合 切 袋

何でもかんでも一切合切放り込む、合切袋(がっさいぶくろ)ということにする。合切袋は信玄袋とも言い、明治時代中期から流行った、口を紐で締めくくる手提げ袋。

(11.1.1〜11.12.31)

お焚き上げ
12月31日

神社へ古いお札などを持って行き、浄火で焼いてもらう。
今年はなんだか、火が小さいような。


餅花
12月30日

柳の枝を100円分買って来て、餅粉をこねて茹でたものをちぎってつけた。
枝どうしぺたぺたくっつきやすくて、枝はまだあるけどこれで止めて置く。


よく降る

12月27日

カマキリの卵が低かったとか、高かったとか、雪の量はみんな気にしているが、降って見なければわからない。今日もしんしんと雪。


竹を削って
12月26日

ストーブ(脚だけ見える)の脇で竹を割って削って。作っているのは畑のソラマメの雪避け。

降って来てからのドロナワながら、これがあれば初夏には美味しい茹でソラマメが食べられることを期待して。


五十の市

12月25日

長岡の五の日、十の日に立つ五十の市。まだあまり人が出ていない。

ビフォー・アフター
12月25日

ピースが引っ掻いた押入の戸を張り替えたところ。まず上の段が終わって。

先代ネコのぶーちゃん、先々代のオジ、どちらもこんなおイタはしなかったぞ。


寒い日

12月23日

魚沼へ行く途中の、長岡市川口で。テレビの天気予報図には一日中雪達磨のマークばかりだ。最低気温マイナス1度。


本日冬至

12月22日

今年は頂き物の柚子がたっぷりあるけど、食べたいので風呂には少し。ゼイタクに枝つきで。


内側から
12月18日

昨日出来た吹雪避けを内側から見た。

いまのところこれが役立つような吹雪はまだ無いが、みぞれがびしょびしょ、降り続いている。


吹雪避け
12月17日

玄関に雪が吹き込むのを防ぐ仕掛けを、毎年透明のナマコ板を張って作っていたが、今年からはこれ。
化学繊維製の網をカーテンのように張り巡らすもので、カーテンは業者に作ってもらった。


降った

12月16日

12月も半ば、降って当たり前なんだけど、やっぱり寒さがまるで違うのが身に沁みる。あーあ、とうとう降ったねぇ。


取り敢えず・那覇写真
12月12日

9日、到着した日の那覇公設市場周辺。

左上の一輪車はサチコさんのお店。いたるところで見かける。

左下は朝日新聞「人」で紹介されていた、ジュンク堂那覇店の副店長を辞めて、市場近くで小さい古書店を開いた宇田さん。


救命講習会
12月4日

消防署の職員二人が来られて、町内で救命講習会。
人工呼吸など習った後、これは三角巾の使い方。簡易担架の作り方など、一通り習って、修了証を貰って解散した。


魚沼の山で・他
12月3日

弟のブログ(畑に吹く風)を見て気がつき、来年の藷苗床用の落ち葉を貰いに行った。車道が出来ていまはほとんど歩く人のない坂道は、落ち葉がもくもくと積もっていた。
随分急な道だが、昔は藷や大根もみんな背負ってこの道を運び下ろした。一度も落ちた事もなかったなあ。

取り入れの終わりかけた畑。

貰って来た野菜を洗う。


本年度終了
11月28日

弟の野菜直売所「農天市場」は今年の営業を終了した。

闘い済んで、お店の幟(のぼり)を洗って干す。


替佐
11月26日
替佐(長野県中野市)の知人宅へ。
収穫期のリンゴが陽を受けてあかあかと光っている。
山の紅葉はほとんど落ち尽くした。


出雲崎

11月25日

冬の日本海は色もなくて、風と波ばかりだ。ウミネコがたくさん、波打ち際にいた。


初雪
11月21日

かねて覚悟の筈の初雪がとうとう降って、こんなに色彩のない、寒い景色になってしまった。いまから春が恋しいよ。


張り箕
11月20日
むかしお店で景品に配ったハリミというものがあった。紙を張り合わせて作った簡便なもので、渋が塗ってあり、軽くて丈夫だった。

粗末な新品のハリミがあって、もう紙が剥がれていた。渋色に塗ってあるだけ。
古い謡いの本をばらした和紙を張り、取れたおかめの絵も張り、縁が波打たないように雑誌に挟んで重石をした。

