西の韻〜東の律
 東洋人は昔から音律に非常に精細で高い感度を持っている人種だと思います。中国では紀元前からの文献がありますし、日本にも雅楽をはじめとした独自の音律があります。こうした東洋の響きに関する文化、音律について研鑽する必要性を感じています。
 今回取り上げた作曲家の作品はいずれも西洋音楽で、西洋の音楽理論で作曲されています。しかしながらデュティユーの前奏曲の中の「対比の遊び」を弾いていると、例えば同じ音でもハーフタッチで弾くことにより倍音を変えて演奏する箇所など、彼が東洋的な感覚を欲していたことがうかがえます。また、ドビュッシーが東洋への強い憧れを抱いていたことはとても有名です。

藤井一興:Pentacle (2014/1/5東京文化会館にて自作初演曲)
 最近、私は自然をテーマに作曲しています。今回も同じ流れで、福島県にある五色沼にインスピレーションを受けました。五色沼へは3度行っており、5歳の時に家族で初めて行きました。その時の記憶、とりわけその色彩が鮮明で、強い影響を今でも受けています。 Pentacleとは五芒星で一筆書きの星型です。1辺が等しい5辺でできていることで、均衡を保っており、互いに影響し合っている象徴としてつけました。
 五色沼は自然が起こした偶然の奇跡です。その自然がこと近年の環境破壊や震災以降の問題で脅かされていると私には思えます。もっと私たちが自然を敬い、大事にしなくてはいけないと常々思っています。いつまでも五色沼や自然が輝き続けられるよう祈りをこめて作曲しました。

アンリ・デュティユー
 アンリ・デュティユーは1916年にフランスで生まれ、2013年5月22日に亡くなられました。私の師であるメシアンとブーレーズの間の世代で、三善晃さんが私淑していたことでも有名です。
 私が留学した70年代にはすでに大家であられ、作品は冒頭を少し聞いただけでもデュティユーだと分かるもので、良い意味での古典的なご自身の世界に自信があったのだと思います。作品に外の世界が変わっていくことによる脅迫感がなく、 ご自身の一番くつろげるスタイルで書かれているからです。デュティユーが生きた20世紀は世界が大きく変化したのと同様に、作曲のスタイルも変貌を遂げた時代でした。時代を真摯に受け止めながらも良い刺激として独自のスタイルを確立していくこと。それは容易なことではなかったと思いますが、もっとも見習わなくてはならない姿だと思います。
 留学先のフランスでデュティユーの曲を演奏することはしばしばありましたが、1982年に「2台ピアノのための4つの反響形象」を鶴園紫磯子さんと日仏会館ホールで本邦初演をしました。デュティユーがその演奏を聴きとても気に入り、メッセージを書いて下さった事は大変素晴らしい思い出です。(写真参)
 ピアノ・ソナタは、ご自身が「あまりに古典的すぎる」と言われており、そういうところもありますが、第1楽章の第1主題には長三和音と短三和音を同時に響かせる手法があり、それは後の作品でもたびたび使われ、作品番号1とした意図の分かる作品です。
 3つの前奏曲はピアノ・ソナタの25年後の曲です。比較すると、独自の古典的なたたずまいは変わりませんが、より自由にやわらかく変化しているところがあり、響きの美しさが際立っています。

ドビュッシー
  映像第1集は1904年から05年に作曲され、「水の反映」、「ラモー賛歌」、「動き」の3つの曲からなっています。ドビュッシーはデュラン社宛の書簡に「この3つの曲は、全体にうまくまとまっていると思います。自惚れからではなく、ピアノ音楽の歴史の中でこれらはシューマンの左か、ショパンの右かの席を占めることになるだろうと確信しています。」と書いており、その自信の程を覗かせます。それぞれ単独で弾く機会も多いですが、3曲同時に弾く時は、最初の1音を出すときから、3曲に共通する素材を意識して、バラバラにならないよう弾くことを心掛けています。
 「水の反映」は「動き」と対をなしています。音の選択に全く無駄がなく、弾けば弾くほどその洗練された音にひれ伏してしまいます。「ラモー賛歌」は敬愛した作曲家ジャン・フィリップ・ラモーへの賛辞を込めた曲ですが、ドビュッシーの人間らしさと、高貴な気高さの両方を備えた曲で、2曲の間で輝いています。「動き」は音が上下する楽しさがあり、12の練習曲を予見するかのようなところもあり、限定された音の美学が感じられます。

