中島俊郎  Topへ
   甲南大学の中島先生とは20年ほど前、日本ルイス・キャロル協会でお会いしたのがきっかけで、時々、本や資料を頂いている。
先生のご研究、ご活躍は広範囲ですが、その一部をここに留めます。
先生は日本ヴィクトリア朝文化研究学会の会長もしておられます。
 
  
   中島俊郎『関西学院と寿岳文章 ー 宗教的真理の追究
  関西学院史紀要第二十九号(2023年3月)

  寿岳文章(1900-92)の生涯を鳥瞰した48頁の力作である。大戦をは挟んで、彼が何処で学び、誰と出会い、何をなしてきたのか?生き生きと細部も描かれ、一大絵巻を繰るように、読み出すと止まらなかった。

  例えば、彼は文部省中学教員英語検定試験を2度受けるのであるが、その時の試験官の名前(神田乃武、岡倉由三郎、市河三喜、岡田みつ、H・E・パーマー)をはじめ、受験者数、合格者数、出題内容まで述べられている。
  興味深いエピソードを重ねながら、青年期の仏教系の中学、キリスト教系の関西学院へと進み、貧しい中、刻苦勉励して教育者として育って行く。折から、日本は軍事一色に染まっていく時代であった。

 寿岳文章といえは、ブレイク、和紙、ダンテ『神曲」を誰もが思い浮かべるのだが、それ以外の多くの出来事も記されていて、仏教、キリスト教、西洋的教養など身につけた人間・寿岳文章の堂々たる生き様が鮮やかに述べられていた。

  これは、昨年秋の第53回関西学院史研究会(2022・11・4)における講演の記録で、その時の聴衆の感動は大きいものがったと思われるが、活字にする過程で、逐一、典拠を示す注が付され、学術的にも価値の高い記録となっている。

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 中島俊郎『寿岳文章と読書
   甲南大学 紀要 英語英米文学科 No.173 (2021年3月)

  上の講演録がどのような人との接触が文章の人生に影響を与えたのかを述べているなら、どんな書物の影響下にあったかを中心に描いているのがこの論文である。本好きには興味深い話満載のエッセイです。
 

1 ダンテ『神曲』翻訳への道
  『神曲』翻訳への長い道のり。昭和初期、イタリヤ語で読む読書会にも参加している。この章だけで一読の価値あり。

Ⅱ『獺祭記』
  昭和18年から昭和43年の間の読書記録、401冊。
  福原麟太郎に対するの評価変遷など
  
Ⅲ寿岳文章文庫
  誰でも気になる自分の蔵書の行方。
  献呈本に見られる交友関係。
  日向庵本
  蔵書を管理する図書原簿

 
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 中島俊郎「寿岳文章の和紙研究』  4頁
   丹波古陶館・笹山能楽資料館友の会「紫明の会」発行、
   紫明/第52号(2023・3・25)

    文章の和紙研究の概観。

     2023・4・23
 

  
   中島俊郎『日本と英国の文化交流 ― 寿岳文章を中心に ― 』 
       甲南大学 紀要 文学編 No.171 (2021年3月)

 寿岳文章と縁のあった3人の英国人との交友を描いた作品である。様々なエピソードが流れるような文章で綴られ、一気に読んだ。 3人とは;
  駐日英国大使: ジョン・ビルチャー
  詩人: エドマンド・ブランデン
  詩人:  D.G.エントライト
であるが、特に、ジョン・ビルチャーは戦前、戦後を通じた変わらぬ友情が描かれていて、胸を打つ。3人の日本への見方も上手く紹介されているが、これらの人と付き合った寿岳文章の人となりの一旦が覗え、文人らしい生き方に感銘を受ける。

 むすびに、日本英文学大会(1969年6月)での寿岳文章の発表を取り上げている。
それは、― 「われわれ日本人であるという自覚の上に立って日本文化を表現してきた」新渡戸稲造、岡倉天心、内村鑑三、鈴木大拙を取り上げ、日本文化を自ら発信する重要性を説き、「日本語が読めない外国人が多いゆえに、われわれのほうからまず積極的に堂々と実践して行く」という態度を、「英語教育の一つの指標」にするべきだはないか、と寿岳は発表を締めくくっている。と ―

 寿岳文章の居所は、現在「日向庵」(こうじつあん)として、本人の顕彰と資料提供の供されており、中島先生はそこの理事長をしておられる。。
「日向庵」については、下記、講演録『文化遺産としての向日庵』参照


