村上春樹 | Topへ | |
村上春樹のファンのことをハルキストと呼ぶそうですが、私はハルキストではありません。 10年ほど前、イギリス人のPhさんと、日本語の勉強のために、彼の初期三部作 『風の歌を聴け』 『1973年のピンボール』 『羊をめぐる冒険』 を読んだ以外には、 『ノールウエーの森』 『アンダーグラウンド』 『ねじまき鳥クロニクル』 『海辺のカフカ』 など読んだ程度です。 『1Q84年』以降の作品は読んでいません。 私の興味は、 〇 なぜ、彼が沢山の作品を生み出すのか? 〇 なぜ、世界的に広範な読者を得ているのか? ということです。 これは、彼だけの問題ではないのですが、彼には、この謎を説くための資料が沢山あるので、彼に代表してもらって、考えて行きたいと思わけです。 なぜ人は物語を書くのか?(語るのか?) なぜ人は物語を好んで読むのか?(聞くのか?) 2023・3・14 |
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川上未映子・村上春樹 『みみずくは黄昏に飛びたつ』 2017 文庫版2019 これほど、率直に、創作の舞台裏を示した本を知らない。聞き手も作家であるから、引き出せたことであろうが、これ自身が立派な作品である。 村上春樹という人がよくわかるのである。 その方法など紹介するのは、一種の営業妨害になるかも知れないし、それほどの熱意もない。随処になるほどと膝を打つところがあった。 、 一言、私の先入観を述べると、村上春樹はAI型の作家 ー 膨大なデータから自動生成する作家、そのためには蓄積と発酵のための時間が必要で、予め大きなモチーフがあるわけではない。その表出のための文体が重要な要素となる。マーラーの音楽のように、文体が先へ先へと伸びて行く感じ。 そんな私の春樹観は崩れなかった。 川上未映子が、春樹の作品をよく読んでおり、また、作家としてその創作の秘密を知りたいとの熱意もあって、実りある対談となっている。川上の描いた地下一階二階の挿絵もこの対談に有効に働いている 深層心理学的にいえば地下1階はEgoの世界、地下2階はSelf,もしくは集合的無意識の世界。 地下二階まで降りて、物語を探す(創る)という比喩は、村上春樹の小説作法、小説世界への道筋が分かり易い。 注目すべきは、彼が最も重視するのは、「文体」ということであった。 画家がなぜ絵を描くのか?音楽家がなぜ作曲するのか?作家がなぜ物語を書くのか? その答えは簡単に得られるものではない。 村上春樹の答えは、「書くことが楽しいから」 職業としてはどうなのか? 2023・4・21 改 |
2019年新潮文庫版 最初単行本を図書館で借りて読んだが、手元に置いておきたくて、文庫本を買った。 これには、「文庫版のためのちょっと長い対談」40頁ばかりの付録が付いていた。 面白い個所に付箋を付けて読んで、振り返って見ると、88個所もあった。 (全体が469頁の本であるから、私にとり、いかに面白い本であったかわかる。) 左記に、AI型と表現しましたが、AIを貶める意図はありません。 彼は、「善き物語」を続けようという意志を持ち続けています。(p326) 読者との「信用取引」も念頭にあります。(p167) AIだとしても、そんなAIです。 |
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村上春樹『職業としての小説家』2015 スイッチ・パブリッシング 「職業として」の小説家の内面、環境を正直に披歴したエッセイ。 素晴らしい話芸(彼はそれを文体と呼ぶのであろ)で読みだしたら止まらない。ここにその一部を留めます。 第一回 「小説家は寛大な人種なのか」 他の職業に比べて、縄張り意識が少ない。 多くの者は1,2作で消えて行く。 小説家の本質を巧みな文章で見事に表現して、目を見張る。 「小説家は多くの場合、自分の意識の中にあるものを、「物語」というかたちに置き換えて、それを表現しようとします。もともとあったかたちと、そこから生じた新しいかたちの間の「落差」を通じて、その落差のダイナミズムを梃子のように利用して、何かを語ろうとするわけです。これはかなりまわりくどい、手間のかかる作業です。」p19 「「小説家とは、不必要なことをあえて必要とする人種である」とていぎできるかもしれません。」p22 第五回 「さて、何を書けばいいのか」 小説家になるためには、どんな訓練なり習慣が必要になると思いますか?で始まる。 読書、観察、記憶 平凡な生い立ちからして、「これだけはどうしても書いておかなくてはならない!」という者は見当たらなかった。 「これはもう、何も書くことしかないんじゃないかということを書くしかないじゃないか」」と痛感した。 p122 。 ヘミング・ウエイの例:素材の重さに頼ることについて。 「新しい世代には新しい世代固有の小説的マテリアルがあるし、そのマテリアルの形状や重さから逆算して、それを運ぶヴィークルの形状や機能が設定されていくのだということです。そして、そのまてりあるとヴィークルとの相関性から、その接面のあり方から、小説的リアリティーというものが生まれます。」p130 この回は小説家入門 第十回 「誰のために書くのか?」 はじめは、読者を全く意識しなかった。 「自己治癒」的意味合いもあったかも。 『羊をめぐる冒険』を書く前に、持っていた店を処分し専業作家となった。 ひとつ身にしみて学んだ教訓があります。それは「何をどのように書いたとこれで、結局はどこかで悪く言われるんだ」ということです。p252 読者との関係あれこれ。メールのやりとりも。 それで、そういう風に現実の読者と直接メッセージのやりとりをしていて、ひとつすとんと腑に落ちたことがあります。それは、「この人たちは総体マスとして、僕の作品を正しく受け止めてくれている」ということです。p259 第十二回「物語りのあるところ・河合隼雄先生の思い出」から読み始めた。 河合隼雄にしっかりと受け止められたという話。 我々読者も河合隼雄流に、村上春樹を受けてめなければならない。 未完 2023・4・23 |
