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囚われたる研究


日比 嘉高


 昨年度、私は私小説の研究文献目録を作成する作業を行っていた。その過程で考えたことを少し書き留めておきたい。

 明治・大正・昭和・平成と書きつがれてきた数々の論考を追っていくなかで私が考えさせられたのは、そうした論議に関わった多くの人が、いかに何かに「囚われて」(by島村抱月)いたか、という一点だった。時系列にそって評論を追いかけていくと、そのことがよくわかる。個々の表現は違い、対象とする作家・作品は異なっても、ある時代に人々が考えていたことは、現在の視点から見て驚くほど似かよっている。大袈裟な言葉だが、それがその時代のパラダイムだったということだろう。文学史・文化史を考えようとするときならば、そうしたパラダイムを目にし、その構成員の思考やメンタリティを考えることは興味ある作業だ。しかし、研究(史)という領域で、彼らの末席からその足跡を振り返ってみたとき、パラダイムに頭の先まで漬かっていたということは、単にその批評家・研究者が陳腐であり亜流だったということ以外を示さない。いかに奇を衒い、流麗な文章を書いても、「囚われている」ことに無自覚であった場合には、その考察は今となっては何の輝きも放たない。

 こう書き進めながら、むろん私は息苦しさをおさえることができない。私が放った言葉は、そのまま私の研究に跳ね返る。ならばこの私は、いま何に囚われているのだろう。自然主義、修養論、純文学、本格小説、マルクス主義、近代的自我、作品論、脱構築、考古学/系譜学、文化の歴史学、国民国家論、カルチュラル・スタディーズ……。彼らがたどり、私が足を踏み入れる思考のパラダイムのいくつかは、こうして名指すこともできる。しかし、本当に怖いのは、そうした「目に見える」枠組みたちではない。不可視の枠組みにこそ、私は本当に囚われているはずだ。取り囲む檻は高ければ高いほど檻には見えないだろう。状況・環境・理論・感情。すべてのものが檻を構成する。檻から出る方法もあるには違いない。だが、見えない檻から出たと、誰が教えてくれよう?

 こうしたとき、かつてパラダイムの外へ踏み出した人のことを考えてみるのも無駄ではないかもしれない。たとえば私小説研究の領域でいえば、そうした人物に伊藤整と小笠原克がいる。詳細は省くが、彼らが突出した研究成果を残せた理由は、その才能ゆえでもなんでもなく、彼らが人一倍他人の論考と残された資料とに向き合ったからであるらしい。

 ここまでくだくだと書いてきて、答えは悲しいほどに陳腐だ。パラダイムの外に連れ出してくれるのは、文学研究と言う領域においては天才でも想像の翼でもない。パラダイムそのものに対する知識と批評性、そして枠組みの外にある思考と資料とを探求し受け入れる労力と柔軟性。檻の中を知り、檻そのものを理解し、檻の外に興味をもつこと。そして変わること。――言うのは、いつも簡単だ