     2021・3・22
 

  
   中島俊郎
  『オックスフォード古書修行 
        書物が語るイギリス文化史

                              (NTT出版2017

   時々夢に古書店が出てくるような、本好きの私には、全篇、面白く、楽しかった。
  オックスフォード、ロンドン、フランクフルト、ブルージュでの古書探訪のエッセイで、オークション、古書市、古書店、図書館を著者と一緒に歩き、探していた本を得た時の喜びを共に味わい、著者の思索の旅に同伴させていただくことになる。
  友人に頼まれたウォルター・スコットの小説集オークションで落札する時の緊張感とその結果はおかしい。『ビートン夫人の家政書』で有名なビートン夫人の『英国婦人家庭画報』周辺のことは詳しいのには驚く。先生の専門領域の一つである旅に関する文献収集では、トマス・ウエストの『ファーネスの古美術・建築』〔1774年刊〕オークションでの落札、『湖水地方案内』(1784年版?)を古書展で入手したときの喜びは、ひしひしと伝わってくる。湖水地方のガイドブックに写真図版が初めて挿入されて出版されたのは1864年の案内書『ウィリアム・ワースワスの湖水地方』であったという話から、やがて写真文化、 出版文化 鉄道文化と移る。エドワード・リアの『ノンセンスの絵本』に関連して、リア小伝ともいえるほど詳しくその生涯が紹介されており、キャロル・ファンには、レシピ本から「ニセ海亀スープ」が出てくるが、食の文化史とも言える。「自転車文化」のはしりも知ることもできる。
  『英国の日記文学 15世紀から20世紀』という本で、神戸の川瀬日進堂の扱ったものだったこと出会い驚き、続いて『サミュエル・ピープス文庫目録』を入手するところから、話題が『ピープスの日記』の話に及ぶ。愕いたことに、(新型コロナ禍の9年前に)彼のペスト流行の個所を抄訳していることである。実見したピープルに比べ、デフォーの『疫病流行記』(1723年)は物の数ではない、という。
  ヴァレリー・ラルボーを中心とした翻訳文化論も読みごたえがあった。   最後に、ボドリアン・ライブラリの詳しい案内もあって、先生の海外での古書修行は素晴らしいものであったことが分かる。
本好きならではの感慨と、ヴィクトリア文化百科全書的情報が満載で、読んで飽きない。
  参照文献、図版出典、索引が付いているのは嬉しい。

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  色々と刺激を受けたが、その一つに、9章の翻訳三大話がある。
  『ユリシーズ』をはじめ多くの翻訳を行ったヴァレリー・ラルボーと、翻訳を作家活動の基底とした作家たちの紹介である。
  「誤解を恐れずにいえば、フランスは翻訳を学問の中心に据えているようなところがある。学問的伝統になっているといいかえてもよい。」(207頁)として、コルネイユ、モリエール、ポアロー・ヂュプオー、ラシーヌの例、さらに、クローデル、ヴァレリー、モロワ、デュ・ガール、プルースト、ジッド、ボドレール、プレボーなどをあげて、これれが「翻訳してから」世に出たとある。
我が国でも鴎外をはじめ、明治の作家、身近では、村上春樹が翻訳を通じてその文学を築いていったが、狭い文学上のことに限らず、文化全般に及ぶ問題だと思っている。
  我が国は「翻訳の幸あう国」。翻訳に纏わる話は興味が尽きない。


   2020・8・24

 

  
   中島俊郎『英国流・旅の作法
       
グランドツアーから庭園文化まで』 講談社学術文庫

まず、『イギリス的風景―教養の旅から感性の旅へ』(NTT出版2007)が加筆され、古典的名著として、講談社学術文庫に加わったことを、お慶びし申しあげたい。

本書は、産業革命で経済力を増した18世紀のイギリスで起きた「旅の文化」の様相を、そこに登場するユニークな人々の生き様と共に描き出しています。該博な知識が縦横に繰り出されるその筆さばきには、目を見張ります。

上流社会の子弟が古典的教養の仕上げとして行った「グランド・ツアー」は、その道中の経験やイタリアで受け入れる英国人など人との交流が面白い。その底流に牧歌的なアルカディアへの憧れがあり、美意識の根底を作ってゆく.。

「ピクチャレスク・ツアー」は、イタリアに求めていた風景を英国内に求めるようになり、  ウィリアム・ギルビンらによって崇高美が美意識となる。旅行案内書によってピクチャレスク・ツアーどんなものであったか生き生きと描かれる。

徒歩で旅するのは乞食かおいはぎと思われる時代に、真の自然、個人の自由さを味わう徒歩の旅「ペデストリアン・ツアー」やウオーキングそのもの楽しむものが増えてくる。ワーズワス、コウルリッジ、スティーブンスンなど、風景は田園風景が中心となる。私の好きなスティーブンスンについて、沢山の紙幅を費やされているはうれしかった。

最後は大都市化した「ロンドン・ツアー」であるが、外国人のふりをして書いたロバート・サウジーの『イギリス通信』を取り上げ、イギリスさを追及して、話は出版業界、造園、園芸の世界にも及ぶ。

グランドツアーを誘った「アルカディア」は、やがて「イギリスの田園風景」そして『カントリー・ライフ』誌を通じ、国民共通の理想、嗜好、国土愛ともなって現代に及ぶ。著者は、戦争詩人ルパート・ブルックを取り揚げそのことを示す。 
  旅文化を通じて形成されたイギリス人の自然愛、田園趣味の源に触れることになるのだが、それにしてもあまりに豊富な内容・情報に圧倒される。

 先生の中の「アルカディア」への憧れがいつまでも続きますように!