ニスを塗って仕上げる。



新旧ジーパン
11月11日

膝が薄ーくなってきて、裏から布を当てて刺した古いジーパン。右脚はもっと弱って3箇所継ぎがある。

新調のジーパン。裏に日付を書いて置いた。古いのが、何年穿いたか分からなかったから。


月が昇った
11月10日

満月は明日だそうだが、まん丸な月が昇って来た。

「月ぬ美しや十日三日(つきぬかいしゃとおかみか)」月が美しいのは十三夜、という、沖縄の八重山地方の唄があるが、まんまるの月もうつくしいよ。


ご近所

11月5日

歩いて5、6分の体育館とその周りでフェスティバルとか。

野菜、果物、米に豆。浜焼きに、豚焼きに、牛串焼き。

地元産の塩(塩水の湧く井戸あり、それを煮詰めて取ったという)を買ってきて白菜を漬けた。


山古志産業祭り
11月3日

娘に誘われて山古志へ行って来た。いまや有名になったアルパカ。
アルパカ製品の店。
自家産物を売る店には、米や小豆にまじってマムシ酒もあった。
闘牛場

11月3日

今年最後の場所になった山古志闘牛場にて。ここの闘牛は傷つくまで闘うとか、とことん勝ち負けを争うことはしない。頃合いを見て、勢子が脚綱をかけて引き分けてしまう。
双方に自分が勝ったと思わせて置くのが勢子の腕だと、むかし見に来たとき聞かされた。


冬囲い準備
11月1日

玄関に吹雪が吹き込むのを防ぐ冬囲い。去年、作業中にこの脚立ごと転び足を骨折した。

透明波板を取り付ける方式を止め、細かいネット状のカーテンのような雪よけを取り付けることになって、その準備中。今年はヘルメットも着用した。


魚沼で
10月29日

弟の畑でさつまいも掘りを手伝う。帽子を忘れて笠を借りたので格好は一人前。
山は秋が深まって、薄の穂が風に乱れて。
弟の「農天市場」に取り立ての野菜が並んで開店。


ストーブ

10月26日

ストーブの据え付けをして、試運転。ストーブの下は、平たい箱に煉瓦を並べてある。家と同じ年齢で、1985年から26年目になる。



防災訓練
10月23日

サイレンの音と、ただいま地震が発生しましたという放送で、町内の人たちが集まる。
遅れて来た人は怪我の具合なんか聞かれている。

炊き出しのおむすび作りと、豚汁を煮るところ。このあと全員でそれを食べた。


頂き物
10月17日

長いのがツルクビナンキン、丸いのが極ミニカボチャ。

奈良の友人から頂いたが、固定種らしいので、種子をとって来年蒔くことにした。


長岡防災公園・えんえんマーケット
10月16日

フリーマーケットや諸国の食べ物、占い、体験、などなど。

下はベネズエラの食べ物「パステレス」。ご飯と豚挽肉を炒めたものを小麦粉の皮に包んで焼いてある。案外さっぱり味だった。


八木が鼻
10月10日

下田(しただ)の名所、八木が鼻。
この夏の水害はこの地区にもひどかったらしく、崩れた堤防、土砂の入ったままの田んぼ、流れて来て田の中にひっくり返ったままの小屋、などが見えた。


高柳・狐の夜祭り

10月9日

左上から時計回りで
@出発前。A出発。B日が暮れて来た。C行列の先頭で笛を吹いていた人。

3キロの道の後半、とっぷり日が暮れるころ、本当の山道にかかった。細くけわしい道をそろそろ歩くので、行列は細く長く、道なりに曲がりくねって続いた。頭上には十三夜の月。


