YEW冒険譚
エピローグ そして…
「はぁぁぁぁぁ……」
YEW近郊の森の中。
ポエムは一人深いため息をついた。
辺りに他に人影はない。
ミネアの村へのオーク襲撃から既に3日。
ポエムがミネアの村を出たのはつい先ほどのことだ。
他の仲間は治療の為、あの事件の後すぐにYEWへと帰っていった。
ポエムは村人たちの治療の為に一人村へと残った。
医学と同じく薬学も仁道との考えの通り、ポエムは無償で
薬を村人に配った。
怪我人にあふれ、物資も不足していたミネアの村にはこれほどの
助けはなかっただろう。
事実、ポエムはまるで救世主のごとく村人に扱われていた。
それはいい。
しかし、少しばかりお伊達に乗って大盤振る舞いしすぎたようだ。
もともと薬師というのはそれほど儲かる職業ではない。
悪どいことで儲けるなら話も変わってくるが、普通の薬師は
材料費を差し引けば儲けなどスズメの涙だ。
ポエムももちろんその後者にあたり、日々金策には苦労している。
そんな人間が考えなしに薬をただで配ればどうなるか。
大赤字である。
というか、すでに材料費すら危ない。
「…ちーと、気前よすぎたかなぁ。
いや、でもあの期待と尊敬に満ちた視線。
気持ちよかったしなー」
どこかうっとりした視線で虚空を見上げるポエム。
はたから見ると結構やばげだ。
はっと気付いたかのように頭を振る。
「いやいや、今はそんなことじゃなくて…」
軽くなった薬袋とさらに軽い財布を考えると気が重くなる。
財布の軽さに比例するように足取りは重くなっていく。
「さすがに家に置いてあった予備の薬まであげちゃったのは
失敗だったなぁ。
はぁぁぁ、これからどうしよ」
財布の中身を考えれば後数日食いつなぐのがせいぜいだろう。
薬の材料費にはとても足りない。
調子に乗って自分の家に造り置きの薬まで村にあげてしまった為
薬師の行商も出来ない。
当然、蓄えなんてものはない。
『怪我人や病人が私のことを待っているのよ!!』
そういって引き止める村人を説き伏せて村を出たのはつい先ほどのことだ。
何の事はない。
配る薬が尽きて自分の現状に気付いたのだ。
既に財政的にはミネアの村なんかよりよっぽどやばい状況だった。
…というかに破産に近い。
それを村人に悟られる前に村を救った英雄をとして旅立ったのだ。
恐らくミネアの村にはポエムの名が長く伝えられることになるだろう。
それはそれで誇らしくあるが、それで財布は重くならないのが現状である。
「はぁぁぁぁぁ…」
ポエムはもう一度ため息をつくとゆっくりと足を進めた。
なんというか、少なくとも村を救った英雄には見えない。
しばらくとぼとぼと歩いていたポエムだったが、突然ばっと顔を上げた。
その顔には生気が戻っていた。
「そうだっ!!
