聖  域    1981−1984  入間−狭山−所沢
     
      孤  独 
     
     
     地に宿る者たちよ
     生命の深みに憩う者たちよ
     呼ぶことはしない
     求めることはしない
     笑顔の君たちは
     いつも傍らでゆるやかに
     心を拡げている
     
     遠ざかるのは
     僕の心か
     ふっと心を離して
     流れゆく
     人の弱さか
     
                           1981.1.22.



     
     
      方  舟 
     
     
     今が今であること
     私の中のひとつの確かさが
     激しくかしぐ
     大きな流れの中
     私は見捨てられた断片だ
     
     私が私であること
     私の中の宇宙が炸裂する
     拡大する空間の中
     私は無に向けて収縮する
     
     私の前に戦争が在った
     多くの革命家が投獄され
     労働歌が歌われた
     私の時代に詩人が居た
     音楽家が吐息をついて
     塔が建てられた
     
     人が人であること
     私の中の歴史が
     刻まれた多くの歴史を吸収する
     押し寄せる泥流の中
     私は海をめざす方舟になる
     
                            1981.3.



     
     
      そ し て  私 は 峠 を 越 え る 
     
     
     心の向こう側に咲く花の青さよ
     海色の静寂に
     私は私を閉じ込めてしまいたい
     
     思い出の山裾に峠へ続く路がある
     帰らぬ そして帰れぬ旅人たちは
     時折振り向き路を登る
     ひと足ごとに忘れながら
     ひと息ごとに振り捨てながら
     そして彼らは峠を越える
     激しく厳しく
     けれど気高いひとつの超越
     
     峠の向こう側に咲く花の青さよ
     私は手折ったその香にむせて
     冷たく低く染まるだろう
     始まり掛けた朝に気付かず
     さざめき始める時を知らず
     海色の広さに拡がりながら
     私はもう 思うことのない
     知ることのない
     震えることすら忘れたひと握りの
     青さになる
     誰をも愛さず
     誰からも愛されず
     古い思いを眠らせる
     捨てるのではない
     それは私の青の一部になるだろう
     
     私は今
     時にただ密かに浮かぶ
     一輪の希薄な青色
                            1981.3.



     
      天 の 竿 
     
     
     お前は 目を見開いたまま
     引き擦り出されていた
     上唇を
     J字型の針で 貫かれて
     
     そこはどこだ
     輝く陽光におののくお前は
     その事で既に 生きる資格を剥奪される
     笑顔をすれば まだ
     生き延びる道もあろうけれど
     惜しむべき
     お前はまだ
     笑った事すら無い
     ふん つまらぬ
     ここでは 美が価値を定めるのだ
     せめてお前の背に
     一対の羽根でも生えていたなら
     
     ぴくぴくと腹は虹色
     生命は銀色
     うっすらと紅の色は
     憐れみ誘うに
     まるで足りない
     
     いつか連中を
     あの生温かで
     どんより重い世界から
     引き擦り出してやるがいい
     のんびりと
     J字針でも
     あそこに垂らして
                           1981.10.5.




      ぼ く は ス ー パ ー マ ン に 
      な り た か っ た 
     
     
     スーパーマンには泣いている人が
     見えるだろうか
     高い処を飛んでいると たくさんの物が
     見えるだろうか
     ぼくはスーパーマンになりたかった
     泣いている人と サヨナラをする為に
     ぼくはいつも笑っていたかったよ
     
     ブルックナーの交響楽が手許にそろう
     何を所有したかったのか
     安心 という代物
     じつに高くついた
     いっそオーケストラをひとつ丸ごと
     買えばよかった
     揃ってからと言うもの
     ぼくはまるで聴いていない
     
     とおくの街を歩いていた
     海を見たかったのは
     たしか自分
     廃墟に立ってみたかったのも
     この自分
     すこし疲れたさすらい人を気取ってみたかったのも
     おそらく自分
     あなたではなかった
     よその国へ出掛けて
     自分だけを見ていた
     そして そのことで参ったのは
     自分ひとりではなかったろう
     
     哲学 といえばさも聞こえがよい
     愛について 人間について 考えてます
     まったくじつに聞こえがよい
     そうしてぼくは鼻高だかに
     ため息をつく
     そうやって本当は
     自分はここに居るぞと さけんでいる
     希薄に
     希薄になっていく自分
     それを追いかけるように
     支えるように− 
     
     支える手をはなすと
     さぞ痛かろう
     スーパーマンになりたかった自分が終わる
     自分がなくなると
     明日からは誰が生きるのか
     
     なんにせよ
     ようやくぼくに
     地球が見えてくる
     “ぼくは”ではなく
     “ぼくらは”で始まる
     長い詩が 書けるかもしれない
     
                           1981.10.8.



