原田祖岳

  1871年11月25日(明治4年10月13日) - 1961年(昭和36年)12月12日)は日本の曹洞宗の僧侶で、臨済宗の禅も兼修したことで知らる。著作多数で 出口鉄城編集の『原田祖岳著作集』もあるが、先般の引っ越しで処分せざるを得なかった。残したのは、右記の軽い冊子、6冊であった。

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 原田祖岳とは、不思議な縁を感じる。
たまたま、少し参禅に通った品川の東照寺は、原田祖岳が開祖の、発心寺の東京の出先だったというし、『正法眼蔵』を読むのに使った、中谷白雲は、祖岳の弟子。お世話になった東照寺の出口鉄城老師は、祖岳著作集の編纂をされた。
曹洞宗であるが、臨済宗も兼修、公案を用いられる。東照寺では「無字の公案」を与えられた。


  ふとしたきっかけから、この講話本を再読することになった。

  どの作品も禅の奥義を、分かり易く、堂々と述べておられるので、もし、興味があれば、直接本をひも解いてください。下記には内容要約はしていません。
下記は個人的なメモです。

2024・5
 

  
   『延命十句観音経講話』  初版は1952年

最初の読んだのは、1994年(57歳)、それから、8回通読したことになる。現在86歳、

再読のきっかけは、常楽我浄の意味の確認であった。

これは、観音の性徳を四方面から示したもので、47頁にわたって、懇切に解説してあった。

最初から読み始めると、止まらなくなって、最後まで読んだ。

要は、「観自在とは異人に非ず、汝諸人是なり」(天桂禅師の言葉、 p35)である。

 観世音 南無仏 
 與仏有因 與仏有縁 仏法僧縁 常楽我浄 
 朝念観世音 暮念観世音
 念念従心起 念念不離心

やさしいお経で直ぐ覚えられるが、その意味は一度はこのような講話を聞かないと分からない。

  2024・4・20
 

  
   『白隠禅師坐禅讃講話』 初版は1979年
        初読:1994年

  「白隠禅師坐禅讃」は私の最も馴染のもので、唱えない日はない。中身も一応体得したと思えるが、再読に当たり、まず疑問の「因果一如の問開け」から確かめた。これは、修行上の因果をいい、「今日一時間乃至一分間の参禅辨道にも、百千万年後の仏果菩提の内容を完全に具足している。」とのこと。

  「況や自ら回向して・・・」の回向は外に向かっていた心の眼を自分の方に向けること、「回光返照」のこと。



2024・4
 

  
   『正しい坐禅の心得』  初版1953年
               新装版11刷 2008年


  この本はかって何度も読んだのだが、手元からなくなっていたので、今回、再度購入した。


  禅は正師について学ぶべきものであるが、適当な正師出会えない場合も、この書に従って坐禅すれは、邪路に迷いいることはないと、懇切丁寧な解説がなされている。


 

  
   『普勧坐禅儀講話』 
     初読:2002・2・16
     再読:2024・8・7

道元禅師支那から帰国直後の作品。1227年御年、28歳。漢文で書かれている。


  序講で全体の解説があり、以下、本講義で、逐条的に、解説がなされる。
  平易ながら、峻厳。恐れをなす。

  禅の本質から坐禅の具体的なやり方を述べる。

内容略。

 「所以(ゆえ)に須(すべ)からく言を尋ね,語を遂うの解行を休むべし、須べからく回光返照の退歩を学すべし」  

   2024・5

「何ぞ自家坐牀(さじょう)を抛却(ほうきゃく)して、みだりに他国の塵境に去来せん、若し一歩を錯れば、当面に蹉過す。

後半難しいが迫力があり、襟を正す。
  
  2024・8・7


 

  
   『延命十句観音経霊験記
白隠禅師原著 原田祖岳校注。

    1993、10,15年通読24年8月4読
     
 白隠の原文と巻末に祖岳の5頁の略解がある。

 十句経の霊験あらたかなることを、実例を10数例挙げて説く。

 伝聞のもの、自ら体験したものを、恐ろしく詳しく、迫力のある叙述で、白隠は僧ではなく、作家と思う程である。

 死にさまよい、あるいは、蘇生した例が多いが、そこには地獄の描写もあって、地獄に陥っているなかに、高僧と云われる人もいる。黙照枯坐の邪党など一部禅僧も含む。

 ひたすらに十句経を唱えること。

 延命十句観音経
   
観世音、南無仏、
与仏有因、与仏有因、仏法僧縁、
常楽我淨、
朝念観世音、暮念観世音、
念々従心起、念々不離心。


興味があれは、まず、上に掲げた延命十句観音経講話を読むことを勧めます。

  2024・8・11