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   美味しいものはそのままでも美味しいのだが、それを文章にすると一味違う。  

  
   2016・8・4

江國香織『やわらかいレタス文藝春秋 2011
  「文士の食談」と言えば、私は、獅子文六、内田百間、吉田健一・・・次々浮かぶが、最近は、もう「文士」はいないと思っていたら、こんな本に出合った。   読んでいて、口の中に自然と唾液が湧いてくるような文章力が食談の要で、この本はそんな力を持っていた。食べ物のことを、両親、妹、夫も登場する身辺の出来事を交え書いたエッセイ集である。   「あたたかいジュース」から始まり、「やわらかいレタス」に終わる40の食べ物は、グルメ的ご馳走が出てくるわけではないが、いずれも「食談」にふさわしい。「果物、果物、果物!」では、夕食以外は基本的に果物を主食としているという著者の、果物への繊細な心遣いがわかる。一事が万事。中程にある「バターミルクの謎」は、バターミルクとはどんなものかと思っていたら、ワイルダーの『大きな森の小さな家』に出て来たという話から、牛肉のバター焼きの話に移り、「のんだことのないバターミルクも、苦手な牛肉のバタ焼きも、間違いなく私の栄養になっている、と思う。」と結んであるが、読んだ私も同じ感じを持つのが不思議であった。「文士の食談」の系譜入れたいと思う。
「フランスパンは、一晩おいてしまうと、別物としか思えないぐらい味が落ちる」ので、買ってきたその日のうちに食べるという不文律を妹との間で守っているという話が出て来る。
  私も、バケットは大好きなのだが、あの長さを考えると尻込みする。どなたか、フランスパンを翌日まで美味しく保つ方法をご存知の方があれば教えて欲しい。

付記:安藤聡先生から、バケットとは冷凍して、食べる時に焼くと良いと教えられて、上手く行くようになった。
 
     

  
   2014年1月12日

カレーライス

学校給食の人気第一位はカレーライスだそうだ。大人にも大人気で、カレー専門の店が至る所にあり、カレー・オタクもいる。カレー本も沢山あるが、私が愛読するのは吉田よし子著『カレーなる物語』(筑摩書房 1992年)である。

カレーがどんな形でわが国にもたらされたか?カレーのルーツを探り、その広がりは東南アジア全域に及ぶ。所々にレシピも出ていて、それも面白いのだが、料理本ではない。スパイスについて詳しいがこの本の面白い所で、市販のカレー粉やル―を使わずに、スパイスからカレーを作る人向けかもしれない。文化の流れを伝えるものとして「食」も大きな分野だが、カレーを食べながら、大航海時代や、植民地時代に思いを馳せ、はるか彼方からもたらされた文化の匂いを感じるのも楽しいものである。

Rieko Oki:カレーパーティーしなきゃ!ですね!
カレーライスと日本人』(講談社現代新書)
私はこの本が大好きです。

宮垣弘:私も持っていたはずですが、今は見当たりません。出てくれば再読します。

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これは忘れられない古い本。
われらカレー党宣言   世界文化社 1993

お母さんの作ってくれた、ジャガイモやにんじんのたくさん入ったカレーを何杯もお替りした記憶のある人も多いかもしれない。そういえばカレーパンもあったな。カレーは思い出の食べ物でもあり、今も食べたい料理でもある。
この本はカレーに関する40人ほどの文章のアンソロジーである。思い出やら、カレーの日本の国民食になる足取りやら、美味しいカレーの作り方など、はたまた、カレーはホークで食べるのは正式であるとか、多方面にわたっているが、食べ物のことを書くのには、文章力が要求される。獅子文六、下母沢寛、あたらしい所では向田邦子、林真理子等々。これらを読んでいるとどうしてもカレーを食べたくなる。誰もきっと食べるに違いない。その気になる文章が集められている。私はこの本を読んでから何杯カレーをたべただろう。編者は明らかにされていなくて、ただ、企画 エスビー食品株式会社とあるだけである。
01・04
 

  
   2016年6月3日

ハッシュト・ブラウン・ポテト + チリメンじゃこ

キャロル協会例会後の懇親会で出てきた料理の一つ。
同席のOki先生がすかさず作り方を教えてくださった。『大草原の小さな家』のローラもレシピを残していると。翌日、自作の見事なものをFBに載せられたのには驚いた。
<ジャガイモを細く切って、水にさらし、水気をとって焼く・・・>いい加減な記憶で作ったのが下の写真。(上から出来た順)
自己評価:外観60点、味80点。
難点:私にはジャガイモを細く切る能力がない。
反省::表面がブラウンになるまでしっかり焼く。量を多く作らない。小振りに焼く。
私なりの工夫:油はオリーブ油にフェネルの香りを馴染ませて使った。片栗粉を入れた。

 

  
   2016年12月23日

料理本 (1)精進料理

自分では料理をしないのに、料理の本が意外と好きである。新聞などでレシピが出ていると、頭の中で想像して、作る手順、その味、その奥に見え隠れする文化さえ楽しむことがある。村瀬明道尼の本は、土のついた筍の話から始まるのだが、40年の経験を基に、自然と一体となった精進料理の真髄に迫る。関西弁の文体で優しそうで、読んだあとは、襟を正すものがあり、ちょっとこの方の料理は畏れ多くて近づきにくい感じ。梶浦逸外の『精進料理口伝]』は、レシピが満載で、料理人には重宝な本なのであろうが、レシピの中に、化学調味料が多く出てきて、抵抗を感じる。水上勉の本は、禅寺の小僧として、老師に叩き込まれものをベースにして、更に、軽井沢の別荘には菜園を持ち、野趣に富んだ料理を作ってみせる。(写真も出ている。)散りばめられたエピソードも面白く、さすが文人の料理本で私はこの本を愛してやまない。大根を網で焼くらいは私にもできるからである。40年近く前に出た本だが、最近文庫本になっている。