     
      指   燃 え た 
     
     
     煙草の火
     指を焼いた
     熱いと思う
     でも放せない
     肉の焦げる臭い
     どこで感じたのか
     怖くなった
     落とした吸殻に
     何やら
     遠い犬の吠え声
     
     人指し指は
     俺のものじゃない
     もろくも焦げて
     天に昇る
     母親は
     未だに俺をガキ扱い
     人前で罵られれば
     泣くことも出来ぬ
     罪を憎しみに変えれば
     救いはあるまいに
     
     中指の焦げ目
     ただ醜い
     俺はいつから 兄
     になったのか
     俺のせいではない
     この先 抱き締めることなど
     出来ぬ妹を
     傍らの女に求めていく
     胸のあたりに他人のぬくみ
     産まれる子には
     思い切り 醜い名を
     つけてやろう
     
     唾液の乾いた吸い口
     を集めた灰皿を このまま
     掃除もせずに
     眺めていく
     指を焼いた一本だけ
     八つ裂きにして
     
     そして何やら
     
                          1981.10.12.
     


     
      ア ス フ ァ ル ト の 不 安 
     
     
     アスファルトの不安は
     土への回帰
     あなたは そこで
     頓死できるかどうか
     都会では煙草の吸殻すら
     風化することを許されない
     ここでは死が
     気配としてのみ 感じられる
     
      吠える犬 泣きわめく犬
      歩行者天国 人の波 人だけの波
     
     アスファルトの不安は
     降りしきる雨水の行方
     あなたはその道筋を 御存知か
     暗い路だ
     海に行き着けぬ永い川
     私たちがしたように
     やがて子供らがこの川を辿るだろう
     
      マンホール下の笹舟
      見送るネズミ 駆け比べ
     
     アスファルトの不安は
     その下に眠る土
     産むことを忘れて久しい
     冷たい土壌
     雨は滋養だった
     日射しは生命の源だった
     さほど遠くない昔
     
      季節の労働者は
      鍬をつるはしに持ち換える
      いつも 凍える季節に
     
     アスファルトの不安は
     寒い季節の一夜の宿り
     どこでも生きていけるさと
     人は嘘ぶいて通り過ぎるが
     ボロ布のように眠る彼らを残して
     彼らだけを いつも残して
     
      高い天井 厚い壁の大きな家だ ここは
     
     ここでは 死んでいくな
     土に戻れぬ
     裸で歩けぬ
     駆けることさえ忘れられた
     だから
     愛されたいのだ 足許のアスファルト
     
                           1981.12.6.



     
     
      愛 も 無 く 
     
     
     町中から 歌謡曲のする
     夜
     聞いた歌だ 名前は知らない
     空が
     静かだ 星も無く
     
     かたわら
     二つの異なった性が歩く
     あの肩先ほどに
     組まれた腕ほどに
     
     だから
     空は静かだ 歌も無く
     
                           1982.1.24.



     
     
      情  況  (習作)
     
     
     楽、虚、快、流、重、楽、待、
     楽、無、光、夜、昔、世界、
     遠、群、待、力、夢、時、虚、
      風、海、涙、丘、音、朝、
     影、  花、闇、 空、虚、虚、
     楽、泥、条、祈、祈、祈、力、
      時、沈、時、他、
     愛、愛、愛、愛、愛、愛、死。
     
     言葉
     
                           1982.2.12.



     
      風 景 ・ 惨 
     
     
     煙  たばこの
     重く  世界の底
     はじける  時
     昨日の  忘れかけた
     宙に  かつての夢
     浮いて  さらされて
     生命  いけにえの
     祈りつつ  呪いつつ
     登る  階段
     ふるえつつ  独り
     贈られた  グラス
     狂気の  凶器
     手紙  回されて
     思いのたけ  笑い飛ばす
     におい  毛髪の
     恋した女  燃やした
     部屋  すえた
     カーテン  暗く
     はねる  酒びん
     止まる  窓の下
     はらわた  死ねず
     引きずり  もだえ
     そして  けろり
     生きる
     
                           1982.3.1.