  前奏曲は全24曲あります。第1巻、第2巻ともに12曲からなり、第2巻は1913年に完成し、ドビュッシー後期の重要な作品です。私の研究テーマの一つに音色があり、ドビュッシーはその研究においてもっとも重要な作曲家の1人です。ドビュッシーは非常に複雑な中間色を求めており、書かれた音はどんな音色を選ぶべきなのか?明るいのか、暗いのか、鮮やかなのか、くすんでいるのか、無限ともいえる音の中から吟味し、音色を選択していきます。
 私はドビュッシーを10代の頃から弾き、彼が望んだ音色はどんなものだろうとずっと考え、イメージしていました。その解の一つは、ドビュッシーの中間色の表現には、左手の操作が非常に重要であること。おもに左手の倍音の調整で淡い色彩感を出していきます。中間色のなかに、右手を主とした彩度の高い音色が入ることによって、遠近感や深みが増すのです。しかしそうは言ってもイメージした音を現実のものとするには相当の研究と技術が必要で、すぐさま出来るものではありませんでした。もちろん今もその過程にありますが、だいぶ近づいてきたように思え、今の私でしか出せない音色があります。
 リサイタルではスタインウェイのフルコンサートピアノを使う予定ですが、レコーディングではベーゼンドルファーのフルコンサートピアノを使用しました。個々の楽器によって倍音の出方は違いますが、レコーディングで使用したベーゼンドルファーは非常に状態が良く、懐かしい感じの音色もあり、ドビュッシーに必要な倍音がよく出るものでした。そういった素晴らしい楽器に触れることで、私の中に蓄積し、熟成されたドビュッシーの音色のイメージが反応し、今まで何度も弾いてきた曲でも、もっとここは低音を響かせようとか、明暗のせめぎ合いを変えようとか、さまざまなイメージが湧き出てきて、もっとできる、もっとやりたいという、音楽家としての本能に火をつけてくれます。
 前奏曲第2巻は2007年のリサイタルにも演奏していますが、CD、今回のリサイタルともそれぞれ違ったものになると思います。呼応する素晴らしいピアノ、演奏が変わる、変えられる日々を重ねること、そうしたいと思わせるドビュッシーの曲。そうした様々な必要不可欠な要素が合わさり、私のドビュッシーがあるように思えます。

CDとリサイタル
 東京文化会館はとても音響の優れたホールで、そこにあるスタインウェイのピアノも本当に素晴らしいです。そこで聴く響きはどんな高価な音響機器を使っても再現できないところがありますし、時空間を共にし、指使いなどを目で見る楽しさもあります。
 一方CDでは、レコーディングの時に非常に細かいところまで注意を払っているので、どこをとってもバランスよく、緻密に計算し尽くした演奏になっています。また、手軽に聴けるため、演奏を参考にしたいと思う時も、リラックスしたいと思う時も、いつも生活に寄り添ってくれるのがいいところではないかと思います。
 ドビュッシー映像第1集、前奏曲集(抜粋)、第2集、アンリ・デュティユーの3つの前奏曲はリサイタルとCDと同じ曲になっています。それぞれに違う味わいがあると思いますので、聴き比べていただければ幸いです。

写真上:アンリ・デュティユー氏が楽譜に書いてくださったメッセージ
  藤井一興さんへ
  鶴園紫磯子さんと素晴らしい感覚で曲の本質をよく引き出してくれて、
  本当にありがとうございます。
  アンリ・デュティユー 82年6月3日 東京
写真中:2013年10月14日 相模湖交流センター
写真下:2013年10月14日 相模湖交流センター