かにまる達に使ったポーション代、まだもらってないじゃない!!」
そういって拳を握り締め、にやりと笑った。
「なにしろ命の恩人だもんねー。
少しは多めに請求しても問題ないわよねー♪
うっし、YEWに向けてレッツゴー!!」
ポエムは先ほどの雰囲気は微塵も見せず足取り軽くYEWへと向かった。
それはもう嬉しそうに…
そんでもって、ここはYEW酒場。
ちっとだけお話がシリアスに戻ります。
その場にいるのはチヅル、イサ、ミチコの三人だった。
そこに、かにまるが姿を表した。
未だ、包帯が痛々しく巻かれているがその足取りに不安はない。
かにまるの姿を目にとめるとチヅルが声をかけた。
「かにまる、怪我はもういいの?」
「ばーか、あんなの怪我のうちにはいりゃあしねえよ」
「ケ」
あの時、かに丸は助かった。
かにまるに一撃のおかげか、はたまたイサの意志の力か。
イサの一撃は致命傷には半歩分踏み込みがたらなかった。
かにまるが着ていたのがプレートメイルだったのも幸いだった。
他の鎧を着ていたなら助からなかったかもしれない。
ともあれ、かにまるは生きている。
かにまるはイサ達と同じテーブルにつくとマスターにエールを注文した。
そして、運ばれてきたエールを一息で飲みほすとチヅルへと視線を向けた。
「ニールか…
なあ、ちー。
あいつが魔術学院を追放された研究ってなんだったんだ?」
「精神操作と生命の研究よ。
どっちも魔術学院では禁忌とされているわ」
そういって息をつく。
精神操作もそうだが生命の研究は王国で禁止されている魔術研究である。
生命の研究といってもそれは延命をさすのではない。
文字通り不老不死の研究である。
その研究には多くの犠牲を伴う。
簡単な話だ。
不老不死となったかどうかを調べるためにどうするか。
殺してみるのが一番早いのだ。
不老不死の研究を進めたが為に滅びた国の伝説さえも世には存在する。
それほど忌むべき研究なのだ。
「なるほどな」
「ニールは、心を許せる存在が欲しかったのかもね。
それを、求めて…裏切られて……
結局、自分でそれを作り出すことで補おうとした」
「…その結果が邪術師ニールを生み出し、あの惨劇を作った、か」
「そう考えると、かわいそうな人ですね」
チヅルとイサの呟きにミチコが悲しげに返した。
あの時のニールにミチコは悲しみと孤独しか感じられなかった。
それだけに彼を救えなかったことが悲しい。
だが、そんなミチコの呟きは吐き捨てるような声に遮られた。
「いいえ、ただの馬鹿よ」
「ラッコさん!!
もう怪我はよろしいんですか?」
「ええ、ミチコ達のおかげね。
ほんと、感謝してるわ」
「いえ、当然の事をしただけですから」
そういってミチコはラッコへと視線を向けた。
そこにはかにまると同じように包帯を巻いたラッコの姿があった。
その後ろには付き添うようにココナとフロットの姿も見える。
ラッコもまた魔法と医術によって命を取り留めた。
といっても、その傷は深く意識を取り戻したのは昨日になってからだった。
本当ならまだ動けるほど回復はしていないはずだ。
後ろの心配そうなココナの様子を見ればわかる。
恐らく無理を言って病院を抜け出してきたのだろう。
その事にはあえて触れずにミチコは眉をしかめるとラッコに声を掛けた。
「でも、さっきの馬鹿ってのは少し言いすぎですよ。
故人を悪く言うのは感心できません」
「…馬鹿よ。
……そんな研究なんかしてないでYEWに来ればよかったのよ。
そうすれば、誰も悲しむことなんてなかったんだから」
「……そう、ですね」
苦渋に満ちたラッコの言葉にミチコは静かに頷いた。
ラッコ自身がニールの独白を聞いたわけではないが、あの後のことは
ココナから全て聞いて知っていた。
ラッコにはニールの行動は逃げているだけに思えたのだ。
そんな研究を行うよりも信頼できる仲間を探せばよかったのだ。
多少の裏切りがあろうと、それが人の全てではないことをラッコは知っている。
だからこそ、ニールの行動が許せなかった。
そこに、後ろから男の声がかかった。
「YEWには…これなかったでしょうね、彼は。
というより、彼には研究する以外の自由なんてなかったんですよ」
ラッコが振り返ると上質の紫の服を着込んだ男、トレアドール=
ベレングル=ティーナの姿があった。
トレアドールは軽くテーブルの方に会釈するとマスターにワインを頼んだ。
「トレアドール?」
