マントカラカサタケ・その後




このホームページがきっかけとなり,マントカラカサタケをカリフォルニア大学バークレー校のきのこ研究者に送付した話は「海をわたった八王子のきのこ」に書いた。

結果は出たのだろうか。案じているのは私だけではないようで,このホームページの読者からも「あの話おもしろかったねー,そんでどうなったの?」と幾たびか聞かれたものだ。しかし一年たっても二年たっても連絡はない。時間がたつにつれ,まあ,研究などそう簡単に成果が出るものでもないから,ダメもとだよなーと思うようになり,やがてすっかり忘れてしまった。

ところが先日,昼食を終えてパソコンに向かっているときに,そういえば彼女はどうしているかなぁと急に気になり,彼女の名前ときのこの名前を入れてgoogle検索してみた。するとどうだろう,彼女のホームページにカラカサタケ属に関する興味深い論文が幾つか出ているではないか。なんだか急に色めき立った私は,食い入るように画面を眺め,関係しそうな論文を探してみた。ある。カラカサタケ属の論文が。たぶんこれだ(Mycologia 95(3), 2003, pp.442-456.)。

クリックしてみると論文要旨が表示される。本文はない。しかしよく見るとページの一番下にpdfファイルのリンクがあるではないか。 早速開くと結構長い。実験材料の項にまず目を通すと,彼女がどれだけたくさんのサンプルを集めたかがよくわかる。が,あまりにたくさんありすぎて私の送ったサンプルがあるのかどうだかわからない。それで謝辞の項目に飛ぶことにした。自然科学系の学術論文では,サンプルの提供などの貢献に対する礼として,ここに名前が書かれることがあるからだ。

ここにも実に多数の名前がある。大変な研究だったろうな,と目を通していくと,Mr.Okuの文字がふと目に入った。ううっ。心臓が急に暴れ出してドキドキうなっている。私の前にはEiji Nagasawaの文字もある(大先生だ)。多人数なのでアルファベット順のようだ。こりゃじっくり見なければアカン。早速プリントアウトして読み始めた。

サンプル収集リストの長い長い表の後半に,O.Okuの文字がある。何かが胸にぐっとくる。論文を持つ肩に力が入り,紙面が微妙に揺れる。 自分が書いた論文が出版されても,あー終わったなという感じでちっともうれしくないのだが,なぜかこのきのこの論文には興奮する。 そこには私が採集して送付したマントカラカサタケがMacrolepiota spec. nov. 2と書かれていた。日本語ならカラカサタケ属の新種(2)と言うところか。

ITS GenBankのアクセッションナンバーはAF482851で,LSU GenBankのそれはAF482884との記載である。つまり例のサンプルは良い状態で届き,DNAの抽出も問題なく,PCR法の適用により遺伝子解析(ITS, LSU)が完全に行われたことを示している。やっほー。

さらに進むと分子系統樹の図がある。ここに,件のきのこは「カラカサタケ Macrolepiota procera 」の隣に新種として位置づけられているのだった。 日本ではカラカサタケとマントカラカサタケは形態上区別されているのだが,分子生物学的にも明確な違いがあったわけだ。

よかった。ほっとした。うれしい。にわかに私はうれしたのし状態になり,何度も論文に書かれたMacrolepiota spec. nov. 2を見るのだった。相棒Rにも報告したのだが,論文をのぞき込んで「何?」という表情で,一緒に喜んでくれたものの,Rには論文よりもおいしいきのこ方がより魅力的なようだった。

なんだかこのまま一人でニヤけているのもどうかと思い,彼女にメールすることにした。

−八王子のきのこのwebmasterですが覚えていますか? 今日,あなたのカラカサタケ属に関する論文を見つけました。私が送った試料がMacrolepiota spec. nov. 2となっているのを見て,驚きと喜びの気分で読んでいます。カラカサタケ属に関する素晴らしい仕事の出版,おめでとう!

