罪に濡れて・・・ #2
※戦争終了後の話です。
色々捏造してます。
甘い系がお好きな方はご注意を!
室内は真っ暗だった。
夜という訳でも、空に厚い雲が垂れ込めているのでもない。
外は今日も太陽の光が燦々と降り注いでいる。
にも関らず、この部屋の主は窓から差し込む光を分厚いカーテンで遮蔽している。
室内を照らす為に設えられた人工の灯りも、火は点されてはいない。
闇だけが室内を支配している。
その中に溶け込むようにして、この部屋の主―――エルフィードがベッドの上に身を横たえていた。
何かかに怯えるように、そして身を守るかのように、身体を小さく丸めている。
目は閉じられていたが、眉間には深く皺が刻まれ、苦しそうな呻き声がその口から漏れていた。
額には汗が滲んでいる。
魘されているのだ―――夢に。
やがてびくりと一度身体を揺らし、エルフィードは跳ね起きた。
はぁはぁと乱れる息を肩で整え、虚ろな視線を周囲へと巡らす。
そうして自分が今何処にいるのかを悟る。
「あぁ……」
絶望とも失望とも取れる溜息を漏らすと、エルフィードは軽く頭を振る。
しかし意識は未だ霞が掛かったかのようにぼんやりとしている。
眠りから覚めたばかりだからではない。
もうずっと現実と夢の狭間にいるかのような、朦朧とした状態が続いている。
頭が重く、鈍い痛みを訴えてくる。
これもまた今に始まったことでない。
エルフィードはもうずっと深い眠りにつけずにいた。
浅い眠りの狭間に見る夢に苛まれ、目を覚ます。
今しがたのように。
とても倖せな夢なのだ―――最初は。
広い草原の中、父や母や叔母……亡くなってしまって筈の彼らが笑顔で視線の先にいる。
妹も、そしてゴドウィンの野望を打ち砕く為共に戦ってくれた仲間達もそこにいた。
「王子、早くこっちに来て下さいよー」
そう言って、大きく手を振り自分を呼ぶのは―――金の髪の男。
どんな時でも優しく自分を包み込んでくれた人だ。
自分にとって彼は―――……。
「……!?」
自分はそれに答えようと口を開く。
だが不思議なことに全く声が出ないのだ。
喉元に手を宛てて、懸命に声を絞り出そうとするが、出てくるのは乾いた咳のみだった。
そればかりか足も動かない。
皆が待つその場所までほんの僅かな距離なのに、足が地面に縫い付けられてしまったかのようだ。
必死に足を持ち上げようとするが、やはりそれは叶わない。
強い一陣の風が吹きぬけ、それに煽られ周囲の葉が一斉に宙を舞う。
反射的に目を閉じ、次に目を開けた時には皆の姿はそこにはないのだ。
その代わりに立っている二つの影。
一人は妹よりもまだ幼い少女。
もう一人はその少女と手を繋いでいる痩せて顔色の悪い女性。
少女はにっこりと屈託なく自分に笑いかけ、傍らの女性は憔悴した笑みを浮かべこちらを見る。
―――この少女は……そしてこの女性は……。
「お兄ちゃん、泣いているの?」
少女が言う。
「恨んでなどおりません……」
女性が言う。
その台詞が何度も頭の中でリフレインする。
二対の瞳がじっとこちらへと注がれている。
―――そんな澄んだ瞳で僕を見ないでくれ。
―――そんな哀しい瞳で僕を見ないでくれ。
そこでまたもや風が吹く。
場面が切り替わる。
周囲は全て朱色に塗り込められている。
そして鼻腔に届くのは、錆びた鉄のような匂いだ。
いつの間にかすっかりと馴染んでしまった―――血臭だ。
自分の周りには倒れ伏す人、人、人。
さっきまで笑顔を見せていた懐かしい人達も皆、血溜まりの中だった。
その中にただ独り取り残され、絶望という奈落の底へと突き落とされたところで、目が覚める。
幸福な夢は悪夢へと変貌を遂げて、いつも襲い掛かってくるのだ。
暗闇の中、エルフィードはベッドの上で己の膝を抱える。
そうして立てた膝に顔を埋めた。
悪夢と言えども、所詮は夢。
そんなものに脅かされるなど、人は滑稽だと嗤うだろうか。
つまらぬ妄想だとは吐き捨てるのだろうか。
しかしエルフィードにとって繰り返されるあの夢は―――罪の具現。
そして心に負った傷は癒えることなく、血が流れ続けている。
だが自分の心の傷など如何ほどのものなのだろう。
己の脆弱さをエルフィードは自嘲する。
「強い人」だと多くの人達が自分を称した。
どんなことにも揺るがない強さを持っていると。
違う。
自分は決して強くなんてない。