「お久しぶり、というほど時間はたっていませんね。
まあ、お元気そうで何よりです」
ワインを受けとり手近なテーブルにつくとそういってワインを口に含む。
その余裕ある仕草にこめかみを引きつらせてかにまるが睨みつけた。
「…嫌味か、おい」
「いえ、本心ですよ。
ニールと戦ってそれだけの怪我ですんだこと自体、奇跡ですからね」
「ニールの事、知ってるの?」
「知ってるというより、知った…というべきですか。
あれから、タニアに調べさせました」
ココナの問いにトレアドールは軽く答えた。
「…魔術学院は体面を重んじるますからね。
ニールみたいな存在は受け入れがたかったんでしょうね。
かといって、放り出すことも出来ない。
ニールの存在は魔術学院の汚点とも言えるものでしたからね。
そう、彼が追放…いえ、逃げ出す以前から」
「どういうことだ?」
イサの問い詰めるような言葉にトレアドールはもう一度ワインに口を
付け、言葉を続けた。
「ニールがその名を邪術師として世に知られるようになったのは
魔術学院を追放されてからのここ数年。
それまで、ニールの名は世間にまったく知られていなかった。
あれほどの魔術師が、です。
不思議だとは思いませんか?」
「え?」
「…まさか」
きょとんとしたミチコの横でチヅルが息を呑んだ。
頭に浮かんだ考えを否定しようとしたが、魔術学院をよく知るチヅルには
それを否定しきることは出来なかった。
そんなチヅルにトレアドールはゆっくりと頷いた。
「御想像のとおり。
彼は魔術学院に数十年の間、幽閉されていたんですよ」
「「「「な!?」」」」
驚愕の声が酒場に走るがトレアドールは気にした風もなく
話を続けた。
「事の起こりは今から50年程前。
まだ、今ほど魔術学院が整備されていない頃の話です。
孤児だった彼は、魔術学園に引き取られ、様々な実験の対象とされていたようですね」
「…!?」
「魔術の暴走に巻き込まれたというのは、ニール逃亡後に魔術学院が流した情報です。
真実は魔術の実験体として、連れてこられた子供の突然変異。
当時は現在では考えられないような無茶な実験も行っていたようです。
暴走の結果、ニールの不死性が現れたというのもあながち間違ってはいないんですよ。
もっとも、暴走していたのは魔術ではなく魔術師の側ですがね」
「…ひどい」
ミチコの小さな呟きが酒場に響く。
それはここにいた多くの者の気持ちを代弁していた。
そんなミチコに僅かに視線を向けてトレアドールは続けた。
「一言でいってしまえば…魔術学院にとってニールと言う存在は
過去の汚点でしかなかったんですよ。
幾度となく殺害を試みたようですが、全て失敗に終わったようですね。
そして、ついに今から7年前に逃亡。
学院は偽りの情報を流しニールを追放と発表。
そして、賞金をかけ追い立てた。
邪術師ニールの誕生です」
「…」
「もっとも、彼が研究していたのは間違いなく禁忌のものですから、
その辺の情報は真実なんですけどね。
それに、逃亡の段階で既にニールに正常な判断力があったかどうかは
難しい所ですね。
数十年にわたる監禁と裏切り。
精神に変調をきたしていても不思議はありません」
「……」
「…愚かしい限りですよ」
重い沈黙の後、呟いたトレアドールの言葉は学院に向けられたものなのか
それともニールへなのか。
しかし、あの事件からまだ3日。
その短時間でこれだけのことを調べ上げた彼の情報網には舌を巻く。
そんな時、酒場に一人の男が入ってきた。
YEWの町のガードをしている兵士の一人だ。
兵士はかにまる達の姿を見つけると声を掛けてきた。
「ああ、ここにいたか。
さっきあんたらにこいつが届いたんだ」
そういって懐から取り出した皮袋をテーブルへと置いた。
響く金属音と袋の口から一瞬見えた黄金の光から中の様子がわかる。
恐らく金貨。
袋の大きさと音を考えればかなりの金額になる。
イサは兵士に視線を向けると静かに問うた。
「これは?」
「ブリテン騎士団からの今回の件に対する報酬だそうだ」
「はぁ?
なんでブリテンの騎士団から報酬が出んのよ?」
そういって不思議そうに兵士を見つめるラッコ。
だが、かにまるの頭に閃くものがあった。
かにまるは僅かに口をニヤつかせた。
「……なるほど、口止め料か」
「どういうこと?」
フロットの質問にかにまるが答える前にトレアドールが口を開いた。
「あの村への襲撃はオークの独断で行われたということです」
「え?
