東京やなぎ句会編 岩波書店刊
『五・七・五 ― 句宴四十年 』2009年
『楽し句も、苦し句もあり、五・七・五
― 五百回、四十二年』2011年
『友ありてこそ、五・七・五』2013年
先日、「雑司が谷シェイクスピアの森」の望年会で、関場先生から例年のごとく贈られる本の中に『友ありてこそ、五・七・五』があって、それを戴いて帰った。なかなか面白いので、少し前に出版された同句会の本2冊も図書館から借りて読んだ。
東京やなぎ句会は、1969年、入船亭扇橋、永六輔、小沢昭一*、江國滋*、桂米朝、大西信行、柳家小三治、矢野誠一、三田純市*、永井啓夫*というメンバーでスタートし、神吉拓郎*、加藤武が加わり、12人の句会であった。毎月17日に集まり、2013年の本が出た時点で、530回目を迎えており、その継続性に目を見張る。(この時点で*印の方は既に物故。)本は、句会の模様、自選句、会や友達の思い出、ゲストだった人たちの寄稿など多彩で、会の様子を生き生きと伝え、読み物として楽しい。下戸の方が多いのだが、酒を飲む人より騒がしいという。あの時はどうだとか、ばかばかしいダジャレを飛ばしながら、冷やかし合い、何しろ弁の立つ人の集まりだから、作句より、この談笑のひと時を楽しむ。それがこの人たちの生きる拠り所ともなり、仕事より、句会(友情)を優先さている様が、伺える。「句作さえなければいい句会だ」と言いながら、せっせと俳句を作るのもおかしい。俳句という文芸の力と句会というシステムの素晴らしさが分かる。
句会は、誰が作ったのかわからないようにしておいて、メンバーが、それぞれ、句に天・地・人・客の評価を行い、その結果を公開し、順位と賞品を授与する一種のゲームなのだが、その中で、楽しみ、切磋琢磨し、何よりも人と人との触れ合いによる人生の喜びを味わうのである。記録の中では(爆笑)という語が絶えないのであるが、寄る年波で、何人になれば会を閉じるかなど絶えず話題となっている。気が付くと、去年、今年に入船亭扇橋、永六輔、桂米朝、大西信行、加藤武も鬼籍に入られた。
この句会での俳句を私ごときが論評するのははばかれるが、俳句を一つも出さないのも失礼だと思うので、一句引いておきます。もうすぐ年の瀬を迎えるので、永六輔の句:
去年今年 足かけ二年の立小便
これは虚子の名吟「去年今年貫く棒の如きもの」の本歌取り。棒の如きものを握って年を越した六輔はもういない。「昭和」も遠くなった。
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引用の句が川柳ぽいので、川柳の句会と誤解されといけないので、書き添えますが、会の宗匠の入船亭扇橋(光石)は秋桜子門下とも言うべき正統派で、この会は川柳の句会ではありません。しかし、メンバーを粗く括れば、芸能世界の人たちなので、花鳥諷詠とは行かず、人の哀歓を捉える句が多い。無作為に少し拾ってみます。
炬燵から顔を出す子と二人かな (光石)
散髪を終えたうなじの秋暑かな 大西行信(獏十)
知らぬ人と旅の初湯に話しけり 小沢昭二(変哲)
うちの子でない子いてる昼寝覚め 桂米朝(八十八)
蒲公英の絮(わた)散り散りとなる定め 加藤武(阿吽)
みぞれ降るつないだ手と手ポケットに 柳家小三治(土茶)
ほころびた軍手で牡蠣割る老女かな 矢野誠一(徳三郎)
看取られる筈が看取って寒椿 永六輔(六丁目)
私の興味は、句そのものより、この人たちの心の拠り所ともなった「句会」というシステムにあり、長く続くグループの要素がここにあるような気がします。