その他 ちょっと分類不能なもの | Topへ | |
『南の島に雪が降る』 『いつもそばに本が』 『瞽女うた』 『脳内麻薬 人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体』幻 『梅里雪山 十七人の友を探して』 『残り火』 |
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加東大介『南の島に雪が降る』ちくま文庫
ニューギニヤの戦線には、20万の将兵がつぎ込まれ、帰還した人は2万人とも言われる。そんな戦地で、演じられた「演劇」とはどんなものであったであろうか?何か演劇の本質を現していないだろうか?そんな興味で本書を手にした。 昭和18年(1923)10月に応召。兵站病院隊250名の一員として11月3日大阪を出帆し、12月8日に西部ニューギニヤのマノクワリに到着、敗戦後、21年5月18日にその島を離れる2年半の記録である。慰安のために始まった三味線や踊りが、次第に発展し、演芸分隊として軍の中に位置づけられ、スタッフは公募され、舞台装置、カツラ、衣装、歌手、舞踏など異色あるスタッフが集められる。最後には本格的な緞帳もある舞台「マノクワリ歌舞伎座」を持つようになる。この間の、演ずる側、見る側の人間模様が、演芸というもの中心語られるのである。 ニューギニヤの過酷な戦線については、ある程度イメージがあるので、話が演芸の話に終始するので、読みながら、こんなことでよいのかと思うこともあったが、読み終えてみると、これでよかったのだ、これは加東大介でないと書けなかった文章なのだと感銘を受けた。行間に見える、戦死、餓死、病死など帰らぬ人となった人たちへの鎮魂の書でもある。 女形の独特の魅力、舞台装置大道具、小道具の重要性が際立って感じられた。舞台の雪景色に東北出身からなる部隊、300人近い兵隊は顔を覆って泣いた。
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ちくま文庫 上1995年版、下2015年版 後者には、保坂正康の解説とご子息、加藤晴之の文章が追加されている。 |
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2016年1月27日 『いつもそばに本が』ワイズ出版 田辺聖子、大島渚、北杜夫・・・など著名な作家、芸術家73人が、朝日新聞読書のページに同名のタイトルにもとに書いた、本についてのエッセイと須藤幹夫撮影の各人2枚のスナップ写真で構成されている。 一人3回の連載で、本書では4頁に収められている。 この本の良さは、本について書かせれば何冊でも書ける面々に、わずか4頁分しか紙面が与えられていないことで、その人の原点ともの言える本との出会いが語られている。多くは幼少からの本との出会いから書いているが、その語り口はみなユニークで、生の声を切り取った趣がある。 首藤幹夫の写真が素晴らしく、笑みを含んでいるものが多いので心温まる。逆にこの本はポートレイト写真集で、ちょっと贅沢なキャプションがついていると言っていい程である。土門挙の『風貌』という写真集を思い出す。 本が好き、いつも本がそばにあるよう人に、特に、戦前生まれで貸本屋を覚えている世代の人に、お薦め。 キャロル・ファンのために加えると、唐十郎が矢川澄子訳のアリス本に触れているほか、矢川澄子自身も登場して、自分の知的背景を吐露している。 |
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2014年7月30日 ジェラルド・クローマー『瞽女うた』 (岩波新書) 盲目の女旅芸人「瞽女(ごぜ)」の盛衰とそこで唄われた歌の内容を概観したものである。 ------------ 「瞽女(ごぜ)に関する本は何冊か持っていたはずだが・・・ 映画『はなれ瞽女おりん』1977年 篠田正浩監督、主演、岩下志麻もなかなか良かった。 |
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2015年9月13日 中野信子『脳内麻薬 人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体』幻冬舎新書 2014 人が快いと感じることに「ドーパミン」という物質が関係していることは、前から聞いていましたが、そのドーパミンによって人間の行動を論じた本です。内容は本書の背表紙の写真を付けておきましたのでご覧ください。 |
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隊の中心は京大学士山岳会で、著者は、山岳会員として、救助、遺体捜索のため深く関わることになる。本書は、遭難の実態から始まり、2006年にわたる記録で、その間16人の遺体を回収している。遺族にとって遺体収容の持つ意味をつぶさに知る。 数次にわたり、麓の村に滞在し、村人とも親しんで行き、何よりも、村人と共に、この山を巡る巡礼の旅を行っているうちに、「聖山」の意味を次第に体感するようになり、山の偉大さを知るようになる。始めのころは、登はんのルートを見つけようと眺めていた山も、次第にその気持ちが亡くなってしまう。息を飲むほど美しい写真も沢山ある。こんな僻地で取れる松茸が日本へ輸出されているなど、ちょっと意外な挿話もある。 登山基地となった村は観光スポットとして、宿泊設備、道路が整備され、村人の生活も電化が進み、辺境・秘境が次第に浸食されて行く様子も描き出せれていている。 近代登山は、未踏峰の踏むことに大きな価値を見出しているが、地元の信仰の対象となっている山を踏むことは、とても高慢な行為のように思えるようになった。 長期間、実際に自分の心身を用いての体験記である。 (同窓の滝澤裕さんの推奨によって読んだ。) |
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2017年3月30日 黒川実 『残り火』 1989年 自費出版
身辺を整理していたら、こんな本が出てきた。かっての職場の上司から、20年前に頂いた本である。戦後、ソ連に抑留されて、3年もの過酷な使役を強制された時の思い出の記を、40年を経て、著者70歳の時に、自費出版されたものである。
ソ連による理不尽な形で抑留された日本人は60万人とも、70万人とも言われ、厳しい環境下で酷使されたことは多くの人によって語られているが、これもその一つで、著者は40年を経てようやく公表する気持ちになったのであろう。 ダモイ(帰国)という甘言によって、ずるずると帰国が延ばされてゆく様が描かれている。
私は、会社に就職し、何となく勤めて会社生活終えてしまったが、考えてみると、その上司はほとんどが、兵役の経験者であった。その経験はほとんど語らなかったが、おそらく語りたくなかったのであろう。しかし、この人達によって、日本の復興、そして高度経済成長がもたらされたのであって、そのことを忘れることはできない。
戦争のことは、日々風化して行く中、この本も一抹の塵ごとく消え去るであろう。せめて一時であれ、クラウドの中に痕跡を留めておきたい。 2024/3/30 追記 ウイッキペディアによると 1947年から56年にかけてのシベリア抑留者の帰国は、47万3000人。 |