エミール・ガレの韻 (2015/9/16浜離宮朝日ホールにて自作初演曲)
2012年にブリジストン美術館で開催された「ドビュッシー音楽と美術」は、ドビュッシーが影響を受けた北斎や広重の版画、同時代のモネやマネの作品など、時代背景が分かり易く展示してありとても面白かったのです。そこに数点あったエミール・ガレの作品が、1988年に開催された「ジャポニスム展」と繋ったことから、この曲の発想や曲名、今回のタイトルを思いつきました。
この曲はミ、ファ、ラ♯、シで構成されています。ミとシが完全5度で光(情感)、ミとラ♯、ファとシが増4度で影(背景、ジャポニスム)を表しています。
「韻」は、「韻を踏む」と使われますが、この曲には詩はないので、本来の意味での同韻はありません。私は人々に同じように響いたというイメージで「ジャポニスム」を同韻とし、ガレや当時のヨーロッパ、影響を受けた作品を観た人々の心に同じくあった「ジャポニスム」という意味でこの「韻」を使いました。
ドビュッシーとラヴェル
今回プログラムの前半はラヴェル、後半はドビュッシーです。この2人はフランス音楽の二大巨匠として、よく比較研究されています。ドビュッシー(1862年-1918年)とラヴェルは(1875年-1937年)1回りほどドビュッシーが年上ですが、同時代のフランスにいて、お互いも意識せざるを得ない関係だったでしょう。
ピアノ作品では、ラヴェルの水の戯れ1901年、鏡1905年、夜のガスパール1908年、ドビュッシーの版画が1903年、喜びの島1904年、映像第1集1905年、映像 第2集1907年、前奏曲集 第1巻1910年、と音楽史にとっても驚愕の10年であり、お互いが意識的、無意識的に際立つ結果となったと思います。
ラヴェルの鏡は、5曲ともイメージは異なりますが、根底の流れを統括するクラシカルな造形は常にラヴェルそのもので、全く異なる素材を画集のようにまとめています。ラヴェルは職業として演じている彼が常にいます。ドビュッシー前奏曲第1集は変ロ音を中心とした構成にまとめており、こちらもイメージが異なりますが、ドビュッシーは自身を変幻自在に変えています。役者に例えると、演じるのが上手い方と、役どころそのものになる方との違いのようなものでしょうか。
それはどちらが優れているといものではなく、アプローチが違うのです。同じ葛飾北斎の神奈川沖浪裏を見ても、ラヴェルは虫眼鏡でそれを観察分析し、ドビュッシーは写真でシャッターをきる感じです。ラヴェルは鏡を作曲する際、リズムにおいて数学的な力を真っ向から借りています。それは当時としては画期的でした。ドビュッシーはそれを借りてないようで借りていますが、借りないようにして作曲するのも大変なのです。
私が演奏する際には、ラヴェルは構成的であるので、その点が出過ぎないように考えながら演奏し、音の輪郭をはっきりさせています。ドビュッシーでは、私は特に取り繕うことなく非常に自然に弾けて、ラヴェルよりは柔らかい音が多く、はっきりした音との比がより出るようにしています。
Made in JAPAN
今年の1月5日のリサイタルではヤマハのCFXを東京文化会館で初めて使用しました。メカニックが素晴らしく、鍵盤内での操作性がいいのは何度か弾いているので分かってはいましたが、実際のホールの響きと共に感じるタッチの反応は素晴しい。つなぎの部分や弱音、最弱音が表現としての重要なポイントとして使え、もっと弱い音でも出せるのではないかという、技術的な収穫を得ました。
3月31日〜4月2日の3日間、相模湖交流センターでCFXの搬入をして頂いてCDの録音をしました。3月中旬に3台のピアノから選定を行いました。同じぐらいの製造年度でしたが、はっきりした音色、柔らかい音色、その中間の物と、同じCFXでありながら、実に見事にその方向性が分かるように調律してありました。昨年の12月に練習のために3台用意していただいた時は、華やかなもの、いぶし銀のもの、素直なものとこちらではキャラクターの違うものとなっていました。