でも…」
「邪術師ニールは3年前にブリテン騎士団によって退治されています。
死んだ人間が村を襲うなんて事、出来るわけないですよ」
それだけ言うと、トレアドールはもうその話には関心がないかのように
またワインへと口をつけた。
そう、かにまるもそれは考えた。
ニールがブリテン騎士団によって殺されていることは正式発表として
認められている。
その上でニールによる村の襲撃事件なんて事が世間に知られれば
騎士団の名誉に泥が塗られることとなるだろう。
しかも、それを解決したのは誇りある騎士団ではなく、ただの冒険者なのだ。
騎士団がそれを隠そうとするのも当然だろう。
だが、腑に落ちない点もある。
あの事件からまだ3日だ。
ニールのことを騎士団が知りうるには早すぎる。
第一、ニールの存在はあの場にいた者達しか知らない。
村人達にさえニールの事は話ていないのだ。
それが、どうして……
そこで、ふとトレアドールの姿が目に入った。
「そういえば、お前はブリテンの貴族だったな」
「…その様に記憶しています」
そういってにっこりと微笑むトレアドール。
かにまるは目を細めながら言葉を続けた。
「ブリテン騎士団にも知り合いが多そうじゃないか?」
「なんのことだか?」
それだけ答えると、トレアドールはワインを飲み干した。
恐らく、トレアドールがブリテン騎士団に情報を流し
圧力をかけさせたのだろう。
だが、それが悪いことではない。
YEWの片田舎で起こった小さな事件だ。
最悪、もみ消される可能性もあったのだ。
それに、この金貨の量を考えるならよほど上の人間と話をつけてきたのだろう。
自分たちが怪我を癒している間、彼は彼なりに仲間を助ける最善の術を選び、
行っていたのだろう。
だが、彼がそれをけして表に出そうとしないことも知っている。
それが彼の持つ美学というものらしい。
トレアドールは、ワインの代金をテーブルに置き席をたった。
「私は私用がありますのでこれで。
皆さん、よい夜を」
そういって、出口に向かうトレアドールにかにまるの声が追った。
「帰る前にお前の意見を聞かせろよ。
ミリアの村への保証はどうなってると思う?」
今回、一番被害をこうむったのはミリアの村であることは間違いない。
多くの死者や怪我人を出し、作物や建物もかなりの被害を受けている。
村が元通りになるまでには、多くの時間と資金がかかるだろう。
それを放って置いて、自分たちだけが報酬を受け取るのは
何か納得いかなかった。
トレアドールは入り口の扉に手をかけると振り返ることなく答えた。
「私にはなんともいえませんが、もし仮にそれが口止め料ということなら
それなりの保証はしているでしょうね。
仮にも誇り高き騎士団なんですから」
「なら問題ねーな。
こいつはありがたくもらっとこう」
過ぎたことは既に戻す事は出来ない。
不安も不満も後悔ある。
だが、それにこだわっては先には勧めない。
ならば、今は楽しもう。
「マスター!!
ここにいるみんなにエールを配ってくれ!!
今夜は俺達の奢りだ!!」
かにまるの声に酒場から喝采が沸く。
勝手に奢りに付き合わされることになったチヅル達も特にそれを
とがめることもなく笑っていた。
そんな騒ぎの中、トレアドールは僅かに口元に笑みを浮かべて酒場を後にした。
もう、日は沈み星が瞬いていた。
心地いい暖かな風を感じる。
トレアドールの視線の先に見知った人影が見えた。
「おや、ポエムさん。
お久しぶりですね」
「あら、トレアドール」
ポエムはトレアドールを見ると軽く微笑を浮かべた。
「かにまる達、いる?」
「ええ。
どうかしたんですか?」
「ええ、ちょっと薬代をぼったくりに……
…もとい、お金儲けの匂いに誘われたのよ」
思わず本音を答えそうになったポエムは慌てて言いつくろった。
ポエムの答えにトレアドールは一瞬驚いた表情を浮かべると
低く笑った。
「くくく…いや、失礼。
それは素晴らしい直感です。
いいタイミングですよ」
「?」
「いえ、かにまる達なら中にいますよ。
それでは、よい夜を」
不思議そうな視線を向けるポエムを気にすることなく
トレアドールは夜の町へと消えていった。
暫く、その後姿を見ていたポエムは首をかしげながら酒場へと入っていった。
そして沸き起こる怒号と嬌声。
YEWの夜はまだ始まったばかりだ。
そして、彼らの物語も…
YEWの町への春の到来はすぐそこに来ていた。
END