09 //Two distance

王子は人気者だ。
例え王子が一人でいても、その周りにはいつのまにか人の輪ができてしまう。
王子の穏やかな人柄と、優しい笑顔が、他者を惹きつけるのだろう。

女王騎士の俺としては、そうやって王子が多くの人から慕われているのは嬉しい。
そういう人を守る役目に就けて、本当に良かったと思うし、何より誇らしい。
ゴドウィン卿の裏切りでそれまでの全てが一転したあの日より、最初はたった数人しかいなかった仲間を王子は徐々に増やしてきた。
当初は寂しそうな表情でいることが多かった王子だが、多くの仲間に囲まれ、輪の中心にいる王子はとても楽しそうだった。
無論、まだまだ戦いが終わった訳ではないし、一人取り残されているリムスレーアのこともあり、心底からの笑顔ではないのかもしれない。
けれど、以前よりは格段に明るくなった王子の様子を見ていると、俺としては安堵を覚える。

ただ……俺にとっては現状で一つだけ不満な点があった。
それはすっかり王子と二人きりになれる時間がめっきり減ってしまったこと。
むしろ減ったというよりも、無くなったと言ってしまった方が正しいのかもしれない。
以前は堂々という訳ではなかったが、二人きりの時間を持つことが出来た。
しかし今は本拠地のどこに行っても、誰かが居て、常に人の目がある。

それに、王子の俺に対する態度も最近つれない気がする……。
あまり目を合わせてくれなくなったし、何より王子自身から避けられているような。
嫌われるようなことを何かしたっけなー?と、自分に問いかけてみるも、さっぱりだ。





そんなある日、大きな鏡の前に立つ王子を見掛けた。
その鏡の傍らに立つビッキーちゃんと何やら話している。
普通ならば別段気にすることもないのだろうが、何やら彼女の方が何度も首を振っていた。
何かを拒絶するように。

「王子ー」
俺が声を掛けると、王子は傍目に見ても分かるほどにビクリと身体を揺らして俺の方へと視線を向けた。
「カイル……」
俺に話しかけれらくはなかったのか、はたまた俺と会いたくはなかったのか、王子は表情を曇らせた。
あーあ、そんな顔をされると俺としても流石に傷付く訳で―――。
でも女王騎士たるもの……そして俺のプライドがそれを表面に出すことを好しとしない。
王子の様子に気付かぬ振りをして、俺は王子の元へと足を進める。

「どうかしたんですかー?」
俺が訊ねれば、王子よりも先にビッキーちゃんの方がそれに答えてくれた。
「王子様がね、一人でヤシュナ村に行きたいって言うの!
一人でなんて、何があるか分からないし、駄目だっていってるんだけど……」
俺は思わず軽く目を瞠ってしまった。
どう考えても、彼女の言い分が正しい。
この人は自分の立場が分かっているのだろうか?
確かにヤシュナ村は長閑な温泉村だけど、実際何処に敵の罠が仕掛けられているか分からないのに……。

「そんな大騒ぎする程のことじゃないよ。
ただちょっと交易品の仕入れをしに行きたいだけなんだ。
長居するつもりもないし、瞬きの手鏡を使えば、すぐに帰って来れるんだから。
戦いに行く訳じゃないのに、そんなことで誰かに付いて行って貰うのも悪いし……」
交易は貴重な財源になっているし、大切なことだと思うが、何より大事なのは王子なのだ。
王子を失ってしまえば、全てが終わってしまうというのに……。
連戦続きで、皆の疲労が溜まっていることを気遣ってのことだとは想像がつくけど―――本当に困った人だ。

「俺が付き合いますよー、王子。
ビッキーちゃんの言うとおり、一人でなんて行かせられませんよー」
俺が言うと、王子は力強く頭を振る。
「本当に大丈夫だから!」
そんな力一杯拒否しなくても……。
これはいつの間にやら相当嫌われてしまったようだ……。

しかし、嫌われようが、避けられようが、こればっかりは見過ごす訳にはいかない。
王子を守ることだけは譲れない。

「という訳で、ビッキーちゃん、ぱぱーっとお願いするねー」
王子の言葉は聞かなかったことにして、俺が笑顔で促すと、ビッキーちゃんも心得たとばかりに頷いた。
「ちょ……っ!僕の話を……」
「えいっ!」
王子の抗議の声を遮るようにして、ビッキーちゃんの声が重なった。

