12 //The real intention

ゴドウィン側とのその戦いは、エルフィード側が辛くも勝利を飾ることとなったが、双方共に相応の被害が出た。
とても勝利を祝うような雰囲気でもなく、また誰一人そんな気持ちにもなれなかった。

その上、その激しい戦闘の後、ある男の消息が不明になった。
女王騎士として常に王子エルフィードの傍らにあった男―――カイル。
誰もがまさかと口を揃えた。
口調は軽く、常に飄々としてはいるが、女王騎士長だったフェリドの目に留まるほどの剣の腕前を持った人物だ。
彼がよもや戦いの果てに行方がしれなくなるとは想像した者などいなかった。
「只今戻りましたー」
と、いつも通り笑顔で戻ってくるのだと信じて疑わなかった。

だが、実際は―――。

最悪の事態が、多くの者の脳裏を過ぎる。
カイルの部隊の兵士達も、戦闘の最中、カイルの姿を見失ったのだという。
そこで、戦場でカイルの部隊が展開していた場所への捜索が行われようとした。

しかしそれを強く押し止めた人間がいた。
それは誰よりもカイルと親しかったであろう、エルフィードだったのだ。
幼少の頃より現在まで、ずっとエルフィードに付き従ってきたことは皆が知ることだ。
だから一番に率先してカイルの消息を探ろうと言い出すのは、エルフィードだと思っていた。

そんなエルフィードを前に、広間に集まった一同が、怪訝な面持ちになる。
ただ一人、軍師ルクレティアを除いては。
さして驚いた様子も見せず、彼女の表情はいつも通り涼しげなままだ。

「一体どうしてですか、殿下!?」
一同の疑問を代表する形で、ボズがエルフィードへと問いかける。
それに対し、エルフィードは非常に冷静な声音で答える。
「今の我が軍に、カイルを探す為だけの人員を裂くだけの余裕はない。
先の戦でこちらも少なからず打撃を受けた。
それをまずは回復させ、士気を高めることが第一だと思う。
それにここのところ連戦続きだから、皆も疲れているだろうし、少しは休息を取って貰わないと」

「某は疲れてなどおりませぬぞ!
カイル殿はずっと共に戦ってきた仲間ではありませんか!
そのようにすぐに切り捨てるようなこと、某には出来ませぬ!」
エルフィードとは対照的に、ボズは感情的な声を上げる。

「疲れていないのなら、戦場にカイルを探しに行くのではなく、少しでも家族の元に顔を見せに帰ってあげて欲しい」
エルフィードは首を振りながら、諭すようにボズに言う。
あくまでもカイルを探す気はないようだ。
周囲もそのエルフィードの決心を感じ取ったのだろう―――座がざわめいた。
「それはあまりにも冷た過ぎるんじゃ……」
そういった趣旨の言葉が、方々から上る。
しかし、エルフィードはそれに対しても頑として首を縦には振らなかった。

「私も王子に賛成です」
それまで黙ってことの成り行きを見守っていたルクレティアが、ようやく口を開いた。
彼女の言葉に、周囲は打って変わって波打つように静かになる。
「王子の仰るとおり今の状況で、捜索のための人員を裂くことは賢明ではありません。
私達が為すべきことは何なのか―――それを考えれば自ずと答えは導き出される筈です。
辛いですが、戦争とはそういうものです……奇麗事ではありません」
いつも余裕をその身に漂わせて、柔らかな笑みを浮かべていることが多いルクレティアであったが、今の彼女は違った。
いっそ冷酷と思える程に厳しい声と表情で、一同を見渡すのだった。

「まだ異論のある方は?」
ルクレティアの問い掛けに、手を上げるものや、声を出すものは誰もいなかった。
「では今日はこれで解散にしましょう。
少しでも休めるうちに休んでおいて下さい。
すぐにまた次の攻撃をあちら側が仕掛けてくるかもしれませんから」
そこでルクレティアはいつも通りの柔和な顔付きに戻った。
途端に周囲に張り詰めていた緊張感が、緩和される。
広間に集まった一同はしぶしぶといった様子の者もいたが、結局静かにその場から退出していった。