ワイナリーで

9月27日

同級会の帰りに寄った南魚沼のワイナリーで。熟した葡萄がびっしり実っているのに見とれた。



オーガニック・マルシェ

9月25日

長岡でのイベントに弟夫妻の「農天市場」が出店。暑いほどの秋の日射しがいっぱいの一日だった。



台風過ぎて
9月24日

雨が降り続いた台風の影響から五日ぶりに抜けて、青空が見える。ぷかぷかと気楽そうな雲。


携帯電話入れ
9月23日

端切れを刺し子糸でチクチク刺して袋を縫い、携帯電話入れを作った。紐の適当なのがなかったので、仮につけてある。


読み始めた
9月21日

「老後本」はやたらに目につくし、つい読むが、上から諭すようなものは気に入らない。
これは普通の人100人からの聞き書きだから面白く読み始めた。


リフォーム展で
9月20日

いちばん気に入ったのれん。

昔の襦袢かと思われる薄い絹を、もとの柄が見えるように薄いみどりで染めて縫い合わせ、上に乳(ち)をつけて竹を通してある。

少しの風でふわふわ揺れて、じつに優しい感じで楽しい。手作りはこうでなくっちゃ。


式場庶謳子展
9月15日

十日町の「星と森の詩美術館」へ展覧会を見に。

明るいぶな林の中にある、可愛い美術館。ぶな林も、大きな池も、もともとあったものだという。

式場庶謳子(しきばしょおうこ)の版画、実物に会えて良かった。


寺泊
9月10日

友あり遠方より来る。海岸へ案内した。
風が強い日で、足もとの砂がさらさら飛ぶ。
長い階段(枕木製)を上がって行ったお店でコーヒーを飲んでおしゃべりした。


海水を汲む
9月8日

海水を30倍に薄めたら、どの野菜にもやれるミネラル資材になる。
出雲崎の海岸で海水汲み。


夕空晴れて

9月7日

夕方お使いに出たら、新しいススキの穂がぱらっとひらいていて、風はちょっと冷たくて、あー今年の夏も終わった。

夕空晴れて秋風吹き、月が出ている。どうしてもススキと一緒に撮れなかった。


運動会
9月3日

マゴの中学校の運動会。

台風の余波のフェーン現象で暑かったが、なかなか楽しかった。

空席のあった、テント内の役員席にお邪魔して楽に観戦(老人力発揮)。


割り終わる
8月25日

昨日の杉の木を割り、薪にして積み上げたところ。

乾いたものから床下に積み込み、冬に備えることになる。


焚き物、焚き物

8月24日

左上、刈羽から貰って来た杉の木。
右上、それを車庫におろした。60〜70年くらいの木だという。
左下、大工さんの現場片付けから出た建築端材、焚きつけにする。


墓参
8月20日

会津若松から夫の姉、甥一家、がお参りに来てくれた。

雨の後、にわかに涼しくなったなかを墓地へ案内する。


薪割り

8月19日

杉の木を貰ったので薪に作るところ。娘の家から借りて来た薪割り機は音が静かで、力は強い。生木は割りやすいそうだ。



馬追虫
8月16日

スイーーーーーッチョン!と大声で鳴く馬追虫。

玄関の手すりに止まっている。


魚沼市下島お盆

8月15日

鎮守様は昔、川のほうに向かって建っていたが、川の改修に伴ってか、向きを変えていまは川を背にしている。

ヨイヨーサは盆踊りの唄で、唄い手(音頭取り)が唄うと、踊り手が「ヨイヨーサー、ヨーイガサー」「ヨシタンヨシタン」と囃しながら踊る。

夜まで残って踊りたかったな。


横町盆踊り
8月14日

与板・横町(よこまち)の盆踊り。踊り手は多くない。


お盆近し
8月11日

堀之内を通ったら、盆踊りの櫓が出来ていた。

盆踊り唄「大の阪」の歌詞を書いた灯籠が下がっている。


網戸にセミ
8月6日

網戸にセミがいくつもとまっている。ここでそのまま歌い出すのもいる。


越後与板打刃物匠会
8月5日

町を歩いていたら、真新しい染め物の、のれん、というのか、なんだろう、こういうものが出ていた。
小さい菱形の部分に屋号を入れて、同じものを組合で作ったらしい。他にも同じものを見た。
しかるべきデザイナーを頼み、本格的に染めたのだろう。