     
      上 昇 気 流 
     
     
     敵だ
     足音のする麦畑
     空
     見えすいた平安
     予感する風
     東より 地の涯へ
     ざわめき
     ひそやかな狂乱
     少女の草笛
     さえずり!
     高く!
     雲雀 跳んだ
     風の上
     高く
     雲の壁
     ひ・ば・り・と・ん・だ
     成層圏
     
     春の午後
     
                           1982.3.7.



     
     
      春 宵 ─ 刻 直 殺 人 
     
     
     殺害
     季節の
     実は日常の
     月下に横たわる自分
     まなこ開いて
     
     雪に似ている
     うす紅の
     冷えた華彩
     忘れられたのでなく
     お前が忘れ去った
     人々を
     静かな夜桜
     雪によく似た
     
     星に昇る者
     多く
     地にとどまる者の不幸
     と等しく
     忘却の数に等しく
     とんだ馬鹿騒ぎ
     
     春ともなれば
     行く末 見失い
     とにも かくにも
     あとにも 先にも
     私は死骸
     
                          1982.4.1-2.
     


     
     
      歓  喜 
     
     
     時は春
     歌を御存知か
     天空が裂ける
     月が浮かび上がる
     狂ったウサギの群を乗せて
     中空のなまあたたかな罠にわななき
     捕らえられた花弁は彼方に香りを放つ
     忘れられた不幸の切片が増殖しつつ
     しかし
     時は春
     うたかたの永遠
     音の無い喧騒
     球状の時間
     軌跡をはずれる歴史
     笑う風
     ひそやかに跳躍して着地の許されぬ
     時は春
     
                           1982.3.28.



     
     
      地  蔵 
     
     草陰の 傾いて
     命の石 か 石の命か
     重く揺れる
     光はそれて 頭上をかすめ
     だから 春ともなれば
     れんぎょうの花
     の後ろにようやく お前
     存在する
     沈丁花の香り
     の源に お前
     初めて思い出される
     なんともなしに 重く笑んでは
     貧しい沈黙めいた唄で
     時間を逆流させる
     
     デカンの西方アジャンタ窟の仏
     
                           1982.4.2.



     
     
      シ ュ プ レ ヒ コ ー ル 
     
     
     比例代表制が衆院を通過した今日
     拍手 怒号 侮蔑 涙 勝利 叫び
     俺は荒れた畑に
     最初の鍬を立てた
     不信と絶望は しばらく
     この胸 こがしはしない
     慣らされた諦観
     政治という汚れた大気より まだ
     確かに感触できる 土
     俺 は鍬 を打ち 下ろ す
     殺戮の過去を 時代は
     映像 と活字 に封じ 込み
     罪と言う商標を付けて
     大量販売
     ブームという許容
     マスコミという歴史の濾過器
     草を払い 石をどけ 根を起こし
     この営みに どれだけの
     歴史を揺らす 力が
     有るだろう
     テレビは痴呆と化し
     伝説と享楽を量産する
     折りも 高校野球たけなわの
     今日
     政治は再び 日常を遠のき
     俺 は荒れた畑 をひとつ
     黒く した
     
                           1982.8.19.



     
     
      ス ケ ッ チ 、 秋 、 二 題  
     
     
     空間
     光の方角に向けた
     青
     沈黙の
     遠方の白 不吉な
     そして人
     もはや語らぬ
     はなやかに封印された
     それら
     死
     
     
     草は静止し
     木の葉ではすでになく
     落ち葉にすらなれぬ
     宙に有る
     単なる金色
     物質としての光
     は ぬくみもなく
     屈折し
     交錯し
     世界をかいくぐり─ 
     
     
                            1982.11.
     


     
     
      秘  事 
     
     
     地に在って 蒼き光芒
     そこ からどこへ
     天をめぐる 彩色の渦
     聞こえる唄
     愛に関する命題
     見えないのだ と
     飢えた子は
     飢えた子らは
     求めるだろう あなたを
     あなたの瞳と 冷えた掌を
     
     地上の隠された秘密を
     
                          1982.11.16.
     