「ごめん……ルクレティア」
エルフィードとルクレティア―――二人だけが取り残されたその場所で、ぽつりとエルフィードは呟く。
突然の謝罪に、ルクレティアは驚いたように目を瞠った。
「何のことでしょう?」
「驚いた振りなんてしなくてもいいよ。
貴方ならきっと分かっているだろうから……。
カイルの行方が分からなくなった場所へ、何故僕が探しに行こうとするのを止めるのか―――その本当の理由が。
それを貴方は理解した上で、あんな風に僕を援護してくれた。
偉そうに皆の前では軍の為だと言ったけれど、そうじゃない。
僕は……」

エルフィードの言葉を遮って、ルクレティアは言葉を重ねる。
「いいんですよ、王子。
王子の本心はどうあれ、実際こちらの状況では、あの広い戦場の中からカイル殿を探すのは、兵達にも無理を強いることになりますからね。
これで良かったんです」
ルクレティアはそう言って微笑む。
しかしエルフィードは辛そうな表情のままだ。
「さぁ、王子もお疲れでしょうから、少しお休み下さい」
ルクレティアに促され、エルフィードは微かに頷くと、「ありがとう」と彼女に告げ、広間から出て行った。
その背が扉の向こうに消えた後、ルクレティアは一人ごちる。
「あまり無理はしないで下さいね……」
と。





それから十日も過ぎた頃。
本拠地であるソレイユ城に、真夜中の訪問者があった。
訪問者というのは正しくないのかもしれない。
元々、セイリュウ軍に身を置く人間であったからだ。
それを一番最初に出迎える形となったのは、ちょうど自室から出てきたエルフィードの叔母サイアリーズだった。

驚き目を見開くサイアリーズに、相手はしてやったりというような悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「お久しぶりですー、サイアリーズ様。
……なんちゃって。
そんなに驚きました?」
「カイル!?
あんた……どうして……?」
サイアリーズが驚くのも無理はない。
ひょっこりと現れたのは、行方不明になっていたカイルだったからだ。

「あの戦いの時、どさくさにまぎれて敵方に潜り込んだんですよ。
相手も混乱してましたから、この隙を逃す手はないと思いまして。
で、敵の情報を色々探ってきたんです」
カイルは傷一つ負ってはいないようだった。
誰もが危惧していたような敵に討たれた訳ではなかったのだ。
諜報活動を行う為に、敵側に潜伏していたらしい。

「……」
サイアリーズは未だ驚きが去らないのか、じっと黙り込んでいる。
だが握り締めた彼女の拳は震えていた。
「サイアリーズ様こそ、こんな夜中にどうしましたー?
珍しいですよね、貴方がこんな時間まで起きているだなんて。
明日起こす役の人が可愛そうだなぁ……」
それに気付かないのか、暢気に喋り続けるカイルの前に、サイアリーズはつかつかと歩み寄る。

そして―――。
次の瞬間、振り上げた手をサイアリーズはカイルの頬めがけて思い切り振り下ろした。
ぱちん!という肌を打つ乾いた音が、深夜の静まり返った空気を振るわせる。
「!?」
今度はいきなり平手打ちを見舞われたカイルが驚く番だった。

「それならそうとどうして誰にも言わなかったんだい?
あんたのことだからただ驚かせてやろうと思ったんだろうけど……あの子の気持ちを考えたことがあるかい!?
あの子が一体どんな気持ちで、毎日毎日過ごしているのか。
こんな夜中にあの子が何をしているのか、知っているかい?」
サイアリーズは眦を上げ、カイルを睨みつける。
その怒りにカイルは気圧されるように、口を開くことが出来なかった。

あの子というが誰の事を指しているのか。
それは考えるまでもない。
エルフィードのことだろう。
そのエルフィードがどうしたというのだろうか。
自分が姿を消した所で、いまやこの城に集結する仲間はたくさん居るのだ―――戦闘力がそう落ちるとは思わない。
もしかして、死んだと思われていたのか。
戦地を調べれば、自分が命を落とした訳ではないとすぐに判明すると思っていたのだが……。
頭の中を疑問が駆け巡る。

