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『語り 寓意 イデオロギー』紹介と書評


[会員新刊紹介と書評]
西田谷洋著『語り 寓意 イデオロギー』(翰林書房 二〇〇〇年三月 四五〇〇円+税)
日比 嘉高


 政治小説研究と物語論を課題として、諸雑誌に精力的に論考を発表してきた著者による第一論文集である。

 現在、物語論(ナラトロジー)を前面に押し出した近代文学研究の論文は少なく、〈語り〉そのものへの関心は全般的に見て薄れていると言ってよいだろう。もちろん、物語論が用いられなくなった、というわけではない。むしろ、ジュネットらのもたらした分析の視角と手法は、ある意味で定着して自明化し、作品分析に際して利用される常套的な手段とすらなっている。

 だが、こうして自明化し、日常的な「道具」となった物語論は、それゆえにその理論の抱えている枠組みそのものが問題視されなくなっているかのようだ。著者が現代言語学の動向を踏まえて、「近代文学研究の伝達理論は、未だ構造主義的言語論の枠内に止まっている」(四二頁)と指摘するとき、本書の読者は手元にある「道具」の古さにあらためて気づかされるはずである。構造主義/ポスト構造主義的言語観に基づいた物語論から、「語りを心的に動機づけられたものとして捉える認知的アプローチ」あるいは「語りの実態を分析する」「談話分析」へ(七頁)。本書帯の「政治小説研究/物語論の認知的転回に向けて 語り論をバージョンアップする」は、この意である。

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 本書は二部構成をとっている。「物語能力と物語運用」と題されたTは、いま述べた物語論の更新に向けての理論的な探究。「文学コミュニケーションにおける寓意」というUは、語りの寓意性と自由民権期に政治小説のもった機能とを交差させて考えた文化論的な色彩ももつ論考群である。

 収められた章を紹介すれば、T「1 物語文法」「2 物語構造」「3 認知的推論とレトリック」「4 発話態度とアイロニー」「5 時制と視点」「6 言説戦略」「7 物語の会話」、U「1 政治小説の解釈戦略」「2 時間意識の政治性」「3〈日本〉イメージの自明化」「4『自由新聞』の言説空間」「5 自由民権運動におけるデュマ」である。

 すべてを具体的に紹介する紙幅はないため、ここでは著者の研究の特色といってよいであろう「物語論の認知的転回」に関する部分を紹介したい。T―3「認知的推論とレトリック」は、漱石「夢十夜」第一夜を題材に、「物語伝達論の原理論が、構造言語学ではなく、語用論や認知言語学でなければならないこと」(四二頁)を説く。批判されるのは〈誘惑論〉である。この理論を著者は、(1)根底にある恋愛モデル、(2)言語行為論そのものの欠陥、(3)コード非対称モデルが伝達の成功過程を説明できないこと、の三点から批判する。これに対して著者は関連性理論の優位性を説く。関連性理論は〈関連性〉〈文脈効果〉などの術語でメッセージの有意味性を測定し、その高下が伝達の成否の効率に関わるとする。メッセージの送受者は、〈関連性〉の程度を操作しながら推論に基づいて伝達を成功させる。この伝達過程には隠喩などの修辞が深く関わるという。この関連性理論を用いて、著者は「夢十夜」第一夜が読者の裡に生成する推論の幅の理由を説明する。

 もう一つ、T―6「言説戦略」を見ておこう。この章は宮崎夢柳「自由の凱歌」を検討対象としながら、物語世界内外にまたがる言説戦略のありさまを分析する。ジュネットの物語論ならば順序・持続・頻度・態などといったレベルで物語言説の構造を分析するところだが、著者の物語論が注目するのは、言説の発信者が用いる修辞的な戦略である。この発想のもとになっているのが、物語を「送り手が受け手に向けて行う意図明示的伝達(コミュニケーション)」(八〇頁)として捉え、そこで伝達の目的を達成するために用いられる修辞的手段を分析・記述しようという著者の姿勢である。こうした視角から、同時代の修辞学の枠組みや、演説のもった機能とつき合わせて、テキストにおける語り手や登場人物の革命に向けての説得の戦略を分析してゆくのである。

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 いくつかの批判と要望めいたことを書いておこう。一つは、物語論としての体系性についてである。Tにおいてなされた個々の論考は、必ずしも相互に連関しながら大きな枠組みを目指したものではなかったようである。むろん著者の五年間の思考の過程を収めた論集ゆえということもあるだろうが、構造主義的な物語論の問題点が明らかになっただけに、著者の物語論の持つ可能性の見取り図を示してほしかったように思う。そのビジョンに対応する形で個々の論考の位置が提示されれば、論集としての有機性も高まり、またこれからの課題もおのずと明らかになったのではないだろうか。この分野の今後の進展とそれに資する著者の活躍が期待されるだけに、あえて要望させていただきたい。

 もう一点。本書における著者の物語伝達論は、語り手と(内包された)読者、あるいは登場人物相互のコミュニケーションの分析が中心である。しかし、認知言語学や談話分析がコミュニケーションを取り巻く非言語的なコンテキストをも視野に入れてゆく方向にあるとするならば、著者の射程には現実の文学空間を舞台とした作者と読者との間のコミュニケーションの分析も入ってしかるべきではないだろうか。演説会や新聞メディアの分析も本書中には含まれている。メッセージの媒体、享受の様態、隣接領域とのフレームの授受などを視野に入れた、実際の作者と読者を含む歴史的な文学空間の伝達はどう把握できるのか、著者にはそのモデルの構築も可能であるはずだ。