ほかの業者も、色を変えるなどして作ったら面白いのに。いや、個人でもいい。


長岡祭り花火
8月2日

娘のうちの屋上で花火を見る。
おむすび、空揚げ、胡瓜糠漬け、トマト、ノンアルコールビール、お茶。

さすがに近いので迫力が違う。

渋滞に巻き込まれずに帰る事が出来た。着く寸前だけ、農道に連なった車が割り込むので少し手間取る。


魚沼にて

7月31日

水害見舞いに行って来た。

左上、魚野川支流、大沢川の氾濫のあと。雲の様子がまだ不気味。右上、ワンコやや精神不安定、臨時散歩係の中学生を引き回す。

下2枚は、国道17号線沿いの歩道にうち寄せられた流木やゴミ。


豪雨のあと
7月30日

左上、黒川支流の千体川。

右上、信濃川支流の黒川。

左下、蔵王橋下流、信濃川左岸の河川敷にある畑。


日射し避け
7月24日

ヘチマがかなり伸び上がって来たが、まだ日除けには遠い。

あり合わせのすだれを下げた。


台風が近い日

7月19日

雨不足で、花にも畑にも雨がほしい。雨のためなら風くらいがまんする、と台風を待つような気持ちがあるのに、なかなかそうならない。

フェーン現象の一日が終わろうとして、夕焼け、虹。虹ということは、雨が降ったところもあるのだ。うらやましい。



弥彦神社へ
7月18日

遠くから来た友人と一緒に弥彦へ。

左上、参道。
右、神社正殿。
左下、作って持参した弁当(おむすび2種、烏賊塩焼き、鶏挽肉だんごのいが蒸し、麩チャンプルー、胡瓜糠漬け、パイナップル、お茶)。


出雲崎にて
7月17日

新潟県名勝百選一位の地という、出雲崎良寛記念館側の展望台へ、千葉からの客人を案内した。


上棟式

7月12日

近所で、近頃珍しい本格的な上棟式(建て前、という)があった。この辺りにこんなに子どもがいるのか、と思うほど集まった子どもたち。

右は、祝詞が終わり、撒きものが始まったところ。紅白のもち、五円玉、飴や煎餅、チョコレートなどのお菓子が盛大に撒かれた。


福島のいま・地図
7月11日

原発から80キロ圏まで入っている福島県地図。新聞である。


出雲崎落日
7月10日

暑い一日が暮れようとして、海に日が落ちる。その瞬間を見ようとしてか、じっと海を向いている人が何組もいた。ウミネコもいた。


上棟ニュース
7月9日

こんなチラシが郵便受けに入っていた。いろいろな業者が出入りすることへのおことわりと、上棟式「餅撒き」の知らせ。

この頃は少なくなった上棟式だが、やっぱり家を建てるという大仕事に、職人や近所の人に喜んで貰ったら幸先いいというものではないか。人の事でも嬉しかった。



おはぐろとんぼ
7月7日

毎年、数は少ないが必ずオハグロトンボに会う。
この辺りにはきれいな流れも無いし池もないのに、どうして命を繋いでいるものか、不思議なくらいだ。

子どもの頃から、このまっくろな、ひらひら、たおたおとしたトンボが好きだったが、今も見ることが出来て嬉しい。
願わくば!除草剤は止めてください、そこのあなた。


あわや
7月5日

午前中、激しく雨が降ったら、家の近くの交差点に水が溢れ始めた。
数年前床下浸水があったのもこの季節だったが、今日は大事に至らないで済んだ。

あとでよく見るに、流れの終わり近くで川幅が半分になっている(右上の写真)。
しかも曲がりくねって本流に注いでいる(左下)。少し強く降るとすぐ溢れそうになるわけだ。