そしてその後すぐに、くしゅん!というくしゃみをする音が聞こえた気がした―――。





「あれー?」
思わず、そんな素っ頓狂な声が出てしまう。
周囲を見渡せばそこは緑に囲まれたヤシュナ村ではなく、固い壁に囲まれた場所だった。
王子もぽかんとして、辺りを見回している。
「カイル……ここは?」
戸惑った様子で王子が訊ねてくるが、俺としても首を傾げるしかない。
どう考えても、ここが目的地のヤシュナ村だとは思えない。
「どうやらテレポートに失敗しちゃったみたいですね……」
俺がぽつりと呟くと、王子はびっくりしたように目を見開く。
状況から判断するに、それしか考えられなかった。

雑多な物が無造作に置かれているところを見ると、物置なのかもしれなかった。
出入り口と思しき扉が一つある以外、窓の類もない。
王子がその扉に駆け寄ろうとするのを、俺は慌てて止めた。
「駄目ですよ、王子。
無闇に扉を開けたりしたら……」
唇に指を当て、俺は静かにするように王子に促した。
怪訝そうな面持ちの王子に、俺はすっと表情を引き締めた。
「もしかしたら、ここは敵中かもしれませから……。
扉の向うには敵の兵達がいるかもしれない。
状況が分かるまで、動き回らない方が良いです」

俺の言葉に王子の表情が強張った。
俺はそんな王子の手を取り、強く握る。
「大丈夫ですよー。
王子のことは何があっても俺がお守りしますから」
小さな声だったけど、俺は精一杯王子を励ます。
笑顔を浮かべると、安心したのか、王子も微笑みを返してくれた。
久しぶりだなー、王子が俺にそんな笑顔を見せてくれるのは。

王子を扉から離れた壁際に座らせると、俺は気配を殺しつつ扉へと近付く。
そうして外の様子を伺おうと、扉へと耳を押し当てた。
しばらくそうした後、俺もまた王子の隣へと腰を降ろした。

「どうだった?」
不安げに問いかける王子に、俺は微かに首を振った。
「よく分かりませんねー。
人の気配はないようでしたけど……」
「そう……」
小さく呟いて、王子は立てた膝の上に顔を埋める。
しばらくそのまま会話も無く、俺達は並んで座っていた。

これからどうなってしまうのか。
敵地だとすると、どうやって脱出すれば良いのか。
二人だけで太刀打ちできるのか。
そんな想いが王子の中で渦巻いているのだろう。

「怖いですか?」
先に口を開いたのは俺からだった。
膝に埋めていた顔を上げ、ゆっくりと王子は俺のほうを見る。
俺の瞳をじっと見つめていた王子は、その中に何を見たのか―――静かに……けれど強い口調で答えを返してくれた。
「ううん、カイルが居てくれるから平気だよ。
でも、巻き込んでしまって御免ね……。
やっぱりあの時一人で行けば良かった」
俺は王子の肩を抱き、自分の方へと引き寄せ、身体を密着させる。
僅かに王子の身体は強張ったが、それだけだった。
抵抗は無い。

「何を仰っているんですかー。
王子のことは俺がお守りするって言ったでしょう?
それに……こんな時に不謹慎ですけど、こうして久々に王子と二人っきりになれて嬉しいなぁー……なんて。
最近ずっと避けられているみたいでしたし」
あははと王子を不安がらせないように、いつもの明るい調子で俺は言う。
それに対して、王子ははっとした様子で、目を見開く。
そうして小さく苦笑うのだった。
「気付かれてたんだね……。
なるべく自然に振舞っていたつもりだったんだけど、駄目だったか」
否定されることを期待していた訳ではないけれど、やっぱり避けられてたんだと知り、俺は内心大きな溜息を落とした。
女性に去れることなんかよりも、遥かに辛い。
それだけ俺にとって王子の存在は大きいということで。
改めてそれを思い知る。

「俺、王子に嫌われようとも、絶対に守り通してみせますからね。
傍にいることだけは赦して下さい」
すると王子は俺の肩に頭をこつんと寄り掛からせた。
「僕がカイルを嫌いになる筈なんかない。
カイルは僕にとって特別な人なんだから……」
我が耳を疑うようなそんな嬉しい台詞を、王子は口にしてくれる。
けれどそれでは、避けられていたことと矛盾している。

