イマジナルな世界観
河合隼雄氏、ジェイムズ・ヒルマン氏、井筒俊彦氏の三氏の鼎談「ユング心理学と東洋思想」の記録から一部を引用します。
この文章はユングネットでも幾度か引用されていたもので、イマジナルな世界観や生き方がどのようなものかを的確に描写されています。
河合隼雄氏の紹介は不要でしょう。ジェイムズ・ヒルマン氏は河合氏と同じくユング派の分析家で、元型的心理学というユング派の中のひとつの学派のリーダーです。井筒俊彦氏は私が心から尊敬するイスラム学者で、故人です。
錚々たる三氏がそろった、夢のような対談です。
引用元は『河合隼雄 全対話II』(第三文明社)のP106〜109です。同じ対談記録が『井筒俊彦著作集 対談鼎談集・著作目録』(中央公論社)にも収録されています。
こころ(サイキ)の全体的把握
河合――たとえば、私は「易経」を尊重し、好きですが、それを自分の心理療法の仕事に使うなら、それはきわめて危険だと思います。私は易は好きですが、それを決して使いません。ヒルマンさんはいかがですか。
ヒルマン――オラクル<託宣>として易を使うということは私だってしません。
河合――私がそれを「使う」と、それは易の根本的な考えと異なってくると思います。
井筒――そえ、そうでしょうね。いや、それは私には分かりませんが(笑い)……すると、この場合、易を使う、というのはどういう意味にとればいいのですかね?
河合――「使う」とは、実際的な目的で使うことです。たとえば、患者さんが「私は結婚すべきかどうか」という相談をされるときに、私が易をたてる(笑い)。こんなのは意味がないと思います。
井筒――そうすると、それは心理学とはいっさい関係ないわけですよね、ただちょっと、筮竹を……それは吉凶占い……。
河合――だから私は使いませんが、西洋のユング派の人は使っています。
ヒルマン――ええ、ええ、それはもう。使っていますよ。
井筒――でも河合さん、あなたは、先はど、易にはたいへん興味がある――もっとも、お使いにはならないけれども――とおっしゃったでしょう? それは、どのような意味で。心理学者として、ですか、それとも単に……。
河合――ええ、心理学者として、です。
井筒――心理学者として、ええ、それならば、私にはたいへん興味がある。
河合――心理学者として、「心」を全体として、ひとつのコンステレーションとして理解しようとするとき。そのコンステレーションを把握することと、事象を因果の鎖の中で見るのとは別のことです。易によって私は事象をコンステレーションとして把握することを学ぶ、ということができます。
井筒――その場合でも、やはり、イメージの形でですね。
河合――イメージです。私は患者さんに会っているときに、易経に描かれているイメージを持つことがあります。しかし、患者さんのために易をたてることはしません。もし、私が因果律による心理学にのみとらわれていると、私の心は狭くなってしまいます。そうすると、単純な因果関係でとらえられないことを患者が述べても、それに注目しなかったり、すぐ忘れてしまったりします。そして、すべてのことを母子関係に還元してしまったり、この問題の原因は父親だと決めつけたりするような、きわめで安易な考え方に従うようになります。私にとっては、事象はもっと複雑で、患者さんの来る日が晴れているか、雨が降っているか、そんなことすべては、その人の治ってゆく過程に関連しているかもしれないという態度をとっています。これが易のアイデアだと思うのです。
井筒――ははあ、それは非常に面白いと思いますねぇ、そうお思いになりませんか? ヒルマンさん。
ヒルマン――これは秀逸だ。すばらしいと思います。そういう考え方は、精神療法の臨床的直接状況を、そのまま、ただちに、コスモス(意味的秩序体系の世界)内に位置づけますからね。現代の深層心理学は、往々にして、精神力学的(サイコダイナミック)な神話体系を尊重するあまり、コスモスを排除するんです。事実、精神力学は、一種のコスモスを創造した、とは言えるでしょう。父と母の神話体系がそれですが、河合サン、あなたがおっしゃったとおり、たしかに、その射程は、ひどく限られた、狭いものなんですね。
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