     
     
      無  題 
         ─1983年、年賀詩─ 
     
     土壌は
     肥えたか
     痩せたか
     乾いたか
     雨は滋養か
     歌は祈りか
     人にとって
     私は土壌か
     少しは
     豊かな
     
                          1982.11.25.
     
      地 平 の 歩 み 
     
     
     ひそやかな地平を歩け
     天と地の境に在って
     静寂の天上ではなく
     喧騒の地上でもない しかし
     光満ちるかの蒼穹に近く かつ
     生命のさざめく大地に遠くなく
     たおやかに この線上を舞えよ
     
     光は歓喜の影の悲哀を照らすだろう
     そこで
     愛は時に虚しく
     人は過ぎ
     歌は忘れられ
     孤独は満たされることがない
     目に映ることごとを
     見据えよ
     人はその果てに人となれる
     
     しかし 余りに人の足は弱く
     瞳は淡い
     だから友よ
     その地平は独りで歩むな
     力強い足と
     黒い瞳の友を選べよ
     しなやかな心と
     熱い魂を抱いて行けよ
     
     足萎え 視力の失せた
     私に代わって
     ひそやかな
     地平を
     歩んで 行けよ
                            1983.4.



     
      ク マ が 死 ん だ …… と 
     
     
     クマの奴が死んだ
     昨日の早朝
     不意の報せに
     嘆く奴が居るでもないが
     波立つ空気は
     消す術もない
     
     どこをどう
     間違えたのか 気の弱く
     おっちょこちょいで
     そのくせ 人の良い
     みんなから 愛された
     クマの野郎が
     キズもんたちの仲間に入った
     部屋住みでもう四ヶ月
     上の衆からも
     かわいがられているそうな
     そんな噂も途切れがちの
     昨日になって 急な話だ
     富士見橋の交差点で
     曲がり切れずに正面衝突
     電柱をへし折って
     酔っ払いだ
     自爆事故だから仕方ないと
     言いつつも
     助手席は軽傷で済ませておいて
     あっさり一人
     逝っちまいやがった
     目玉 飛び出させて
     それでも三時間 生きていやがった
     ふん そうか
     あいつもとうとう おっ死んだか
     斬った張ったで死ぬよりも
     自分で始末をつけたんだ
     かえって良かったじゃねえか
     と 苦く笑う
     国から親兄弟の駆けつけて
     ヤクザがぞろぞろ出入りする
     通夜にも あいつは戻らず
     いたらケラケラ笑って
     皆の酒を進めただろうに
     
     何が哀しくて
     生き急ぐのやら
     何が楽しくて
     死に急ぐのやら
     判らない事ばかりの
     世間らしいや
     
     なあクマよ
     あんたたあ
     行きつけの飲み屋で 一度二度
     一緒になった位のもんで
     話した訳でもない
     名も知らぬ 国も歳も知らないが
     切れ切れの噂をつないでは
     俺の中で あっためてきた
     とは 言うものの
     なんやら
     これほど胸が騒ぐのは
     俺も あんたのあとを
     追っかけそうな やり切れない
     予感
     が あるらしい
     ヤクザ
     と聞けばヘドが出るし
     まして その下働きじゃあ
     死んだほうがましと
     息巻いても
     人が群れるにゃ道理がある
     人の中に
     弱くて 嫌らしい虫が住んでいやがる
     その俺の虫が あんたのあとに
     俺を引きずって
     いくらしい
     だから さ
     バカだ ドジだ と
     笑いながらも
     今日は一日
     タバコを やめるつもりで
     仕事に出たさ
     
     その出掛け
     現場のそばを通ってみると
     電力会社の作業員
     電柱に登って 車を止めて
     その脇に
     とむらいの一升びんやら
     花束やら
     ちょいと
     どけて
     あって
     有って
     在って
     今日
     あんたの縫い跡だらけの
     むくろの 消える日
     
                           1983.4.29.



     
     
      愛 と い う こ と 
     
     
     日頃にことさら
     見もせず
     触れもせず
     思いもせず
     知らず見送ることごとに
     妙なる摂理と
     不思議がある
     例えば 生命のこと
     森の育つこと
     花粉の舞うこと
     卵が転がること
     母が子を宿すこと
     二人が
     出会うこと
     
     生命の息吹は
     流れるのでなく
     上昇し ただ下降する
     これを捉え ゆっくりと
     呼吸を合わせる
     上昇し 下降する
     息をひそめる
     両の手を拡げる
     或いは 木肌に耳を当てる
     せせらぎの飛沫を全身に浴びる
     そして 生命になる
     見えるだろう
     聞こえるだろう
     それが
     愛と いうこと
     
                           1983.5.12.



