William Saroyan
  (1908-1981)

  サローヤンまたはサロイヤン、サロイアンとも書く
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少年の持つ瑞々しい感性を私は愛してやまない。
アルメニヤからの移民の一族、誇り高く馬鹿正直な人々。
 

  
    William Saroyan My Name is Aram
        
1968年 初版は1937
 
 Don Freeman 挿絵
 

   バークレーに滞在中の息子夫婦が、最近、ザクロ園へ行ったとLINEで言ってきて、真っ先に思い出したのが、サロイヤンのMy Name is Aramの中のThe Pomegranate Trees(ザクロの樹)という短編であった。、懐かしくなって、再読した。
 話は、夢想家のメリク叔父さんを手伝って、100本以上の柘榴の樹を植えた話である。

 荒れた砂漠を、メキシコ人を雇い整備し、専門家に井戸を掘らせ、4年目にやっと3個の柘榴がなった。次の年私は15歳になっていた、200個ばかり実がなり、11箱につめ、シカゴの卸業者に送った。・・・・

  何十年か前、これを読んだ時、おかししい話と笑えたものが、いま再読してみると、もう笑えない。なぜだろう?

  この本の最初の話、The Summer of the Beautiful White Horseを読み返してみる。こんな風に始まる。

 楽しかった昔のある日、私は9歳で、世界はわくわくするような素敵なことに満ちあふれ、生活はまだ楽しい不思議な夢のようだった。従兄弟のモーラッドは、私以外は、皆から頭が変だと思われていたのだが、彼が朝の4時に家にやって来て、部屋の窓を叩いて私を起こした。
  アラム、と彼は言った。
私はベッドから飛び起きて窓の外を見た。
  見たものを信じられなかった。
  ・・・
 従兄弟のモーラッドが美しい白馬に乗っていた。
  ・・・

生き生きとした文体で、文章そのものが面白いので、それを翻訳では味わえない。
しかし、Wikipediaによると、清水俊二、三浦朱門、柴田元章がこの作品を翻訳している。

 私が初めてサロイヤンの本に出会ったのは、高校の頃、三浦朱門訳『わが名はアラム』(1957)だった。近くに小さな貸本屋があって、漫画や時代小説などが殆どの店だったのだが、ちょっと場違いなこの本がどうしてあったのか不思議である。私がこれを借りたのは、恐らく、英語の楞野聡先生が「僕はサロイヤンが好きだ」といっておられたのが頭にあったからだろう。
  原書で読むようになったのは、もう、大学を卒業してからかも知れない。英語が易しいこともあって、愛読書の一つとなった


     2022・10・30。

My Name is Aram   FBへ

  
少年アラムの目で描いた愉快な短編集です。アラムの一家はアルメニヤからの移民の一族で、貧しい家庭ですが、彼は元気な少年で、出会った事柄を、生き生きと綴って行きます。
  親戚には、皆個性的な(風変わりな)人物が多く、これも小説の重要なモチーフで、馬鹿馬鹿しい話が多いのすが、ちょっぴり、ペイソスを感じさせ、大人の読み物です。
  翻訳が3種類あるようですが、易しい英語を短いセンテンスで積み重ねて往く文体は、かえって、翻訳が難しいのではないかと思います。それに、アラムの親戚には英語が未だ十分話せない人もいて、例えばギーコ叔父さんは「素晴らしい」という所は、eat ease wonderful.であったり、「3ドルあげよう」は、
I wheel geave you tree dollar.です。翻訳家の腕前が問われますね。

     2022・11・3
 
Don Freemanの挿絵が素晴らしい。
 
www.alice-it.com/yuzan/miya-sashie.html




バークレーから送られてきた写真。2022・10
   

My Name is Aram
翻訳が図書館に2冊あったので借りだした。
 私の関心の第一は、「訳者の後書き」で、訳者がこの作品をどう見ているか知りたい。第二に、分らない箇所、翻訳しにくい所をどんなか形で訳しているか?を知りたいからである。
  2冊とも私の読んだ原書には付いていない著者の「序」が訳出されていた。(言い訳ぽい文章なので無くても良い


わが名はアラム』清水俊二訳、水晶社 1980

 あとがきは3頁で簡単。
1940年、サロイヤンは戦意高揚の国策番組のトップバッターに取り上げられた。
戦後、アメリカ将校が”He’s cute, that's all"といっていた話。
初版は1941年六興社、サロイヤンかあ直接翻訳許可を取って訳し、本は真っ先にサロイヤンに送ったが、本を積んだ日本郵船の浅間丸が、太平洋でユーターンして戻ってきたので、サロイヤンの手には渡らなかった。 
 挿絵:山下謙一