これ、どうするべきか。


浅草
7月1日

東京見物3日目。

浅草。と言えば仲見世通りもあるがやっぱり演芸ホールか。


赤坂麺通団
6月30日

夫は日帰りで東京見物をやっている。

今日はジャーナリスト勝谷誠彦の有料メルマガに度々出てくる、彼らがやっているうどん屋へ寄ったそうだ。「ふつうの味」だったとか。


横浜 中華街
6月29日

夫がJRのジパングクラブのパスを利用して横浜へ出かけてきた。

長年の懸案だったが、案外つまらなかったとか。


矢田から与板へ
6月27日

矢田村(現・長岡市寺泊地区内)の斧吉が鋳掛けをして村々を歩くときの帳面は弘化3(1846)年。

焼き印の試し押しをした焼き印帳は嘉永6(1853)年。

この間に斧吉っつぁんは与板へ出て来た。うちの祖先。


お取り越し

6月25日

別院の縁日、お取り越し。岐阜の土岐津から来るいつもの瀬戸物屋さん、50年近い付き合い。右は新顔の、トルコ式のびるアイスクリーム。


中学校
6月20日

短歌の時間、2時間続き。まわりとおしゃべりしながら書いているが、毎年ちゃんと「名歌」がいくつも出てくる。


山古志

6月18日

遠来のお客を案内して山古志へ。地震の跡をとどめず静かに水をたたえた棚田と、右は地震後飼われているアルパカ。


冬囲いを外す

6月17日

玄関の冬囲い外し。多分一番遅い記録だろう。無事外せて安心した。

去年この囲いをしていて脚立ごと転び、かかと骨折の怪我をした。冬囲いの方法を変えようと計画中。


削ろう会二日目

6月5日

上の段、ミクロンの単位で薄く削り出される鉋屑。鉋に紐を付けて曳き、鉋の重みだけで削るのだ。

中の段、鉞(まさかり)で丸太をはつって、梁(はり)を作っている。手前は外人さん。

下の段左、手斧(ちょうな)。与板には日本最後の手斧鍛冶と言われる高木さんがいる。右、槍鉋(やりがんな)による削り。


削ろう会

6月4日

「削ろう会」in与板。若い大工さんが古風な木造りを。刃物の切れ味が印象的だったという。


クラフトフェア所見
5月15日

上は、焼き物を売っていたおにいさんのズボンの大写し。いろいろな布を、いろいろな縫い方で付けているのが分かる。

左は手紡ぎ、手編みの帽子たくさん。羊毛、アルパカ。ベレー帽にキャップに、頭巾もあった。


長岡クラフトフェア
5月14日

市営スキー場の周辺でクラフトフェア。

焼き物を売るお兄さんはたくさん継ぎを当てたズボンが素敵。

毛糸屋さんは、手紡ぎ、手編みの帽子が素敵。


5月11日

干物などが入っている粗末な竹籠に和紙を張って乾かし、柿渋を塗ったものと、ニスを塗ったもの。

ずいぶん丈夫になり、軽くて使いやすい。


新しい靴
5月9日

外反母趾があって靴選びにはいつも苦労するのに、夫の靴選びについていってひょいと見つけた1足。
最初から少しも痛くなくて、軽くて歩きやすい。

底がフラットなのでビルケンシュトック?だったかの中敷きを入れたのを、外して撮影(中敷きの裏が型押しになって写っている)。


秋葉さまの祭り
5月5日

町内の神社、秋葉さまの祭りで、子どもたちが獅子舞いをして各戸を廻って行く。


「阿賀に生きる」19周年

5月4日

新潟水俣病を描いた記録映画「阿賀に生きる」19周年。2011年追悼集会「阿賀の岸辺にて」が、阿賀野市安田公民館で開かれた。

1916年生まれの渡辺参治さんが唄うドンパン節に会わせて、湧島克己さんのライブペンティング。


Gちゃん来る
5月3日

マゴのGちゃんが旧市内から2時間かけて自転車で来た。

途中で野良ネコ救助(おかあさんに車で来て貰った)や、メダカ発見などで忙しかったらしい。

帰りにしだれ桜のあるところでお弁当を食べたそうだ。


