※「別れと再会の刻」の続きのような合間の話です。
オロチ2のネタバレ&捏造を含みます。
ご注意を!

逢はむ日を
その日と知らず
炎の中に浮かび上がる凛とした立ち姿。
早く退かなければ炎に巻かれてしまうというのに、彼は動かない。
手にした槍を構え、炎の向こうから迫ってくる敵を怯むことなく睨みつけていた。
けれどその表情とは裏腹に、赤い炎に照らされてなおその顔色は青白い。
それが決して怯えや恐怖などといった感情から来るものではないと、彼を見つめる自分は知っている。

彼の脇腹に視線を移せば、そこからは夥しい血が流れ出ていた。
普通の人間ならばとっくに気を失っていてもおかしくない程の出血だ。
だが、彼はいつも戦場に在る時と違わぬ毅然とした姿で敵を迎え撃とうとしている。

―――もうこれ以上は無茶だ!

そう叫びたいのに、声が出ない。
ならばと、彼を引き寄せようと手を伸ばすのに、どうしたことか届かない。
焦る気持ちと相反して、身体はまるで自由にならない。
そのうちにも炎は激しさを増し、もう間近まで敵の大群が迫っていた。

そんな自分の目の前で、彼がいる砦の扉が徐々に閉じられていく。
まるで自分と彼を隔てるように。

―――嫌だ……嫌だっ!

動かない足の変わりに必死に手を伸ばしても、やはり彼にも扉にも届かない。
無情にも扉は止まることなく閉ざされていく。
やがて扉が閉じきる寸前―――彼はこちらを振り返った。
「さよなら、孟起」
そうして自分に向けられた綺麗で儚い笑顔は、分厚い扉の向こうに消えてしまったのだ。





「子龍!」
叫ぶと同時に、馬超ははっと跳ね起きた。
肩で荒い息を繰り返しながら、馬超はゆっくりと周囲を見渡す。
しんと静まり返った狭い陣幕の中は暗闇に包まれていたが、やがて目が慣れてくると、戦道具や長櫃などが雑多に置かれているのが目に入る。
自分が今、陣幕に設えれた質素な牀台の上にいることを馬超は認識して、額に浮かんだ冷や汗を拭った。

「夢……か」
ぽつりと呟いて、馬超は握り締めた拳を何度も牀台へと叩きつけた。
もう幾度見たとも知れぬその夢。
自分の不甲斐なさにただただ苛立ちとやるせなさが募る。
自分は助けることが出来なかったのだ―――誰よりも大切な人を。
助けるどころか助けられたのは自分の方だった。

「子龍、子龍……」
愛しい彼の人の名を何度繰り返したところで返る声はない。
最後に交わしたほんの一瞬の口付けの感触は今もはっきり思い出せるのに、彼はいない。
その現実が馬超を日々苛み、打ちのめしていた。

希望の全てが絶たれた訳ではなかった。
かぐやという少女の時を渡れる力を使えば、過去に戻ることが出来る。
そこで選択を誤り命運の尽きた者達を救うことができるのだ。
けれどその力も万能ではなかった。
妖蛇出現前の時点には戻ることはできなければ、助けたい相手と妖蛇出現後に会った記憶がなければならない。
もし相手が怪我を負っていて、そのことが間接的なり直接的なりの命を落とす原因になったのなら、相手が怪我を負う以前に戻って助けてやれば良い。

趙雲もあの怪我さえなければ助けることが出来たはずだ。
しかし妖蛇出現以降、馬超が趙雲と再会した時には既に彼は大怪我を負っている状態だった。
つまり自分の記憶では趙雲を救うことは出来ないのだった。

かぐやの力を使って、過去へと戻り、命を落としてしまった者達を助け、徐々に味方は増えてきている。
だが―――その中に趙雲の姿はない。
助けることの叶った者たちに、馬超は必ず真っ先に訊ね回っていた―――「子龍に会わなかったか?」と。
けれど返ってくる答えはいつも無情なものだった。
いつも期待しては落胆する、その繰り返しだ。

もちろん妖魔の手から救うことができ、仲間が増えていくことは馬超にとっても嬉しいし心強い。
このまま妖蛇に屈して、世界の破滅を待つことは出来はしない。
妖蛇に対する為にも味方は多いほうが良い。
趙雲からも託されたのだ、必ず生き延びて、妖蛇を打倒して欲しいと。
その為に趙雲は犠牲になった。

救い増えていく者達の中に趙雲がいない―――そのことが辛い、寂しい、やりきれないと思うことは許されないことなのだろうか。
過去を変える手立てがありながら、愛しい人を救うことの出来ない日々に、馬超の焦燥は募るばかりだ。

今日、また新たに救うことが出来た者と、味方の中の一人が強く抱擁している姿を偶然見掛けて、馬超の心は震えた。
抱き合い涙を流すその姿から、二人が特別な関係であるということは一目瞭然だった。
良かったと二人を心の内で祝福する反面、ぎゅっと胸が締め付けられたのもまた事実だ。
自分がどれだけ抱きしめたくても抱きしめたい人は、自分の傍にはいない。
その温もりを感じ取ることはできないのだ。

会いたい、会いたい、会いたい。
心を占めるその想いは、叶えられることも昇華されることもなく、馬超を疲弊させていくだけだった。

広げた両の掌に己の顔を埋めた時、陣幕の向こうに気配を感じた。
「馬超さん、俺だけど入っても良い?」
夜なのを考慮してか、小さく掛けられた声は竹中半兵衛のものだった。
このような時間に尋ねてくるとは、何か不測の事態でも起こったのだろうか。

