中国哲学史  Topへ
    中国は世界で最も多くの文献の蓄積のある国と思うが、その言説を一通り追うだけで、一生掛けても足りない。

  先秦j時代、つまり春秋・戦国時代(BC7世紀~BC3世紀)に、思想の花が咲き、儒家、道家、法家・・・諸子百家があって、之だけでも目が眩む。儒家を追うだけでも大変。

 私など、狩野直喜『中国哲学史』さえ、十分読めていない。

中島隆博『中国哲学史』中公新書
古典への道 吉川幸次郎対談集
 

  
   中島隆博『中国哲学史』中公新書 2022

  中国哲学史を書くような人は私にとり仰ぎ見る人たちなのだが、中島隆博がそれを試みた。期待が大きすぎたのかもしれないが、彼が哲学としているとしているものが、捉え難かった。

 「あとがき」で本書が出来上がるまでのご苦労を知ると、素人が、軽々に論評するのは憚られるのであるが、率直な感想の一端を述べるのも、著者への声援になるだろう。

 私にとってよかった点は:
  西洋との交渉による、双方の影響を述べた14章、15章
  近代における中国哲学の動きを示す17章、19章
  全体として儒教の大雑把な流れがつかめた。

 不満の点は:
 「自らの哲学理解とその実践としての中国哲学史を書く」(48頁)とありながら、著者の哲学的視点が感じられなかった。
  各章、それぞれ大著をもって著すべきような内容であるので、無理はないのだが、その要約に物足りなかった。

  参考文献、年表、索引付き。労作である。
  ただし、参考文献は狩野直喜をはじめ多くの日本人先輩学者のものが無視されている。(右欄参照)
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以下、備忘メモ

  中国哲学史の始まりを、二人の中国人の学者の説から導入するので、何だか肩透かしに遭ったようで、諸子百家についても触れない。

後半 キリスト教、西洋との思想的交渉あたりからとても面白くなる。

はじめにー中国哲学史を書くことはとういうことか

著者の立脚点の説明だが、とても野心的。
中国・哲学・歴史に分けて論を進めるのだが、次のようにまとめる。
中国哲学史は「中国(語)の経験を通じて、批判的な仕方で、概念を歴史において洗練化し、普遍に向かって開いていること」

第1章 中国哲学史の起源。

近代の二人の中国人の哲学史をベースに、その起源を孔子に求めるか、老子に求めるかを考察する。中国ルネッサンスの問題も取り上げる。

馮友蘭(ふうゆうらん)(1895~1990)『中国哲学史』(1931)胡適(1891~1962)『中国哲学史大綱』(上、1917

第2章  孔子―異様な異邦人
  
葬家の犬、 イエズス会士の孔子像
神なしで地上の王国を倫理的・政治的にうまく運営できるかも知れない)
  司馬遷の世界観 「並立現象」
  「仁」が、神のような超越的な源泉ではなく、人間的なものに根差している、とりわけ、「感情的で相互的な次元に根差している
  礼ー人間の感情の様式化

第3章 正しさとはなにか
  正名  荀子の言語論ー対象とは恣意的で、社会的な約束によって習慣化されてきまる。  
 人間の相関しない宇宙

第4章 孟子、荀子、荘子 ー変化の哲学
  孟子の性善説 仁義礼智の源
  荀子の性悪説 偽(作為)に必要性
  荘子 物化ー変化の自由度を究極まで高めている。
第5章 礼とはなにか
第6章 『老子』「韓非子』淮南子』 ー政治哲学とユートピア
第7章 董仲舒、王充 ー 帝国の哲学
  
董仲舒王権の天による正統性の保証  天譴災異説
   王充 ー聖賢が天の代理

第8章 王弼、郭象 ー 無の形而上学 
第9章  仏教との対決ー パラダイムシフト
  
神滅神不滅論争 ー精神と肉体の関係の論争
第10章
 「詩経』から『文心雕龍』へ ー文の哲学
 
なぜ、文学理論が出てくるのかよくわからないs。
第11章 韓愈―ミメーシスと劇史性
  
韓愈の仏教道教批判ー先王の道ー仁義道徳ーが孟子で絶えている。道統論。自己出発ー聖賢の意を師として辞を師としない。古文ー模倣なき模倣 
第12章 朱熹と朱子学 ― 新儒教の挑戦
  
朱子の基本概念-性・理・気  悪を制圧する誠意慎独   格物致知
第13章 陽明学 ー 誰もが聖人になる
  
 朱子学の思弁的(知性的)に対して直観的実践的
   
良知 知的判断の前にある
第14章 キリスト教との対決 ー パラダイムシフト2
     
イエズス会マテオ・リッチと仏教徒との対決
      殺生戒、輪廻

     
どちらの典礼を重んじるか?
     雍正帝キリスト教布教禁止(1733)
     イエズス会も活動停止(1773)

第15章 西洋は中国をどう見たのか1 ー17~19世紀
     
宣教師たちが持ち帰った情報ー神なしでも世界は存       在する。
      ライプニッツ ー 第一原理として「理」能産的自然

      
スピノザ ー。神すなわち自然
      「四書」のラテン語訳(1678)
      ディドロー『百科全書』の「中国哲学」
      ヘーゲルの中国観
第16章 戴震 ー 考証学の時代
   
乾隆帝(1735-95)の『四庫全書』
   戴震(1724-77)
  実事求是
    『孟子字義疏証』  性、性善、権(判断力)
   礼の再構築、老子批判、荀子への回帰

第17章 西洋近代との対決 ー パラダイムシフト2
     
科挙の廃止1905 京師大学堂1898、北京大学へ名称変更1912
第18章 胡適と近代中國哲学の成立 ー啓蒙と宗教
  
プラグマティズム
第19章 近代新儒家の挑戦 ―儒教と西洋哲学との融合へ  
「内聖外王」、梁漱溟『東西文化およびその哲学』、
熊十力『新唯識論』
牟宗三「自覚的自己否定」、唐君毅ー理の普遍性
第20章 西洋は中国をどう見たか2 ー 20世紀

第21章 普遍戦争 ー 21世紀
  
儒教国家論 ―蒋慶
  儒教国教化論 ー 康暁光
  儒教公民宗教論 ―陳明
  新天下主義ー許紀霖

   2022・07・16
 







  狩野直喜の本は663頁もある大著であるが、漢籍を読み込まれた人の凄さがある。
辞書的に参照させて貰っている。

 中国思想史や儒教史には多くの文献があるはずで、そのガイダンスが欲しい所。

  
   2021年7月12日
古典への道 吉川幸次郎対談集』朝日新聞社1969年
私は6月終わりから7月上旬、日赤病院に入院していました。 (コロナではありませんし、すでに、退院しておりますのでご心配なく) 入院の間、3冊、本を読みましたが、最初に読んだ本は、この本です。 中国の古典に関して、吉川幸次郎と井上靖、石川淳、中野重治、桑原武夫、石田英一郎、湯川秀樹、の対談と後半は「中国古典をいかに読むか」として、吉川に対して、主として五経、四書について、田中謙二、島田虔次、福永光司、上山春平が聞くという座談会があります。 私はこの本を最初に読んだのは42歳の時、2度目は65歳の時、そして今回で3度目で、もうすぐ84歳になろうとしています。 驚いたことに、登場人物は今の私より遥か年下で、ほぼ全員が鬼籍に入っていることです。 私は第3の人生を、漢籍を読むことから始めようと思っています。 写真は、日赤の病室の窓から。