そんな俺の疑問に気付いたのだろう―――王子が続ける。
「カイルが色んな女の人に声を掛け回っているってガヴァヤさんから聞いたんだ。
結婚がどうのこうのっていうことも言ってたし……。
どんどん力を貸してくれる人達が増えていって、綺麗な女の人や、可愛い女の子も沢山いるだろう?
カイルには僕に気兼ねすることなく、好きな人が出来たのなら幸せになって欲しいなぁって。
もう僕はカイルから離れなきゃって……そう思ったから。
僕がいつまでも傍にいたら迷惑だろう?」
それを聞いて、俺は己を殴りつけたい衝動に駆られる。
そして出来ることなら、王子に余計なことを吹き込んだガヴァヤの馬鹿も。
結婚結婚と五月蝿いのはあの男の方であって、俺は一度も女性に結婚してくれなどと言ったことはないのだが―――王子は激しく勘違いしているらしい。

俺が女性に声を掛けるのは、昔からの一種の癖みたいものだ……。
俺にとってはおはようございますのような挨拶と同等で―――。
昔はそれなりに遊んだことは否定しないけど、王子に出逢って、特別な感情を抱くようになってからは、誓って本気で女性を口説いてはいない。
王子はまだあまりそういうことに免疫がないから、それを分かれと言う方が無茶なんだろう。
しかし王子に避けられている理由が、そんな自分の身から出た錆だったとは……。
なんともとほほな気分に苛まれる。

「色々誤解させちゃったみたいですけど、俺にとっても王子以上に大切な存在なんていませんよー。
俺の幸せを願ってくれるのならば、俺の傍に居てください。
それが俺にとって何にも代え難い一番の幸せですからー」
「カイル……」
俺は王子の身体を、今度はしっかりと抱き締めた。
それに応えるように、王子の手が縋るように俺の背に廻される。

いい雰囲気だ。
よし、このまま久々に―――!

今、自分達が置かれている状況を片隅に追いやり、俺の心にはそんな不埒な想いがむくむくと湧き上がってくる。
王子が感じて声を上げそうになったら、俺の口で塞げば良いし……などと。

しかし、そんな俺の思惑はすぐに打ち砕かれることとなった。
扉が急に外側から開かれたのだ。
俺の身体は考えるよりも先に動いていた。
王子から身を放すと、王子を背に庇い、剣を抜くと、臨戦態勢を整える。

「あらあら、ゼラセさんの言う通りでしたね」
そうのんびりとした口調で、中に入ってきたのは、羽扇を手にした女性だった。
そしてその後ろからは全身黒尽くめの女性も姿を見せた。
「ルクレティアさん!?」
思わず裏返った俺の声に対して、羽扇の女性……つまりルクレティアさんがくすくすと笑う。
「うふふふ……驚いてます?
ビッキーさんからテレポートに失敗したかもって聞かされて、お二人のことを探していたんですよ。
で、ゼラセさんに黎明の紋章の気配を探って貰って、ここを見つけたという訳です。
でもまさかこんな所にいらっしゃるなんてねぇ」
言って、またルクレティアさんは可笑しそうに笑うのだ。
対するゼラセさんは相変らずの鉄面皮だ。

「こんな所って……」
何故か嫌な予感がする。
「灯台下暗しってやつですね」
軽やかに答えられて、俺はがっくりと肩を落とす。
分かったからだ、ここがどこか。
王子もそれに気付いたらしい……「あっ」と声を小さな声を上げる。

「まさかこの城にこんな場所があるとは私も知りませんでした。
開かずの間みたいなものですかね」
「はぁ……」
っと俺は何とも間抜けな溜息を落とすしかない。
まさかここが本拠地であるソレイユ城の中だったとは―――。

ま、でも良しとしよう。
何とも拍子抜けの結末ではあったが、感謝しないといけないな。

王子との距離を、こうやって再び縮めることが出来たのだから。
そして―――、
「行きましょうか、王子」
「そうだね」
俺の目をまっすぐに見て、王子が優しい笑顔を浮かべてくれたのだから。



2006.07.28 up