菜の花フェスティバルin寺泊

4月24日

寺泊の高内地区は、転作や耕作放棄地で菜の花を育て、菜種油の生産を始めて4年、いまは菜の花畑が4ヘクタール余あるという。

山菜(こしあぶら、芹、よもぎなど)と魚(ギスなど)を天ぷらにして試食会、おむすびも番屋汁も振る舞われた。番屋汁はカニが半身入っていた。菜種油を買った。


当選御礼
4月24日

市議会議員選挙終了。

左上から時計回りで、当選決定の瞬間。
私が選ばせて貰った花束。
当選者インタビューが流れる。


まにあったか?
4月15日

甘蔗珠恵子「まだ、まにあうのなら」が一冊残っていた。1987年に出た冊子。

たくさん買って友だちに配ったのだが、果たしてどのくらい読まれたのだろう。今回、届ければ、読まない人はないだろう。
もう一度配ろうと、また申し込んだ。

こんにちの事故を言い当てたようなことになってしまった。
なぜ日本にこんなに原発が出来てしまったか、は、国民の関心の低さからだという。
チェルノブイリの事故の後、東京で原発反対のデモに参加した人は150人だった。同じ日、イギリスのダイアナさんを見ようと集まった人は10万人。

こんどこそ住民運動を起こさなければならない時だと思う。


頂きもの
4月5日

新潟県もずっと北の友だちから頂きもの。

葡萄羹は山ぶどうのゼリー。


ちくちく縫った
4月4日

古く、小さくて、何の一部か分からない麻の布きれを、裏に木綿を当ててちくちくと縫った。

ありったけの大きさが、ちょうどポシェットくらいだったので、袋に縫って紐を付けた。紐もテープを二枚合わせ二つ折りにしてちくちく。

全部手縫いでした。


反原発のご城下へ
4月1日

住民運動を続けて、電力会社に原発建設を断念させた、当時西蒲原郡巻町、現新潟市巻へ。

当時の町長がいま社長である酒造会社へ行ってお酒を買い、当時のお礼を申し上げて来た。


落語会

3月26日

寺泊のホテルで春風亭華柳の落語会。3晩の予定が地震の余波で1晩になったのは残念だったが、30年くらい前に一度聞いたきりでずっと聞きたかった「菜刀息子(ながたんむすこ)」が聞けたのは大変嬉しかった。終わって一緒に夕食会。


式場庶謳子の版画
3月25日

新潟県人、式場庶謳子(しきば・しょおうこ)の版画、「何が見えた」

雑誌から切り取って額に入れてある。版画と言っても、この作者は同じ版から多く刷らないでまた新しく彫るらしく、何種か見た。

とても買えないとは思っても値段を聞いてみたが、作者の希望で販売はしません、と画廊の答えであった。画集を計画しているが、いつ出来るか分かりません、とも言う。


おはぎ、刺し子

3月24日

にいがた銀花にて。またもご馳走になったおはぎと、お客さんがチクチク刺して持って来られた麻の布。手提げにするか、クッションカバーか、いろいろ談義あり。



栗の木
3月22日

2月16日に伐った、隣人の栗の木。

その時の残雪の高さから下の分を今日伐り終わる。

栗の木は堅く、重たい。あとは薪にする。


博物館の雪
3月20日

長岡市関原一丁目字権現堂、県立歴史博物館。

屋根の雪が落ちて溜まったのだろうが、今日現在でこの雪の量。


鋏2丁
3月19日

大きい方が本種鋏で、種子島の鉄砲鍛冶の末裔が打ったもの、たいへんよく切れる。

小さい握り鋏もよく切れる。以前フリマに出た時、紛失しないよう長い紐を付けて、その端を籠に結びつけて置いた。それ以来見失わなくなった。ずっとこのまま使っている。


にいがた銀花
3月16日

手作りの一点ものの衣類、袋物、アクセサリ、まだ何になるのかわからない、ちくちく刺し縫い途中の布きれ、わーっと並んじゃってぶら下がっちゃっておもちゃ箱みたい。
楽しくて楽しくて一日中でもいたいお店。