     
     
      雨 を 待 つ 時 間 
     
     
     一様に淡く 空かき煙り
     けだるく 風を止める
     西より張り出した
     前線 長く延び
     上空に冷気 流し込んで
     空気をずしりと 重くする
     先ほどまでの熱気は
     すばやく土にひそみ
     不安は地を伝い
     そしてここからは
     急速に生命が 逃げ出すのだ
     
     窓から雨を眺めるのが好きだと
     語った少女は
     今もそのようにして
     窓の向こうのくらがりに
     息をひそめて待っているだろうか
     
     頃合いを計り違えば
     もはや軒下に駆け込むことも出来ず
     もて余した両の足を
     ただ前にやりながら
     ぼくはすでに 心のどこかを
     雨にぬらしているのだ
     
     土手のみどりは
     淡く輝き
     透けてさえ 見える
     それは生きながら凍てついた
     化石
     お前たちの生気は 地にもぐって
     どこまで降りていくのだろうか
     
     いながらにして
     ぼくもまたここにおらず
     少女のように
     心のくらがりにひそんで
     じっと空が
     地上を蹂躪するのを待っている
     
     もう少しだ
     
     愛しい者たちの思いは
     あてどなく 低く浮遊し
     ぼくの近しい記憶も また
     知らず遊離し
     みなが
     ありとあらゆるものが
     帰るべき住まいを求めて
     焦燥し 倦怠し 狂奔する
     今
     待たれた雨は
     ゆるやかに天上を離れ
     洗い流すべく
     ─ 古い生命を
       古い愛や記憶を
       あらゆる汚濁と
       ささやかな魂を
       ぼくを− 
     流し去るべく
     落下しつつある
     
     待ちくたびれて
     少女は窓を開け
     空を見上げるだろうか
     落下するぼくを
     一様に淡い
     古くて新しい生命たちを
     地上のそれらと入れかわり
     けれど同じく 行き場のない
     閉ざされた魂たちを
     ぼくを
     それでも少女は
     愛してくれるだろうか
     
     雨を待つ その数分間
     ささやかに地上は
     死に絶える
     
                           1983.6.14.



     
      遠 い 記 憶 
          ─Y.M.に─ 
     
     
     君はどこまで 行くのだろうか
     野を分けて
     立ち止まることを多くして
     はるかな昔
     君はここを
     そのようにして吹く
     風だったのだ
     過ぎるだけの風を止めたのは
     僕だったかも知れない
     僕はいつもここに居て
     鳥が下りるのを待っていた
     虹が僕から始まるのを
     待ちわびていた
     僕はそんな ただの野辺だった
     立ち止まってしまった風は
     行き場をなくし
     青い泪を
     流したかも知れない
     おろおろと
     ぼくは戸惑い
     けれど 道を開けることは
     出来なかったろう
     鳥は下りず 虹は立たず
     そうして君だけが居た
     今もそのようにして
     記憶は継がれ
     忘れかけた思いをたぐって
     ぼくは歌う
     それにしても
     君はどこまで行くのだろうか
                           1983.7.24.



     
     
      聖  域 
     
     
     百葉箱の中身を見たか
     
     存在の起源は
     ひとつの問いにあるかもしれない
     地上は初夏の光線を
     わずかに拒絶し
     あるいは甘受し
     あらゆる生命が 持てる
     色彩と香気と造形の全てを駆使して
     存在を主張し始める そんなある日
     ぼくの中で それは
     初めて そこに 在ることを 始めた
     鮮やかすぎるほどに白い
     交互に組まれた木材による
     宙に持ち上げられた小舎
     百葉箱という
     名さえそれは与えられていると いう
     
     百葉箱の中身を見たか
     
     放たれた問いに
     多く戸惑ったのは
     むしろ その少年の方だったかも
     しれない
     小獣が棲むには 窓
     がない
     装飾物にしては
     そこは校庭の片隅で
     校門のブロンズ像ほどの
     権威さえもない
     ぼくはともかく
     その少年は結論した
     これは一種の秘密である と
     数ある 子供に決して明かされることない
     これは秘密のひとつであると
     そして それらと同様
     これも非公式に 我々によって
     究明されなければならないと すなわち
     囲まれた柵を越え
     植えられた芝を横切り
     閉じられた扉を
     開くべきであると 無論
     これも秘密裡に− 
     
