海をわたった八王子のきのこ




いまから約1年前のある朝、研究所でいつものように電子メールを開いたら、英語のメールが入っていた。たまに英語のメールが入っているときは、たいてシンポジウムの案内だから今回もきっとそうなのだろうと読んでいくとどうも様子が違う。

あなたのサイトを拝見しました
あのマントカラカサタケはとても興味深いですね

えっ?急に胸がドキドキしてきた。「八王子のきのこ」を訪れた方のメールなのである。さらに読んでいくと、

私はオランダのきのこ学者で、あるプロジェクトのカラカサタケ班に所属しています。あなたはあのマントカラカサタケの標本をお持ちですか?、もしお持ちなら私に貸していただけないでしょうか。カラカサタケの分類についてよりよく知るための分子生物学的研究に用いたいのです。

日本ではよく見られるようですが、たぶん新種で、とても興味深い種だと思います。

がーん。サンプルはない。マントカラカサタケが学名上は未定義なのは知っていたが、特に珍しいと思いもせず、デジカメ撮影したらそのままに放置してきたのだ。1999年には八王子で2回も見ることができたのに、うーん、悔しいぞ。

結びのことばも洒落ている。

all the best from the rainy Berkeley

この文句にはすっかり参ってしまった。この丁寧な手紙に何と返事をつけるべきか。雨のバークレーから「八王子のきのこ」に送られたメールは、すっかり私の心をとらえてしまった。しばらく悩んだあげく、つたない英文で、彼女にこう書き送った。

−メールどうもありがとう。ざんねんだけど、サンプルはありません。でも、次のシーズンに見つけるようにがんばるからね。

彼女からは直ぐに返事が来た。

ありがとう。また見つかるといいね。

なんと心温まるやりとりだろう。私のふるさとの裏山にひっそりと生えていたマントカラカサタケは、電子画像となって電線を伝わりバークレーにまで届いた。そして二人に小さなコミュニケーションをもたらしてくれたのである。

さて、当然のことながら、私はマントカラカサタケが頭にこびりついた一年を過ごすこととなる。このきのこの発生は早くても7月以降だから、もっと悠然としていてもよさそうなものだが、どこかに出ているかもしれない、と思うとついつい"白い物体"を探してしまうのだった。やがて梅雨に入り6月、7月、8月、9月ときのこシーズンが過ぎてゆく。しかしみつからない。うーん焦るぞ。

「いま○○で出てるよ!、場所細かく教えようかー」という親切な連絡も頂いた。うれしい限りだ。がしかし、菌類研究者に送るきのこだ。私も研究者の端くれ、自分で見つけたきのこを納得のゆく状態で差し上げたい。でもシーズンが過ぎてゆく−。

10月初旬のある日、気が向いて普段より一時間早く、06:30に研究室に入った。研究所にはたくさん広葉樹が植えてあるのできのこもたくさん出る。それで7時前から朝の散歩をしていると、遠くに白い物体が・・・。まさか?、と思ったがマントカラカサタケであった。やったぜ!、getだ!。研究所だからサンプルの処理も万全だ。やったやった!。

採集したきのこはデジカメでいろいろの角度から撮影し、胞子を採取してプレパラートを作成し、その後でシリカゲル乾燥してドライサンプルとした。胞子のデジカメ写真も撮影した。できあがったドライサンプルはアルミコートの密封袋に入れ、乾燥剤と脱酸素剤を共にして万全を期した。もちろん、プレパラートも一緒だ。ここまで準備できてから彼女にメールした。

−8月から10月にかけて、幾度となくマントカラカサタケを見つけようと試みました。そしてついに、茨城県つくば市で見つけました。もしまだあなたがこのきのこを必要とするのなら、乾燥サンプルの形で国際速達郵便でお送りしようと思います。どうぞサンプルの送付先をお知らせ下さい。

すぐに返事が来た。

マントカラカサタケについての電子メール、ありがとう。あのきのこは非常に面白い種なので、ぜひとも乾燥サンプルを頂きたい。新しい研究結果についてはできるだけ早くあなたに知らせます。

よっしゃ。彼女はまだ研究所にいたぞ。早速書類を書いて送付手続きをとる。生物試料を郵送することに関しては煩雑な手続きを要することがあるのだが、以前に知人から「ドライマッシュルーム」と書いてふつうに干し椎茸を送ったけど問題なかった、とのアドバイスを得ていたので、その作戦で行くことにした。

待つこと数日、なかなか届かないようで、確認のメールをやりとりしたのちに、発送から8日後にようやくメールが来た。

あなたの小包が届きました。中身はまだすばらしい姿を保っています。予め払ってくれたすべての注意にお礼をいいます。本当にありがとう。できるだけ早く実験にとりかかり、DNAを抽出して、それを分析します。新しいことがわかったら、あなたにお知らせするわ。

そしてその日もバークレーは雨であった。

with kind regards from rainy Berkeley

ほっとした。よかったよかった。プロのきのこ研究者から趣味のきのこ好きに宛てた一通の電子メールは、このようにめでたい結末となったのである。裏山に生えていたマントカラカサタケ。普通ならば誰にも見られることなく消えていったであろうその八王子のきのこが、画像となって海をわたり、分子生物学的研究の進展に役立ったとするなら、ホームページ作者としても、生物の研究者としても、これに勝る喜びはない。

マントカラカサタケ


(Mar 5, 2001)