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明治東京文学散歩

 土地というものにはそれぞれに「色」があって、どこどこに住んでいるということは、まあだいたいこういうことでしょうという見当がつく場合も多いものである。高級住宅街があれば、下町があり、学生街があり、門前町があり、新興住宅地がある。それぞれに住人には何となくそれらしさがある、ように感じられる。イメージが先か実体が先か、それはわかりようもないが、ともかく我々はそうした「色」の中で色眼鏡をかけカラフルな衣装をまといまとわしまとわされつつ生きており、このご立派なお宅のお嬢さんはたぶんドリフを見たことがないなどと妄想しながら通学したりしている。

 文士というと簡単に言って文学者のことで、小説を書いたり評論を書いたり詩を作ったりしていた。現在文士は死滅しているので目にすることはできない代わりに、我々の前には彼らの書いた作品が残っている。このサイトの管理人も足を突っ込んでいる文学研究とは、こうした作品をああでもないこうでもないとイジくり回す作業(であった?)といってもよく、あまりに真剣にイジくり回していると、だんだんその作品はすばらしい作品であり、当然それを書いた作家もすばらしい作家であり、とするとそれをエクセレントに論じている自分もすばらしい人間であるかのように思えてくるから不思議だが、それは当然幻覚で、自分は要するに研究して教えてお金をもらうサラリーマンで、相手もいかに彼が芸術の崇高を力説しようが所詮は売文家である。双方ともご飯も食べれば、お金も必要で、そうしてやっぱりどこだかのお家に住んでいるのである。

 芸術家の作品に随喜の涙を流し、苛烈な人生に心打たれる人も多かろうとは思うが、一方でこの管理人のように、作品よりも舞台裏や楽屋話の方が好きな下世話な人間もいる。まさか自分がいま賃貸住宅に籠城しているせいではないと思うが、彼はある日「中央文壇に於ける文士分布図」というバカバカしい記事を見つけた。『文章世界』という文学青年向けの明治時代の雑誌(明治43年5月増刊号)に出ていたもので、その名の如く「あの先生は何処にお住まいか?」という読者たちの下世話な好奇心を充たすべく、誰が今どこに住んでいるということが延々と書いてある記事である。筆者のLLDという不詳の人物は、明治末の東京をご苦労なことに一日かけて歩いて回った暇人である。が、その暇な男の骨折りのお陰で、我々平成の物好きもしばらくの消閑を楽しめるというものである。感謝せねばなりますまい。

 それでは以下、ご一緒に明治東京文士の生息分布図を一巡りいたしましょう。

「中央文壇に於ける文士分布図」

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