 
     
   2917年5月6日

料理本(2) 酒の肴

酒の肴というコンセプトは日本独特のものではないだろうか?
勿論、ウイスキーやワインにチーズとか、ビールに枝豆というものがあるが、必須のものではない。
日本酒には何か友が必要で、最もシンプルなものが、升酒の升の片隅に盛られる塩、小皿に味噌。酒屋での立呑みでは、ピナッツ、するめなど乾き物を片手にコップ酒。この辺りは「肴」とは言わない。精々「あて」「つまみ」か?町の居酒屋では、「つきだし」に始まり、一挙にレパートリーがふえる。お袋の味的お惣菜が人気があるようである。贅沢なのは、よく磨かれた白木のカウンターを挟んで、次は何を肴にしようかと料理人と相談しながら、飲む酒で、一人なら、料理人と適当に無駄無駄口をたたき、友となら(女性でもいいが)ちょっとした思い出話とか、たわいもないことに時間を過ごす。外で飲むなら、行きつけの店でないと面白くない。
夕食に、お父さんのために一本の燗酒と一品余分に肴つくといったのは昭和の初めころまであろうか?大抵はおかずを肴に飲む。自分で肴を作ろうとするのが、「男子厨房に入る」きっかけとなった人も多いはず。レシピは、今はネットだが、昔は本だった。女性が編著の古い本を紹介。

左の本:妹の和子さんとの合作。向田邦子がいかに「肴」を愛したかを示し、写真も構成も優れる。(1989年初版の第18刷1995年刊)
中の本:芸能人、作家など有名人が自らの「肴」をレシピ付きで紹介。その酒量と行きつけの店も付記。表紙裏に編者佐々木久子が「ひとりゆく酒恩の旅に花の雨」が墨書してある献呈本?(1978年刊)
右の本:小料理屋の女将が書いた本で、ひと手間かけたものが多く、実際にはまねしないのだが、「たくわん」で作る肴が8品も出ている。不思議なことは、著者はお酒が一滴も飲めない。客の反応を見ながら腕を上がられたようである。おそらく最良の肴は、この女将の「微笑み」ではなかったか?(1989年刊)

toshiro nakajimaいい文章を拝読しました。すでに1合傾けたような気持になりました。居酒屋の大将と年に2回、一緒に卓を囲むのが楽しみです。
yuriko kobata:月例会の二次会でお酒飲むことも無くなって(私の場合)、思えばあれはアリスの話が酒の肴でしたね。又いつか楽しいお酒をいたしましょう。
木下信一向田邦子の本から教わった肴(?)は、豚とほうれん草の常夜鍋。酒と水を1:1の割合にして沸かし、豚とほうれん草を交代交代に食べる。タレは醤油にレモンを絞っただけ。一時期よくやりました。
宮垣弘:中島先生ー神戸は瀬戸内の繊細な美味しい魚があるので、肴のレベルは高いです。東京に来てその落差に驚いたものでした。
木場田さんー庭野さん、相原さん、楠本さん、もちろん木下さん、三軒茶屋や市谷で遅くまで飲みましたね。アリスを肴に飲んでいた?楽しかった。
木下さんー美味しそうですね。やってみます。

 

  
   2017年4月13日

東海林さだお『丸かじりシリーズ』朝日新聞社

処分を免れて未だに手元に残っている本である。
彼の文章がいい。マンネリとも思えるが、歯切れのいい文体は癖になる。
彼の視点がいい。いつもわれわれ庶民(おじさん)の視点で、そこには、われわれ庶民の哀歓がある。
Facebookに加わって驚いたことは、食に関する投稿が多いことである。
食は、もう一つの欲望と共に、人生の一大事、事件なのである。
ラーメン一杯にも、一期一会の感激がある。その悦びを誰かに伝えたい。
旨いものの在処を伝えることは友情の印?
自己の存在確認?美しい花、風景、可愛い猫と同じ?
しかし、大抵は写真でパチリ、ただそれだけ。
東海林さだおなら、数ページにわたって表現し、原稿料を稼ぐ。
彼のいいところは、食に対する興味と愛情、食にまつわる人への愛情である。
食はC級グルメの範囲を飛び越え、猫缶にも及ぶ。
それを食べている人たちも様々だが、おじさん、おばさんの登場回数が多い。
弱い者への心づかいがうれしい。細部にも目配りをする。
例えば、「焼き鳥の串の業績を讃える」はこんな風に始まる。
「串はエライ。
このことに人々は少しも気づいていない。これまで果たしてきた串の業績にフト気づいて以来、ぼくは串が不憫でならない。」きっかけになったのは、開店少し前の焼き鳥屋に入って、一家で焼き鳥の串を刺している姿を見たのである。ビールと突き出し、やがて、3本の焼き鳥が出てきて、しみじみと味わいながら、ふと「串に刺す、という一点で、焼き鳥は今日の栄光を勝ち取った」ことを発見し、さらには、「串がこの一家の生計を支えているのだ。串が子供の学費をも生み出しているのだ。」と悟る。
「油揚げの処世術を見習おう」では新入社員への訓示の形で、油揚げを礼讃。油揚げへの近親感が深まる。
上品な、お嬢さん、美食家、料理研究家の枠をはるかに超えているので、その人たちからは敬遠されるかもしれない。また、これを読んだから偉くなるわけでもない。そこがまた良い。私も途中までしか読んでいないが、まだ続いているようである。

第1巻 タコの丸かじり 1988年6月、
第39巻 シウマイの丸かじり 2016年11月18日、文庫未刊行