人生の中締め  Topへ
    人生には中締めというものはありません。あるとしたら、死がそうなのかもしれません
  しかし、人生には節目があって、ある時、これは人生の中締め
と思う時期もあります。その時のことを書いておきます。
   *****
  
  宴会の終わりに、幹事がこんな風に言う。
  ・・・・、宴はたけなわでございますが、時間ですので、これで中締めとさせていただきます。本日はありがとうございました。・・・・
「中締め」とは宴会用語なのであろう。宴会を「お開き」にするとき使う。
  総てが終わってしまうのではなく、何か未来につながる余韻を残した表現ある。 
  人生をそう簡単に中締め出来るものでないが、私には、そんな言葉を使いたい時期があった。
  
  80歳になって、わたしは、マンション建て替えのため、一時仮住まいを余儀なくされ、蔵書などの処分を行った時の事である。
   FBにその時のことを書いているのが残っているのでここに、写真など収録しておきます。
  

  2023・12・22
 

  
 
2017年10月13日 人生の中締め(1)和刻本
   住んでいるマンションの建て替えに伴い、近く転居します。狭い所に移るので、持ち物を沢山処分する必要があり、その一つに蔵書があります。若いころ、中国の古典を江戸時代の和本で読むのが楽しみで、集めました。
  なぜ和本かといえば、唐本は白文なのに対して、こちらは江戸時代の儒者が訓点を施しているから、私のようなもので読めるし、侍になった気持ちになって楽しいからです。
  収納スペースがないので、その3分の2は処分します。その中で最大は司馬光の『資治通鑑』148冊で、何十年も手元にあって、1行も読まず手放すことになります。何事にも終わりがあるように、これも人生の中締めとあきらめ、別れを惜しんでおります。明日、古本屋が取りに来ます





『資治通鑑』は、

  
    2017年10月14日

人生の中締め(2)和刻本 続き

  古書店(神保町の4代続く中川書房)から二人来て、分類しながら、てきぱきと紐で括って行った。約2時間の作業だった。
一冊一冊が、本を買う悦び、読む愉しみ、読まないまでも、持つこと幸せを与えてくれた本たちである。有り難う。(査定は一週間後、大した額にならないだろうが、古本屋に引き取られただけでも、本にとっては幸せ、と私は思う。)
和刻本のうち、手放すのが惜しく、手元に残したのは、論語(2種)、老子、春秋左氏伝、国語*、史記、漢書、孔子家語*、世説新語*、冊数にして約100冊。
*印は未読で、これから読むつもりだが、果たして、その時間が与えられるであろうか?
  もともと漢籍を読みたくて、同好のグループを探しているうちに、思いがけず、シェイクスピアの会読のグループには入ってしまって、また、同じころ、ルイス・キャロル協会にも加わったので、長らく漢籍から離れてしまった。そろそろ帰る頃なのかもしれない。洋書の処分がこれからの課題。
(写真は寛保の刊本。260年以上前、吉宗の時代のもの。古本屋曰く、最近は和本で漢籍を読む人が殆どいない。従って和刻本は値が付かないと。)


  
  2017年10月14日
プライバシー設定: 公
人生の中締め(3) 山の道具

そして今、かって山旅の悦びを共にしてくれた道具たちもお別れの時が来た。テント、シラフ、頼もしい音立てて燃えてくれた、スべア123、ホエーブスのコンロ・・・愛着がある物ともお別れの時だ。(防災用にと、ツエルト1張り、寝袋1つ、簡易湯沸など未練がましく残してしまった)
若い時にしかできないことがあって、山旅もその一つ。その体験は私の財産となっていつまでも残っている。