怒涛のように襲い来る運命に、己を振り返る余裕もなかっただけだ。
皆を失望させぬように、強者の仮面を被り続けていたに過ぎない。
―――王子、あまり無理はしないで下さい。
俺の前では強がらなくても良いんですよー。
俺は王子の全てを受け止めますから。
ただ一人そう言ってくれた人がいた。
だが今はもういない彼。
今はきっと自分のことを―――憎んでいるに違いない。
コンコン……と扉を叩く音が耳に届く。
しかしエルフィードはそれに応えようとはせず、抱えた膝に顔を埋めたままだった。
しばらく間を空けて、またもや扉が叩かれる。
「兄上、わらわじゃ。
入っても構わぬだろうか?」
扉の向こうから控えめに掛けられた声に、エルフィードは弾かれたように顔を上げた。
「駄目だ!来るな、リム!」
声の限りにエルフィードは叫んだ。
今のこんな姿を妹であるリムスレーアには見せられない。
否―――。
もう自分になど会うべきではないのだ。
今や彼女はこのファレナの女王。
太陽の祝福を受け、光の中に立ち、人々を導いていくのだ。
たとえ兄妹であったとしても、血に汚れ、罪に濡れた自分になど近づいてはならない。
穢れてしまうから。
彼女には綺麗なまま、笑っていて欲しい。
今の自分を繋ぎとめる唯一の鎖となっているのが、妹の存在だった。
彼女がいなければ、彼女の懇願がなければ、自分は―――。
扉の外ではリムスレーアが鍵を開けろと近衛を怒鳴りつけている。
エルフィードは重い身体を奮い立たせ、扉へと駆け寄る。
体重を掛け、渾身の力で扉を押さえつける。
それがどれ程の抵抗になるのか分からなかったけれど、会う訳にはいかない。
―――頼むから、来ないでくれ、リム。
そんなエルフィードの祈りが通じたのか。
ミアキスがリムスレーアを止めてくれたのだ。
やがて冷静さを取り戻したらしいリムスレーアが去るのを扉越しに察し、エルフィードはほっと息を吐き出した。
ずるずるとそのまま崩れ落ちるようにして、その場に座り込む。
「ごめん……ごめんね……」
無意識の内に口をついて出ていた謝罪の言葉。
小さく繰り返されるそれが、誰に向けて発したものなのか―――エルフィード自身も分からなくなっていた。
<続>
夜という訳でも、空に厚い雲が垂れ込めているのでもない。
外は今日も太陽の光が燦々と降り注いでいる。
にも関らず、この部屋の主は窓から差し込む光を分厚いカーテンで遮蔽している。
室内を照らす為に設えられた人工の灯りも、火は点されてはいない。
闇だけが室内を支配している。
その中に溶け込むようにして、この部屋の主―――エルフィードがベッドの上に身を横たえていた。
何かかに怯えるように、そして身を守るかのように、身体を小さく丸めている。
目は閉じられていたが、眉間には深く皺が刻まれ、苦しそうな呻き声がその口から漏れていた。
額には汗が滲んでいる。
魘されているのだ―――夢に。
やがてびくりと一度身体を揺らし、エルフィードは跳ね起きた。
はぁはぁと乱れる息を肩で整え、虚ろな視線を周囲へと巡らす。
そうして自分が今何処にいるのかを悟る。
「あぁ……」
絶望とも失望とも取れる溜息を漏らすと、エルフィードは軽く頭を振る。
しかし意識は未だ霞が掛かったかのようにぼんやりとしている。
眠りから覚めたばかりだからではない。
もうずっと現実と夢の狭間にいるかのような、朦朧とした状態が続いている。
頭が重く、鈍い痛みを訴えてくる。
これもまた今に始まったことでない。
エルフィードはもうずっと深い眠りにつけずにいた。
浅い眠りの狭間に見る夢に苛まれ、目を覚ます。
今しがたのように。
とても倖せな夢なのだ―――最初は。
広い草原の中、父や母や叔母……亡くなってしまって筈の彼らが笑顔で視線の先にいる。
妹も、そしてゴドウィンの野望を打ち砕く為共に戦ってくれた仲間達もそこにいた。
「王子、早くこっちに来て下さいよー」
そう言って、大きく手を振り自分を呼ぶのは―――金の髪の男。
どんな時でも優しく自分を包み込んでくれた人だ。
自分にとって彼は―――……。
「……!?」
自分はそれに答えようと口を開く。
だが不思議なことに全く声が出ないのだ。
喉元に手を宛てて、懸命に声を絞り出そうとするが、出てくるのは乾いた咳のみだった。
そればかりか足も動かない。