     時を経て
     人はいったい どれだけの
     百葉箱と対峙してきたことだろう
     そして歴史はいつも
     夕暮れの校庭で
     ささやかな証明をしてみせるのだ
     
     少年はやや間を置いて
     声高に笑ってみせた
     そして ぼくは黙った
     或る種の時間を ぼくたちは消化し
     一方は満腹し
     一方は不良を起こした
     ぼくはそして思い知るのだ
     彼は知っていたのだ と
     百葉箱の中身を
     校庭の片隅の秘密を
     そこに未だ見ぬ獣も
     怪しげな計器盤もなく
     空っぽですらなかったことを
     
     百葉箱の中身を見たか
     
     ひとつの問いが存在を産み
     ひとつの解答が存在を闇に葬る
     (或いは異種の存在の起源となる)
     そして以来
     白い柵と芝とに囲まれた聖域は
     在って 無く
     確実にぼくを脅かしながら
     忘れられていった
     多く
     ぼくたちの出会う存在の
     影たちにも似て
     
                           1983.7.29.



     
     
      ロ ス ト ・ ガ ー ル 
     
     
     あたしがどこから来て
     どこへ行くとか
     あたしが誰だとか
     そんな事を訊いてくれるのは
     うれしい 優しいのね
     でも
     あたしは 居て
     そして消えて
     忘れられて
     それだけ で
     居て 忘れられるまでの時間は
     そう長くないわ
     だから 大したことじゃないの
     ただ
     あたしの想いだけが残る
     どこに
     いいえ どこにも
     
     ごめん
     あなたのことなんて聞きたくないわ
     あたしのことだけ 訊いてくれればいい
     だけど あたしは
     本当のことは 決して言わない
     だって あたしの想いは
     あたし以外には まるで意味がない
     あなたは忘れる
     ねえ
     あたしたち うまくやれそうね
     
     みんな
     そうね 何かを積み上げて
     そのことで 自分を覚えていて
     もらおうとするのかしら
     だけど あたしの想いは
     淡々と バラバラで
     めちゃくちゃに通り過ぎ
     吐き捨て 噛みしめ
     裏切った
     想いだけが ただ 在って
     教訓にも 知恵にもならない
     履歴を埋めることさえできない
     想いだけが あたしを 作っている
     
     あたし 酔ってない
     いつも こんな風だって訳じゃないの
     ねえ もう一度抱いてくれる?
     愛してるわ いいえ
     もちろん嘘よ
     
     みんななにかを判りたがる
     そして とうとう判らなかったことは
     始めから無かったことにして
     安心するのよ
     だから あたしは
     端から 居やしなかった
     そういうことにして 一番
     ほっとするのは
     あたしかもしれない
     ─ サヨナラ
     
                          1983.10.18.
     


     
     
      聖  獣 
     
     
     人の心の
     暗がりに沿って 下っていけば
     賑やかな悲哀や
     冷んやりとした歓喜の底に
     静かに一匹の聖獣が棲んでいる
     かつて人がそれ自体であった頃に
     喜々として地上を乱舞し
     交感し合った彼らも今となれば
     闇に盲いて飢えた獣に過ぎぬ
     
     優しさが最後の最後で他者を傷つけ
     豊かさがとどの詰まり空しさに転ずる
     事々の全てを人は
     彼らの責に帰してきた
     
     だが言葉を持たぬ彼らが
     人をして 愛を以て交歓せしめ
     祈りを以て善を知らしめ
     互いを求め合ってきた時の連関を
     地や 木々や はるかな山の頂きは
     今も忘れずにいる
     
     人 そのものが愚かな獣となった今
     それらの呼び声に応えるのは
     人の心の暗がりの底に
     醜い頭をもたげる
     飢えた彼らかもしれぬ
     
                          1983.11.10.