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〇本書は著者から恵与されたもの。

〇本書には、膨大な本のコレクションがあると思われる。その一端を覗いてみたいのでオックスフォード古書修行』(NTT出版2011)をこれから読みます。

私は、子供の頃、母に読んでもらった『宝島』以来、今もスティーブンソンのファンであるが、若いころ岩波文庫で読んだ『旅はロバをつれて』『内地の船旅』には強い影響を受けた。つまり、こんな旅(生き方)をしたいという欲望が心の奥深く芽生えた。これからも読むだろう。できれば彼の終焉の地、サモアへも行ってみたい。

〇「アルカディア」は高校時代、翻訳で読んだゲーテの『イタリア紀行』などで知った。
「君知るや南の国、レモンの花咲く・・・・」そんな詩も思い出す。
「憧れ」はドイツ語ではSehsucht(見たい欲望)

  2020・8・11

 



  
   2018年2月11日

講演録『文化遺産としての向日庵』甲南大学文学部 中島俊郎教授
(甲南大学総合研究所叢書第132号(2018月1日発行)抜刷
  「向日庵」とは、壽岳文章の居宅であった庵のこと。ここを保存して、壽岳文章に関心のある人の交流基地しようとNPOが設立され、これは、その発足を記念して行われた講演の記録です。ご本人が、詳細な注を付けられているので、読み物としても読み応えがありました。
  壽岳文章というといえば、ブレイクの研究、「神曲」の翻訳、和紙の研究、甲南大学文学部といったことが、頭に浮かびますが、この講演では、、幅広い視点で、その人となりを、ブランデンなどとの交友関係、戦争への態度などについて触れ、文化人としての壽岳文章を浮かび上がらせています。奥様しづ子さんが翻訳家、娘章子さんが国語学者、息子潤さんが天文学者。そんな一家の居所であった家を文化遺産として維持していくことはとても意義深いことと感じました。
  そして、このような事業の推進には、甲南大学ー英文学といった枠を超えて、壽岳文章を、広い教養で受け止めることのできる中島先生こそ相応しい方と思いました。
   この講演には触れておられませんが、NPO設立に伴う、幾多の経済的、事務的な煩わしがあったことは想像に難くありません。先生の粘り強いご活動を祈るばかりです。
 
  
   2016年2月1日

ヴァージニア・ウルフ『フレッシュウオーター』 中島俊郎訳 こぴあん書房 1992
  ルイス・キャロル全集に寄せたウルフの書評を読んでいるうちに、かなり前に、同書を翻訳された中島俊郎先生からいただいたのを思い出して、再読した。
  舞台は、ワイト島、フレッシュウオーターのカメロン夫人邸が中心(19世紀末、芸術家たちのサロンともなっていった。)
登場人物:キャメロン夫人(写真家)その夫、テニスン、ワッツ(画家)、エレン・テリー,ヴィクトリア女王、ほか。
  作品は、1935年、ブルームズベリー・グループの人たちを相手に上演された。登場人物たちを戯画化した喜劇で、それらの人物のことをよく知っていないと笑えない。キャメロン夫妻がインドに旅立つに際して、持参する柩の到着を待っている場面がある。ヴィクトリア文化からの決別を象徴するかのような作品である。
  編者、Lucio P. Ruotoloによる序文、注、解説もきっちり訳され、何よりも、驚き、また価値があると思うのは、訳者により内容豊かな注が沢山付けられていることである。素人は、この訳注なくしては、この作品は味わえないと思う。もちろん原作読みたくなってくる。
  キャロルと同様、写真家と名を残したキャメロン夫人は、キャロルが被写体とした、アリス・リデル、テニスン、エレン・テリーも撮っており、キャロルとは不思議な糸でつながっており、ウルフにとって大伯母にあたる。

 
  
  2015年4月4日 

中島俊郎編『岡本 わが町 岡本から文化発信
                       神戸新聞総合出版センター

   神戸と大阪の間に、御影、岡本、芦屋と良い住宅地が続きます。この本は、その帯にあるように、その「岡本」という小さな町の住民による「自分史」です。編著者である中島俊郎先生が、私が、かって岡本の住人であったことを思い出して、送ってくださったのです。町誌という堅さはなく、永年の住民、うどん屋さん、クリーニング屋さん、パン屋さんを始め、多士済々の方が文を寄せておられており、この町ゆかりの著名人、谷崎潤一郎、壽岳文章、中井久夫などにも触れられ、生粋の地の人である中島先生も随所に健筆を振るっておられます。なんといっても、住民の岡本への愛着が感じられて好ましいのです。
  ここ四半世紀、東京で漂流を続けている私には、土地に根差したコミュニティーに強い郷愁を感じます。著作に『イギリス的風景』などがあり、イギリスの文化に通じた先生にして初めて、このようなレベルの高い岡本誌が出来上がったのだと思います。阪神・淡路大震災で、家を失うことがなければ、私も今頃は岡本で、庭に来る鶯の声を聴いているのにと思いながら、懐かしく、ページを繰っています。