皆が待つその場所までほんの僅かな距離なのに、足が地面に縫い付けられてしまったかのようだ。
必死に足を持ち上げようとするが、やはりそれは叶わない。
強い一陣の風が吹きぬけ、それに煽られ周囲の葉が一斉に宙を舞う。
反射的に目を閉じ、次に目を開けた時には皆の姿はそこにはないのだ。
その代わりに立っている二つの影。
一人は妹よりもまだ幼い少女。
もう一人はその少女と手を繋いでいる痩せて顔色の悪い女性。
少女はにっこりと屈託なく自分に笑いかけ、傍らの女性は憔悴した笑みを浮かべこちらを見る。
―――この少女は……そしてこの女性は……。
「お兄ちゃん、泣いているの?」
少女が言う。
「恨んでなどおりません……」
女性が言う。
その台詞が何度も頭の中でリフレインする。
二対の瞳がじっとこちらへと注がれている。
―――そんな澄んだ瞳で僕を見ないでくれ。
―――そんな哀しい瞳で僕を見ないでくれ。
そこでまたもや風が吹く。
場面が切り替わる。
周囲は全て朱色に塗り込められている。
そして鼻腔に届くのは、錆びた鉄のような匂いだ。
いつの間にかすっかりと馴染んでしまった―――血臭だ。
自分の周りには倒れ伏す人、人、人。
さっきまで笑顔を見せていた懐かしい人達も皆、血溜まりの中だった。
その中にただ独り取り残され、絶望という奈落の底へと突き落とされたところで、目が覚める。
幸福な夢は悪夢へと変貌を遂げて、いつも襲い掛かってくるのだ。
暗闇の中、エルフィードはベッドの上で己の膝を抱える。
そうして立てた膝に顔を埋めた。
悪夢と言えども、所詮は夢。
そんなものに脅かされるなど、人は滑稽だと嗤うだろうか。
つまらぬ妄想だとは吐き捨てるのだろうか。
しかしエルフィードにとって繰り返されるあの夢は―――罪の具現。
そして心に負った傷は癒えることなく、血が流れ続けている。
だが自分の心の傷など如何ほどのものなのだろう。
己の脆弱さをエルフィードは自嘲する。
「強い人」だと多くの人達が自分を称した。
どんなことにも揺るがない強さを持っていると。
違う。
自分は決して強くなんてない。
怒涛のように襲い来る運命に、己を振り返る余裕もなかっただけだ。
皆を失望させぬように、強者の仮面を被り続けていたに過ぎない。
―――王子、あまり無理はしないで下さい。
俺の前では強がらなくても良いんですよー。
俺は王子の全てを受け止めますから。
ただ一人そう言ってくれた人がいた。
だが今はもういない彼。
今はきっと自分のことを―――憎んでいるに違いない。
コンコン……と扉を叩く音が耳に届く。
しかしエルフィードはそれに応えようとはせず、抱えた膝に顔を埋めたままだった。
しばらく間を空けて、またもや扉が叩かれる。
「兄上、わらわじゃ。
入っても構わぬだろうか?」
扉の向こうから控えめに掛けられた声に、エルフィードは弾かれたように顔を上げた。
「駄目だ!来るな、リム!」
声の限りにエルフィードは叫んだ。
今のこんな姿を妹であるリムスレーアには見せられない。
否―――。
もう自分になど会うべきではないのだ。
今や彼女はこのファレナの女王。
太陽の祝福を受け、光の中に立ち、人々を導いていくのだ。
たとえ兄妹であったとしても、血に汚れ、罪に濡れた自分になど近づいてはならない。
穢れてしまうから。
彼女には綺麗なまま、笑っていて欲しい。
今の自分を繋ぎとめる唯一の鎖となっているのが、妹の存在だった。
彼女がいなければ、彼女の懇願がなければ、自分は―――。
扉の外ではリムスレーアが鍵を開けろと近衛を怒鳴りつけている。
エルフィードは重い身体を奮い立たせ、扉へと駆け寄る。
体重を掛け、渾身の力で扉を押さえつける。
それがどれ程の抵抗になるのか分からなかったけれど、会う訳にはいかない。
―――頼むから、来ないでくれ、リム。
そんなエルフィードの祈りが通じたのか。
ミアキスがリムスレーアを止めてくれたのだ。
やがて冷静さを取り戻したらしいリムスレーアが去るのを扉越しに察し、エルフィードはほっと息を吐き出した。
ずるずるとそのまま崩れ落ちるようにして、その場に座り込む。
「ごめん……ごめんね……」
無意識の内に口をついて出ていた謝罪の言葉。
小さく繰り返されるそれが、誰に向けて発したものなのか―――エルフィード自身も分からなくなっていた。
<続>
2006.11.18 up