すごい土鍋(あ、写真撮るの忘れた!)で炊いた豆、お客さんお持たせのおはぎ、でお茶を頂いた。


白鳥
3月15日

にわかに雪が消えて田の土が出てきた。

旅立ち近いのだろうか、白鳥が幾群れも来てさかんについばんでいる。


鳥の食堂
3月12日

庭畑に立てた台の上に、果物と糠を置く。今朝は雀が来ている。

ヒヨドリもムクドリも来る。


大地震
3月11日

午後3時前宮城県で大地震発生。震度7。マグニチュード8.8は関東大震災を越える観測史上初の大きさだという。
外出中で、家々から飛び出して来る人たちと道に立ちすくんでいた。

ゆらゆらとした大きな揺れが長く続いて不気味、そのあとも絶えず余震。

テレビのニュースから津波の様子を。


赤松
3月10日

松の木を伐ったので、薪にしてくれと言って人が持って来られた。これを割るのは大変だろうが、火力はとても強いことだろう。


何のトリ?
3月1日

寺泊の夏戸から海岸へ向かう道を歩いていた鳥。

全体に灰色に写ってしまったが、青や緑、しましまのところなどあるきれいな鳥で、雉か?ヤマドリか?
雉でも繁殖期以外は赤いあたまをしていないらしいから。

鳥類図鑑ひとつ要ります。


バーナー
2月26日

昨日の写真。

知人が自分のガラス細工用バーナーを見せてくれた。


天神様
2月25日

本日「天神講」につき、古い土人形の天神様にお出まし頂く。
無線ラン
2月25日

知人ヒレカツ氏来たり、あるじが手こずっていた無線ランをこともなく繋いでくれた。


祖母の形見
2月18日

明治12年生まれの祖母が遺した布団地。

鷹の部分は簡単に白抜きに染めた上、筆で細部を描き込んである。慣れた筆遣い。


食堂
2月17日

ミカンの輪切りとか、糠を載せて置く。ひよどり、雀が次々に来る。


完璧な晴れ

2月16日

完璧な晴れとなり、その空の色の深さは、初めて見たのではないかと思うほど。

頼まれて、知人の木を伐る。うちの畑と隣り合わせた庭に、栗・りんご・梨・洋梨・かりんなどさまざまな果樹があるが、お一人住まいで手が回らず病虫害が多かった。夫が去年から頼まれていたのを、雪の落ち着いた今日伐り倒す。御神酒を上げてチェンソーで伐った。



歳月

2月15日

右の右、夫5歳、68年前。左、私1歳、72年前。古い写真を起こす稽古なり。


晴れ間
2月14日

珍しく晴れて風も無かったので、スモモやプルーン、梅などに硫黄剤を撒いてもらった。
今年は美味しい実がたっぷりつくぞ!


