込んで、舞踏会場に落ちて行った。
「た、たいへん! 私はなんてことを……」
 真っ青になったキャミオスは、短デュウを両手で握りしめたまま、王とアリウスの顔を見て泣きだしてしまった。
「はあっはっはっ」
 ジェッツ4世は腹を抱えて大笑いした。
「おおっ。キャミオス姫。美しいキャミオス姫。私はふざけが過ぎました」
 王は銃口を自分の頭に突きつけそうな勢いのキャミオスから短デュウを取り上げた。
「どうぞ外をご覧ください。これが粋洗です」
 舞踏会場に流れ込んだ膨大な水は、やがてドアというドアから滝のように流れだした。
 水は庭を洪水のように覆い、水に溶けるあらゆる物を押し流した。
 やがて水は、門の外に続く市街地に向かって大河を築いた。
「おおおっ」
 朝食会場に集まった客たちから感嘆の声が上がった。
 キャミオスもからかわれたことを忘れて、圧倒的な水のショーに見とれた。


 ジェッツ4世は、上機嫌でワイングラスを手にして言った。
「いかがかね。神の記憶を持つと言われる大博士アリウス殿」
「いや。すごいです」
「神の記憶にもこのようなものはあるまいて」
「汎神族は、トイレを持っていますから」
 えっへん、と胸を反らすジェッツ4世に、アリウスは困って微笑んだ。
 皮肉もほめ言葉と取る主義の王は、早くも二杯目のワインを手にした。
「キャミオス姫も堪能していただけましたかな?」
「ええっ。はい。すばらしいショーでした」
 素直に感動する彼女に、彼の機嫌はますます絶好調だった。
「つまり」
 アリウスは、頬を人指し指で掻きながら言った。
「えーーと。これは。城の糞尿を市街地に向かって洗い流したわけですね」
 王は踊りだしかねないステップで、マントをひるがえした。
「わーーははははははっ!」
 そしてウィンクを決めて言った。
「私は綺麗好きであるからな」



 

 

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