 本文:
「五十ヤード競争」ジコおjさんの変な英語は、普通の日本語に訳されていた。(読者は気付かない)


僕の名はアラム』柴田元章訳、新潮文庫 2016
  {訳者あとがき」は18頁、作品論としても、作家紹介としても充実していて面白かった。
 この物語の切り口として、「伯父/叔父さんの話」として、作品に登場する風変わりなおじさんたちを取り上げ、核家族的孤立とは無縁の、アルメニヤ移民の共同体の一種ユートピアと見なしている。
サロイヤンの簡単な伝記的事実を、アルメニヤ移民の事を含めて、巧みに紹介していて、得るところが多かった。
作家の執筆姿勢や作品の評価にも傾聴すべきものがあり、私にとりこの「あとがき」は良きサロイヤン入門となった。

挿絵:ドン・フリーマン ただし文庫版のためか印影が悪い。

 本文: 「五十ヤード競争」ジコおjさんの変な英語は、例えば、
 but, I wheel geave you tree dollar の所は、
「だがお前に三ドルやろう」という横にルビのように小さく
「バット・アイ・ウイール・ギーブ・ユートゥリー・ダララー」と振られていた。
  非文法、誤用の翻訳は妙案が余りない。

  2022・11・7
 

 
 
    My Name is Aramを何十年ぶりかに読み返してみて、この一種の牧歌的ともいえる短編集に、サロイヤンが思いもかけぬ深いものを吐露しているのに気付いた。
  最後の一篇、A Word to Scoffersで、清水俊二訳では「神を嘲るものに与える言葉」、柴田元幸訳では「あざ笑う者たちへ一言」となっているが、この一篇によってそのことに気付いたのである。

  話は、ギーコおじさんのアドバイスもあって、ニューヨークへ向かう時、リノからソルトレイク・シティまでバスに乗った話である。荒涼たる砂漠を通り、ソルトレイク・シティで1ドルの安宿で一夜を過ごしし、次のバスに乗るためにバス停へ行くくと、浮浪者まがいの宗教の関係の人が近づいてきて、A Word to Scoffersというタイトルのパンフレットをくれる。「救われているかね」と言う。いいえ、と言うと、救ってあげようと言う。バス発車まで15分しかないというと、4分で救ったことがあるという。
 以下、その男の短い会話。その男が50年かかって悟った内容を話してくれるのだが、これ以上書くと、サロイヤンに失礼なので止める。

  この一篇を読んだ後、もう一度、作品全体を思い返してみると、ちがった見方ができる。
  柴田元章が「訳者あとがき」で、小島信夫の言葉として、「彼は「善人の部落」をえがく」いう表現を借りているが、それは、ちょっと能天気的な捉え方であって、サロイアンの態度は、「良いことも悪いことも含め、すべての現実を信じること」 これが彼の執筆姿勢であったように思う。
  最後の一篇はその覚醒の記録である・
   2022・11・10
 

  
   William Saroyan The Human Comedy
      1943年 初版本
   「人間喜劇」「ヒューマン・コメディー」で邦訳あり。

 もう何年だか覚えていない。出張の途中で立ち寄ったニューオリンズの町を、何故か一人で歩いている。市電を見て、「あれが欲望という名の電車か?」など思いながら歩いていると、古本屋が目に止まり、当然のことのように、私はその中に吸い込まれ入った。店主のおじさんが、ラフカディオ・ハーンを探しているのかと話しかけてきたので、私は、サロイヤンというと、何処からかこの本取り出し、私の前に示した。私は買った。

  今取り出すと、ラフカディオ・ハーンの作という挿絵の栞が挟んであって、2つの古書店兼用の物であった。私が入ったのはLibrairie Bookshopではないかと思う。


 この本は著者が14歳、電報局のアルバイトで、電報の配達をしていた頃のことが、素材になっている。
『わが名はアラム』(1940)より3年後に出版されている。


(つづく)


















私最初に読んだ版は右のペーパバックのはずだが、今は手元にない。
引っ越しの際、処分したのであろう。
表紙が、この作品を思い出を深いものにしている。
 


(649) The Human Comedy 1943 - YouTube

1943年に映画『人間喜劇』(The Human Comedy)が作られた。もともとこの映画のための台本がつくられたもので、サロ-ヤンが映画作成から外された後、小説を急いで先に完成した。日本語題名は『町の人気者』。

後に映画『イサカ』(Ithaca)が2015年に作られた。日本語題名は『涙のメッセンジャー 14歳の約束』。





 
 