「エルはあんたのいなくなった戦場を、仲間の勧めを頑なに拒絶してまで探す事をしなかった。
戦力的にあんたを探す余力はないといってね。
あの時は私も正直、冷たいと思ったけれど、少し考えてみて分ったよ。
あれはあの子の本心なんかじゃない―――本当は怖かったんだ。
戦場を探して、もしあんたが物言わぬ身体となって倒れていたら耐えられないからだよ。
あんたが死んでしまったと知ることが怖かったんだ!」
サイアリーズはカイルの心の内を見透かしたかのように、再び強い口調で述べる。

「王子は……?」
ようやく口に出来たのはたったそれだけの問いかけであった。
サイアリーズは未だ怒りが収まらないのか、厳しい視線でカイルを睨みつけている。
「軍主としての仕事を終えて……こんな真夜中から、休もうともせずエルはあんたを毎夜探しに出掛けているんだ。
もちろん戦場にじゃなく、色々な街を廻っているみたいだよ―――ビッキーから聞いた。
怪我を負ったあんたが、街の医院なり宿屋なりに運ばれてくるんじゃないかと思ってさ。
そんなあの子の気持ちを考えたことがあるのかい!?」

あぁ……と、カイルはようやく得心した。
そしてサイアリーズに言われてようやく気づいた自分が腹立たしかった。
敵の状況を知ることはもちろん大切だ。
だが、自分が何より大切にしなければならないのはエルフィード自身なのだ。
彼の気持ちより先に優先しても構わないものなど、自分にはない。
にもかかわらず、愚かにも彼に大きな悲しみと不安を与えてしまった。
そして不謹慎ながら、同時に嬉しいとも思う。
エルフィードがそこまで自分のことを想っていてくれたことが。

「サイアリーズ様、謝罪は改めましてまた今度!」
そう言うと同時に、カイルは駆け出していた。
それを受けてようやくサイアリーズの表情が、和らいだ。
「あたしのことは良いから、あの子のことよろしく頼むよ」
サイアリーズは、カイルの背に、そう言葉を掛けてやる。
そうして、やれやれという大きなため息を一つ落とす。
これで明日からは早く寝れそうだと、心の内で呟くのだった。





カイルの姿に驚くビッキーに、急いでエルフィードの行った街まで送ってもらう。
程なくして、求める人の姿を見つけることが出来た。
宿屋から肩を落とし、沈んだ顔つきでエルフィードが出てくるのと、丁度出くわしたのだ。
「王子」
カイルの声に、エルフィードの顔が弾かれたように上げられる。
その視線はすぐにカイルの姿を捉え、大きく見開かれる。

呆然と立ち尽くすエルフィードのすぐ前まで、カイルは歩みを進めた。
そのまま深々と頭を下げる。
「本当に、申し訳ありませんでした、王子!」
エルフィードからの返答はない。
ゆっくりとカイルが頭を上げると、まだエルフィードは驚きの中にいる様子だった。

カイルは身を屈め、エルフィードと視線を合わせると、その肩にそっと手を置いた。
「王子、俺はこの通り無事です。
ご心配をお掛けして本当にすみませんー」
「カ……イル…カイル……カイル」
現実を確かめるように、エルフィードは何度もカイルの名を繰り返す。
「はい」
カイルが返事をする。
それを聞いて、夢ではないのだと、エルフィードは実感する。

呪縛に掛かっていたエルフィードの身体がようやく動く。
殴られるのだろうというのがカイルの予想であったが、それは違った。

ぎゅっとエルフィードはカイルを抱きしめたのだ。
その存在を確かめるように。
もう一方で決してもうどこにもやらないとでもいうかのように。

「本当はカイルに会えたら、まず殴ってやるつもりだった。
けど、伯母上に思い切り殴られた後みたいだから、止めた―――随分と頬が腫れているよ、カイル。
それに実際会ってみると、不思議だね……こうして抱きしめたくなった。
無事で良かった……」
「王子……」
胸をぐっとつく熱い想いのままに、カイルもまたエルフィードを抱きしめた。
もう二度と同じ過ちは繰り返さない、そう誓いながら。

「お帰り、カイル」
静かなエルフィードの声が、心地良くカイルの耳元で響いた。





2006.09.12 up