須賀敦子 | Topへ | |
須賀敦子(すがあつこ1929-1998) 彼女がエッセイを書いたの晩年10年にも満たないが、滋味にあふれた名品をいくつも残した。 | ||
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須賀敦子 『ユルスナ―ルの靴』 河出書房新社 1996 「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩けるはずだ。 そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。」 靴にまつわる思い出から書き始め、やがて、ユルスナ―ルの靴の話に入って行く。このプロローグだけでも逸品であるが、彼女の魂の遍歴にユルスナ―ルの遍歴を重ねながら、各章独立させてよいほどの完成度の高いエッセイが続く。(初出:『文藝』に連載) 40日かけて、貨客船でヨーロッパに行くくだり、パリの寮での交友、ハドリアヌス帝の旧跡を訪ね、「霊魂の闇」をユスナールと共有するといった、彼女の記憶の辿る丁寧な文体は、「須賀敦子節」と私は名付けているのだが、ファンには読書の楽しい時間を齎してくれる。 最終章「小さな白い家」では、ユルスナ―ルとの出会いを回想し、最後にはユルスナ―ルが晩年過ごしたマウント・デザート島を訊ねる話と晩年のユスナールの靴で終わる。私は、ユルスナ―ルの作品を読んでいないのだが、須賀敦子とユルスナールとこの二人が出会う人たちの人生をも同時に味あうことができた。 引用したい文章は沢山あるが、一つだけ、写しておく。 「作風への感嘆が、さらに、彼女の生きた軌跡へと私をさそった。人は、じぶんに似たものに心をひかれ、その反面、確実な距離によってじぶんと隔てられているものにも深い憧れをかきたてられる。作家ユルスナールにたいして私が抱いたものは、後者により近いものがあったが、才能はもとより、当然とはいえ、人生の選択においても多くの点で異なっていても、ひとつひとつの作品を読みすすむにつれ、ひとりの女性が、世の流れにさからって生き、そのことを通して文章を熟成させていく過程が、かつてなく私を惹きつけた。」 「あとがきのように」から |
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須賀敦子『ヴェネチアの宿』文芸春秋社 1993 (1) 須賀敦子の文章を時々読みたくなる。殆どが、彼女の心の襞に刷り込まれた記憶を取り出すことに費やされているのだが、記憶から記憶へと渡り歩いて、入口と出口とが異なることがあるし、起承転結という文章作法から言えば、結の部分がなくて、思いもかけぬ終わり方をすることも多い。それがまた、記憶をたどる者の真実を示しているようだ好もしく、奇妙な味わいを残し、須賀敦子ファンになると彼女の文章はなんでも許せるという気になる。 |
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2016年11月28日
須賀敦子『ヴェネチアの宿』 (2) 鷺の宮の改札を出ると、栗毛で色白の、少女のような華奢な女性が立っていて、すぐにEさんだと分かった。駅を出て、しばらくすると、急に狭い路地に入った。人一人通れるぐらいの幅の、しかも、暗い道で、うら若い女性の通るような道ではない。彼女の後ろを付いて歩きながら、女狐に誑かされているのかと不安になる頃、明るいところに出て、そこに彼女の住まいがあった。小ぶりの質素なマンションの、2階の彼女の部屋へ入ると、居間の真ん中に炬燵があって、そこが食卓であり、勉強机でもあるようであった。全く日本的な炬燵の中で、二十歳半ばのアメリカ女性、Eさんとの日本語個人レッスンが始まった。「私は、村上春樹は卒業しました。須賀敦子が好きです。彼女の全集は私の宝物」と言った。炬燵以外には家具はなく、部屋の壁側に、本がたくさん平積みで置かれてあって、その中に須賀敦子の本も見えた。 (その時の『論語』のレッスンの一端はココにあります。) |
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『須賀敦子の手紙 1975―1997年 友人への55通』 つるとはな 2016 友人夫妻に当てた55通の手紙、葉書が、カラー写真で掲載されている。 |
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「アイルランドの細道」より 教会の尖塔と須賀敦子と |