第二回 「小説家になった頃」 第三回 「文学賞について」 第四回 「オリジナリティーについて」 第六回 「時間を味方につける ー長編小説を書くこと」 第七回 「何処までも個人的でフィジカルな営み」 第八回 「学校について」 第九回 「どんな人物を登場させようか?」 第十一回「海外へ出て行く。 あたらしいフォロンティア」 どの回も抜群に面白いです。 これだけ赤裸々に作家の内幕を披露して良いものかと、思うほどです。 付箋が沢山付き、この本を手元に置きたくなり、文庫本を注文いたしました。 私は、その正直な、雑味のない文章に感心し、、エッセイスト村上春樹のファンになってしまいました。 2023・4・25 |
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村上春樹『職業としての小説家』2015 新潮文庫 2016 これは、小説家村上春樹の「自画像」です。「あとがき」にはその執筆のいわれれなど詳しく書いてありますので、付け加えることは何もありません。興味があれば丸ごと読んで欲しいと思います。 「ごく普通の人間」としての自分を正直、誠実に描き出していて、心打ちます。 一作家の創作過程がよく分かれだけではなく、エッセイとして、その文体、語り口を含めて、とても優れたものです。 上記の 川上未映子・村上春樹『みみずくは黄昏に飛びたつ』 も同じ作家の内幕を顕したものですが、こちらを先に読んだ方が良いと思います 図書館本で読んで、そこで付けた付箋を買った文庫本に移しました。付箋は「なるほど」「そうだろうな」「いいね」「凄い」といった個所に付けるのですが、57個所ありました。 ハルキスト以外の方にもおすすめです。 2023・4・28 |
第二回 「小説家になった頃」は作家村上春樹の誕生の瞬間に立ち会う感じがするほどリアルに描かれています。 そこをスタートとして、30数年間の間の作家として経験が、後進の参考になることを含めて、隠すことなく描いています。 |
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村上春樹・河合隼雄 『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』 二人の会話が、同じ次元で、スームーズに運んでいるのは、外国生活や翻訳を通じて、日本人の特性について、共通の認識があり、片や臨床心理学者、片や小説家、人の心の奥へ分け入る仕事をしているからである。 読後感から先に述べると。二人が話をすると、どうしても、「物語と癒し」ということになるだろうと、予想していたが、その通りとなっていて、あまり大きなインパクとはなかった。正直な対話には好感が持てたが・・・ しかし、興味深い話題も沢山あった。 村上の発言から; 〇日本語でものを書くということは、結局、思考システムとしての日本語なんです。・・・どう転んでも。やはり僕は英語で小説は、物語は書けない。 〇最近は翻訳をやっていても、自分が作家として何かまなびとるというダイナミズムがだんだん減ってきたように思うのです。 〇それまでの日本の小説の文体では、自分が表現したいことが表現できなかった 〇非常にスポンティニアスな物語でなくてはいけない。 〇「井戸」を掘って掘って掘っていくと、それまでまったくつながらないはずの壁を越えてつながる、というコミトメントのありように、ぼくは非情に惹かれたのだと思います。 〇「オウム」ー提示したイメージというか、物語は非常に稚拙。 〇 夫婦関係 両人の会話は面白い 〇物語作りと体力。ジョンアービングの例。 〇ぼくが『ねじまき鳥クロニクル』に関して感じることは、何がどういう意味を持っているのかということが、自分でもまったくわからないということです。 〇ノモハンでの超常現象 〇ぼくは夢というものをぜんぜん見ないのですが・・ 河合ーそれは小説を書いておられるかだですよ。 〇空中浮遊の夢。 〇暴力について 〇ぼくが日本の社会を見て思うことは、痛みというか、苦痛のない正しさは意味のない正しさだということです。 2023・5・3 |
河合の発言から: 〇阪神大震災ではボランティアが予想外多かった。 〇非常に深いところに問題がある人は、言語的に分析しようとしても、傷が深くなるばかりで、かえって治らない場合があるのです。 〇日本の個人ー西洋の個人主義の個人とは異なる。(二人の共通認識) 〇「井戸」にはいいて「壁抜け」するときの体力。 「つくりばなし」ではダメ。 箱庭療法の話は面白い。 〇芸術家の人は、時代の病いとか文化の病いを引く受ける力を持っているということでしょう。 〇ジャック・マイヨール 100メートル素潜り ラインホルト・メスナー 8000メートル、酸素ボンベなしの登攀 個性の問題 〇殺すことによって癒される人の話 〇宗教と心理療法 麻原彰晃の例 〇確からしさの感覚 〇『ねじまき鳥クロニクル』 私は以前から考えてきたことであるが、最近になって公表しだした「物語による癒し」というものにピッタリのものだった。 |
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村上春樹『もしも僕らのことばが ウイスキーであったなら』 おいしいウイスキーを味わっているような名文であった。陽子夫人の写真を含めて、愛すべき110頁の小品である。 生牡蠣にウイスキーを垂らして食べるシーンは次のように結ばれている。 「人生とはかくも単純なことで、かくも美しく輝くものなのだ。」 、スコットランドのアイラ島とアイルランドでの2週間の旅は短か過ぎた。もう少し書いて欲しいと思う所で終わる。 酒好きにはたまらない酒についての表現が沢山あるが、酒のことばかり書くわけにも行かないだろう。 バブにぶらりと入ってきいた小柄な老人の描写だけでも春樹の筆の冴えが味わえる。 ・・・・・・・・・・ アイルランドのパブについては私の方が経験豊富。私のアイルランド紀行を読んでください。 2023・5・4 |
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