・・・・・

山靴は、これが3代目、最初は布のキャラバンシューズ、次は、頃い革靴、それぞれ思いで深い。

ザイルは、一度も実用に供したことがなかった。

ピッケルは、雪の氷ノ山で滑落したとき、なに底まで落ちるを助けてくれた。

いづれも、山男の気分にしてくれる道具であった。

コンロは、今はガスボンベ式のものが主流であるが、私は、油(ガソリン)のもの好きだった。

大袈裟に言えば生死を共にした物として、愛しく思った。

  2023・12・20



  
  2017年11月13日

人生の中締め(4)Faust

   若い時は色んな望みがあって、見果てぬ夢で終わることも多い。いつか、マッターホルンを登りたいと思って、スイス製の詳しい地図を取り寄せ、随分眺めた時期もあったが、一緒に登りたい思っていた友人が亡くなって、あきらめて、地図も人にあげてしまった。ホメロスをギリシャ語で読むという夢は、自分の能力を知るにつれ、何時の間にか消えた。物を処分していると、そうした夢を自ら摘み取ることになるのだが、未だにあきらめきれず、その手掛かりを残しておきたいものも多い。
  その一つにドイツ語で『ファウスト』を読むと言うのがある。邦訳は図書館に行けばあるので、早々に処分したが、注釈書類が処分されず残った。
当分は読む時間がないのでトラックルームに放り込むことになるが、もし、90歳まで生きていたら、その時、取り出して読み始めようと思う。
  Faustは:Das Ewig‐Weibliche /Zieht uns hinan.(永遠にして、女性的なるものが、我らを 引き上げる)で終わっている。そんな風に人生を終えたいもの

  
   2017年10月13日

人生の中締め(5) 洋書  本処分の総括。

  洋書の古書を引き取りに来てくれるところが見当たらないので、結局、中川書房を介して処分してもらうことになった。中川書房は洋書は扱わないのだが、依頼者の代わりに市に出して呉れるというのである。手間賃、輸送費、市のチャージなど考えると、殆ど只に近いはずだが、自分の蔵書が、本屋の手で処理されれば満足なのである。書房の人が、2時間足らずで、約千冊の本を荷造りし、  三日後、専属の運送屋が取りに来て、私の目の前から消えた。
  転居先に置き場が確保できないため、分厚く、立派な本が、真っ先に処分の対象となったのも皮肉な話である。ミステリー類はル・カレを残し処分。
これで、和洋を含め、3分の2の蔵書の処分は終わったのだが、残りの3分の1だけでも120歳まで生きて十分なくらいの量がある。
  転居先で格納できるか、全く自信がない。本好きが、本に復讐されている感じである。 

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  引っ越しの度に、本を処分してきたが、今回はこれまで最大であった。
 一体いくらで売れたか? 中川書店から、後日10万円程の振り込みがあった。 大半は古本屋でかったもので、古本屋は恐らく、売価の10の1ぐらいで買うであろうから、今回の本の市場価値は恐らく100万円くらいであろう。
  なによりも、古本屋の手で引き取られたことが、嬉しい、誰か、本好きの人の手に渡る可能性がある。
 幸田露伴がなくなった時の叢書処分についての誰かの言葉に、
 「本を元の川に返しましょう」というのがあったが、私の本も、今頃どこかの川に泳いでいるかしら?

  2023・12・22追記

 
  
   人生の中締め(6)  画などの処分

  本に次いで、頭を痛めたのは、である。
 「クロッキーの会」に約20年、月、4回描く機会があった。
 主として、裸婦クロッキーなのであるが、クロッキー帖、スケッチブックは1冊だけ残し、何10冊も処分した。水彩も同様。
  問題は油絵で、木枠にキャンパスだから、嵩張るのである。
息子や知人が少し貰ってくれたが、自分で駄作と思われるものを、区の粗大ゴミとして処分した。
  確か写真を撮っていたのだが見当たらない。

  絵は私の中学時代からの興味なので、絵の道具などは手元に置いた。中でも、竪型イーセルは場所を取るが、処分できなかった。
   ・・・・・・・

  TVからダビングのカセット。LP,CDのかなりのもの、FMから録音したカセット・テープ(カザルス、マーラーなど)などは、他のガラクタと共に、廃品回収の青年に引き取ってもらった。

   2023・21・22
 日曜画家としての私の作品は、アリス美術館に展示してあります。中には処分したものを含め。


  元のマンションへ戻って。

引っ越しに際して、蔵書の半分以上の処分したが、戻った、書斎は6畳で、これさえ本棚に格納できなかった。
 止む得ず残りをトランクルーム入れたのだが、それも満杯で、うかつに出し入れができない。
 主なものとして、
  写真集:山旅のものが多い。
  マザーグース:時々楽しみに見たいのだが・・・
  人からもらった本


未完