13 //a series of thought

エルフィードは群島諸国連合艦隊提督スカルド・イーガンに会う為に、ニルバ島へと向かった。
いつもは別行動を取っているゲオルグも、今回はそれに付き従っている。

その船上―――。
エルフィードは船べりに身を預け、苦しそうに口元を押さえていた。
時折「うっ」とえずくエルフィードの背を、カイルが労わるように摩っている。
「王子、大丈夫ですか?
リオンちゃんも」
青白い顔をしているのはエルフィードばかりでない。
エルフィードの傍らのリオンも同様の状態であった。

「だ……大丈夫」
二人は同じように言葉を返すが、どう見ても大丈夫には思えない。
初めて外洋に出た二人は、酷い船酔いに苛まれていたのだ。
「どうして……カイルは平気…なんだ?」
他国出身のゲオルグならば分かるが、カイルは同じファレナの生まれである筈なのにと。
にも係わらず、二人と異なりカイルは平然としたままであった。

「まぁこう見えても、色々と経験を積んでますから」
あははと笑うカイルに、エルフィードはすぐにぴんときた様子で、眉根を寄せる。
「色々って……女性関係だろう?
ファレナだけじゃなく、他国の女性にも……」
と言った所で、再びエルフィードは吐き気に耐えるように、口元に手をやる。
「流石は王子、鋭いなぁー」
へらりとした笑顔のままカイルは言うが、カイルの人となりを知っている者からすれば、すぐに分かることだ。
カイルの女好きは、周囲の知るところである。

カイルという男は、常に飄々としていて、王子であるエルフィードに対しても平気で軽口を叩くし、からかいもする。
だが、フェリドに認められた程の剣の達人であるし、魔法にも秀でている。
そして何よりその内側には、まっすぐとした曇りのない信義を秘めていることをエルフィードは知っている。
決して損得を計算して、他人に接したりしない。
王位継承権を持たない自分のことを、ずっと守ってくれている。
ゴドウィン一派による謀反が起こった夜、自分の元に駆けつけてくれたのも彼だった。

「あっ、島が見えてきましたよ。
良かったですねー、王子」
カイルが指差した方向には、確かに島影がある。
ようやくこの船酔いから開放されるのかとほっとする気持ちと同時に、何としてでも群島諸国連合に協力を仰がなければという重圧が圧し掛かってくる。
失敗すれば大きな痛手となる。
スカルド・イーガンなる人物がどのような人となりをしているのかも分からず、島が近づいてくるに従い不安が澱のように溜まってくる。
「王子なら、大丈夫ですよー」
エルフィードの心の内を絶妙に読み取ったのか、カイルがエルフィードにだけ聞こえる小さな声で囁く。
そっと包み込むようにエルフィードの手に添えられたカイルの手が、不思議とエルフィードの緊張を解き払ってくれる。
返事の代わりに、エルフィードは力強くカイルの手を握り返すと、前方の島を決意を込めて見据えるのだった―――。





ニルバ島の灯台での立てこもり事件はあったものの、スカルド・イーガンとの会談は友好的に終わった。
スカルド・イーガンはエルフィードへの協力を申し出てくれたのだ。
エルフィード自身も拍子抜けする程に、あっさりと。
ただ提督である彼自身が表立って動くことはその立場上難しく、彼の娘であるベルナデットをエルフィードの元へ遣わした。

「凄い人だったな……」
宿屋に着くなり、エルフィードは感嘆とも呆れともとれるような口調で呟きを漏らす。
それが誰のことを指しており、そしてエルフィードが抱いた感情も、カイルにはよく理解出来た。
カイルもまた同様の気持ちだったからだ。
「本当に色々な意味で凄い人でしたねー。
ベルナデットさんも大変そうだなぁ……」
明日の朝にはベルナデット共々、エルフィードはファレナに戻ることになっている。
今頃彼女は旗艦で旅立ちの準備をしていることだろう。

「そういえば王子、気になりませんでした?」
カイルはベルナデットとそしてスカルドの顔を思い浮かべながら問いかける。
「えっ、何が?」
だがエルフィードには、何のことだか分からなかった。
首を傾げるエルフィードに対し、カイルは「うーん……」と考える素振りを見せながら、口を開く。
「ベルナデットさんとスカルド殿って誰かに似ていると思いません?
会った瞬間から気になってたんですよね。
俺の知っている誰かに似ているような気が……」

やはりエルフィードはたた首を捻るばかりだった。
今日は事件の対応で、あまり二人の顔をじっくりと見る機会もなかったし、緊張の連続で記憶も曖昧だ。
反応の鈍いエルフィードを前に、カイルは「気のせいかなぁ」と呟く。

