Paolo Cognetti パオロ・コニェッティ |
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原題 Le Otto Montagne は「8つの山」という意味、英訳版はそのままThe Eight Mountains と訳しているが邦訳は『帰れない山』 映画のタイトルや本の題名はよく売れそうな題名に変えられる。この作品は39か国で出版されたとのことだが、他国ではどうなっているだろうか?右の欄参照。 こんな方にお勧めします。 〇山好きの人 〇息子を持つ父親 〇友人の事を時々想い出す人。 〇良き母を持つ人 〇イタリヤの酒grappaをしみじみ飲んでみたい人 欲を言えば、簡単な地図がついていれば良かった。 著者は1978年生まれ、作品は2017年、イタリア文学界の最高峰「ストレーガ賞」を受賞。 |
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The Eight Mountains by Paolo Cognetti translated by Simon Carnell and Erica Segre パオロ・コニェッティ Atsuko Hirakiさんの書評で「読み終わるのがこんなに惜しいと思った作品はないかも。」 とあったので、手を出した。 確かに、私も最後の10頁ぐらいからは先へ進むのが惜しかった。 英訳版を選んだのは、より原作に近いと思ったからですが、日本語訳が素晴らしいことは多くの読者が指摘するところです。” ミラノに住む家族が、モンテ・ローザに近い山麓の寒村に、夏のために家を借ります。そこで、私ピエトロは、牛飼いの少年ブルーノーと友達になり、自然に親しみ、父親は大の山好きで、二人を高4千メートル級の山へも連れて行きます。10代前半から後半へと成長し、父親とは疎遠になります。 第2部は31歳の時、父が62歳でなくなり、その父は、彼に、山に古い山荘を残しますが、ブルーノーと建て替え、山に親しむと共に、父親のことを深く知るようにもなります。 以下、内容についてはネット上、沢山の情報があるので省略しますが、親子と交友関係を自伝的に展開して行き、登場人物たちに感情移入できます。何よりも、山、自然が大きな役割を果たしており、山の気を感じさせる描写がふんだんにあり、その中に、人間の孤心を描き出して、感動を齎らします。 英訳本の翻訳について、原文を知らずに言うのですが、私には、そのニュアンスが分らないはwouldという語が多用されていていました。語順が英語らしくない所が時々ありましたがこれはイタリヤ語につられてんことでしょう。 日本語版(関口英子訳)について:パオロ・コニェッティ×松家仁之 朗読&トーク『帰れない山』 https://kangaeruhito.jp/interview/6536 この中の日本語訳の一部が朗読・掲載されていたので読みましたが、英訳と違い、ちょっとした言葉を添え、日本人に分かり易い訳になっており、日本語の表現力の凄さを感じました。おそらく、イタリヤ語の原文よりも、味わい深い文章となっているのはないかと思われます。 ほんの一部ですが、英訳と関口英子日本語訳を並べておきます。ー--------- 【英語訳】 On those days I would set about exploring the river. There were two boundaries that I was not allowed to cross: upstream a small wooden bridge beyond which the bank steepened increasingly and narrowed into a gully, downstream the thickets at the foot the cliff where the water folloow its course to valley floor. This was the the territory that my mother could control from the balcony.of the house, but for me it was as good as having the whole river itself. 【日本語訳】 その夏の日々、沢が僕の探険の舞台となった。境界線が二か所に設けられ、僕はそれより先に行くことを禁じられた。上流の境は小さな木の橋。そのむこうは両岸が切り立ち、V字谷になっていた。下流の境は断崖の下にある藪で、水の流れはそこから谷底のほうへと続いていく。要するに山の家のバルコニーから母の目が届く範囲だったのだけれど、僕にとってはまるごと一本の川に匹敵した。 【英語訳】フルーノと友達になれば、という母親との会話のあと。 "Anyway, it doesn't matter,"I said, a mitute later. "What oesn't matter?゛ "Making freinds. I also likr to be on my own" "Oh,really?゛my mother said. She raised her eyeys from the page, and without smiling, as if it was a very serious matter, she added. "Are you sure about that?" 【日本語訳】 「とにかく、いいから」 一分ぐらい間をおいて、僕は言った。 「なにがいいの?」 「友達にならなくていいんだ。僕は一人で遊ぶのも好きだから」 「ふうん、そうなんだ」と母は言い、さも重大な問題だと言うように真剣な面持ちで本から顔をあげ、念を押した。「本当にいいのね?」 ー-------- 赤字は訳者が追加または工夫したと思われるところです。このようなサービス精神が翻訳者の腕ということなのでしょう。 何時か、関口英子訳をゆっくりと読んでみたいと思います、 2022・2・ |
「8つの山」のいわれは、9章に出てきます。 主人公がネパールを旅した時、鳥売りの老人と出会い、彼に、なぜネパールに来ているのかかと問われ、私は山と共に育ってきて、世界の最も美しい山を見たいと思っていると言うと、 老人は「ああ、貴方は8つの山の旅をしておられるのですね」 私:「8つの山?」 そこで、老人が地面に曼荼羅を描きます。円を描き、車輪のように八つ分け、中心に須弥山があり、8つの軸の外側に山とその間に海の印を書くのです。(これで世界全体を表わしている) 老人「私たちは問います。誰が最も学んだ人だろうか?8つの山全部へ行ったことのある人か?須弥山の頂きを極めた人か?と」 11章には主人公がBrunoに話す場面が出てきます。 そして、「8つの山」と「帰れない山」は最終章、最後に出てきます。 深い意味合いを持っていますが、軽々に、解説する気にはなれません。 下記参照 |
