入院日記

(6月27日〜7月17日)

入院の前に・・・・・

以前より一寸異変を感じては居ましたが、ある面では軽く考えていました
しかし、決心して5月連休明けに市立病院へ行きました
そこでは、先ずはCTを見なければわからないと1ヶ月先のCTを予約。ふと心配が・・・

なにか気になって、家事もあまり手がつかず余計なことばかり考えます
”もしかして”が頭をよぎり、できるだけ気分転換をしようと時間あれば、花を見に飛び出した私
家の中のこともあれこれしなければと思いながらの日々でした

1ヶ月後CTを撮り、その後1週間後に検査結果が出ます
またまたその間の辛く長かったこと。いい方には考えられないんですね
検査結果では「大きな大学病院へ行ってください。手術はしなければいけません」と告げられました

翌日、病院から預かったCTのフイルムを持って大学病院へ行きました
それを診た担当医が、なにやら頭をかしげながら「今日は検査をします」と急ぎ検査が始まりました
そしてMRIは急ぐからと無理に早めに入れて頂き、2週間後に・・・

沢山の検査を終えると「悪性か良性かは次回わかります。」と
その声が、とても怖いものに聞こえました。医師の今日の慌てた様子ではもしかして
悪性かも・・・そんな気がしながら帰宅しました。怖かった

次回の診断までの1週間は、「もしかして・・」のことも頭から離れず、先ずは片づけを
そう思って自分の身の回りを片づけようとしましたが、一向に片づきません
気もそぞろ・・・。何もしたくないできない状態でした。今さらどうにもならないのにと思いながら
やはり、今は私は「まだ生きなければいけない」と念仏のように言い聞かせていました

1週間後に検査結果を聞きに行った私は、もう胸が張り裂けそうでした
検査結果を見た医師は「今の所数値では悪性ではないですが、切ってみないとわかりません」
幾分ホッとしたものの、まだ安心はできません。入院。手術の予約をして帰宅

《入院から手術・退院まで》

6月27日日に入院。緊張します
執刀医の院長からの手術の説明がありました。「最悪切って病理検査を見ないとわかりません
今は五分五分です。もし悪性でしたら4ヶ月かかります」と。最悪の場合の話が続きます

入院直後から食事は消化のいいものということで野菜中心
翌日は「重湯。プリン、ジュース」の食事
私の日記に「お腹空いた〜」と書いてます。まだ元気なのでこの食事では空腹のよう

手術前日は絶食。点滴の一日が始まります
不思議なことに、点滴をして体重が2キロ増えてます。食欲もなく点滴の効力かな
やはり明日は手術の夜は、なかなか寝付かれず困りました

手術当日(6月30日)は10時に点滴。11時に軽めの睡眠薬を飲みます
しかし薬の効きが早く、もう11時過ぎにはもうろうとして殆ど覚えてません。手術室へ入ったのも?
予定時間より早めの手術だったとか。でもその後は痛みしかわからず・・・

手術当日は、酸素吸入器で過ごしてました。麻酔から覚めたら痛みが酷く感じました
痛み止めや水分の点滴が続き、人と話をするのも辛かった
でも、手術も順調だったと聞いてホッとしましたが、病理検査が気になりながら・・・・

手術2日からは「歩きましょう」との指示で、少し歩きましたが、一歩歩いては痛みで立ち止まり
その繰り返しでしたが「癒着の方が怖いから歩いてね」看護師の声が・・
手術3日目から重湯の昼食が出ました。しか私はどうもこれは食べられない。母に似たのか(笑)

3分粥、5分粥が続き相変わらず食べられない私に回診の主治医が「もう普通食にしよう」
そう言ってくれました。手術後4日目の夕食からでした。美味しかった!
それまでは相変わらず点滴の毎日。それを持っての毎日の歩行。大変でした

手術1週間後の回診時「病理検査では悪性は見られませんでした」そう言われてホッとしました
今まで心配するからと、入院自体をナイショにしてた母にやっとハガキで報告
その後で母が心配して一寸大変でしたが・・・・又後で書きます

その後術後の経過はよかったけれど、一つ難題が残りなかなか退院のOKが出ません
術後1週間すれば、痛みもあまり酷くなく歩くのも平気になってきました
しかし、なかなか退院できません。でも、この際だからゆっくりしょうと半ば諦めての毎日

7月の3連休に「慣らし外出をしましょう」と半日の外出で自宅へ戻りました
今まで横になった毎日から、椅子の生活は少々疲れました。何もしてないのにと思いながら
でも、それが続くと3日目は少し慣れてきました

そして、連休明けの回診で「今日一日の様子を見て、よければ明日退院かな」と
祈りながらの一日でしたが、何とかOKが出ました
入院後23日目の今日。やっと退院できました。そうなるとちょっと寂しい気持ちです

まだまだ歩くのも辛いときがあり、体が慣れるまでが大変
でも、悪性の心配が無くなり、精神的な疲れよりも肉体的な疲れなら何とか日にち薬だし
用心しながら、また今までのような元気が取り柄のcosmosになれそうです

《余 談》

7月に89才になった母に、私の病気を隠すことは大変でした
家族にもおふれを出して、何とか通過しました。やっと心配が無くなって母へ出したハガキ
母はビックリして、電話では今にも上京するような様子だったとか

やはり母はいつまでたっても子供の心配は尽きないんですね。それは痛切に感じました
母の方が心配でしたが、何とか様子もわかり安心はしたようで母も落ちついたよう
母に言うべきか、言わざるか・・・・今回本当に迷いました
でも、遠くで心配するよりはと、あえて言わないことを選択した私。正解だったと思う

病院近くに住む娘は、毎日孫を連れてきてくれました。カーテンから「ばー!」といいながら
あのあどけない孫の笑顔に、毎日慰められたような気がしています
積み木やおもちゃを「ばぁばにお土産」と可愛らしい手で持ってきてくれました

毎日の大変な仕事なのに、笑顔を絶やさない看護師さん。本当に頭が下がります
毎日接してると、親近感がわき退院がちょっと寂しい気持ちになりました
この病院は、朝・夕の食事は2種類から選べます。これはまた楽しみの一つでした

屋上に上がれば、富士山も見えるのですが、残念ながら、連日の曇天で富士山は一度も見られず
残念でした。でも後半は毎日のように屋上で歩きながらいい風に当たりました
部屋からは新宿のビルがよく見えました。いい環境の病院での23日間。いい体験もしました
体重は3キロ減ってしまいましたが。これからはしっかり食事をすれば大丈夫でしょう

何はともあれ、こうして元気に退院できたことに感謝です
長い間留守を守ってくれた家族に感謝しながら、励ましをして頂いた沢山の友人にも感謝
皆に支えられてることを今回は本当に実感しました。ありがとう!

これからは少しずつ体を慣らしながら過ごします