60数年後の「イン・メモリアム」In Memoriam  Topへ
   テニソンのこの本はなかなか読了できない本である。  

  
  2017年7月22日
 

60数年後の「イン・メモリアム」In Memoriam (1)

  恵まれた境遇にあった西行が23歳の若さでなぜ突然出家したのか?高貴な女性との失恋だとか親友の突然の死よるとか諸説あるがその理由には定説はない。Pさんと百人一首の西行の歌を読んでいる時、そんな話をしたら、彼は、即座にテニスンの「イン・メモリアム」を思い出した。テンスンが24歳の時、親友ハルマンの突然の死により成った詩編である。そんなことから、私は研究社英文學叢書の斎藤勇の注釈本(1928年版)を取り出した。この本は、高校時代、知り合いの大学学生からもらったものだが、未読のまま60年以上私の手元にある。正直のところ、たまに覗いて見ても、先が続かなかったのである。もう読めるようになっているかしら?こんな風に始まる。
   Strong Son of God, immortal Love,
   Whom we, that have not seen thy face,
   By faith, and faith alone, embrace,
   Believing where we cannot prove;

(拙訳:神の強い息子、永久の愛よ、顔はまだ見ぬが、ただ信念、信念だけで、お前を抱きしめる。どこにあるか言えぬが、信じて、)

なお、テニスン好きのルイス・キャロルが、妹たちの力を借りて、An Index to "In Memoriam"を編集したことが知られている。



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木下信一:キャロルの葬儀に参列したガートルード・トムソンがその時の回想を書いているのですが、そこにも「イン・メモリアル」の引用がありました。
宮垣弘:木下さん、ご教示有り難うございました。カートルート・トムソンについてちょっと調べて見ましたら、北米ルイス・キャロル協会編のObituaries of Lewis Carrollの中に、彼女が1898・1・29にThe Evenig Star紙に寄稿した、彼女の文章が出ていました。こちらはBrowningの詩が引用されていました。
Toshiro Nakajimaお誕生日、おめでとうございます!オシャレな装幀の、なつかしい赤色です。山口昌男はこの叢書全巻を読破したとか。
宮垣弘:有り難うございます。今後ともよろしくお願いいたします。この叢書はは当時の日本人の英文学熱を感じさせますね。
Toshiro Nakajima その後、研究社創業100周年かの機会に復刻されました。古書価の高いものもありますが、誤読の多い巻もあります。この叢書に名を連ねたら、研究者として大家に列せられるという伝説が残っています。スペンサーの注釈などこの時代によくぞと思えます。
 

  
   2017年7月25日

60数年後の「イン・メモリアム」In Memoriam (2)

   この詩集は、序詩、跋詩を含め133篇からなり、それぞれが、3連以上で、各連は弱強4歩格4行,abbaと押韻している。和歌を読むような感じで、それが750首ぐらい集まって思えば良い。親友の死を悼んで、どうしてこんなに沢山の詩が生まれたのか?その秘密に触れた箇所に触れたので紹介します。
それは、第5編の第一連で、「私は、自分の悲しみを言葉にするのは、半ば罪ではないかと時々思う。言葉は自然Natureと同様、魂Soulを半ば現し半ば隠すから。」
と述べた後、第二連で
  But, for the unquiet heart and brain,
  A use in measured language lies ;
  The sad mechanic exercise,
  Like dull narcotics, numbing pain.

(拙訳:静心なき私にとり、言葉の調べを整えるのは効果がある。
これを悲しく型通りの繰り返していると、鈍い麻薬のように、痛みが麻痺してくる。)
  悲しみを詩歌の形に整えることによって、乗り越えようとしているのである。

  岩波文庫の入江直祐訳
だがしかし、やすらひなき心にとっては、
詩の韻律も、そこに一つの取柄もあろう。
五七、七五、と規則通りに、悲しい筆を運んでゆけば、
だるい麻酔薬の効目の様に 苦痛はいつか麻痺してくる。

出来るだけ意味そのものを翻訳しようとする入江直祐訳ではちょっと大胆な翻訳であるが、この詩集が厳密な定型を維持しているので、良くわかる。

Pさんに入江直祐訳を見せたら、「五七、七五、と規則通りに」はちょっとイメージが違う。measuredは生の感情がコントロールされていることなのだと。



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Toshiro Nakajima:そうですか、メジャーの意味が多様で理解されます。
木下信一トムソンの回想訳すのに、この訳本使いました。
宮垣弘:釈迦に説法ですが、ご参考までに、POD(5版)から引用します。
measured language:(of studious moderation )
moderate: Not given to extremness in action,view or expression.
COD〈4版)measure: Poetical rhythm, meter;time of piece of music.

Toshiro Nakajima:入江さんはブラッドレィの注釈本を使われて訳されていますね。
入江直佑はロセッティも訳されていますが、どのような方なのでしょうね。清新な訳語がすばらしい。
 

  
  2017年8月17日
 

60数年後の「イン・メモリアム」In Memoriam (3)

   I hold it true, whate'er 'befall ;
   I feel it, when I sorrow most :
   'Tis better to have loved and lost
   Than never to have loved at all.

In Memoriamは私にはちょっと難しく、時々思い返して読むだけなので、なかなか進まない。今、27篇目に差し掛かったところ。この篇の最後の連は、有名な「愛して、そして失ったことは、全く愛したことがないより、はるかに優る」を含んでいる。多くの人は失恋の時、この詩句を思い出すのだが、ここではlostは友人ハラムとの死別を示す。

入江直祐訳では;

どんな行末になろうとも、この信念は変われはない。
  一番悲しい時折に 心の底から私は思ふ、
  愛して そして死なれた者は
愛したことのない者よりも どんなに幸福か知れないと。

私は、アーサー王物語に登場する人物たちの、純で深い愛の姿を思い浮かべる。そして、テニスンが、『国王牧歌』などによって、彼らに、美しく詩句を与えて行ったのも、「どんな行末になろうとも、この信念は変われはない。一番悲しい時折に 心の底から私は思ふ」という、このハラムとの強い友情(愛の悦び)の体験に拠っているのだと思う。

 

アーサー・ハラム  Tennyson by Peter Levi より)