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パオロ・コニェッティ 新潮社2018 1年前、英訳で読んで、今度、葛飾図書館友の会読書クラブで、この本を取り上げるので、改めて、翻訳を図書館から借りて、読んでいます。 第3部から読み始めたのですが、関口英子の、綿密にして、流れるような翻訳はとても楽しいものでした。 特に自然の描写は、山の経験の豊富な著者ならではですが、翻訳も見事に日本語に移しています。 第3部では、主人公たちが中年に差し掛かり、ブルーノ―は酪農経営に、パオロはネパールやチベットの映像を撮る仕事をしている。ネタバレしたくないので、結末は書きませんが、やはり、最後の数頁は、読み終えたくないという気持ちになりました。 その感動は何か?と言われれば、表現しにくいですが、山、自然の素晴らしさ、友情、親子関係、そして、孤独の真実に触れるからでしょう。 登場人物は、父、母、友、恋人と少数で、事件が沢山起きるわけでもありませんが、ゆったりと、時の流れと共に描き出しています。 翻訳では書名を「帰れない山」としてあって、私は題名の改変は好きではありませんが、それなりに、考えらたものだと納得しました。右記参照。 2023・3・23 |
英訳本の最後:私の直訳 父に付いて山歩きを辞めて大分経ってからであるが、父からこんなことを学んだ。 人生には帰ることのない山もあるのだ。父や私のような者の人生には、あらゆる山の中心で、人生の始まる時の山には帰えることは出来ない。 さらに、我々のように、最初で、最高の山で、友を失った者には、八つの山の周りをさまようほかはない。 |
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『帰れない山』の巻頭の引用詩は、コウルリッジの、 The Rime of the Ancent Marinar(老船乗りの詩の一節です。 原詩を掲げておきます。 Farewell, farewell! but this I tell To thee, thou Wedding-Guest! He prayeth well, who loveth well Both man and bird and beast. さようなら さようなら。ひとこと君に 話しておく、客人よ、ねえ。 良く祈る者とは 人も鳥も獣も共に良く愛する者だよ。 関口英子訳では岩波文庫の上島健吉訳を使っています。全文と対訳はこの文庫にありますが、600行を越える長篇の物語詩で、婚礼の宴席に招かれた老船乗りがその客人の一人に、自分の航海の体験を話すというものです。宴会も散会となって出ていく最終部分にこの引用部分が出てきます。 少し前から読むと「祈り」の意味がもっと分かり易いので、引用しておきます。 What loud uproar bursts from that door! The wedding-guests are there: But in the garden-bower the bride And bride-maids singing are: And hark the little vesper bell, Which biddeth me to prayer! O Wedding-Guest! this soul hath been Alone on a wide wide sea: So lonely 'twas, that God himself Scarce seemèd there to be. O sweeter than the marriage-feast, Tis sweeter far to me, To walk together to the kirk With a goodly company!— To walk together to the kirk, And all together pray, While each to his great Father bends, Old men, and babes, and loving friends And youths and maidens gay! To thee, thou Wedding-Guest! He prayeth well, who loveth well Both man and bird and beast. All things both great and small; For the dear God who loveth us, He made and loveth all. Whose beard with age is hoar, Is gone: and now the Wedding-Guest Turned from the bridegroom's door. He went like one that hath been stunned, And is of sense forlorn: A sadder and a wiser man, He rose the morrow morn. 2023・4・10 |
左記詩の趣旨 戸口が騒がしくなってきた。 客人たちがそこにいる。 庭のあずま屋では花嫁と付き添い乙女たちが歌っている お聞き、夕べの鐘がお祈りしなさいと鳴っている。 あゝ、客人よ!私の魂は 広い広い海に独りいて、神様さえも いらっしゃらないと思えた。 あゝ、婚礼の宴も楽しいが、 私には遥かに楽しいことは、 大勢そろって教会一緒に行くこと。 連れだって教会にいって、 皆でお祈りすること。 各人が神様に頭を垂れのだ。 老いも若きも、親友も、 若者も陽気な娘たちも。 さようなら さようなら。一言君に話しておく、 客人よ、ねえ。 良く祈る者とは 人も鳥も獣も共に良く愛する者だよ。 最も良く祈る者とは、すべてのものを 大きなものも小さなものも共に 最も愛する者だよ。 目は輝き、あご髭は白いその船乗りは 立ち去り、その客人も今は 花婿の家から離れた。 愕いて茫然自失となった人のように 出て行って より真面目で賢くなって 翌朝起き上がった。 |