     
     
      地 に 在 り て 
     
     
     惜しげもなく 生きてゆけよ
     惜しげなく 死んでゆけよ
     地にこの身 帰し
     天空を横切って
     再び戻り
     薄命の獣となれよ
     或いは
     季節限りの草花となれよ
     土地は分けられるものでなく
     人の所有は認められぬ
     僅かばかりを此処で過ごす
     人に貸し与えられるものだ
     求めずとも 争わずとも
     衣も食も 住居も友も
     人は静かに得ていけるだろう
     ゆったりと鍬は振るえばよい
     人が産むのでなく
     産まれていくのを助けるばかりだ
     希い 感謝し
     遜って 空しく取り上げていけよ
     許し 許され
     慈しみ 愛されて
     密かに生き 密かにこの身を
     天と地とに 分けていけよ
     巡った末の生が再び
     愛を至上と思うものであることを
     祈りつつ
     
                          1983.12.12.



     
     
      無  題 
          ─1984年年賀詩─ 
     
     地にたゆとう精霊たちの聲聞けば
     踏み出す次の一足も
     天空を渉るそれとなれ
     振り上げる次の一鍬も
     天空を耕すそれとなれ
     
                           1984.1.2.



     
     
      地 に 在 り て  II 
     
     
     僕らの夢見たのは
     青い海原の旅ではなく
     乾いた熱砂の道だろう
     そこで緑はなお瑞々しく
     見はるかす地上は園なのだ
     
     僕らの語りたいのは
     遠い未来の話などでなく
     古い記憶の断片なのだ
     そこで僕は君と出会い
     切ない喜びと傷みを知った
     
     空の彼方を問うのは容易い
     空の彼方を知って
     なおもそこを願うことより
     
     僕らの知りたいのは
     隠された娘たちの秘密よりも
     閉ざされた人と人との間の道なのだ
     そこで幾度 歩を誤って
     二度ともどれぬ場所へと
     行き着いたことだろう
     
     森に住まう精霊たちの数に等しく
     ここにも何やら たゆとうものがあり
     彼らの囁きに耳を澄ませば
     時折ビルの間にせせらぐ沢を見
     渡る舗道に草いきれを嗅ぐだろう
     
     僕らが暮らすのは
     この国でなく地球であって
     僕の愛したいのは
     君ではなく
     人間なのだ
     
     エベレストが エベレストと呼ばれ
     チョモランマと呼ばれ
     サガルマタと呼び慣らわされるように
     僕らは僕らの生を
     祈りと呼び 傷みと呼び
     営みと呼び慣らわそう
     僕らの出逢いたいのは
     昔でなく 未来でなく
     今の君なのだから
     
                           1984.1.13.



     
     
      雪 の 日 の 
     
     
     雪をひさしぶりに降り積もらせた
     空は夜半に冴え渡り
     ひしっひしと
     路面の凍る音が聞こえるようだ
     凍った雪は車のチェーンに砕かれて
     砕かれてはまた静かに凍るだろう
     兄の凍てついた心もまた
     時折に砕かれて
     砕かれては凍てついて
     しかしいつか陽のぬくみに
     溶けゆるむ時があるのだろうか
     
     夜半過ぎの電話のベルが
     会社からのであって
     現場管理の依頼でもあったなら
     もとより路面凍結を理由に
     難色したことだろう
     が バスが無くタクシーも失い
     駅に留められているというお前の寒さが
     兄には寒いのだ
     折節 雪にタイヤを取られ
     危うく路肩に乗り上げ掛けたところで
     兄の腕と足はすでに
     お前だけを見て ここに居ない
     
     いつも二人になれば
     無視し冗談だけを言い
     或いは喧騒したお前が
     そこに居て
     兄のこことの距離を埋める思いが
     愛しい と言うものなのだろう
     もはや この兄が愛しいといえる女は
     お前より無いのかも知れぬ
     もとよりそれは恋愛とされるものではなく
     抱いたり 手をつないだりなど
     出来よう筈もなく
     こうやってこの身を駆ってしか
     表現のしようのないものだ
     
     やがて駅に滑り込んだ車を停めれば
     兄は叱り
     お前は手を合わせて舌を出し
     それだけのことで終わるだろう
     いっそお前を
     どこぞの男に預け渡してしまえば
     気も楽であろうにと
     兄は凍り掛けた路面を砕き
     舞った雪片のひらめきを
     美しいと思いつつ
     またこの心を踏み砕きながら
     県道を北へと
     滑走する
     
                           1984.1.19.