彼女からはすぐに返事が来た。

メールありがとう。あなたが送ってくれた試料は明確に新種であることを表しています。鳥取のきのこ研究所の同じ種のコレクションも見たことがあったんだけど,残念なことに採集に関連した記録が全然なくて,記載ができなかったのです。

ほー,そうかそうか。ま,サンプル処理をきちんとやった甲斐があったというものだ。
メールには彼女のカラカサタケについての想いがつづられ,最後には次のように書いてあった。

いくつかのカラカサタケ属に関する私の論文(pdf)を添付しました。もっと早くあなたに送るべきだったんだけどごめんなさい。一つはデンマーク語なんだけど,写真はとてもきれいです。楽しんで頂けることでしょう。

いいの,いいの,謝らなくても。いまは誰がどんなタイトルの論文をどこから出版したかがすぐに分かる時代だ。こっちが調べればわかるわけだし,それに論文にはちゃんと私の協力が記されている。しかもすばらしい結果が出ている。その方がよほど大事なことだ。 これまでも,日本の研究者に何度も試料提供の協力をしたのだが,多くの人は送付しても音沙汰がなかったり,試料を死蔵して結果を出さなかったり,結果を出しても試料の出所を曖昧に書いたりしていた。そんな連中に比べると彼女の作法には文句の付けどころなどないのである。

添付の論文はどれも高度に専門的で,きちんと読むには時間がかかりそうなものだったが,彼女のきのこに対する情熱が伝わってくるパワーのある仕事であることは一目でわかった。デンマーク語の論文は,2,3の単語しか分からないけど,掲載されている写真は素晴らしく,カラカサタケ属の特徴を見事に捉えたものだった。

うれしくなった私は,論文を頂戴した御礼にカラカサタケの画像を送ることにした。カラカサタケの専門家に国外のカラカサタケの画像を届けたら喜んでくれるに決まっている。

−論文ありがとう。デンマーク語のやつに入っている写真は確かにすばらしいですね。カラカサタケ属に関する情報はとても少ないので,あなたの研究は世界中のキノコ・フロラの理解のために重要なものと思います。添付の画像はプレゼントです。この写真は私が見たいちばん新しいMacrolepiota proceraの画像で,東京の八王子で撮影したものです。

こうして再び八王子のきのこは電線を伝ってバークレーまで届いた。送った画像は,日本では典型的な「カラカサタケ」Macrolepiota proceraと判断されるもので,ちょうどカサが水平に開いたばかりの姿形のものだった。これをカサの下から撮影したやつである。

さてこれで楽しかったこの件も一段落だな,と理由のない少し寂しいような気分に浸り始めたころ,再び彼女からメールが来た。内容は意外なものだった。

美しいカラカサタケの美しい写真を本当にありがとう。こんなに優美ですらりとしたカラカサタケは明らかにヨーロッパのMacrolepiota proceraとは違うわ。

彼女は心底からカラカサタケを愛しているようであった。そして『日本のきのこ』も熟読している彼女は,日本でふつうに見られるカラカサタケMacrolepiota proceraも,ヨーロッパのMacrolepiota proceraとは違うかもしれないと思っているようだった。

アマチュアの遊びが専門家の研究に役立つことはしばしばあることだが,まさか自分がそんな貢献をすることになろうとは。しかもカラカサタケは世界中に分布しながら,分類が困難なきのこの仲間でもある。そんな属の,分子生物学的な最先端の研究にささやかながら貢献できたことは何だか不思議な気分だ。分類学の世界では,分子系統樹のデータは絶対的な信頼性を持っている。明確に新種とされたマントカラカサタケは今後,どんな扱いを受けるのだろう。日本のカラカサタケとヨーロッパのMacrolepiota proceraを比較するとどんな結果が出るのだろう。マントカラカサタケに関する一件は,楽しみを増やす結果となったのである。

マントカラカサタケ

カラカサタケ


(Feb 24, 2005)