   William Saroyan The Human Comedy
     右 1943年 初版本 1975年Faber and Faber版

  My Name is Aramを久しぶりに再読し、当然のことのように、3年後に出版されたThe Human Comedyも再読した。
  こちらは、長編小説ということになっているが、各章が短編小説の趣があって、息抜きに丁度良い。
  英語は易しく(素朴で)しかも心に残る台詞も多い。
 話は、家庭が貧しく、電報配達をアルバイトにしている14歳のホーマーを中心に、4歳の弟ユリシーズ、姉のべス、兄のマーキュリー(兵役中) 母、 (父は少し前に逝去)彼等の出会う様々な出来事を描写して行きます。
  時代は1940年代、第二次大戦中で、戦死の訃報をも電報で知らせられます。そなため、この小説も深い影を秘めています。
  電報局の人、学校の先生・・・好人物が沢山登場して来て、読んで心温まります。

 場所:アメリカ・カリフォルニア、イサカ(著者が少年時代過ごしたフレスノの事)

  映画化2回(1943,2015)ミュージカル化(1983)
最初の映画はYoutubeで見ることが可能です。ただし、字幕は英語。原文を知っていると、ああ、あの場面かと、楽しめます。
2番目の映画『イサカ』(Ithaca)、日本語題名は『涙のメッセンジャー 14歳の約束』

    2022・11・21
 

 
 
    翻訳について

  Human Comedyは映画のシナリオを書いて、映画化ではサローヤンはバズされたので、、大急ぎで小説化して、出版した作品であることは知っていたが、その裏話など知りたいと思って、翻訳書を借りだした出したのだが、下記3冊でそのことに詳しく触れている本はなかった。
もっぱら、解説を見たので、本文を読み通した訳ではない。
  なお、Wikipediaで、1966年にデルペーパーバックのために物語は192ページに縮小された改訂版があることを知った。その原作との対比表は下記に掲載されている。
 Some of the changes made to William Saroyan's novel The Human Comedy

②と③は改定版に基づいている。

  翻訳で読むのなら原作に忠実な①を勧めます。

     ー-------
① ウィリアム・サロイヤン『人間喜劇小島信夫訳。晶文社1987  初訳、研究社、1957年

本文:11043年初版に原文忠実。
挿絵:大橋歩 ドン・フリーマンに較べ余りももプア

ウィリアム・サロイヤンについいて」10頁
  立派な作家論、作品論だと思った。訳者としてではなく、作家としての目で述べている。
 サロイヤンは「善人の部落」を書き、悪を追放した。と。

     ー-------
サローヤン『ヒューマン・コメディ』 小川敏子訳光文社2017

本文:翻訳を詮索する気は無いのだが、たまたま、開いた第15章「街角の少女」The Girl on the Conerでは、数十行、翻訳されてない個所があった。29章でも一部省略。
各章のタイトルも原文分を離れて訳者が勝手に付けたもので
驚いたが、後に、1966年の改定版をベースにしていることが分かった。

挿絵:ドン・フリーマンを利用?作者名なし。

解説 舌津 智之  31頁
サローヤンとその時代
アルメニヤの歴史問題から筆を起こし、サローヤンの家族のこと、その作品の生まれる社会的背景や、最後には家庭人としては破綻をきたしている彼の姿を述べている。サローヤン小伝、
アメリカのサローヤン
彼の後進に与えた影響の例とし、ジャック・ケルアックとサリンジャー
日本のサローヤン  三浦朱門、庄野潤三、小島信夫、山本周五郎、黒沢明、寺山修司 江利チエミの「カモナ・マイ・ハウス」
『ヒューマン・コメディ』の現代性 
家族を超えた愛情、多様性、宗教、2016年映画化「イサカ」などに触れる。

年譜:8頁  楽しめた。(製作は訳者?)

訳者のあとがき 6頁
    「ユリシーズは口数が少ない。まだ言葉を多く知らない。そういう小さな人の言葉を訳すときには、神聖な言葉を預かるような気持ちになる。」
    ー---------
サローヤン『ヒューマン・コメディ』 関汀子訳ちくま文庫  1993年

本文:②と同様。
挿絵:無し。
訳者あとがき:映画の脚本を書いたが、監督になれなかったので、腹を立てて、映画公開と同年に小説化したものを出したと。4頁だが、サロイアン作品を親しんだ様子がよく分かる。
解説:青山南  6頁
 木曜日に始まり、日曜日に終わっているという指摘。時間が水平に流れている。登場人物がよく歌を歌う。多人種の集まる国、アメリカ賛歌。

   2022・11・17