色で例えるなら、前回は色が違うもの、今回は彩度が違うと言った具合でしょうか。これ程までに違いの分かる調律ができるコンサートピアノ技術者の鈴木俊郎氏の凄さと、それに答えるCFXに驚嘆しました。良いピアノであるほど、優れた調律によく反応するのです。
録音にははっきりした音色の出るCFXを選び、何度も調律をしていただきました。音の高さは非常に狂いにくかったですが、なぜ何度も調律するか?調律と言うと音の高さを合わせる事ももちろん含まれますが、私が求めているのは音の粒立ちや基音との関係性、響きの方向性、倍音の調整などです。それらはドビュッシーとラヴェルでも相当異なりますし、同じ作曲家でも曲により違うこともあります。これをすることで、かすれたりせず、耳に適切に届く最弱音のレベルをより小さくすることができるのです。
すると最弱音から強い音までの幅が広がり、当然のことながら表現できる幅も広がるのです。
ダイナミックレンジを広げると言うのはたやすいことですが、実際は非常に大変な作業です。それを可能にできたのは、私の意図を鈴木氏が汲み取ってくださり、1mmの何十分の1かの細かなタッチの弾き分けや倍音のわずかな違いを反映できる非常に精密にできている楽器があったからなのです。これは、Made in JAPANであるCFXが西洋音楽にも通用するピアノであるのはもちろん、舶来のピアノを凌駕していると思いました。
調律するたびに音の響きが豊かで明瞭になり、最弱音を極めていくたびに、表現ができる可能性が広がり、イマジネーションする喜びが湧きたつのです。そうなればなるほど、非常に細かな作業で、録音ならではとも言えるのですが、この作業を経た、CFXと鈴木氏が、浜離宮のリサイタルでも私を支えてくれるので、格別なものがあります。
浜離宮朝日ホールはこけら落としの時から携わっており、当時、世界3本の指に入る素晴らし音響のホールだと言われていました。何度となくここで演奏しおり、音響は熟知しています。「ピアノが美しく響くこと」がこちらのホールのコンセプトであり、ピアノで歌う事がよくでき、弱音が隅々まで広がる素晴らしいホールです。こちらのホールの設計施工も日本人によるものと聞いておりMade in JAPANです。
浜離宮と相模湖交流センターとでは、残響の性格がかなり異なりますが、同じCFXで演奏します。
「CDとリサイタル」
のところでも言いましたが、録音と生演奏では相異なる音の場があります。浜離宮ではその日天気やその日のホールの響き、時空間をともにする楽しみを是非味わって頂きたいと思っております。
波をわたるジャポニスム
1867年のパリ万国博覧会に初めて日本は参加しました。当時は飛行機がなかったので、当然船で、まさに波をわたって、日本の文化が運ばれて行きました。それが、フランスを始め、ヨーロッパ中に広がり、様々な美術や音楽に影響を及ぼしました。ドビュッシーもラヴェルも大いにその影響を受けて作曲をした作品が、今私たちに感銘を与えてくれます。日本の美意識が波をわたり、ヨーロッパに受け入れられ昇華し、また私たちのところに戻ってきたのです。
それは、日本の美意識が時代や国を越えて人の根底に響くことに長けていると思うのです。私は飛行機でフランスと行き来し、フランスに長くいたので、ジャポニスム、日本の美意識、日本の良さをより感じられるようになりました。やはり日本はあらゆる点で世界に誇れる良いとことがあると日々思います。そんなMade in JAPANの素晴らしさを再確認できるように勉強しているので、皆様にジャポニスムの粋をお伝えできたら幸いです。
■録音の様子はヤマハピアニストラウンジの「レコーディングインタビュー【響きに耳を澄ませ、音の美学を追求する】」でもご覧になれます。
http://jp.yamaha.com/sp/products/musical-instruments/keyboards/pianist-lounge/special/002/
注)ジャポニスムはフランス発音表記、ジャポニズムはイギリス発音表記。
注)エミール・ガレ(1846年-1904年)フランスのガラス工芸家
写真上:葛飾北斎「神奈川沖浪裏」
写真中、下:2015年4月1日相模湖交流センター