魚沼市井口青年会雪像作り

2月12日

通りかかったら、雪祭りにそなえて雪像造りをしていた。これは船らしい。右、その前面。左、うしろ側。


魚沼市・湯之谷で

2月12日

妹の家の前。右、ここに、こうスコップを差し出しても、それより雪の方が高かったと説明している。
左、庭木の枝が雪に巻き込まれて折れてしまったもの、多数。


東京タワー

2月9日

夫が二日間、お上りさんをしてきた。東京タワーでガラス拭きの人を見て感動。地上250メートルでの仕事だ。見るだけで身のすくむこの仕事をしている人は、女性。


たくさん出来た
2月8日

手拭きはその後も縫い続けて40枚ほど出来たので、一応区切りとする。柄の種類がたくさんあって楽しい。


トンボ玉体験会

2月6日

町の駅でトンボ玉造りの体験をする会。みなさんキンチョウしっぱなし、わたくしセンセイしゃべりっぱなし。右の写真のバックに特産の打ち刃物が写っている。

食堂
2月6日

雀の食堂、台の上に糠を置いても、散らかして下で食べている。


お手拭き
2月5日

手洗いのお手拭きを浴衣地で縫って使って来た。沖縄南部のお店「真壁ちなー」で見て帰り、すぐ真似したもの。

その第一次が洗い晒して縁から傷んできたので、新しく作り始めた。今度は古浴衣でなく見本生地を使ったので、柄がいろいろあって楽しい。


くろやうかん
2月4日

撮ってあった写真から。

柏崎の老舗の菓子屋の表に、石を彫って作った看板がある。
「くろやうかん」の文字は相馬御風筆。


小学校6年生の作品
2月3日

「柏崎小学校6年生による総合学習の作品」として街頭に出ていた。

みな実在の店らしい。


ゴボウロード
2月1日

左上・夫が、牛蒡を埋めてある場所までの道を作ってくれた。
右上・辿り着いて引っ張り出した牛蒡。

左下はネコの餌場までのネコロード。ほかに鳥ロード、ゴミロードもあり。


アフター・U
1月31日

26日に、外ネコと鳥のために畑の中に作った道の写真を載せたが、それがまた埋まったところ。

鳥の餌台が雪から出ている、その長さで雪の積もり方がわかる。


李崎(すもんざき)どんど焼き
1月30日

長岡駅へ行く途中の李崎で見かけたどんど焼き。青竹を芯に、たっぷりの藁を使って組み立ててある。

人々が長い棹に吊してスルメを焼いていた。


玄関雪かき
1月29日

これは昨日の写真。今までの雪が層をなしている。

木鍬(こすき−木のスコップ)が珍しいかもしれない。いまはほとんど使われていない。私が子どもの頃はこれを小さくしただけの子ども用木鍬もあった。


現場写真
1月28日

今日、「おしゃべりきもの」に書いた出来事の現場。


ビフォー・アフター
1月26日

上左、中央に見える鳥の餌台、右端、枇杷の木の下に見える外ネコの食堂、みんな埋まっている。

上右、それらを繋ぎ、生ごみを出す場所へもつなげた道を夫が作った。

下左、積もりそうな雪が今日もよく降る。


頂き物
1月24日

小包から現れ出でましたるは、
手作りシーサー(貝細工)、同じくストラップ(ビーチグラスと貝)タンカン、バティックの布、海苔、タオル、好きな雑誌のバックナンバー、しるこサンドビスケット、などなど・・・好きな物ばかり。


今日の雪
1月24日

左上、玄関と道路を結ぶ除雪。

右上、車庫の屋根の除雪。

左下、車庫の屋根の上で、雪の層を見る。


垣根の雪落とし
1月22日

垣根の白樫に積もった雪を、揺すって落とす。


雪かき
1月20日

玄関から道路まで雪かき。
手編み毛布

1月20日

この時期、掛け布団の上に抑えに掛けておく毛布。しっとりした重みがあるので具合がいい。
手編み機で編んで着せていた家族の衣類を解いて、3本取りでざくざく編んでとじ合わせた。編み棒の長さに限りがあるので小幅になったもの。

出来たばかりのころは、ここはどの子のセーターだったとか、ズボンだったとか、みんなわかったものだ。



長岡駅前
1月10日

人を駅まで送った帰り、雪が止んで灯りがきれい。


寺泊

1月7日

海が荒れて、佐渡航路は欠航したという。

集まりをして、取り皿がもっとあったらいいのにと思ったので、骨董店へ引き出しのついた桐箱など持って行き、手塩皿と替えてもらった。

左下角から時計と反対廻りで4枚目までが今回手に入ったもの。全部で27枚貰って来た。


と、いうことでございます

1月4日

義兄が88歳、私どもが50年、と、いうわけでうちで会食。みんなから貰った花、お嫁ちゃんの作ったお菓子。



ミエコさん誕生日
1月3日

ご本人曰く26歳の誕生日(それなら私は37歳だ)。

マゴたち集まりもち搗きの部。

悪友?集まり飲み会の部。めでたく終了。


おめでたいワン
2011年1月2日

弟の家へ年始のおよばれ。

車庫では飼い犬のマックスが、軽トラの運転席で出動待ち中だった。


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