と、部屋の扉が開き、出掛けていたゲオルグが戻ってきた。
「なんだお前達、まだ起きていたのか?
明日は早いぞ、もう寝ろ」
ゲオルグはエルフィードやリオンに向けて言い、二人はそれに促されるように席を立った。
「ゲオルグ殿も戻ってきたことだし、俺はちょっと外に出てきますね」
カイルはゲオルグと入れ替わりで、扉へと向かう。
その背に呆れたようにリオンが声を掛けた。
「また夜遊びですか、カイル様」
「リオンちゃんも鋭いねー。
ここからは大人の時間ということで」
ウィンクを一つ残し、カイルはそのまま部屋から出て行ってしまった。
二人には分からぬよう、一瞬のうちにゲオルグに目配せを送って。





宿を出たカイルの表情は、それまでのものから一変する。
いつもの笑みを浮かべたそれではなく、すっと引き締まり、瞳には厳しい光が宿った。
そうして周囲にその視線を巡らすのだった。

そう――カイルはゲオルグに代わり、見回りに立ったのだ。
スカルドがいくらエルフィードに友好的であったとしても、ここはファレナではない。
他国の人間がエルフィードに危害を加える可能性は充分にある。
そしてあのゴドウィンのこと……他国の仕業に見せかけて、刺客を送ってきてもおかしくはないのだ。
警戒をしてもし過ぎということはないだろう。

ただそれをエルフィードに悟られては、彼は自分だけ休むということを良しとしないと思われた。
いくら気遣いは無用だと言ったとて、なかなか首を縦には振ってくれまい。
それがカイルが何としてでも守りたいと思った、エルフィードという人間なのだ。
だからカイルは夜遊びだなどと偽って、外へ出た。

幸いにも周囲に不穏な気配はない。
それでも慎重に神経を研ぎ澄ませながら、カイルは歩き始めた。

やがて、港に佇み、海を眺めている人影を認めて、カイルはふと足を止めた。
月明かりに照らされたその横顔を見て、カイルは思わず「あっ」と声を上げた。
その声に、カイルの視線の先の人物は、カイルの方へと顔を向けた。
「おや、あなたは確か……女王騎士のカイル殿でしたな」
そこにいたのは、先程までの話題の主スカルド・イーガンであった。
柔和な笑顔を浮かべるスカルドに、カイルは一礼を返す。
そのままスカルドの元へと歩み寄り、不躾と知りながらも、カイルはその面差しを再度じっと見つめた。

「貴方は――」
言いかけたカイルの言葉を、スカルドは首を振り遮る。
カイルが何を言わんとしているのか、理解しているかのように。
「ゲオルグから聞かれたのですかな?」
その問いかけからも分かる。
やはり自分の直感は間違いなかったのだとカイルは悟った。
「あぁ、いえ……違います。
今ここに佇む貴方の顔を見て、ある人の姿と重なったんですよ。
あの方もよく、貴方と同じような眼差しでソルファレナの街を眺めておられましたから」

カイルはようやく気付いたのだ。
スカルドが一体誰に似ているのか――。
そしてその関係を。
だが、カイルもまた自分の言葉が遮られたことの意味を汲み、「あの方」とうようにわざと暈して答える。

「そうか……似てますか、あいつに」
懐かしそうに目を細め、何処か嬉しそうにスカルドは笑った。
「私がこの海を愛しているように、あいつはファレナを愛しておったのでしょう」
カイルもそれに依存はない。
誰よりもファレナを――そして家族を愛した人だった。

「王子には?」
カイルが訊ねると、スカルドはやはり首を振った。
「残念なことだが、国同士の柵もあるし――何より今はあの子に余計な衝撃を与えたくはない。
いずれあの子自身が気付いてくれるまで、黙っておいて頂けれればありがたい。
ベルナデットも何も知らんのですよ……あいつとは随分と年が離れておりますからな。
本当の関係を明かすことは出来なくとも、今日あの子に会うことが出来て本当に嬉しかった。
容姿は母上にそっくりだが、あの瞳の強さはあいつから受け継いだように思えましたよ」

カイルはそのスカルドへ向けて、何を思ったか、突然深々と頭を下げた。
さすがのスカルドも驚いたように目を見開く。
「俺は女王陛下もそして……あの方も守りきることが出来ませんでした。
申し訳ありませんでした。
けれど今度こそ守ってみせます。
王子ことを絶対に――」

もう二度とあんな思いと後悔は御免だった。
そしてこれ以上、エルフィードの涙を見たくはなかった。
あのような絶望と哀しみを味あわせたくはない。

驚きが去ったのか、スカルドはふっと表情を和らげた。
カイルの肩に手を置き、軽く叩く。
「あの子のあなたを見つめる目を見ていれば、よく分かる。
とてもあなたのことを信頼しているのだと。
こちらの方こそお願いしたい――どうかあの子のことをよろしく頼みます」
言って、スカルドもまた深く頭を下げる。

想いは同じ。
一国も早くこの争いを収め、ファレナを元の平和な国へと戻すこと。
そして兄妹が再会し、心の底から笑顔を見せることが出来るようになることなのだ。

そうして偶然が齎した月夜の会談は幕を閉じたのだった。





2006.10.06 up