馬超は顔を上げ、表情を改めると、「ああ、入ってくれ」と答えを返す。
すると入り口の幕を潜って、半兵衛が姿を見せた。
「どうされた?
何かあったのだろうか?」
牀台から降り、居住まいを正した馬超に、半兵衛は苦笑しながら首を降る。
「違うよ。
水を飲みに行こうと思ってこの辺を通ったら、馬超さんが魘されているような声が聞こえたから」

どうやら心配して様子を伺いに来てくれたらしい。
馬超は表情を和らげ、小さく息を吐き出した。
「俺なら心配はない。
いらぬ気遣いを掛けてしまったな、すまぬ」
馬超がそう詫びると、半兵衛は呆れた様子で肩を竦めてみせた。
「全然大丈夫って顔してないよ?
自覚ある?
それに今だけじゃない……馬超さんはもうずっと辛そうな顔をしているよね。
馬超さんにそんな顔をさせるってことは―――本当に凄く大切な人なんだね……仲間が増える度にその人の行方を確かめているでしょう?」

元々軍師として洞察力に優れている半兵衛には全てお見通しなのだろう。
それでなくても半兵衛はかぐやが現れるまで、妖蛇に追い詰められていく中で最後まで残った仲間の一人なのだから、より自分のことを見抜かれていてもおかしくはない。
この口ぶりからすると、自分達の関係にも気付いていそうだ。
今更取り繕うのもおかしいし、別に趙雲とのことを隠したいとも思わない。
誰に何と言われようが、趙雲は自分にとって大切な存在なのだから。

馬超は半兵衛の問いかけに頷いた。
それに対し、半兵衛は笑うでも、奇異な目で見るでもなく、「そっか……」と感慨深げに呟く。
「馬超殿の大切な人ってどんな人なの?」
「そうか、半兵衛殿は会ったことがないのだったな」
馬超を気遣ってか半兵衛は衒いのない口調で問うてくる。
それが煩わしいとか、嫌だとは馬超は思わなかった。
それどころか、誰かに趙雲のことを話したかったのかもしれないことに気付く。
それをもし半兵衛が感じ取ったが故の問い掛けならば、さすがだ。

一度大きく息を吸い込んで、馬超は静かに口を開いた。
「戦場に立てばどんな強大な敵にも決して怯まず、冷静でとても強かった。
けれど普段は穏やかで優しい―――とても綺麗な人だ」
「うわー、何か欠点とかなさそうな凄い人じゃない。
そんな人を手に入れられるなんてやるねー、馬超さんも」
軽く囃し立てるように口笛を吹く半兵衛に、馬超は思わず小さく吹き出してしまう。

笑ったことなどいつ以来だろうか。
ほんの少し心が軽くなる気がする。

「だが怒らせると、それはそれはもの凄く恐ろしいのだぞ。
俺も何度かあの世が垣間見えた……」
「あははは、どうせ馬超さんがくだらない悪さでもしたんでしょ。
でも……そういう怖いところも何かも含めて、好きなんだね?」
馬超は戸惑うことなく大きく頷いた。
「ああ……あいつは―――曹操に一族を虐殺され、絶望と復讐しかなかった俺の心に、再び人を愛する気持ちを思い出させてくれた。
空虚な暗闇の中で這いずり回っていた俺に差し込んできた光のようなものだ。
あいつの手が俺を地の底から引きずり上げてくれたんだ。
なのに俺は……あいつに救われてばかりで、救ってやれなかった。
俺は……俺は―――

再び沈み行く気持ちに、
「じゃあ、今度こそ救えば良いじゃない」
と、何てことはないというような軽い調子で半兵衛は言う。
「救ってやれなかったなんて、まるで終わったことみたいに言うのは止そうよ。
馬超さんが諦めてどうするのさ?
誰よりも馬超さんが信じなきゃ駄目だよ。
大丈夫、きっと助けられるってさ」

明るく言われて、馬超ははたと気付く。
先程から半兵衛は「大切な人なんだね」とか「どんな人なの?」と趙雲のことを指す時に、過去のことのように語っていない。
「大切な人だった」や「どんな人だったのか」というように。
あくまでも現在も存在するかのように趙雲のことを口にしている。
それは口先だけの慰めではない。
本当に趙雲を救うことが出来ると信じてくれているからこそだと馬超は感じた。

同時に馬超は己を恥じる。
決して諦めたつもりなどなかったが、手がかりの得られぬ焦りに弱気になっていたことは否めない。
半兵衛に指摘された通り自分が強く信じなくてどうするのだと。

「ああ、そうだな、半兵衛殿。
俺は必ずあいつをこの手で救ってみせるぞ!」
「そうそう、その意気だよ、馬超さん」
弱気なるなど、趙雲が知ればきっと怒るに違いない。
彼はいついかなる時も、毅然と前を向いていた。
その彼に恥じぬ自分でいなければならない。

あの日から脳裏に浮かぶ趙雲の姿は、血に濡れていて……「さようなら」と告げた綺麗だけれどとても儚い、胸を締め付けるようなものだった。
だが今瞼を閉じて浮かぶのは、生き生きと輝き笑う、馬超が一番好きな趙雲の笑顔だった。



(終)



written by y.tatibana 2012.03.20
 


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